第4話

 ふいに神泉殿の扉が開き、外の風が舞い込んだ。

「お父さま、おはようございます」

 明るい挨拶とともに入ってきたのは、長瀬木の娘の鈴花りんかだ。

 色とりどりの薄衣を幾重にも重ねてまとい、両手で籠を抱えている。どうやら父に朝食を届けに来たようだ。

「鈴花か、おはよう」

 鈴花と呼ばれた少女は、そこに月黄泉が同席していたことに気づくと、一瞬さっと頬を染め、すぐに不機嫌そうな顔になる。

「・・・・・・若長にご挨拶申し上げます。おいでとは知らず、失礼しました」

「なんだ、ずいぶん堅苦しい挨拶だな」

 父親が苦笑すると、鈴花はますます不機嫌な顔になった。

 それを気にしたふうもなく、長瀬木は屈託なく言う。

「せっかくだ、たいしたものではないが若長も一緒に食べていかないか? 鈴花、どうせ今朝もふたりでは食べきれぬほど運んできたのだろう?」

「ええ。でも、私は家に戻って食事をしますから、お父さまと若長はどうぞごゆっくり」

「なんだ、おまえも一緒に食べればよいではないか」

「私はご遠慮するしますわ。たいしたものではありませんから、若長のお口には合わないかもしれませんが」

 鈴花は視線を逸らしたまま冷たく言うと、籠を置き、琥珀色の長い髪をなびかせてさっさと出て行ってしまった。


「やれやれ、何が気に入らないのか。あの年頃の娘は気難しくて困る」

 長瀬木はそう言うが、月黄泉は鈴花の不機嫌の理由が少しだけわかる気がした。

(思いがけず、私がここにいたせいだ)

 先代の郷長さとおさが亡くなり、その遺言に従って月黄泉が郷長を継いで若長と呼ばれるようになったとき、月黄泉と鈴花は許婚いいなずけになった。月黄泉が先代の郷長の実子ではなかったため、長老たちは亡き郷長の弟である長瀬木の娘と娶わせることで正統性を保とうとしたのだ。

「小さいころは、おまえの後ばかり追いかけていたくせに、変わるものだな」

「もう小さくはありませんから」

 娘の気持ちがまったく理解できないとぼやく父親に、月黄泉は微笑むことしかできなかった。

 若い娘が、勝手に結婚相手を決められてしまったのだ。しかも月黄泉は若長とはいえ先代に拾われた孤児みなしごで、由緒正しい生まれの鈴花が不満に思うのは当然のことだと月黄泉は思う。

 長老たちの決定に敢えて逆らうつもりはないが、この先、鈴花が望むのであればいつでも婚約を解消する心積もりの月黄泉だった。

 だが、その心積もりを今すぐ長瀬木に打ち明けようとは思わない。不満そうな鈴花本人が、そのことで父親や月黄泉に何かを訴えたことはまだないのだ。

 それに、長瀬木の考えは月黄泉とは異なるようだ。

「甘やかして育てたつもりはなかったが、あいつには郷長一族の娘としての自覚が欠けている」

「郷長一族の・・・・・・」

「それがこの中原にとって有益な相手なら、遠い部族の見知らぬ男に嫁がされても当たり前の立場なのだ。巫女姫だとて、いずれは中原のために近隣の部族に嫁入りするというのに」

 他意なく語られた叔父の言葉に、月黄泉は背筋に冷たい何かを押し当てられた心地がした。

 婚姻は、部族間では重要な外交手段のひとつだ。中原に神託をもたらす神聖な巫女姫であっても、その駒のひとつであることは変わらない。

 うろたえてしまった月黄泉に、叔父は視線で「どうした?」と尋ねた。

「いえ、その、妹はまだまだ子供だと思っていたので」

「それはそうだ。儂とて、鈴花などつい先日まで赤ん坊だと思っていた。だがな、兄者が拾ってきた童子でさえ今や若長だ。時は速く、人の一生は短い」

 祭祀老である長瀬木の言葉だけに、重く胸に刺さる気がした。

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