第7話
「本当に昨日はびっくりしたわ!」
「まぁびっくりしたのは確かだな」
「シザ君に恋人がいたとは。会えなくて、本当に残念だ」
「いや、私たちも会ったわけじゃないんだけどさ……」
「盗み見たと言うな。普通あれは」
「あいつ~~~~あんなほんわかした笑顔、俺にはいっちども見せた事ねえくせに~~~~~っ」
「イメージしてたのと違ったわよね」
「どんな人だったんだい?」
「アレ女の子だった? ちょっと中性的だったけど。男に見えた私」
「そう? あらやだ! じゃあなに! シザって男も行ける口なのっ⁉」
「行ける口かは分からんが……」
「どうりでデビュー時から私のこの色香に惑わないなと思ってたのよ」
「お前の色香には多分惑っていたぞ……多分惑うというよりも困惑していたという表現が正しいと思うが」
「そうだぞ。俺たちもお前のその立派な色香に日々困惑してる。困惑するから戦闘中とかあんま抱き着いてこないでくれ。集中出来ん」
「シザさんの恋人ならキレイ系だと思ってたなぁ」
「私も。モデル系かなって」
「?」
唯一ユラを目撃していないアレクシスが首をかしげている。
「どっちかっていうと、可愛い系だったよね」
「女に見えたぞ」
「中性的だった」
「顔の作りは綺麗なんだけど、なんか雰囲気ふんわりしてる感じの」
「癒し系っていうか?」
「そうそう! 小動物系よ!」
「そうか。小柄で可愛いひとなんだね」
「凄かったですよ。アレクさん。シザさんがこう……ふにゃ~って顔で笑ってるの! さすがにびっくりしました」
メイ・カミールがはしゃいでいる。
「デレデレしてたな~ッあいつ……んだよあいついつもあんなにツンツンしてんのにこれが噂のツンデレかっ!!」
「シザってああいう子がタイプなんだね。なんかすっごい意外……」
「恋人って似たもの同士の組み合わせと、真逆の組み合わせがあるっていうものね」
「だとしたらホント真逆の組み合わせ」
「【グレーター・アルテミス】に飛行機で戻って来たっていうことは、あの子もアポクリファなのかな? 普通の降着口から出て来たもんね」
「でもアイザックはあの人のこと、知らなかったんでしょ?」
「五年もよく同僚に隠しおおせたわね」
「隠してたのかな?」
「隠してはないんじゃないの。昨日あっさり恋人いるってカミングアウトしたし。私たちも恋人いるのとか一切聞いたことなかったもの」
「だっていないっぽいんだものあのひと」
「性格悪いもん」
「でもモテますよシザさんは」
「全く、この世の女は! 男の外見にすぐ騙されるんだから!」
「でも昨日はすっごく優しそうに見えました」
「見えたな……俺は五年あいつと付き合ってるが全くあんな顔で微笑みかけられたことが無い……。彼女にしたってあまりに理不尽だと思うんだが……」
「いやだわ~ なんっか腹立つわ~~~ あいつって自分のカノジョ以外絶対どーでもいいタイプよね。荷物とか持ってあげてたわよ。私なんかが荷物持ってても全然持ちましょうかとか言って来ないくせに!」
「いや俺も自分よりデカイお前が荷物を持っていても持ちましょうとか言わんかもしれん……すまんが」
「普通現場に一緒に出るような同僚には、恋人いますぐらい言わねえ? しかもオレ仕事と人生の先輩だぜ? こういう仕事なら普通、言って来ねえ?」
「普通はな……。まあシザも気を遣ったんじゃないか? お前も家庭少し複雑なことになってるし」
「複雑なことになってるってなんだよ。別にうちは何にも複雑じゃねーよ。離婚して奥さん皆無になっただけだ」
「皆無という表現はおかしいなこの場合」
「何人もいるみたいだもんね」
「それにシザがんな繊細なこと気にするような奴なわけねーだろ! 人生の先輩をバイクの後ろに乗せて高速引きずりまわすような奴が!」
「あの子本当に性別どっちだったのかしら。綿あめみたいなふわふわのプラチナブロンドだったわよね」
その時、全員のPDAが一斉に鳴った。
特別捜査官に緊急出動の命令が下ったのだ。
◇ ◇ ◇
携帯が鳴った。
雑貨ショップでユラと食器を見ていたシザは、ジャケットから携帯を取り出し通話に出る。
『あのぉ~……アイザック・ネレスですけど……』
ピッ、とシザは即、通話を切った。
数秒後、慌てたようにまた掛かって来る。
シザは嫌そうな顔をしたまま、もう一度通話に出る。
『切るなよォ!』
「なんですか。今日は完全オフにしてくれって一カ月前から僕はお願いしていましたよね? 完全オフの意味分かってますか?
