第10話


 すでに夜は更けて、白み始めていた。

 待合室にはアイザックとユラ、ダニエルとミルドレッドの四人が残っていた。

 扉が開かれ、一斉にそっちを見る。

 医者が少しだけ笑みを浮かべた。

「手術が終わり経過を見ていましたが、取りあえずは山を越えたでしょう。

 気管が傷ついており自発呼吸が困難になっていましたが、器具を当てて補助をさせています。状態が落ち着いたら、もう一度手術をして、補助器具を体内から取り出します。それで不具合が無ければ大丈夫です。回復するでしょう」


 アイザックがソファに腰を下ろし、額を押さえて息をつく。

 ミルドレッドはダニエルに抱き付き、きゃーっと喜んでいる。

 ダニエルは困った顔をしながらも、この時だけは彼女を邪険にはしなかった。

「……あの、……シザさんは、目を覚ますんですか?」

 ユラが恐る恐る、尋ねる。

「はい。その他の傷の縫合は全て終わりましたから。呼吸も、現時点で落ち着いていますし、傷の他の不具合は見当たりません。数日のうちには、目を覚まされると思います」

 ユラは膝から崩れ落ちる。

 アイザックが寄って、背を撫でてやった。

「よかったなユラ。もう大丈夫だ」

「シザさん……」


 ユラは泣き出す。

 アイザックがシザの代わりに抱き締めて、彼の頭を撫でてやった。


◇   ◇   ◇


 病室に入ると眠っているシザの側に、ユラの姿があった。

 シザが通常の病室に移されて三日経つが、いつここに来ても変わらない光景だ。

 ユラはいつも、そいつの顔そんなに眺めて何か楽しいですかと聞きたくなるくらい、延々とシザの顔を側で見つめていた。

 雑誌を見てもいいしテレビを見たって音楽を聞いたっていいと言っているのに「はい」と頷きながらも結局そこから動かず、シザの手を握って顔を見つめて過ごしている。

 ユラはこういうところは見た目に寄らず頑なな所を見せた。

 シザもそういう、頑なに譲らない部分は持ってる。


(……確かにこうして見ると、ちょっと似てんなこいつら)


 アイザックは早くも、そんな風に思い始めていた。

 今日は、珍しくユラが眠っていた。

 この三日間ほぼ寝てないんじゃないかという感じだったので、さすがに限界だったのだろう。

 いつもの特等席でベッドの端に伏せるようにして、シザの手を握ったまま眠っていた。

 アイザックは苦笑してから、起こさないように毛布をユラの身体に掛けてやった。

 彼は窓辺の椅子に腰かけ、抱えて来た新聞を広げた。

 この三日間ユラとは少しだけ、言葉を交わした。

 彼が現在、プロのピアニストとして各国を回っていたこと、それで卒業と同時に音楽活動に入って二年【グレーター・アルテミス】には戻っていなかったこと。

 頻繁に戻っていれば、そういう話にもなっただろう。

 シザに付き合っている女の影が全く無かったのは、そういう事情からだったのだ。

 

 一度、養父であり【バビロニアチャンネル】CEOのドノバン・グリムハルツが病室に訪ねて来た。

 大丈夫かと彼はユラに声を掛け、ユラはシザが怪我をしたのは自分を庇ってのことで、本当に申し訳ありませんと、深々と頭を下げ、そんな風に謝っていたのが印象的だった。

 ドノバンはそんなユラを特に咎めることもなく、この一週間ほどは【グレーター・アルテミス】に滞在するから、目覚めたら連絡を入れるようそれだけ言って帰って行った。

 傍から見ていた印象としては、シザの弟ならばドノバンにとってもユラは養子であるはずだが、随分素っ気なく他人行儀な印象があった。

 もしかしたらドノバンはユラとシザが兄弟ということを知らないのかともアイザックは思ったが、そのあたりのことはよく分からなかった。

 こういうこともシザは一切同僚であるアイザックに話さない男だったので、分からないのだ。


 その時視界の端で、身じろいだ。


 アイザックはハッとして新聞をテーブルに投げ出して、ベッドに駆け寄る。

「シザ」

 碧の瞳がうっすらと開く。

「目が覚めたか。大丈夫か」

「僕は……」

 少し目線を彷徨わせてから、シザは「ああ……そうでしたね」と頷く。

「おまえな……心配させんなよ」

 シザはすぐに、側で寝顔を見せているユラに気づいた。

 自分の手を、握り締めたまま眠っている。

「ユラの名誉の為に言うけどな、お前が寝てるこの三日間、こいつほとんど寝ずに側に張り付いてたんだぞ」

「……知ってます」

 シザは微かに笑ってからユラが握っているのと、反対の腕を動かそうとして顔を顰めた。

「動かすなっつの。おまえ、そっちの腕折れてんだよ。分かってんだろ、それはあの犯人の襲撃云々とかじゃない、お前咄嗟に能力使ったから、体にダメージ負ったんだよ。プロテクターしてねえのにそういう能力の使い方すると強化系は命の危険があるっていつも言ってんだろ。チャージが不必要な能力は使い方ちゃんと考えねえと」

