教会2

 

「お嬢さん」

 廊下に居た薫の声に、少女は、や、と小さく手を上げて答えた。


 薫は不似合いな大きな青いリュックを手にしていた。


「これ、お弁当です。お母さんが持たせてくれて」


 昨日、少しこの辺りを散策したいと言っていたので、綾子が気を利かせてくれたようだった。


「まどかたちは?」


「もう来てるよ。外に居る。私、ちょっと綾子さんに挨拶してくるから」

 笑ってそう言い、奥に入っていった。


 薄暗い台所を覗くと、綾子がタッパーに何かを詰めていた。


 柱のところから顔を覗け、

「あのー、それじゃ。行ってきます」

と言うと、振り向いた綾子は、手早くそれを紙袋に入れて差し出した。


「これ、デザートを忘れておりましたので」

「ああ、どうもすみません」


 袋を受け取る少女に、綾子は言った。


「姫宮さま。

 此処に何をしにいらしたのです?」


 ご迷惑でしたか? と少女は嗤う。

 綾子は窺うように見上げていた。


「承認の儀式なんて、下のものにやらせておけばいいじゃないですか。

 貴方がわざわざ出向かれる必要などないはずです」


「私はまだまだ下っ端なんですよ。

 正式に跡継ぎとして認められたわけでもないですし」


「まだ、とおっしゃるということは、いずれ、次期当主になられる腹積もりはおありだということですね」


「だったら、どうされます?」


 笑いながらも軽く挑むように見た少女を、綾子は黙って見ていたが、やがて、ついと、キッチンの小窓に視線を流す。


「別にどうも――。

 私にはもう関わりのないことです。


 それとも、私がまだ何か策略を巡らせていると思ってらっしゃるんですか?」


「いいえ。

 もう貴女はそんなことはなさらない」


「たいした自信ですわね」


 断定する少女に、綾子の目にかつて見せた敵意が揺れた。


 それを横目に見ながら少女は素っ気なく言った。


「別に、私がどうというのではないですよ。

 貴女は二度と家族を失うような真似はなさらない」


 その言葉に、綾子は観念したように溜息を漏らす。


「その通りですわ、姫宮様。

 私は二度と貴方を狙うことはない――。


 貴方がちゃんと調査してくださったお陰で、私の両親が一族のものに殺されたのではないことはわかりました。


 最早、貴方を恨むつもりはありません」


 綾子の両親は、もともと一族の人間だった。

 だが、彼らは実の兄妹だったため、組織を逃げ出した。


 少女たちの組織は、血族によってなるものでありながら、近親婚を固く禁じていたからだ。


 数年後、彼らの暮らす家に無人のヘリコプターが墜落した。

 両親は最後の力を振り絞り、幼い綾子一人を遠くへ飛ばした。


 綾子は、泣きながら見知らぬ町を歩いた自分を今でも覚えている。


 家を焼きつくした業火を思わせる赤黒い太陽が、何処までも何処までも背中に張り付いてきた。その熱を――。


 綾子の両親はいつも言っていた。


『私たちは決して許されないことをした』

『組織はお前の存在を認めないだろう』


 組織は近親婚によって生じる可能性がある、『ある存在』に怯えていた。


 それがなんなのか、綾子は知らない。

 だが、自分があの組織が恐れるような存在でないのは確かだった。


 あの事故はきっと自分たちの足取りを掴んだ組織が起こしたものだ。


 そう思い込んだ綾子は一族に復讐を近い、両親から聞かされた微かな記憶を頼りに、この地にやってきた。


 そして、『扉』の番人、御堂に近づき、悟の妻となったのだ。


 綾子は次代の当主となる少女を殺すことで復讐を果たすはずだった。


 今、少女の他に当主の直系はいない。

 後継者争いで組織が割れるのは必至だった。


 それに、当主に復讐するには、その命を奪うより、可愛い孫娘を殺した方がいいと考えたらからだ。


 大事なものを奪われる痛みをお前も味わうがいい。そう思って――。


