第8話



 シザの身体はすぐに病院に運び込まれた。

 テレビもネットも情報が錯綜して、騒然となっていた。

 アイザックはとりあえず病院にまで付き添うと、緊急手術室にシザが入るのを見届けて、【アポクリファ・リーグ】総責任者のアリア・グラーツに連絡を入れた。

 病院はシザが運び込まれたという情報が出回って、メディアも患者も来客も集まって、とんでもない混乱になっている。

 たださすがに緊急手術室の側は、野次馬の姿はない。

 扉の前にユラの姿があった。

 椅子に座って、その上で膝を抱えて蹲っている。


「ユラ」


 声を掛けると過剰な位の反応を見せて、ユラがこちらを見上げた。

 ボロボロに泣いた顔。

 初めて会った時の印象ではとても物静かに見えたのに、今は紫の瞳に光を吸い込んで、その奥で激しい感情が揺れ動いていた。

 今もどんどん、大粒の涙が零れて来る。


「シザさん、シザさんは……」


 泣きじゃくりながらユラは立ち上がって、アイザックに駆け寄って来る。

 ユラの服は血塗れのままだ。

 救急車で運ばれる時も病院についてからも、随分下がっていなさいと邪険にされていたが、ユラはシザの側にしがみついたまま剥がれなかった。

 もう病院関係者も諦めたのだろう。

「……今、手術中だからな。ユラ、今は手術が終わるのを待つしかない。お前、服着替えて来い。すぐ曲がったそこにシャワー室あるから、使わせてもらえ。俺がここにいるし」

 ユラは首を振った。

「ここに張り付いてても出来ることは」


「すみませんアイザック・ネレスさんですね」


 病院の看護婦が、足早にやって来た。

「あ、ああ……はい。そうです」

「申し訳ありません。警察の方が、事件発生時の話を聞きたいといらしているのですが」

「あー……えっと、」

 アイザックはまた椅子に戻って蹲ったユラを振り返る。

 シザが、自分の身を投げ出してまで彼を庇った姿を思い出す。

「……すいません、そっち少し待ってもらえますか? あの、ついていてやんないと駄目なんで」

 看護婦はユラの方を見た。

 するとアイザックを少し手招く仕草をした。

「ん……?」

「……あの申し訳ありませんが、もしよろしければ、輸血をお願いしてもよろしいですか? 他の病院からも移送してもらっている所なんですが、発砲事件で複数人運び込まれていまして……」

