014:愚者の黄金号
モレロ族との会談を終えた後、二人は諸々の仕事に精を出した。
銃火器の販売、モレロ族やカルロス及びその他の開拓者たちとの交流、仕入れた商品を保管する貸し倉庫の契約などである。こうした顔を売って回る様な仕事には、ジェーンの伯爵令嬢としての洗練された高貴さと商売人としてのあけすけさという二枚の仮面が文字通りの意味で役立った。
酒場での一件に至っては、地方誌であるグレイストン・ウィークリーズにも取り上げられ、その悪名混じりの名声は少しずつ広がりを見せた。
言うまでもなく、
そして、モレロ族や農場主からの交易品を貸し倉庫だけでは保管しきれなくなり始めた頃。彼女はとある船がニューグレイスに入港するとの情報を聞く。
その名は
一層の砲列甲板を有する五等級帆走フリゲート。排水量1000トン。船首に真鍮製の骸骨の装飾が施された瀟洒な軍船である。五等フリゲートというと、ここ十年で最も多く建造されている規格であり、軽量快速、適度な火力と全く非の打ち所がない。然し、噂を語る一般庶子は如是疑問を覚えることだろう。
どうして通商破壊に用いられる様な軍船が、こんな辺鄙な街に入港したのだろうか。
その理由をジェーンは良く知っていた。
無駄のない流麗な船体が接岸する。タラップが降り、水夫達がゾロゾロと積荷の荷下ろしを始める。一月に渡る長い後悔の末に地面に降り立った彼らは歓喜の歌を口ずさんでいた。それは船上という瑛国貴族社会を凌ぐ圧倒的階級社会からの解放であり、蛆虫入りビスケットからの決別を意味していた。
彼らが歌いたくなるのも無理もない話だ。
そんな水夫達の狭間を抜ける様に象牙のパイプを加えた男がタラップを降りてくる。
神経質そうに顰められた眉。鷲鼻に腫れぼったい目元。肩までかかる長髪。薄い唇は何事かをぶつぶつと吐き出している。
ジェーンは海風に負けぬよう声を張って、男の名を呼んだ。
「ウィリアム・マッキントッシュ!!キャプテン・ウィリアム!」
男はいきなり聞き馴染みのある女の声で名を呼ばれたことに仰天し、危うくタラップを転げ落ちかけた。然し、誰も彼を笑いはしないだろう。その女はこの港にいるはずがない存在であり、大洋の向こう側でふんぞり返っているはずのパトロン。つまり、ジェーン・ドレイク伯爵令嬢。その人なのだから。
ウィリアムは何とかタラップを渡りきり、ジェーンの元へ駆け寄る。まじまじとその顔を見詰め、やがて目の前で十字を切った。
「ああ、神よ。私は御国へ至ったのでしょうか…」
「勝手に人を死んだことにしないで頂戴」
「いやはや、余りに予想外でしたので。現地視察でもしてらっしゃるので?」
彼が状況を把握していないのは当然だった。ジェーンが裁判にかけられている間、彼はずっと海上にいて、東エンド諸島から新大陸へと港湾都市を順繰りに回っていたのである。小口の取引、各港湾都市の情報を収集と手形と証券の回収。それらが今回の航海の目的であり、新興の植民都市であるニューグレイスへの来航も事前に計画されていたことだった。
それをジェーンが先回りして商売の下地を整えていた。それだけの話だった。
「現地視察というか、転勤というか、まあそんな所ね。ところでこの後、暇はあるかしら。昼食でも一緒に食べない?」
実の所、ウィリアムはすぐにでも競売に足を運ぶ予定だったのだが、船のオーナーの誘いを断れるはずもない。フールズ・ゴールド号はジェーンを株主とする
つまり彼女がペンを取れば、ウィリアムは即座に無職だ。故に、ウィリアムは帽子を取って、紳士的にお誘いを受ける他なかったのである。
それに加え、彼にはジェーンに対し返せぬ量の恩とツケがあった。
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元々、ウィリアムは東エンド会社の商船の一隻で船長をしていた。
香辛料や茶葉を現地から本国へピストン輸送するだけの単調な航海を繰り返す毎日で、薄給であるに違いなかったが、それでも安定した仕事だったのは間違いない。
然し、それも三年前の夏に自らの商船を払国の私掠船に撃沈されて、全て変わってしまった。
船は砲弾によって引き裂かれ、自らのキャリアと共に海底へと沈んだ。
ウィリアムの命が身代金目的に見逃されたことだけが唯一の救いだったが、ウィリアムは所詮、哀れな平民に過ぎなかった。身代金を払ってくれるものなどいるはずもなく、死が少しばかり先延ばしになっただけに思われた。だが、そうはならなかった。その魂の代金を払う恐ろしく酔狂な女がエンドシナの方に居合わせていたのである。