「……分かってますよ。だから咄嗟だったんです」

「咄嗟でもやめろよ」

 アイザックは深く息をついた。

 ユラを起こそうとした、それをシザが止める。

「……いえ。……寝かせてあげてください」

「そっか。……んじゃ、医者にだけお前が目を覚ましたって報告しておく」

「はい。ありがとうございます」

「あのよぉ、シザ……ユラって」

 シザが眠るユラの顔を、優しい表情で眺めている。

 アイザックは自分の髪を掻き混ぜた。

「……なんですか?」

「……いや。……お前のこと、すげえ大切に想ってくれてんだな。

 ピアニストのこととか、ちょっとだけ聞いたけどよ。

 退院したら、ちゃんと俺に恋人だって紹介しろよな」

 アイザックはそれだけを言って、病室を出て行った。



◇   ◇   ◇



 次に目を覚ますと、すぐそこに、アメシストの瞳があった。

 心配そうにシザの方を覗き込んでいる。

「ユラ」

 呼ぶとユラがシザの胸に伏せて、涙を零した。


「……あなたが死んだら、ぼくも死のうと思ってました」


 シザはユラの髪にゆっくりと、動く方の手を移動させて、泣いている彼を慰めるように手を動かした。


「貴方以外のひとを、僕はもう誰も愛せないから」


 自分は多分そうだと思うけど、

 ユラは別に、そうならなきゃ理由はないし、そうでなくてもいいのだ。

 そのことも、ちゃんと伝えておいてあげなきゃならないなと思った。

 シザは優しく笑った。


「死んだらユラに二度と会えなくなる。それだけは寂しくて耐えられそうにない。だから僕は死なないよ」


 うん、とユラがシザの頬に手を触れさせた。




「シザさんが眠ってる間ずっと、考えてたことがあって」


 シザの隣に潜り込んで、一緒に病室のベッドで眠った。

 ここは完全看護の病室なので、面会時間を越えて、病室に留まることは出来ない。

 今までは事情が事情なだけあって、張り付いているユラは大目に見られていたが、シザが目覚めるとナースに「ちゃんと帰ってください」とユラは叱られるようになったので、ユラは人が来ると側に飾られた花瓶の花の一輪に変化して、看護婦の目を躱すようになった。

 そうして誰も来なくなると、安堵してシザのベッドに潜り込んで一緒に眠る。

 シザは巡回ナースに怯えて変化をするユラを、笑いながら見守っている。

 別に見つかった所で、僕が構わないんだからそうさせてくださいと言うのは簡単だったが、一生懸命自分なりに考えてシザの側にいようとするユラが可愛かったので、そのままにしておいた。


「……ぼくと、貴方の能力が逆だったらよかったなって」


「……どうして?」

「この能力があれば、シザさんはきっと幼い頃のうちに、あの家から逃げ出せた。

 ぼくはそれでもあの人が貴方を苛めたら、その力で守ってあげれた。

 貴方がぼくにそうしてくれたように」

「これでいいんですよ」

 シザはユラの額に唇を触れさせた。


 アポクリファの能力は千差万別だ。

 特に【グレーター・アルテミス】は国民全員が多少なりとも能力者である。

 隣のあいつの能力が良かった、なんて思い始めたらキリがない。

 結局能力者だろうが非能力者だろうが、

 自分が天から与えられた力を受け入れて生きていくしかないのだ。


「……確かに辛いこともたくさんあったけど今は、こうやってユラと一緒にいられる。貴方に愛されることが出来るし、こんなにも貴方が好きだ。

 だからこれでいいんです。

 何か一つでも違ったら、僕はただ逃げることしか出来なかったかもしれないし、ユラが兄として、僕を慕ってくれていることにも気づけなかったかもしれない。

 今と同じようにユラを愛しく思っても、助けてあげられなかったかもしれない。

 今まで起きたことすべてが、自分にとっての実りになって、起きて良かったことだなんてそうは思えないけど。……でも僕は、『今』は好きです」


 ユラは小さく頷いた。


「どうして泣くの」

 シザが笑っている。

 ユラは慌てて目元を拭った。

「……しあわせで」

 そっかとシザは傷が開かないように慎重に身体を動かして横を向くと、

 ユラの身体を片手で包み込む。



「よう! おはようシザ君!」



 扉を思いっきり開いてから、わざとらしくそのあとコンコンッとノックをして、アイザックが入って来る。

「可愛いカノジョが帰っちゃって寂しいだろうからってみんなで、……あれ?」

 ベッドで一緒に眠っているユラと目が合い、アイザックが不思議そうな顔をする。

「あれ? ユラなんでいんの? 俺たち今、面会時間開始と共に入って来たんだけど……」

 ユラは慌てて身を起こす。

「え、えと……」

「おはようシザ……あら。ウフフ、どうしたの一緒のベッドに眠っちゃって……やだわぁ、退院まで待てないの? でも分かるわその気持ち! 病院ってなんだか興奮するものね!」