「え?」

 輸血はユラが自分の血を使ってほしいと頼み込んで、先ほどまでしていたはずだ。

「採血していただいた血が、輸血に使えないようなんです」

「使えないって……」


「――ご兄弟ですね?」


 アイザックは目を瞬かせた。

 そして思わずユラを振り返る。


「えっと……」

「シザさんと血が近すぎるので、輸血に使えないんです」

「で……、えっ……、……」

 バタバタと騒がしい音がして、何か色々な機材を揃えた台を、三人ほどの医者が緊急手術室に新たに運び込んでいく。

「あ、ああ……はい、いいですよ。どこか、そのへんとかで出来ます?」

「はい。そちらのナースステーションで。準備をします。助かります、よろしくお願い致します」



◇   ◇   ◇



「アイザック」


 呼ばれて、廊下でスクワットをしていたアイザックが振り返る。

 ダニエル・ウィローがルシアとミルドレッド、メイを引き連れてやって来たのだ。

「どうなの、状況は」

「まだ緊急手術室にいる」

「もう随分時間経ってるよ。手術は終わったんじゃないの?」

「縫合はな。終わったみたいだ。けど脇腹だけかと思ったら、なんか肺もちょっとやられてたらしいんだよ。

 出血がひどいのに自立呼吸が出来ねえってんで……容態が落ち着くまで様子見ねえと、まだ何とも言えないらしい。さっきも発作起こしたらしいんだよな」

「聞いた時驚いたわ……犯人逮捕したって聞いた直後だったから」

「もう一人、いたみたいなんだよ。

 五人目の銀行強盗で、こいつが逃走用の車を準備してた。

 ユラを俺たちの仲間かなんかだと思ったらしいな。

 気づいた時にはもうシザが飛び出してて。

 どうしようもなかった」

 アイザックがくしゃくしゃと髪を掻き混ぜる。

「そうなの……」

「俺のせいだ。あいつが装備もねえのに連絡取っちまって。

 それに、緊張感無くいつまでも現場に留まらせた」

「別に居合わせたのは偶然だろ」

 ダニエルがアイザックの肩を叩く。

「そうよ。それにシザならあんたから連絡なくても、近くで強盗が起きてたら勝手に飛んで行ってたわよ」

「……そらそうだけどよ……、でもその後は完全に、俺は油断してた。

 あいつなら、必ずまだ何かないか、現場周辺の確認は行ったはずだ。

 俺は余計なことに気を取られてて……」


 バタバタと足音がした。緊急手術室にまた人が入っていく。

 明らかになにか異変が起きたようだった。

 声を掛けたかったが、看護婦も必死の形相でガラガラと台車を引いていく。

 ユラは両手で顔を覆って、泣きじゃくっている。


「心配ね……」

「アレクシスも心配してたよ。仕事が終わったら様子を見に来るって」

 ルシアが抱えて来た鞄を肩から下ろし、アイザックに差し出す。

「……はい。一応あの子でも着れるようなもの、持って来たから」

「悪いな。ありがとう」

「……なんで私がシザの恋人に服貸さなきゃいけないのよ。メイに借りなさいよ」

「しかたねーだろ。メイ、ジャージしか持ってねえって言うんだもん」

「色とりどりのジャージならいっぱいありますよ」

「……あんたも年頃なんだから私服くらいちゃんと買いなさいよ」

「だってジャージすごく楽なんですよー」

「そんなこと言ってミルドレッドも私服ドレスみたいなのしかないじゃない」

「当たり前でしょ。特別捜査官として日々男みたいな格好してるんだから、オフの時くらいこの私の美しい美貌を輝かせるドレスを着ないでどうすんのよ」

「特別捜査官って普通の服の趣味の人っていないわけ?」

「まったく……」 

 アイザックが立ち上がる。

「ユラ。まだ時間かかりそうだから、お前一度着替えて来い。

 酷い格好だぞ、おまえ……」

 ユラは顔を伏せたまま、首を横に振っている。

「そら気持ちは分かるけどな、俺もここで見張っとくから大丈夫だ。一回シャワーでも浴びて着替えて来い」

「……ぼく、ここに、います……」

「勿論いてもいいからさ。とにかく一度」

 ユラは首を振った。

「ぼく、ここにいる。何にも出来ないけど、でもシザさんの側に、」

 アイザックとダニエル、ミルドレッドが顔を見合わせて、困惑した表情を浮かべる。

 その中でルシア・ブラガンザだけがムッ、とした顔をして立ち上がった。

 つかつかとアイザックの側を横切ると、ユラの前に立った。

 そして何をするのかなとアイザックが見ていると、ルシアは突然振りかぶって、バシッ! とユラの頭を叩いたのだった。

「いっ、」

 思わずユラが顔を上げる。

「あー! もうぐじゃぐじゃと! あんたがそんな格好でここに蹲ってて泣いてても、皆不安になるだけでしょ⁉ 誰もシザ一人になんかしないから、とにかく血ぐらい落として来なさいよ!」