その女こそが他でもないジェーン・ドレイク伯爵令嬢だったわけだ。
七年戦争の最中、彼女は東エンド会社が独占権を有する商品の密輸入を行い、瑛国が入植を目指すバンガロール地方の敵対的な諸部族へ型落ち品の大量の銃器を売り込んでいた。その大胆な妨害行為を依頼していたのは払国であり、その代償として受け取ったのが件のフリゲート船、
そして、彼女はその船長となる人材を探していた。
そこで彼女が目をつけたのが、折よく払国に捉えられていたウィリアムだった。一介の商船船長を軍船の船長に任命するのもどうかと思えるが、ジェーンに取って何より重要なのは信頼と忠誠の有無であり、その点においてはウィリアムは全くの適任だったわけだ。
ウィリアムにとって東エンド会社への愛社精神なぞ糞程の価値もない。連中の植民地における所業の数々を鑑みれば、正当性や正義や倫理といった概念を失う。後に残るのは、儲かるか否かという価値基準のみである。
対して、新たな上司は自身を死地から救い出し、大役を任せた挙句、法外な給料すら約束したのだ。
どちらに忠節を尽くすかは言うまでもない。
ジェーンは最高の雇い主だ。かさみつつあったウィリアムの借金を肩代わりし、交易における一定の裁量を認めてくれさえした。
見返りはウィリアムの絶え間ない献身だけだ。
財産を守るための暴力を厭わず、国が違法とする諸々の取引相手とにこやかに握手を交わす。そして、その責任はウィアリムの両肩に重くのしかかる。彼女はペーパーカンパニーの仕切りの向こう側からそれとなく指示を出すだけだ。
主な目的地は前職として馴染み深いエンド植民地、その周辺の群島。時期によればマフリカ大陸と地中海。ないしはレイフ大陸。そこで仕入れた商品は全て彼女の息のかかった関税官によって検閲され、全くの潔白なラベルを貼られる。
関税官の入れ替わりが生じた際には、彼女の領地からほど近い漁港にて荷を投棄し、住民が数回に分けて回収する。品々は更に小分けにされ、市場の動向を観ながら出荷されていく。
その先についてはウィリアムの管轄ではないから、どうでも良い事だ。
自身の仕事は積荷を運び、彼女が斡旋してくる船員達をまとめ上げること、それさえまともにしていれば、残りは自由裁量だ。ドミニコ製の特上ラム酒を余計に仕入れても、余剰の貨物や現地の物価の上昇によって生じた予定外の利益を懐に入れても構わないのだ。
何度だって言うが、彼女は最高のパトロンだ。文句の一つもない。
だが、それが目の前で座りながら、本国で起こった不祥事とレイフ大陸に到着してから行った自らの所業を語っている、となると話は別だ。おまけに、彼女はおよそ正気と思えない今後の計画をパンケーキのレシピかのように飄々と嘯いているのである。
「それで…会社や金融の経営は大丈夫なんです?国外追放って、冗談じゃありませんよね。確かにそれに見合うだけのことはやってきましたが…」
「別に伯爵家としての資産を凍結されたところで、当主は依然として私の父だし、その他の資産の名義は私じゃない。あの船と同じようにね」
「ですが、実際に罪を被るのは私のはずでは?そういう契約でありましょう」
「そうすることもできたけど、貴方と私を天秤に掛けた結果、私が国外追放で収まるならその方が安いと判断したの。貴方だったら、そのまま絞首台送りだったろうから」
「買い被っていただき有難い限りですが、余り賢明な判断とは思えません」
「精々、助かった命に感謝しながら、勤労に励むことね」
「しかし...私の努力では埋まらぬ溝が発生するのでは?本国で誰が差配を行うので?」
「買い被ってくれてるのは貴方のほうね、私は別段、そこまで細く裁量を発揮していたわけじゃない。密輸も金融も同様に、然るべき人間に仕事を任せ、私の名義と判断が必要な時に出張り、利益の配当を其々が受け取っていただけ。借金を踏み倒そうにも、私が本土から消えても取り立て人は何も変わらず動き続ける。私は以前と同じく自分の配当分をちょくちょく引き出すだけ」
「それでも、空席は確かに生まれます。一体、誰にお任せに?」
「ヨセフ・クローヴィス。賭博好きの糞野郎で弁護士。子爵家の三男坊で、私の元許嫁」
「商売を任せるには不安な要素しか聞こえませんが」
