第4話

久しぶりに訪れた地元は相変わらず穏やかだった。最後に来たのが一年半前だからか、生まれ育った時のままの駄菓子屋やクリーニング店が連なる商店街に安心感を覚える自分がいる。大して独り暮らしをしている地域から離れてもいないのに滅多にここに帰ってこないのはきっと、激しい劣等感に駆られながらこの街を生きていた記憶が強烈に残っているからだと思う。


 それでもやっぱりこの土地を踏むと安堵するのは、身体や心や脳がここを故郷と認識しているせいだ。今は都会と言われる場所に出て生活をしているけれど、都会は目まぐるしく変わっていってしまう。美味しいと思って個人的に通い詰めていた和菓子屋もいつの間にかりんご飴専門店に変わっていたし、他にも気づいたら新しい建物が建っていたり初めて見るショップがオープンしていたりするなんて事がしょっちゅうだ。



 だからこそ、ここに住んでいる時には何の感情も抱かなかったけれど、変わらない店構えと経年劣化で色が褪せたり文字が消えたりしている看板を目にすると純粋に素敵だなと感じる。


 こじんまりとした駅を出てからまだ数分しか経っていないというのに額と首筋にはすっかり汗が浮いてた。大学に行ったからか、それとも都会に出たからか、日傘をさす事を学んだ私は直射日光から身を守っているはずなのに、それでも随分と暑かった。


 右手に提げている洋菓子店のマカロンとフルーツタルトがこの気温で煮えてしまうのではないかという懸念が生まれる程には暑かった。



「……着いた」



 いよいよ汗が流れそうになっていた。しかし、汗が流れて服に染みを作るよりも先に目的地に到着する事に成功した私は、ハーブやお花が植えられたプランターが並ぶ実家の門を潜りインターホンを押した。


 反応がない。急いでバッグに入れていた携帯を確認してみたが、やはり父親から指定された日付は今日で間違いない。父親も梨歩も割と抜けている人間だから、もしかするとここに来る予定の私に一言も言わずに買い出しにでも行っているのかもしれない。



 玄関のドアを試しに引くとすんなりと歓迎するかの様に開いて吃驚した。不用心過ぎやしないか。



「ただいまー」



 予想はしていたが返事はなし。近頃は日本の治安も危ないとニュースで報道されているのを耳にするというのに、ここはそんな事とは無縁と言わんばかりの無防備っぷりだ。


 いくら閑静な住宅街だからって施錠をしないのは相当な勇者だな…苦笑を滲ませながらサンダルを脱いで玄関先に並べ家へ上がる。


 実家でしか感じる事の出来ない匂いが鼻腔を突いて、帰って来たのだと実感する。廊下を歩いてひとまずリビングへと赴いた。しかしやはり誰もいない。


 最後の記憶よりも新しい家電が増えていたり、模様替えがなされているリビングをぐるりと見渡す。誰もいないのにエアコンだけは作動していて季節を忘れる程の快適さが私を迎えてくれていた。



 ガランとしている空間は少しだけ寂しく感じる。兎にも角にも手にしていたケーキを冷蔵庫に入れなければならないというミッションを思い出した刹那、私の視線はテーブルに広げられたノートやペンに留まってしまった。



 梨歩のではないだろう。ペンケースが梨歩の嗜好に掠ってもいないから断言できる。それじゃあ一体誰の物なのだろうか。疑問が浮かんだ私がそのノートのすぐ近くまで辿り着いて初めて、死角となっていたソファの上に人間が寝ているという事実に気が付いた。



「…っっ」



 てっきり誰もいないのだと決めつけていたせいで、驚いた声を上げそうになった口を慌てて手で抑える。規則正しい寝息を立てているその人物に対して抱いた感情は「恐い」それだけだった。



 いないと思っていたのに人間がいたから恐い訳でもなく、自分の実家に知らない人間がソファに横臥していたから恐い訳でもなく、ただ純粋にソファで寝ている人物が余りにも美しいから恐いと思った。



 人形と言われても頷けるし、彫刻と言われても納得できてしまう。西洋っぽい雰囲気を感じるのは、髪が綺麗な銀髪だからなのだろうか。


 睫毛は長くて毛先はしっかりと上を向いているし、高い鼻も先が尖っていて漫画の様だ。程よく厚みのある唇は口紅を塗ったみたいに色が鮮やかだった。



「もしかして…いちご君?」



 恐らく…というよりも確実にそうだと思う。実家のソファで寝ている知らない男の子って、冷静に状況を分析すると父の再婚相手の連れ子らしい彼しかいない。


 それに、あの梨歩が興奮していた位には私の目に映っている彼の容姿は完璧だった。



 冷気が見事に直撃している場所で寝ているけれど、そのままだと風邪を引くんじゃないだろうか。勉強途中に寝てしまったと思われる彼が少し心配になってブランケットを掛けてあげるべく距離を縮める。近くで見るとより一層その美しさが増していた。


 肘掛けに乱雑に置かれているブランケットに手を伸ばしてバサッと大きく広げたその瞬間だった…―。



「きゃっ」



 腕を強く引かれバランスを崩し、気づけばソファに身体が沈んでいた。



「掴まえた」



 そして、寝ていたはずの彼が私を見下ろしながら冷たい笑みを湛えていた。

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