PERI〜捕食者としての妖精レポート〜
あまるん
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僕は現代ロマ(いわゆるジプシー)の音楽を研究している者の端くれとしてある時期からイランの『ロマ
イランのロマはルーマニアなどバルカン半島から移住したグループとは別に国中に広まった物語や
イラン東部によくみられる社会的下層にある語り手や
少し話は変わるのだが、僕がロマの聚落に通うきっかけとなった出来事を伝えておきたい。
今から6年前の2002年、僕はフランスのマルセイユの港町のある路地にいた。ある音楽イベントに参加するためだったのだがアラブ人街の空気を味わいたいたいがためにそこに宿を取ったのだった。
夜歩くと街灯近くに立っている女の人がいる。そこにおそらくコールガールだと思われるのだが、僕が通りがかると中国人と間違えられて「ヘイ、シノワ」と声をかけられていた。
街角の異国風喫茶店の近くで、僕に声をかけるものがいる。彼女の背は僕の肩ほどで頭を包む布やその高い鼻とオリーブがかった肌を見て僕はロマの女性とすぐに察しがついた。
「中国人ではなく日本人です」
そう日本語訛りのトルコ語で返したところ、彼女もトルコ語を返す。
「私トルコからではなくイランから来たんです」
僕は当時チンゲネと呼ばれるトルコのロマを調べる予定を立てようとしていた。しかしシリアのロマのこともいずれ調べる予定だったので彼女の言葉にまじまじと全身を見つめる。目は淡い緑で少しだけ見える髪は細かくカールしたブルネットだ。
そして木が変色した古めかしいウードを持っている。
僕はそれで察しがついた。娼婦と間違えてしまったが彼女はおそらく音楽家だ。イランは1979年のイスラム革命によって世界中に音楽家の亡命者を出していた。
なかでもイラン国内で女性歌手が公衆の面前で歌うことは禁じられている。おそらく彼女もその時にイラン国外に出た音楽家の系譜にあるのだろう。僕はロマの歌を研究してることを伝えて、ぜひ故郷の歌を歌って欲しいし、彼女が良ければ録音してもいいかを尋ねた。
「録音?」
僕は彼女にカセットプレーヤーをみせた。
「歌だけじゃなくて村の話とかも聞かせて欲しい」
僕らの話が盛り上がるとカフェの奥からアラブ系とみえる主人が現れる。僕は察してミントティーを注文した。彼女にもなにか、と頼むと主人と目配せしあって柘榴のジュースが出てきた。
彼女が椅子に座りウードを構える。僕が録音のボタンをカチリと押すと彼女はウードを鳥の羽根の軸でかき鳴らす。
ウードの弦は四本だけの古いタイプだった。
色がありすぎてかえって単調に見える裾の長いスカートを広げてウードを抱え込む。
赤く塗られた唇が息を吸い込んだ。
猥雑な港町特有の煙たい喧騒の中にウードの生き生きとした音が響く。
西洋音楽の調子で聞こうとするとどこかで少しだけ音が下がる。ウードは火の楽器と言われる。かき鳴らしても不思議と物寂しい音ではない。
彼女はとても古い言葉で歌っていた。僕の語学力ではほとんど意味がわからない。おそらく
太鼓の音に似たリズムは楽器の表面を叩いてだしているようだ。
彼女はたくみに弾くので指先は見えない。
演奏が心地よい。火の揺らめきに似た軽さがある。
歌声は高い。特に頭に響かせる高い声、ナイチンゲールの鳴き声に例えられる
僕はファイルーズというレバノンの女性歌手の大ファンだったので思わず聴き入ってしまった。
目が慣れると徐々に月の明るさが際立ってきた。
雲が晴れて街角のカフェの外の椅子に座る僕たちを照らす。
ウードは弾いているものには本来の音が聞こえない作りになっている。それは演奏者として聞けないのはもったいないだろうなと思いながらも僕は僕のための演奏を堪能した。
演奏が終わると彼女はウードを置いて汗を拭った。
その光景が生々しく感じられる。
先ほどの
「もっと色々聞きたいなら村に行けばいい。日本人なら誰もが歓迎してくれる」
彼女はそう言って僕に村のある場所を教えてくれた。
「行くなら私と結婚しないと入れてくれない」
僕は聞き違えたのかと思って問い返したが彼女はまた結婚と言う。
どうも身内だけが入れるというしきたりのようだ。
「別れる時は別れるというだけ」
これは中東に行くものにとってはよく聞く話なのだが一晩だけの結婚、というのがあるのだ。
中東で娼婦と寝る時、本来は結婚してない男女が同じ部屋にいることも許されないので便宜的に結婚したことにする。婚資としてわずかな金を払い朝には離婚するという風習だ。
どうも彼女はあの中東の宗教なのだろうと思われた。
僕はちょうど独り身だったし、彼女のような人種はすぐに離婚するということも知っている。
僕はまだ若かったので軽い気持ちで頷いた。
僕らはカフェの店員が見守る中簡単な誓いをした。
終わると彼女は手を差し出した。お礼を求められているのだろうと財布を探ろうとすると、彼女は人差し指を左右に振る。
「村の話するよ」
そう言って手招きするのだった。いつもであれば少しでも危ないと感じたら遠慮するところなのだが、僕は結婚した事だし、村の話に興味をそそられてしまい立ち上がった。
話し続けていたため、裏路地を通り抜ける間の記憶は曖昧だ。彼女が通ると遠くにいる娼婦たちが憧れの眼差しで見つめる。背は小さく顔も小さいがとびきり豊満な体型をした彼女はまるで夜の女王のようだった。