仕事の連絡も寄越さないでくれって意味ですよ。
僕がそんなことをお願いすること、そんなにないことですよね?
貴方が休暇に入る時は、僕も絶対そっちに仕事の電話が行かないように気を遣ってあげてますよね? なんで貴方はそれが出来ないんですか? たった一日のことなのに。バカなんですか?」
『わ、悪かったよ! 俺はホントに、連絡入れねえつもりだったんだ今日は。ホントにお前の休日を尊重するつもりだったんだぞ』
「でもしてるじゃないですか。今、恋人とデート中なんです。すぐに切らせて下さい。貴方と話してると目が吊り上がって来るので、今日は話したくないんです」
『あのですね、シザさん……つかぬことを伺いますがPDAを今お持ちですよね』
「持ってますよ。電源は切ってますけど。うるさいから」
『そ、そうですよね……あのぉ、そのPDAでですね、今ヴァレンシア方面で発生した銀行強盗の、位置座標をですねぇ……口頭で、教えていただきたいんですが……』
「はあ⁉」
綺麗な空色の皿を見ていたユラが、振り返る。
「何の冗談ですか。貴方のPDAは?」
『いや、なーんかさっきからザーザー言ってて調子悪いっていうか……上手く座標出ねえっていうか……』
心配そうに近づいてきたユラには優しく笑いかけてやりながらも、シザは冷たい声を響かせる。
「貴方そのPDAちゃんと昨日メカニックに預けました?」
『ん? いや……えっとぉ、預けるつもりだったんだけど……』
「貴方の預けるつもりとかどうでもいいんですよ。預けたか預けてないかを聞いてるんです。預けたならメカニックのメンテナンスミスですから、明日にでも僕がラボに怒鳴り込んであげます。預けていないのなら貴方の怠慢なので、明日貴方をぶちますよ」
『その……、ハイ……、預けてません……』
「だから! メカ系のトラブルがないように必ず出動後は全てメンテナンスに回すように言ってるじゃないですか!」
『いや~……なんで今日壊れたかね……こういうメカ系のトラブルって本当にもっと人間くらい空気読んで起きて欲しいんだけども』
「バカじゃないの! そんな下らない用事で僕のオフを潰さないで下さい!」
『た、頼むよォ! シザ! 同じ【
シザは舌打ちした。彼からすると同僚のアイザック・ネレスのこの粗忽さは、一番最初に会った時から忌々しいものだった。
ジャケットの内ポケットに入れてあるPDAを起動させる。
「……言いますよ。貴方自分の位置は分かってるんでしょうね」
『う、うん。それは何とか分かる』
「なんとかじゃない!」
『すいません! 俺の現在地情報も下さい!』
「貴方の位置はヴァレンシア地区Jの24の7地点。
犯人は北と南に逃走中。
北は【
南は現在ギーゼン・ガーデン通りを東に曲がっています。
……ギーゼン……あれ、これ僕の現在地に近いな」
『えっ。お前今どこよ』
「ギーゼン・ガーデンスクウェアの雑貨店にいます」
『え⁉ すぐ側じゃね?』
言った途端、遠くの方で銃声が聞こえた。
きゃああああっと店内にいた客たちが、悲鳴を上げる。
『え。なんだ? 今の銃声どこで響いた』
「ここのすぐ側です。銃声が二発聞こえました」
『座標! 座標くれ!』
「ギーゼン地区 Dの13の6ですけど……貴方今から向かった所で全く間に合わないですよね」
『う、うるせぇ! 間に合うよ! 間に合わせるよ! 俺天才だから!』
「貴方は天才じゃないですし、僕ならアレクシスさんにこちらの犯人に追跡ターゲットを変更してもらいますけどね。……でも粗忽者の貴方の場合、そういった所で北の犯人も取り逃がしそうな勢いですから。……仕方ないなぁ。一刻も早くアリア・グラーツに三人目の特別捜査官を補充するようもう一度頼まないと」
『あっ⁉ オイ、シザ! やめろお前何するつもりだ! プロテクター装備もしてねえのに!』
「犯人を捕まえますよ。これだけ近くに現われたんだから、仕方ない。オフだなんだと言ってられないですもん」
『あぶねーって! 銃持ってるんだぞ!』
「能力使えば銃弾くらい平気ですよ」
『コラー! やめろー! お前は今日、お休みの人なの! 俺、五分でそっち行くから!』
「五分の間に逃げられますよ。
まあとにかく、あんたは早くこっち来てください」
シザは通話を切った。
もう一度、銃声が聞こえる。
お客様、伏せて落ち着いてお待ちくださいと店員が客達に声を掛けている。
「ユラ」
シザはユラの身体を抱き締めた。
「ごめん。近くで事件が起きたみたいだ。他の捜査官が近くにいないらしいから、僕が行かないと」
「危ないです、シザさん」
ユラが驚いて首を振った。
「大丈夫。僕の能力があれば銃弾くらい躱せますから。
いいですか。貴方は決してここから動かないで下さい。すぐに戻ってきます。
安心して。こちらには犯人は近づけさせませんから」
シザはユラの身体を放すと店の窓から、下の階へと身軽に飛び降りて行く。
通りに降り立つとすでに土曜昼間の大通りは、大変な騒ぎになっていた。
車も路肩に慌てて止めたものが渋滞の原因を作り、その後の車が歩道にまで乗り上げて停車している。
中にはぶつかっているものもあるらしく、幾筋か、渋滞の向こうに煙が上がっているのが見えた。
パァン!