「アイツは碌でなしだけど。自分で金のなる木を枯らすほどに阿呆じゃない。業務引き継ぎについての書簡も出国前に渡しておいたし、問題は無いはずよ」
そう言いながらも、ジェーンの顔は少し不満げである。大方、彼女を嵌めたハンフリー・モーリスの面でも思い出しているのであろう。それか、彼女の胡乱な元許嫁の憎たらしい微笑を。
「はあ、もう少し明るい話をしましょう。黄金は上手く仕入れられた?」
「ええ、そりゃあもう。洒国のライセンスを使えば、誰もがころっと騙されてくれましたよ。まあ、それでも時期が時期でして満載とはいきませんが」
「船にはそれなりに空きがあるってわけね。余った銀貨やら銃火器はあるの?」
「ええ、御座いますとも。合計二〇〇〇ポンド程」
「宜しい。なら、銃火器の代わりに私が仕入れた物品を載せなさい」
「先ほどおっしゃっていた先住民から仕入れた商品で?」
「品質は私が保証する。これから暫くはこの街と本国とを行き来してもらうから、そのつもりでいて頂戴。詳しくは後々書簡に纏めて渡すわ」
「お望みのままに、社長殿」
そうして話を進める中で、二人は航海の日程と貸し倉庫の中身の買取を進めていく。彼女にはレイフ大陸で売れ残った武器と火薬が必要だったのだ。
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貸し倉庫から荷が運び出されていく。代わりに銃や火薬樽が積め込まれる。
その光景をジェーンとレナロは二人で眺めていた。
「これがアンタなりのやり方か?」
「心外ね。当世風のやり方ってやつよ。不公平で、不当極まりない無秩序な世界、そこに秩序を齎すのは武力的均衡のみ」
「秩序?笑えるな」
「水は低きに流れるものよ。均衡がなければ、取り返しの無いところまで瞬く間に行き着く。長く掛かったとしても十数年のうちに、貴方達はロッキー山脈の向こう側まで追いやられる。そんなの全くもって面白くないし、在らん限りの禍根と負債を残す」
「要はただの自己満足か。文明化だのと叫んでる奴等と何が違う」
「機会の均質化と行って欲しいわね。ただ少し先んじて銃と羅針盤を手にしただけで、世界を征する権利を得た。そんなのは神前の平等もくそもあったもんじゃないわ」
「そうはいっても、本当の動機はアンタを追放した議員への復讐だろう?」
「もっと正確をきせば、世界への復讐ね」
そう言いながら、ジェーンは真鍮細工の入ったティンダーライターで煙草に火をつけた。そして、大海を挟んだ向こう側でふんぞり帰っている元許嫁の姿を思った。
愛はなかった。だが、嫌いじゃない。向こうもそうだろう。ひょっとすると、互いの仇討ちを望むぐらいの関係性はあるかもしれない。
エングランドを離れるその日まで彼との関係を言い表す適切な言葉は見つからなかったのだ。
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【フリゲート】
その昔、瑛国海軍は帆走軍艦を装備する砲の数によって等級分けしていた。この枠組みは一六七七年に海軍本部の長であったサミュエル・ピープスの手により形成された。それ以前も階級分け自体は存在し、その始まりは十五世紀後期や十六世紀前半まで遡ることが出来るが、あくまでピープスの語るところの重要かつ普遍の("solemn, universal and unalterable")」分類ではなかった。
砲の数と口径が乗員の数を決め、それゆえ人件費や補給などの経費も規定しうる為、軍事、行政上有用なものとなったのである。
何度かの規定変更も行われたが、概ねにおいては以下の通りである。
戦列艦
一流:三層の砲列に一〇〇門以上の砲
二流:三層の砲列甲板に九〇ないし九八門の砲
三流:二層の砲列甲板砲を六四門ないし八〇門搭載した艦のこと。
四流:四六門から六〇門
フリゲート艦
五流:一層の砲列甲板に三二から四四門の砲
六流:一層の砲列甲板に二〇ないし二八門
【愚者の黄金】
黄銅もとい真鍮の蔑称。読んで字の如くの意味である。
【ティンダーライター】
最初期の燧発式ライター。その発祥は不明だが、その原型は十七世紀まで遡れる。フリントロックピストルの点火機構にそのまま火口を取り付けた様な外見をしており、中々強引な印象を受ける設計である。
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