「病院で興奮してるのお前か白衣フェチの人かなんかだけだろ……」

 ダニエルが呆れている。

「い、いえ違うんです、別に変なことしてたわけじゃなくって……」

 ユラが慌ててベッドから降りて自分の寝癖や、服を整える。

 シザは折角いい雰囲気だったのになあ、という感じで空になった自分のベッドの隣をぽふぽふと手の平で押さえている。

「いいんだユラ。こーいう時は彼氏の方が大概悪いんだよ。コラッ! シザてめー脇腹に穴開いてんのになにベッドに恋人連れ込んでやらしーことしようとしてんだ!」

「今日は皆さんお揃いで……どうしたんですか?」

「うわ~もう普段のシザに戻って来てる……あんたなんかもう一ヶ月くらい眠りについてればよかったのよ! 安心しなさいその間私がバリバリ【アポクリファ・リーグ】のポイント稼いでやるから」

 ルシアが文句を言っている。

 メイがユラに、抱えて来た花束を渡してやった。

「みんなでお見舞いの花束持ってきました」

「あ、ありがとう……」

「シザ君、怪我の具合はどうだい?」

「はい。アレクシスさん多忙なのに申し訳ありません来ていただいて。明日手術をして、中の器具を取り出すことになると思います。一日様子を見て、平気そうだったら退院して、自宅療養に変えてもらおうかと」

「あら、あんなに死にかけたのにそんなもんで平気なの?」

「はい。傷の修復の経過はいいようなので」

「あんた見かけによらず丈夫な体ねえ~。割と好きよそういう男は」

「ミルドレッド、恋人の前でちょっかいかけるなよ」

「そうよ。ユラの顔強張ってるじゃない」

「なによ。タイプって言っただけじゃない。誉め言葉よ。フワフワ頭が顔強張ってるのはあんたが思いっきり叩いたからでしょ」

「叩いた?」

 目敏くシザが聞き返した。

「ユラを叩いたってどういうことですか。ルシア。説明を求めます」

「しらな~い。忘れたわ~」

 ルシアがそっぽを向いて口笛を吹いている。

「傷の経過は良さそうなんだね。よかった。君が【アポクリファ・リーグ】に復帰するのを、私たちも市民も待っているからね」

「ありがとうございます」

「あんまりワイワイ騒いでるとシザの傷開くからな。

 今日は出勤前にみんなで寄ってみただけだ」

「早く元気になれよな」

 仲間たちが賑やかに、出て行く。

 ユラはくすくすと笑っている。

「みんな、楽しい方なんですね」

「楽しいかどうかは考えようですが……」

「でもぼく、シザさんの仕事環境とか何も知らなかったから。今回それが少し分かって、嬉しかったです。安心しました。あの人たちがちゃんとシザさんのこと、大切に想ってくれてるんだなって分かったし……。アイザックさんも、とてもいい人ですね」

「調子がいいだけですよ。あの人は」

 シザが拗ねた様な口調で言うので、そんなのは珍しくてユラは笑った。

 シザは贈られた花を綺麗に活けているユラの方を見た。


「……ここに来てください」


 シザがベッドを押さえてユラを呼ぶ。

「余計な邪魔が入って中断してしまったけど、二年ぶりの再会の途中でした」

 ユラは歩み寄って来てくれる。

「これからの二人のこと、まだ話してなかった。

 音楽活動とかどうしたいのか、ユラの気持ちを聞かせて下さい」

 ユラは頷いて、もう一度そこに寝そべった。


「貴方の公演はマネージャーに録ってもらって、全部見ました。

 貴方には音楽の才能がありますよ。

 ユラが音楽を続けたいなら、僕は応援する」


 ユラはシザの身体に腕を回した。

 シザは【グレーター・アルテミス】から一歩も出れないのだ。

 それはユラの為に養父を殺したからである。

 この二年間の活動で、幾つかの音楽事務所から契約の話が来ている。

 ユラは仕事の拠点は【グレーター・アルテミス】以外に持つ気は無かったから、続けるならまた各国を回って公演中心の生活になる。

 自分だけが自由に世界を飛び回っていいのかという気持ちと。

 自分の音楽が他人にとってどれだけの価値があるのかはまだ未知数で、自信が持てない。


「僕なら大丈夫。【グレーター・アルテミス】で貴方の帰りを待っています。

 いつでも。

 戻って来たら、行った国の話をして、どんな音楽を奏でたのか、僕に聞かせて下さい。

 そしてこうやって、必ず僕を優しく抱きしめてくれること。

 それを守ってくれるのなら、……本当はユラをずっとこうして抱え込んで、どこへもやりたくないけど。音楽の神様になら、少しだけ貸してあげてもいいですよ」


 シザはユラの髪を優しく撫でて、彼にキスを落とした。


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