また銃声がしたのでシザは止まっていたトラックの上に飛び乗った。
見下ろすと渋滞の先に、路地から二人組の犯人が出てくるのが見えた。一人、人質女性を抱えている。
きゃあああっと人々が蜘蛛の子を散らすように逃げて、止まった車などに隠れようとする。
シザは能力を発動させた。止まっている車の上を身軽に飛び越えて行く。
犯人が気付く前に、飛び蹴りが一人を吹っ飛ばした。
その衝撃で犯人が取り落とした銃を空中で掴み、そのまま地に着地する。
「て、てめえ!」
犯人が銃口をシザに向ける。
だが、相手は身体能力を跳ね上げる強化系の能力者である。
引き金に指を掛けたのは敵の方が早くても、シザが襲い掛かるのは犯人が引き金を引くよりも早かった。
一瞬で間合いを詰め、銃を構えた男の腕を捻るようにしてまず肩を外す。能力発動中のシザにとって相手の肩を捻って外すことなど、造作もないことだ。
ぎゃあっ、と犯人は激痛に絶叫し、人質女性を放した。
犯人の手首を蹴りで打ち、銃を落とす。
肩を押さえてよろめいた犯人の腹部に鋭い蹴りを叩き込めば、その身体は止まっていた車のボンネットに吹っ飛び、仰向けになって倒れた。
シザが介入して、三分ほどの出来事だった。
まさに電光石火の戦いぶりに、銃声に震えあがって逃げ惑っていた人々は、何が起こったのか分からなかったほどだ。
地上にいる人間のほとんどはシザの出現を捉え切れていなかった。
見ていたのは騒ぎや通報を聞きつけて、ビルや店から心配そうに地上を見下ろしていた人間である。
彼らはシザが犯人を倒すと、窓やテラスから歓声や拍手をあげて喜んだ。
地上で逃げ惑っていた人々たちがその歓声に気づいてようやく、なんだなんだと脚を止めて振り返る。
シザは倒れていた人質女性を助け起こす。
すぐに彼は自分の手で救急に連絡を入れた。
しばらくして、緊急車両の音が聞こえて来た。たまたま近くを巡回中だった警察車両の方が、特別捜査官の到着より早かったのである。
「ご苦労様です」
警察はシザの顔はすでに分かっていて、びしりと敬礼を行った。
「犯人二人はあそこに。持っていた銃は回収しました。どうぞ」
「はっ!」
警察に、犯人から奪った二丁の拳銃を手渡す。
「すぐに救急が来ます。そちらの人質女性は、こちらで」
「では、お願いします」
「貴方はたまたまこちらに?」
「はい。居合わせて」
「それはありがとうございました。逮捕にご協力、感謝いたします」
シザはその場を離れる。
人々が感謝の言葉と共にシザに称賛の拍手を送って来る。
店の方に戻ると建物の階段を、ユラが慌てて下りて来る姿が見えた。
「シザさん」
ユラは戻って来たシザに飛びついて来た。
シザはユラの身体を抱き留めてやる。
周囲にいた人々は少しだけその光景にどよめいたがシザは全く気にしなかった。
「震えてる。怖かったですか」
ユラはシザの胸に顔を埋めて、頷いた。
【アポクリファ・リーグ】は見ていたし、シザが【グレーター・アルテミス】でどんな仕事をしているかは分かっているつもりだったけれど。こんな実際、突然平穏な日常に事件が飛び込んで来るなんて。
改めて、シザが危険な仕事をしているんだと思い知った。
「シザさんが怪我したらどうしようかと思って……」
シザは穏やかに笑った。