場所もわからない場末の裏路地の安宿のような場所に彼女の部屋があった。入れてもらったが、お世辞にも片付いているとは言えなかった。二つある寝台のうち一つは人形や中国で見る謎のお土産、小型家電が積まれている。
彼女はカセットテーププレーヤーを取り出す僕を興味深そうに眺める。
「たくさんあるの?」
僕は鞄を開き、彼女にカセットテープのうち日本からダビングしてきた歌謡曲を見せた。その時の眼差しはまだ忘れられない。地面が割れたように彼女の貪欲な中身が覗いたように見えた。
「婚資がなくては」
彼女は僕に言いながらプレーヤーを指差す。僕はちょっと戸惑ったが予備のプレーヤーがあるので彼女には録音したら渡す、と伝えた。
婚資を渡すとどうなるのか多少期待してしまうのは男の
僕側の何もない寝台でことを終えると彼女は寝物語に村の話をしてくれた。
自給自足に近い暮らしをしていて定期的に外の村から鳥や牛を連れてくるものがいる。大抵はちゃんと手に入れたものだが(トルコ語なので意味が曖昧だが、契約や結婚というような言葉を使っていた)たまに掟を守らないものが許されない牛を攫ってきたり盗んできたりする。
それをしてしまうと村には帰れなくなる。
ロマたちは行き先で地元の宗教に染まるのでおそらくイスラム教徒でいう聖別されないものという意味だろうか。
僕は彼女に受け入れてもらおうとある話をした。
この前の旅でシリアに泊まった翌日の早朝、日が登る直前に石造りの街のあらゆるところにあるスピーカーが壁を震わしながら人々を呼び集める”歌”に似たものを流す。
モスクで祈るものも居れば寝室の床に絨毯を敷いて祈るものもいる。
日本人の僕は早朝に叩き起こされ
その時のシリアの祈りを呼びかける
彼女の顔色が変わったのはその話の途中からだった。
「日本人もモスクで祈るの?」
僕はもちろん、と答えた。
慌てた様子で彼女は服を整えた。僕に手を差し出す。僕は慌てて中身のテープを巻いてからプレーヤーを渡す。せめてもの心付けに日本から持ってきた歌謡曲のテープを入れてあげた。彼女は僕に村長の連絡先を教えてくれてそのまま僕をろくに衣服も整えてない状態で部屋から追い出す。
結局彼女の村の位置と録音のテープだけが思い出となった。
後で僕は彼女と離婚をする約束をし損ねたことに気づいた。村に行ってからまた連絡をすればいいと軽い気持ちでその時は日本に帰ったのだ。
さて僕がこの記録を残すのはこれからまた彼女の故郷のロマの村に戻るからだ。
僕が研究者を連れて彼女の村に行くようになったのは結局3年遅れになった。他のロマの研究もしなくてはならなかったし、最後の彼女の様子は気に掛かった。
しかし村長は僕が連絡をとると快く受け入れてくれたし、研究者仲間も歓迎してくれている。
アスファルトもない土の道に簡易なトタン造りの家。家は定期的に色々な色に塗り替えて楽しんでいるようだ。電気は通っていて、工業製品は村人が外で買ってきた古い家電の類。服もどこか古めかしく、昔の話がまだリアリティのある内容で伝えられている。
一応他の研究者には、村の宗教の件は伝えてモスクで祈ってから行くようにと頼んであった。
年々僕の村の中での評判は上がっていき、村人は家族同然の付き合いをしてくれるようになっている。その辺りの話は書籍で刊行する予定なので楽しみにして欲しい。原稿はもう編集者に渡してある。
村人は明るく、とても朗らかだ。何かあるとすぐにウードやアコーディオンを弾いて踊る。
鳥や牛たちを大事に飼い、食べてしまうと泣くものもいるほどだ。たまに血が濃すぎるせいか奇妙な見かけのものもいるがそれは避けられないことなのだろう。精神にも錯乱しているのか、たまに僕らを見て泣きわめきながら追い出そうとする。そのため他の村人に頼んで体良く追い払ってもらっている。この辺りの閉鎖性も書籍にはうまく残した。
僕が今回村に戻るのはどうも研究者の一人が村の外で迷子になったという連絡が来たからだ。
そして、彼女も帰ってきて僕に会えるようだ。
僕もそろそろ結婚がしたい。彼女と別れるのなら絶好の機会だ。
ただ僕の中に彼女の豊満な肉体への憧れは色濃く根付いている。ヨーロッパの地母神の像を思い出す。あの柔らかな肉と不釣り合いなほど小さな顔。
別れるためにはそれなりの婚資が必要だ。
僕はその取り決めをしないまま結婚してしまったから、一応彼らの好む金製品を持って行こうと思う。
彼女はまだあのプレーヤーを持っているだろうか。日本の曲が歌えるようになってたら聴いてみたい。
僕はここまで記入を終えると原稿をファイルにまとめてメールに添付した。
メールには編集者にあててジョークも加えた。「早速だが、僕が彼らの村から帰るのが遅れたら迎えに来て欲しい。こちらの車の調子は全てが怪しい。信じられるのはTOYOTAだけだからTOYOTAと車に書くものもいるほどだ。それと、来る時は必ずモスクで祈ってから来るように」
それではいってこようと思う。
貴方に神の平安があるように。
PERI〜捕食者としての妖精レポート〜 あまるん @Amarain
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