「ちょ、ルシアさん! あんまり手荒なことは、しないでほしいなぁ~~~なんておじさん……そういうことするとあとでシザ君がこわいし……」

「うるさいな、黙っててよ!」

「……ハイ」

「あんたがそうやって意地張って祈り捧げてても、手術が早く終わったりしないの! いいから、来なさいよ!」

 ルシアがユラを無理に立ち上がらせ、引っ張っていく。

「メイ! 着替えの鞄、持って来て!」

「はっ! ただいま!」

処女宮バルゴ】の先輩後輩コンビになる二人が息ぴったりで去って行った。 

「【アポクリファ・リーグ】の女王様がお怒りよ」

「すっげぇアイツ……心臓に毛が生えてんじゃねえのか。よくあんな打ちひしがれてる人間の脳天を攻撃出来るな」

「でも、良かったなぁアイザック。お前じゃあれは出来ないぞ」

「そらまあそうだ」

「儚げな子だったわね。遠目に見るより可愛かったわ」

 アイザックはダニエルとミルドレッドの顔を見た。

 彼らは三十代で年齢が近く、親しい友人なのだ。

「ダニエル君! ミルドレッド君!」

「お? おお、なんだ?」

「君たちを男と見込んで、頼みがある」

「うん?」

「誰がオトコよ! こんな美女を捕まえて! 焦げ焦げにされたいわけあんた!」

「そ、そうだったな! 立派な男と美女と見込んで、頼みがある。

 ……今から言うこと、誰にも言わないでくれ。いいな!

 これは俺からのお願いというだけじゃない! 故シザ・ファルネジア氏の遺言だと思って、絶対秘密にしてくれ」

「誰が故シザ・ファルネジア氏だ」

「なんつー縁起の悪いこと言うのよ」

「そ、そーでなくて!

 あの、ユラのことなんだけどな……その、どうやらシザの実の弟らしいんだよ」

 ダニエルとミルドレッドが顔を見合わせる。

「は?」

「恋人だってシザもあんなにはっきり言ってたじゃない」

「どーしたおまえ何言ってんの?」

「いや、さっき……ユラの血をシザに輸血しようとしたんだよ。そしたら、病院側に出来ねえって言われてさ。代わりに俺がしといたけど」

「出来ねえって……」

「血が近すぎるらしい……。」

 ミルドレッドが初めて生真面目な顔を見せた。

「あら……」

「いや、別にだからどうだってことじゃねーんだけど。シザ自身に聞かねえとこればっかりは……」

「……そうね。迷いなく恋人って言ってたもんね」

「そ、そう! そーなんだよ! ……だから驚いたんだよ」

「俺達になにしろって?」

「いや、何をしてほしいわけじゃねーんだよ。シザどうなるか分かんねし……万が一あいつになんかあった場合、ほらあいつ今は資産持ちになってるし。そら、あいつのことだから、そのあたりは養父ともちゃんと取り決めしてると思うけど、その、」

「OK。OK。なんかあった時は、あんたの力になればいいのね。いいわよ。というかあんたにしちゃ、やけにちゃんと考えてるじゃない」

「いや。兄貴のカミさんが亡くなった時本当にそういうこと大変だったんだよ。戸籍入れてなかったからさ……ユラが妻なのか恋人なのかでも全然法律上の扱い変わって来るし……」

「なにが出来るかは分からんが。黙っていればいいんだな」

「そう。知っててくれるだけでいい。一応ユラのことは、今はシザの恋人として扱ってくれるか。あいつがそう言っていた以上はとりあえず」

「分かったわ。安心して」

「……あいつ、色々今まであったみたいだからな。多分それと関係があると思うんだけどさ。でも二人でいる時はあいつらホントに恋人っぽかったんだよ。ありゃ、兄弟って雰囲気じゃなかったし……」

「そうなの。……それならあの子の心配も当然ね……平気かしら……」

 ミルドレッドは緊急手術室を見つめる。



◇   ◇   ◇



 シャワー室の前で待ちながら、ルシアはユラが着る服を選んでやっている。

 服を選びながら、シャワー室の方を時折彼女は振り返った。

「……ちょっと言い過ぎたかな……」

「へへ」

「……? なによ。笑って」

「いえ。ルシアのそういう『こうした方がいい!』っていうこと、ちゃんと口にするところとか、とてもいいと思います」

 メイが人懐っこい笑顔でそんな風に言うと、ルシアが赤面した。

「べ、別にそんなんじゃ……だってあのうるさいアイザックが、こんな時間まであの子をそのままにしたんだよ。誰かが言わないとあいつのあんな困った顔、見たことなかったし……」