「僕は強いから大丈夫ですよ」
柔らかなプラチナブロンドを優しく撫でてシザはユラを抱えて歩き出す。
「人が集まって来てしまったから、もう行きましょう」
歩き出して間もなく、後ろからバイクの音が聞こえて来た。
「あ~~悪い悪い! ちょっとどいてくれ~!」
ブオンブオン言いながら、歩道の人々を散らしてやって来たのはアイザック・ネレスである。
「シザ!」
彼は立ち去ろうとしていたシザの行く手を遮るようにバイクを止める。
そしてサングラスを取り、あからさまにこちらを睨んだシザと、その彼の後ろに怖がって隠れるようにしたユラに気づいた。
「あっ、とぉ……そうだった、デート中だったんだな。
ええと、どうも、こいつの同僚のアイザック・ネレスです」
アイザックは手をごしごしするような仕草をしてから、ユラに向かって差し出した。
「あ、の……ユラ・エンデです……」
華奢な手で、彼はアイザックの手を握って来た。
その素直な様子に、アイザックは途端に陽気になる。
「なんだよォ、シザ。可愛い子連れてんじゃん。この子がお前の恋人か?」
「そうですよ」
シザはユラの手を掴んだアイザックを、しっしっ、と手の甲で遠ざけるような仕草をした。
ユラは、同僚だというアイザックに躊躇いもなく自分を「恋人だ」と紹介したシザにかなり驚いたのだが、シザは全く平然としている。
……こういう所が、自分とシザは兄弟でも全く違うと思う。
「おまえなー。待てって言っただろ」
「仕方ないでしょう。犯人が目と鼻の先に現われて、貴方より僕の方が近くにいたんですから……」
「すっかりユラが怖がってんじゃねーか。顔、青ざめちゃって。可哀想だろォ」
「……うるさいな。大体あんたが犯人を取り逃がすから悪いんじゃないですか。
僕たちはデートの続きしますから、あとの現場のことは貴方が全部してくださいよ」
「分かってるって! へへ……」
アイザックがシザの肩をがしっと掴んで、数歩歩き出す。
「でも良かっただろ。カノジョの前でいい格好見せられたんだからさ。取り逃がした俺に感謝しろよ~?」
シザは半眼になる。
「なにが感謝ですか。面倒ごとばっかり持ち込んで」
「な、な……彼女のこと今度紹介しろよ」
「彼女じゃなくて彼、です」
シザは平静な声で訂正した。
「えっ? じゃあやっぱりあの子、男なんだ? へぇ~~っそれにしちゃホント中性的でオンナノコみたいに可愛いもんだなぁ」
アイザックは感心したように言ったがシザは目敏いもので、同僚の言葉に混じった違和感を鋭く見抜いたようだった。
「『やっぱり』? やっぱりってなんですか? 貴方はユラを知らないはずですよね。初対面なのにやっぱりってなんですか?」
「えっ、いや、その……」
「――……そうですか。昨日僕を空港につけたわけですね」
「い、いや! 俺じゃなくて、ダニエルとか、オンナノコたちが、お前の恋人をどーしても見たいっていうからだな……仕方なく」
「それでも貴方が後日きちんと僕の所に聞きに来て、それをみんなに説明すればいいでしょう。あなた僕がそういう、他人のプライベートにいちいち首を突っ込んで来るようなのが嫌いだって知ってますよね?
貴方が僕の同僚なら、貴方が彼女達をきちんと諌めるべきなんじゃないですか?
