月珠の祈り

宮乃崎 桜子

第一章  闇玉

第1話

 虹色の空に、月がふたつ浮かんでいる。

 大きな月はぼんやりあかく、小さいほうの月は海の真珠のように輝いている。


「お月さま、おいしそう」

 小さな両手を空に伸ばす無邪気な妹を、月黄泉つくよみは微笑んで眺めていた。

 妹の目には、キラキラと輝く小さな月が甘い飴玉に見えているようだ。

「ひとつ、取ってやろう」

 月黄泉はそう言うと、巾着から飴玉を取り出して手に隠し、その手で月を取るように宙を切って妹の口に飴玉を放り込んだ。

 少女が嬉しそうに目を細める。

「おいしい。でも、兄さま、お月さまはまだ空にあるわ」

「今のは月の雫だよ、月はずっと空にある」

「ふぅん。じゃあ、甘い雫をたくさん食べたら、空のお月さまが小さくなってしまう?」

「そうだな」

「……それなら、もっと欲しいけど我慢する」

 戯言と知ってか知らずかそう応じる妹に、月黄泉は目を細めた。

 赤ん坊のころから見守ってきた小さな妹。

 明るい栗色の柔らかな髪に、栗色の大きな瞳。

 頬は白く真珠色に輝き、唇は桜貝。

 月黄泉の何より大切な宝玉だ。


 海を臨む岬からの夕暮れの景色を、兄妹は並んで眺めていた。

 小さな月が先に西の水平線に隠れると、空は淡い茜色に染まる。

「兄さま、高い高いして」

 茜色の空を見上げて肩車をねだる妹を、月黄泉は望みどおり肩に乗せた。

 妹の手が、月黄泉の長い真珠色の髪を撫でる。

「兄さまのおぐし、小さいお月さまと同じ色で好き」

「そうか」

「白い角も、きれいで大好き」

 妹はそう言って、枝分かれした二本の細い角にそっと触れた。

 中原ちゅうげんの一族に、角が生えている者など他にはひとりもいない。

 それゆえ、月黄泉は常に己の角を他人に見られないよう暗示をかけて隠しているのだが、昔からこの妹の目だけはごまかせないのだった。


 やがて大きな朱い月も沈み、墨を流したように黒く染まり始めた夜空の東に闇玉やみだまが昇る。

 闇玉は、月黄泉が幼かったころは星空に穿った真っ黒な円形の穴にしか見えなかった。

 それが今では、仄かな光を放っている。

 もちろん昼の月の明るさとは比べようもないが、少なくとももう真っ黒な円ではなくなった。

 この先、闇玉はもっと明るくなるのだろうか。


 小さな妹はなんの屈託もなく、仄かに光る闇玉をなぞるように指先で円を描き歌う。


   お月さまは夜の月

   東の空に朝日がのぼる

   めでたや ことほげ

   みこさまにお仕え申せ

 

 中原の一族に歌い継がれてきたわらべ歌だ。

 昼を照らす月を「夜の月」と呼ぶなら、「朝日」とは何なのだろう。

(まさか、闇玉のことではあるまい)

 月黄泉は己の思い付きを嘲笑う。

 それでは昼と夜が逆転してしまうではないか。

 まるで終末思想だ。

 わらべ歌とは、そういうものなのだろうか。


 肩に乗ったままの妹が、そっとあくびを漏らした。

 月黄泉は笑みをこぼし、家に向かって歩き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る