「なんだ。アイザックさんの為ですか」

「ち! 違うわよ! 私は男のくせにぐじゃぐじゃ言ってる奴が嫌いなの!」

「ふーん」

「あんた、なに笑ってんのよ!」

「ううん。シザさん、早く元気になるといいですね」

「……うん」



◇    ◇    ◇



 ザー……


 流れて行く水に、赤い血が混じる。

 温かい湯に晒されながら、ぼんやりしていたユラはハッとした。

 ユラの身体に残っていたシザの血だ。

 運び込まれて行く時のシザの姿が思い出され、涙が滲んで来る。

(ぼくはあの人に気づいてたのに、ちゃんと逃げなかったから)

 シザは離れていたのだから、狙われたのがユラじゃなかったらあんなに身を投げ出して庇ったりはしなかったはずだ。

 もっと冷静に対処出来た。

 流れていく血の赤に足が震え出して、ユラはシャワー室のタイルの上に膝から崩れた。


(シザさんに何かあったら)


 息が詰まる。

 胸の奥が苦しい。

 自分の手の平を見た。

 昨夜の出来事が思い出される。

(あの人に二度と触れてもらえない可能性だってこの世にはあるんだ)

 ユラは思い知った。

 ずっとシザの側にいられて、彼に待ってもらって、守ってもらえるなんて思っていたから。

(心のどこかで思っていたから)

 シザの一瞬見せた熱は紛れもなく、自分を欲してくれていたのにユラはこの期に及んで首を振った。


(あんな人の)


 養父ダリオ・ゴールドの顔が過る。

 あんな人との記憶に苛まれて。

 ……彼はもう死んだのだ。

 シザがそうしてくれた。

 そして彼がそうしたのは、ただユラを養父の呪縛から救い出す、それだけの為だった。

 シザは事件発生当時すでに身長も伸び、能力的にも身を護る術を覚えつつあった。

 彼はもう子供ではなかったのだ。彼が一人だったら、なにも殺人の罪を犯さなくても、彼は自由になれただろう。

 シザはユラの為に手を汚したのだ。

「……、っ」

 嗚咽が零れる。

 いつもそうだ。

 シザはユラの為に幸せになれる権利を、いつも投げ出して来た。

(ぼくはいつも守られてばかりで)

 たった一つシザに返せるものが、昨夜はあったかもしれないのに。

 それすら臆病すぎて出来なかった。

 悲しい。

 悔しい。

 こんな時、彼を救える能力もない。

(僕とシザさんの能力が、逆だったら)

 ユラは膝を抱えて泣き伏せる。

(あの人のように、僕が全てと戦って……守ってあげられるのに)

 

「ちょっとユラ……いくらなんでも遅いよ。ここ、開けるわよ」


 ルシアの声がする。

 慎重にシャワールームを開くと、タイルの上に蹲ってユラが泣いている。

「やっぱり……、メイ! 服持って来て!」

 ルシアが流れ続けていたシャワーを止めて、ユラの体を大きなバスタオルで包み込んでやる。そして彼を立たせた。

「こんな所にいちゃダメよ。早くこっちに来て。

 ちょっと、しっかりしなさいよあんた……辛いのは分かるけどシザだって今、戦ってるんだから……貴方がしっかりして応援してあげないと」

 ルシアの声は、もう厳しくは無かった。

 シザも戦ってるというその一言に、ユラは手の平を握り締めた。

 うん、と頷く。本当にその通りだ。

 その反応を見てルシアも頷く。

「服、置いておくから。ちゃんと着替えるんだよ」



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