 一度、当主が孫娘を連れて、御堂の地を訪れたことがあったので、少女のことはよく知っていた。


 娘の薫が、妙に彼女に懐いていて、自分より年下の少女を崇拝している風なのが、ちょっと気にはなったが、それでも、すべてを復讐に掛けてきた綾子の心は止まらなかった。


 何年かに一度の大きな祭礼のあと、溢れかえる人に手薄になった警備の隙をついて、綾子は少女の命を狙った。


「姫宮様。私は貴方に感謝さえしているのです。


 あのとき、貴方の命を狙わないままだったら、私は一生、この燻った想いを抱いたまま生きていた。


 かと言って、貴方を殺してしまっては、後になって真実を知り、苦しんだことでしょう。


 貴方は私に最良の結末をくれた――」


 あのとき綾子はとても大切なことに気づいたのだ。


 少女を殺しても、自分はいずれ組織の手で始末される。


 少女にナイフを振りかざしながら、綾子の頭をよぎったのは、悟と薫。愛しい自分の家族たち。


 計算づくで近づき、造った家族だった。


 だが、育み続けた長い年月の間に、なによりも掛け替えのないものとなっていたことに気づいたのだ。


 失った家族と同じほどに。


 夫と薫に、もう一度、逢いたい!

 少女にナイフを突き立てる寸前、綾子はそう強く願っていた。


 飛び出してきた立花が少女を庇うのが見えた。

 白い閃光が辺りを包む。


 何が起こったのかわからない。

 だが、少女も立花も助かり、綾子は気を失った。


 少女は自分の命を狙った綾子を許し、当主に、御堂に処分のないよう願い出てくれた。


「貴方は、本当に大事なものに気づかせてくれた。

 ありがとう。


 いつか……それを言いたくて」


 そう言う気の強そうな綾子の顔を、少女は感慨深げに見ていたが、やがて伏せ目がちに口を開く。


「貴女が私にそんな恩義を感じることはありません。

 貴女はあのとき、知らずにこの世界を救ったのだから――」


 え? と綾子が顔をあげる。


 少女の目は小さな窓から、裏庭に面した崖を見ていた。


「お祖父様が素直に私の意見を聞き入れてくれたのは、そのことに気づいたから」

 少女の口許は不可思議な笑みを湛えている。


「あのとき、私が地下の扉に通ずる祠の前にいたのは、私も祭りで警備が手薄になるのを見越して、あそこに入り込んでいたから。


 立花はそれに気づいて追ってきた」


 少女はその言葉の意味を告げずに、いつもの顔に戻って言った。


「じゃあ、私。山、登ってきます」

「山?」


「今、まどかさんたちと言ってたんですよ。

 この上の教会に行ってみようって。


 なかなか由緒ある教会らしいですね」


 少女は紙袋を持ち上げ、礼を言って行こうとしたが、ふと思いついて聞いてみた。


「綾子さん。ご主人に朝、会社から電話がかかったと聞きましたが、ご本人が出られたんですか?」


 いいえ、と綾子は首を振る。


「出たのは薫です。あの子の部屋には子機があるものですから」

「それで薫がご主人を起こしに来たと」


「そうらしいです」

「らしいって?」


「悟は鼾がうるさいから、別の部屋に寝てるもんですから」

「あー、太ってる人は鼾かく人多いですもんね」


「悟のは、太ってるんじゃなくて、体格がいいって言うんです」


 言い返す綾子が、少女には可愛く思え、はいはい、と適当な相槌を打ちながらも微笑んだ。


「それじゃ、行ってきます」

と行こうとすると、背後から声がした。


「姫宮様っ、山ですっころんで死んだりしないでくださいよ。うちの責任になりますからっ」


 他に言いようはないのかと苦笑しながら、少女は暖簾をくぐる。


「あら。なにやってんの?」

 廊下に男が立って居た。縋っていた太い柱から身体を起こす。


「――ボディガードですから」





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