第17話

 助け舟を出してくれたのは、兄の月黄泉だ。

「これは部族間で話し合うべきこと、巫女姫の意思はそのあとのことだ」

 優しい口調だが、有無を言わせぬ正論だ。

 若者ふたりは恥じ入り、しゅんとして口を閉じた。

「両部族の申し入れは、しかと聞いた。追って正式に返答することになるだろうが、秋令はまだ十五だ。どこへ嫁がせるにせよ、今日明日という話ではない」


 自分の意思など二の次だと言われてしまった秋令だが、そのこと自体に異存はない。

 それよりも……。


 広間にいた客たちが迎賓舎に引き上げ、月黄泉と秋令もそれぞれの部屋に戻るために廊下に出た。

「しかめっ面だね、秋令」

「兄さま」

 めっきり表情が乏しくなってしまった秋令だが、それでも兄の目はその小さな変化を見逃さない。

 廊下にほかに誰もいないことを確かめて、月黄泉が尋ねる。

「なにか、怒ってる?」

「怒ってはいないけど」

 秋令には、ここ何年かの嫌な予知夢がいよいよ現実になったのかもしれないという危機感のほうが強かったのだ。それゆえ、このタイミングで婚姻のことで揉める龍兎や槽夜に違和感を覚えてしまっていた。

 そんな気持ちを正直に告げると、月黄泉は穏やかにうなづいて言う。

「気持ちはわかるけど、それで彼らを責めてはいけないよ。青龍族や木河衆にとっては、朱雀族の戦闘などまだ対岸の火事のようなものだろうからね。実際、今はまだ詳しい状況がわからないのだから、実感もないだろう」

「でも……」

 月黄泉は妹から目を逸らし、低い声で言う。

「それに、秋令の縁談の申し入れということであれば、早すぎるわけではないし」

 兄の思わぬ言葉に、秋令は口を閉ざした。

 それから、あたふたと言い訳のように口を開く。

「でも、わたしはまだ十五だし……」

「鈴花が私と婚約したのは、まだ彼女が十三歳か、それくらいのころだったよ」

 だが、それは先代の郷長だった父が早く亡くなってしまったせいだ。月黄泉や鈴花の気持ちには関係なく、長老たちが決めたことだった。

 月黄泉は言う。

「秋令がどうしても嫌なら、無理に嫁げとは言わないが」

「そんなこと、言っていいの?」

「叔父上や長老たちを説得するのは大変だと思うけど、嫌な相手に嫁がせて不幸にしたら、父上や母上に合わせる顔がない」

 真剣な面持ちで言われ、秋令は不機嫌だった口元を緩めてしまう。

(兄さまは、心からわたしの幸せを願ってくれているのよね)

 そして気づいた。龍兎や槽夜の申し出が不愉快だったのは、今はそんな浮ついた話をするべきときではないという以上に、それが秋令にとって望ましい話題ではなかったせいだ。秋令自身、住み慣れたこの郷を離れて嫁に行く覚悟など、まるでできていなかったのだ。

(首長一族としての覚悟が足りないって、叔父上に叱られてしまうわ)

 それは縁談の件に限らず、長瀬木がしばしば口にする言葉だった。

 うなだれる秋令の頭を、月黄泉が慰めるようにぽんぽんと叩いた。

 それから、遠くを見るようにつぶやく。

「鈴花も、嫌なら嫌だと言ってくれないと、もう婚儀の支度が始まってしまうのだがな」

 そのひと言に、秋令は目を丸くする。

「嫌だなんて言わないでしょう? だって、鈴花は兄さまのことが好きだもの」

「え……?」

 今度は月黄泉が目を見開いた。

「そこ、驚くところ?」

「あ、ああ。この数年、彼女には避けられているとばかり思っていた」

「鈴花は気難しいのよ。素直じゃないっていうか」

「それだけだろうか。やはり私は嫌われているとしか思えないのだが」

 月黄泉がそう思うのも当然で、この数年、鈴花は月黄泉に笑顔を見せたことがなかったのだ。たとえ秋令に笑顔を向けていても、月黄泉の姿を見たとたん不機嫌な顔に変わってしまっていたのだった。

 月黄泉は、ほうっと吐息をもらし、淡い笑みを浮かべて言う。

「どうであれ、朱雀族の戦況次第では、婚儀どころではなくなってしまうかもしれないな」

 秋令は黙ってうなずいたけれど。

(でも、兄さまと鈴花の結婚がなくなるなんてことはないわ)

 これは予知ではなかったが、中原にとっては若長が郷長になる大事な通過儀礼でもあるのだ。

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