第2話 姉弟

 それはオーナーと恋人になってしばらく経った、ある日の仕事終わりのことだった。


「あぁ、そうだ。ライラ、今度どこかで時間もらえないか?」

「いいですけど、何か問題でもありましたか?」

「問題、っていうか……。ほらあの、例の姉が、ライラに会って謝りたいって言い出して……」

「…………はい?」


 唐突に出てきた、例の姉という単語。けれどそれが誰を指しているのかは、私にも理解できた。そう、理解できてしまったのだ。


「え、っと……。色々と確認したいことがあるんですが、まずその方は伯爵家のご令嬢のお姉さんで間違ってない、ですよね?」

「間違ってないな。ついでに言えば、会うなら誰にも見つからないようにこの部屋でにする」

「…………なんで、そんな話になったんですか」

「……悪い。色々しつこかったから、つい俺が迷惑をこうむったんだって口を滑らせたせいで、色々バレた」

「なっ!?」


 珍しく目線をそらしているので、本気で悪いとは思っているのだろう。それは分かるけれど、だからってどうして私が謝罪される側になるというのか。

 このあとも色々と話して、結局一度だけという約束で会うことになったのだけれど。私が完全に納得しているわけではないことを感じ取ったのか、今度必ず埋め合わせはするからと女性の格好のままで頭を下げられてしまったので、何がいいか考えておきますと答えるしかできなかった。


 そして、今。


「本当にごめんなさい! 悪気も他意もなかったのだけれど、そのせいであらぬ誤解を生んでいたとスノウに聞いて……。本当に申し訳ないことをしてしまったと思っているわ」


 なぜか本当に、妖艶な貴族の女性に頭を下げられるという状況に陥っていて。


「いえっ、あのっ、頭を上げてくださいっ……!」


 普通に考えてあり得ない事態に、分かっていても焦る私とは対照的に。


「本当にな。だからもう来るなって言っただろ。これに懲りたら、二度と関わるな」


 どう見ても当たりの強いオーナーは、万が一の時のためにと今日はまだ女性の格好のままだった。お店自体は閉店時間を過ぎているとはいえ、もしかしたら誰かがオーナー室を訪ねてくる可能性もないわけではないので、こればかりは仕方がない。


「そんな冷たいことを言わないでちょうだい。私はどうしても、スノウたちと一緒に暮らしたいのよ」

「だから、迷惑だって言ってんだろ。見て分からないか? こっちはもう安定した生活してんだよ。今さら環境を変えろとか、ふざけんな」

「そんなこと言わないで、ね? 少しだけでもいいから、本来あなたたちが享受きょうじゅできるはずだったことを、ちゃんと体験してほしいの」

「それはそっちの勝手だろ。むしろ俺たちは、変に貴族と関わり合いになりたくないって言ってるんだ。正直ライラが突然いなくなった時も、クソオヤジが関わってるんじゃないかって疑ったくらいなんだからな」


 それは初耳すぎて、思わず驚きから隣に座るオーナーを見つめてしまったけれど。お姉さんに警戒しているのか、珍しく私のその視線に気付く様子は一切なかった。


「それはないわ。だってお父様は、一切の関心を持っていないのだもの。むしろこれであなたたちに手を出すようなことがあれば、私もお母様も黙っていないわ」

「あぁ、そうかよ」


 オーナーは慣れているのか、普通に言葉を返していたけれど。お姉さんことアガスターシェ様の綺麗なブルーの瞳は、一瞬まるでナイフのような鋭さを持っていたように見えた私は、思わず恐ろしさのあまり縮こまってしまった。今の視線を直接向けられていたら、正直泣き出していただろう。


「だったらいっそ、家族全員無関心でいてくれよ」

「嫌よ! 私はスノウを弟としてちゃんと可愛がりたいの!」


 ただ次の瞬間には、もうそんな姿は影も形もなくなっていて。二人が会話している様子は、どう考えても普通の姉弟のようだった。


「だからって、着もしないのにウチの商品大量に買うなよ」

「な、何を言っているのかしら? わ、私が? ち、違うわよ」

「いや、動揺しすぎだろ」


 しかもオーナーに言われたことが唐突すぎたのか、あからさまに目をそらして色々と隠せていない様子は、なんだかとても可愛らしくて。


「仲がいいんですね」


 つい何も考えず、思わず口にしてしまった言葉に。


「どこがだ!?」

「本当!?」


 オーナーは驚き顔で、アガスターシェ様は嬉しそうに。正反対の反応をしてくるのが、これまた面白い。

 でも、私は知っている。親兄弟というのは、他人が思っている以上に遠慮がないものだから。


「お互い思っていることを好きに言い合えるのは、仲がいい証拠ですよ。だってそうじゃなかったら、ケンカになっちゃいますから」


 そう考えると、もしかしたら二人は本人たちが思っている以上に、ちゃんと姉弟しているのかもしれない。なんて考えていたら。


「まぁまぁ! スノウ、あなた素敵な子を選んだわね! 将来スノウに嫁ぐ予定なら、あなたも我が家にいらっしゃって!」

「おいこら、ライラにまで迷惑かけようとすんな」


 どうやらアガスターシェ様に、妙に気に入られてしまったみたいだけれど。オーナーのお姉さん公認のお付き合いをさせてもらっているのだと思うと、少しだけ照れくさいけれど誇らしくもなる。

 とはいえ。


「とにかく! これ以上、売れる商品を平民が一度に買わないような量買い占めるのも、店や家に唐突に来るのも本当にやめてくれ! 特に服は着ないんだったら、なおさらだ!」

「ちゃんと着てくれそうな使用人に渡しているわ! それに部屋着にできそうなものは、私だって着ているのよ!」

「いや、むしろ着るなよ! 貴族令嬢だろ!」

「いいじゃない! 私だってスノウが作った服を着てみたいんだもの!」


 この様子を見るに、私がアガスターシェ様に会うのはおそらく、これが最初で最後というわけにはいかないのだろう。


(ただの姉弟ゲンカ、にすらなってないことに、たぶん二人とも気付いてないんだろうなぁ)


 私からすると、ただの仲良しにしか見えないし聞こえないのは、きっと気のせいじゃない。そしてアガスターシェ様は、今後もオーナーがデザインした服を着続けるのだろう。


(オーダーメイドのドレスを予約しないあたり、たぶん最低限迷惑にならないようにって考えて行動しているんだろうし)


 そのことにオーナーが気付いているのかいないのかは、よく分からないけれど。


「だから! 二度と来んな!」

「嫌よ! 可愛い弟に会いたいもの!」


 なんだか微笑ましい姉弟の言い合いは、どこかなごむものがあるので。恋人の新しい一面を知ることができたと思って、完全に好意的に受け取っておくことにする私だった。

 ちなみに。実はアガスターシェ様のことも好ましく思っているという事実は、オーナーには内緒にしておこうと決めたけれど。その理由が二人がどこか似ているからだということを言えば、また正反対の反応をするのだろうなと想像して、一人楽しくなってしまっていたことは。私以外、誰も知らない。



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