第7話 新たな刺客

 ジーナは黒紫の瞳を丸くして、あんぐりと口を開いていた。

 それから泣きそうな顔で呆然と俺を凝視し、突き放すように言う。


「……助けなんていらない。だからこれ以上、私には関わらない方がいい」


「断ると言ったら?」


「——死ぬよ、確実に」


 ぞわりと悪寒立つような冷え切った声だった。

 けれど、俺は間髪入れずに答える。


「構わない。ここで死ぬことを恐れて、お前と別れたら俺はきっと間違いなく後悔し続ける。それこそ、死ぬまで一生な」


 そんな確信めいた予感がしている。

 すると、ジーナが胡乱に目を細めた。


「……あんた、馬鹿なの?」


「かもな。けど、ルナティックに突っ込んだ時からとうに覚悟は固まってる。それに……これは互いにとって悪い話でもないだろ」


「それって、どういう……」


「この仮面の力を引き出せるのは、今のところ俺だけなんだろ?」


 訊けば、ジーナは気まずそうに顔を逸らした。


「やっぱりな。戦っている時、適合者がどうのこうの言っていたからだろうなとは思っていたけど」


 そもそも誰にでも扱えるのであれば、ジーナ本人が変身して戦えばいいだけの話だしな。


「俺は戦う力が手に入る。お前は、組織とやらから逃れられる可能性が高くなる。だからさ、ジーナ。俺と手を組もうぜ」


 俺はにっと笑みを浮かべ、ジーナに向けて手を差し出す。

 彼女はじっと俺の右手を見つめて、暫く考え込んでいたが、やがて観念したように右手を握り返そうとして——、


「っ!? ジーナ!!」


 突如、糸が切れたみたいに力なく倒れ込んだ。

 頭を地面にぶつけてしまわぬよう咄嗟に抱き止めると同時、ジーナの異変に気づく。


「っ、なんだよこの熱……!?」


 よくこんな体で逃げ回れていたな……!

 これだと動くこともままならないだろうに。


「……あれこれ考えるのは後だ。とりあえず、安静にできる場所に連れて行かねえと」


 近場なのは俺の住み家だけど、ここまで酷いと医者に見せないとマズイよな。

 それにルナティックのこともあるし、一度街の中に戻った方が良さそうだ。


 ある程度考えがまとまったところで俺は、ジーナを背負い、市街地に向かうことにした。

 ……が、少し歩いたところで一旦立ち止まり、後ろを振り返る。


「あ、そうだ。もう狂魔刻印とやらは壊れたみたいだけど、このまま放置するのも良くないか」


 せめて手足だけでも縛っておこう、とルナティックだった男の元に歩み寄ろうとした時だった。

 廃墟の陰から飛び出した大量の液体が男を飲み込んだ。


「ぎゃああああああっ!!!」


 瞬間、意識を取り戻した男のけたたましい絶叫が周囲に響く。

 だが、数秒もしないうちに男は叫びはぴたりと止んだ。


 全身がどろどろに溶けて、僅かな肉と装飾品を残して骨と化したからだ。


 ——敵襲!!


 気づくと同時に俺は身体強化を施し、液体が飛んできた方向から距離を取りつつ、


「っ、——装着セット!」


 黒紫の仮面を召喚する。

 いつでもルナティックに変身できるようにして身構えていると、程なくしてルナティック男を殺害した人物が姿を現した。


「なるほど、早速お出ましってわけか……!」


 出てきたのは、全身を青いゲル状の液体に覆われた怪人だった。

 こいつも恐らくルナティックと見て間違いないだろう。


「おいおい、同族を殺して良かったのかよ」


 俺の質問に対して、新たなルナティックは、嘲るように鼻を鳴らす。


「仲間? 馬鹿言ってんじゃないよ。こんな雑魚、同族でもなんでもないよ」


 この声、まさか女か!?

 ……って、いや、別に驚くことでもないか。


 ルナティックになるのに必要なのは、狂魔刻印ただ一つ。

 それさえあれば老若男女誰であろうと怪物に変身できる。


「それにアンタの背中で伸びているひ弱な女を拉致して、仮面を奪う程度の任務すら全うできない役立たずなんか生かす価値なんてないだろう?」


「っ、……イカれてやがる」


 冷や汗が流れる。


 奴の佇まいと魔力の流れからして分かる。

 今しがた殺された男と違ってこいつは、元から戦う術を持っている側の人間だ。

 まず格上と見て間違いないだろう。


(さて、どうするべきか……)


 ジーナの容体からして少しでも早く安静にできる場所へ連れて行ってやりたいが、それはこの怪物が許さないだろう。

 奴……いや、奴らの狙いはどうやら仮面だけでなくジーナ自身も含まれている。

 仮にこの場は逃げることができても、根本的な解決にはならないはずだ。


 そうなると、俺が今取るべき手段は——!


「すまん、ジーナ。暫くの間、辛抱してくれ」


 ジーナを建物の影に寝かせ、ルナティックと対峙する。


「へえ、まさかアタシとやるつもりかい?」


「ああ、約束したからな。あいつの代わりに俺がお前らと戦ってやるって」


 言いながら俺は、黒紫の仮面を顔に装着し、


「——昇華レイズ・ウィング!」


 ルナティックへと姿を変える。

 一瞬の暗転を挟んで、大量の魔力が全身に漲る。


 変身した俺を見て、ルナティックは僅かに驚きを見せたが、


「ふうん、本当にその仮面でルナティックになれるんだ。けどまあ……それでもアタシの敵じゃないけどね!!」


 魔力を激らせ、こっちに向かって突っ込んできた。

 一瞬で俺の間合いの内側に踏み込み、魔力と液体を纏わせた拳を突き出してくる。

 俺も即座に魔力の鎧を纏い、両腕でルナティックの拳を防ぐ。


 ——しかし、


「——っ!?」


 奴の纏っていた液体の一部が魔力の防護幕をすり抜けて俺の装甲に触れる。

 瞬間、装甲がじゅっと音を立てて溶け、鋭い痛みが走った。


「うっわ、アンタ……魔力の操作下手クソじゃん。てことは、アンタも狂魔刻印がなきゃ戦えない雑魚ってワケね!」


「んなもん、言われるまでもなく俺自身が一番よく分かってるっつーの!」


 昨日までは正真正銘の初級ビギンズ冒険者だったんだ。

 この力が借り物に過ぎないことは重々承知しているつもりだ。


 ルナティックの背後に回り込み、脇腹に向かって返しの拳を叩き込む。


「っし!」


 ……が、渾身の一撃が入ったと思ったのも束の間、


「ぷっ、なんだい、そのへなちょこパンチは」


 全くと言っていいほど、ルナティックに攻撃が効いてなかった。

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