それを何を子供みたいに一緒になって尾行してるんです」
「んな! それを言うなら、普通同僚には恋人のこと話さねえ? お前が秘密になんかするから気になるんじゃねーか」
「別に秘密になんかしてませんよ。聞かれなかったから言わなかっただけです」
「そーいうのは聞かれたくなかったら自己申告だろォ~。
こんな仕事やってんだぜ。お前が仕事中もし怪我したりしたら、俺、あの子にどうやって連絡とりゃいいのよ」
「心配しなくてもそういうことはドノバンに全て任せてありますよ」
「なんだよォ! あいつがそんな細かい気遣いするような男に見えるか? どう考えてもアイザック先輩の方が細やかにだな……」
「自分のPDAの手入れすらちゃんとしてない貴方のどこが一体細やかなんですか」
「あ、あれはたまたま今日だけ……」
「いいえ。この前も貴方出動中にバイクがおかしくなったでしょう。何なら今までの貴方の怠慢が原因とみられるメカの故障が起きた内容と日時、全部列挙してあげましょうか。僕は記憶力がとてもいいので、そういうの、全部鮮明に記憶していますから」
「記憶していますからじゃねえよ! そんなこと、すぐに忘れろよっ! じゃねえと人生楽しく過ごせねえぞ若造!」
「奥さんから絶縁された貴方に人生の楽しさのこと語られたくありません」
「離婚しただけだ! 絶縁されたって言うな!」
「同じじゃないか」
「同じじゃない! 絶縁されたらひたすら悲しいだけだが、離婚は円満離婚もあってお互い幸せになる為にすることもある!」
「でも貴方の場合は三行半を叩きつけられての離婚ですからちっとも円満じゃないですよね」
「おめーこの前まで大学生だったくせに三行半とかいう単語よく知ってたな! ってかそんな悲しい単語若いくせに知ってんじゃねーよ! もっとハッピーでドリーム感のある単語を覚えろ!」
「なんですかドリーム感って」
数歩離れた所で何やら言い合いを始めたアイザックとシザに、ユラは最初ぽかん……としていたが、不意にくすくすと笑い始めた。
(シザさんがあんな風に誰かと言い合ってるの、初めて見る)
シザの他人との付き合い方は冷淡に徹するか、何も言わずに突き放すかが多いからだ。
でも、あんなに子供みたいに文句を言っている彼は非常に珍しい。
アイザック・ネレスのことは以前から集中力の無い粗忽者と聞いていたが、こうして見る限り、シザはその時々のミスを忌々しく思っていても、人間として彼を嫌っているわけではないのだと思う。
(よかった)
ユラは少しホッとした。
【グレーター・アルテミス】でシザがまた全てを独りで背負って、何の楽しみも作らず、友人も持たず、ただ暮らしているのは辛いと思っていたからだ。
二人の遣り取りが収まるまで大人しくここで待ってようと、小さく笑いながらふと周囲に目をやった時、こちらを遠巻きに見る野次馬の人々の中に一人、明らかに違う雰囲気を纏う人間を見つけた。
他の人々は居合わせた特別捜査官の遣り取りに明るい表情で笑ったり、写真を取ったりしているのに、一人だけパーカーの帽子を目深に被って、暗い表情でこっちを見ているのだ。
(……?)
男はアイザック、シザと視線を移して最後にユラを見た。
視線が合った途端、男が一歩動き出す。
男の手の中にビキビキビキと音を立てて、鋭い氷柱が形成されて行くのが見えた。
側にいた女の悲鳴にシザが振り返った時には能力者の男が、一直線に氷の矢を放つところだった。
「ユラ!」
咄嗟に能力を発動しようとして、シザは腕に激痛が走った。
ユラは男には気づいていたようだが、突然向けられた殺意の牙に立ち尽くすことしか出来ない。普通の人間はそういうものだ。何かあった時に反射行動をすぐ起こせる一般人の方が珍しい。
シザ、アイザックの声が後ろから飛んだ。
――ドン!
ユラは身体に走った衝撃に、一瞬頭が真っ白になった。
しかし、いつまで経っても覚悟した痛みが来ない。
恐る恐る目を開くと自分が、シザに抱き留められていることに気づいた。
「……シザさ……」
視線を下に向けると、赤い血がアスファルトの上に雫が落ちる。
きゃああああ!
野次馬からもう一度悲鳴が上がった。
逃げようとした犯人の男をアイザックが能力を発動し、捕まえて地面に捩じ伏せる。
「てめぇ!」
肩越しにアイザックが犯人を捕縛したのを見届けて、シザは小さく息をついた。
抱き留めたユラの身体を、力を込めて抱きしめる。
「……ユラ、怪我はない……?」
「シザさん、」
よかった、シザはそう安堵と共に呟き、ユラの方へと崩れて来た。
ユラは長身の彼を支えきれず、押し倒される。
すぐに飛び起きてシザの肩を掴む。
掴んだ自分の手の平が真紅に染まっていることに気づいた。
その血の量に驚いて、紫水晶の瞳を見開く。
これは自分の血じゃない。
シザの脇腹の辺りに、氷の刃が深く突き刺さっている。
「シザ! 大丈夫か!」
アイザックの声が響く。
騒ぎを聞きつけて、現場に残っていた警官が駆けて来た。
「シザさん!」
ユラがシザの身体に縋りつく。
「……ゃ、……だ、いやだ、」
血は傷口からどんどん流れて行く。
「シザさん! シザさん……! やだあ!」
シザの身体を揺すろうとするユラの身体を、慌てて警官が引き離した。
「マジかよ……っ、シザ! おい、返事しろ!」
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