千変万化の変装術師

八華

1 異世界トリップ

1-1 鏡の先は異世界でした

 その日は朝からドタバタしていた。


「寝過ごした~!」


 ベッドから飛び起きると、私は近くのハンガーからブラウスを一枚引きはがし、素早く袖を通した。

 急がないと。今すぐ家を出て職場へ向かえば、まだギリギリ間に合う時間だ。しかし――。


「メイクしている時間がない!!」


 それは、私にとって大問題だった。


 事の始まりは、ちょっとした出来心。

 当時就職活動中だった私は、少しでも待遇の良い会社から内定をもらうために全力を尽くしていた。

 筆記試験や面接の練習はもちろん、第一印象が大事だということで、お化粧の仕方も研究した。

 学生時代の私は見た目など気にしない運動部で、中学生のときなど日に焼けすぎて毎年肌がガサガサになっていた 。

 でも、社会人になるのにそれじゃ通用しそうにない。

 日夜スマホでメイクの達人の技術を分かりやすく伝えた素晴らしい動画を巡回し、プチプラであらゆる種類の化粧品を買いあさり、色々と実践して化粧の腕を磨いた。

 そして、私は気づいてしまったのだ。


 ――私のとりたてて特徴のない地味な顔が、無地のキャンバスとしては最適だったということに。


 化粧という擬態で、実際に人々の態度は変わる。

 ああ、私は社会人になるにおいて、悪い大人になってしまった。

 ナチュラルメイク風厚化粧という立派な詐欺メイクを習得して、今では私のスッピンを覚えている人が周囲にほとんどいないくらい、私は人前に出るとき常に化粧をするようになっていた。



 短い朝の時間。

 焦る私の目に移るのは、ワンルームの隅に置かれた小さな冷蔵庫。その扉からキッチンタイマーを引きはがし、私は洗面台まで突進した。


「大丈夫、毎日やっていることなんだから、三倍速でだってできるわ」


 自分にそう言い聞かせて、タイマーを設定する。


「…………」


 無言で自分の顔面を叩く、撫でる。通勤用のメイクは隙を作らないことが大切だ。特に私の低い鼻は、ちょっと抜けたところのある私の性格をそのまま反映したみたいでよろしくない。明るさの異なるコンシーラーとシェーディングを使い分け、鼻筋の通ったきりりとした顔に作り替えていく。

 一方、ポイントメイクは控えめに。目元や頬に、気づかれない程度に色を足していった。


 ピッ!

 目標の少し手前でキッチンタイマーを止める。


「できた! 最速記録更新!!」


 ちょっと私すごいんじゃない?

 艶やかな肌、端正で賢そうな目鼻立ち。これなら、仕事のできる美人OLに見えるかもしれない。

 完成した自分の顔を、私はドレッサーの鏡で満足げに確認した。

 そのとき――。


 カッ……!

 突然、鏡が強い光を放ち、私は眩しさに目を細めた。


「な……何?」


 光と同時に、下りはじめのジェットコースターのような奇妙な浮遊感を覚える。


 ――気持ち悪……。


 何が何だか分からないまま、私はギュッと目を閉じ、自分の身体を抱えて耐えた。






「…………」


 しばらくして目を開けると、光はおさまっていた。


「今の、何だったんだろう?」


 私はもう一度、自分の姿を確認しようと鏡に視線を向けた。


「あれ?」


 目の前にあったはずの鏡はなかった。

 代わりに、青い空と、緑の野原が広がっている。


「どういうこと? 私、家にいたよね?」


 そよ風が私の頬を撫でた。


「……草の匂いがする」


 寝ぼけているのだろうか。でも、さっきの私はちゃんと起きて顔も洗っていたように思う。


「もしかして、私、突然死した?」


 綺麗な野原だし、天国に見えなくもない。でも、まだ二十台前半の身で、何の前触れもなく死ぬ?


「健康には自信があったんだけどなぁ」


 学生時代の私は化粧っ気もなく部活ばかりしていて、元気だけが取り柄だったのだ。

 それが、社会人になってお化粧を覚えて、自分の使えるお金もできて、人生これからだと思っていたのに……。


「あんまりだよぅ」


 私は思わず天を仰いだ。お砂糖菓子みたいにふんわりした雲が、ふよふよと空を漂っている。

 遅刻ギリギリで、これから灰色の通勤ラッシュにもまれるはずだったのに。

 緑の野原が目に優しい。

 もしかすると、私は自覚しないままストレスを溜め込んでいたのかもしれない。脳が現実逃避をして夢を見せているのだろうか。そうだな、これは少し前にアニメで見た――。


「異世界トリップみたいだわ」


 魔物を倒したらどんどんレベルが上がるんだよね。それで、やがてはドラゴン退治とかして国の英雄になるんだ。


 そんなことを考えていたからだろうか。

 カサッと音がして、目の前に白い小さな生き物が現れた。


「ウサギ……?」


 ふわふわした毛玉。でも、頭に角のようなものが生えている。

 まさか、異世界トリップなんて思い浮かべたから、私の妄想に呼応して出てきちゃった!?


『ぷうぅぅぅ……』


 次の瞬間、角ウサギは私に向かって突進してきた。


「きゃっ!」


 私はとっさに避けようとして、身体のバランスを崩す。でも、幸い回避には成功したようで、ウサギは私の横を通り抜けて着地した。


『ぶぅ!』


 避けられたことに腹を立てたように、振り返って私を睨みつけるウサギ。可愛い見た目なのに、背筋が凍えた。

 異世界トリップの冒険なんて、妄想では楽しそうだけど、現実にはこんなに怖いんだ。


 ウサギは再び私に襲い掛かってくる。


「や……どうすれば……」


 次は避けられない!

 私はギュッと目を閉じた。その瞬間――。


 バシュッ……!

 遠くから何かが飛んできて、ウサギを吹き飛ばした。


「えっ……?」


 吹き飛んだウサギは、耳をピクリと動かすと、慌ててどこかへ逃げていった。


「大丈夫か!?」


 続いて若い男性の声がして、何人かの人がこちらに駆け寄ってきた。

 さっきウサギが吹き飛んだのは、あの人たちが助けてくれたってことだろうか。


「ありがとうございます。助かりました――!?」


 近づいてきた人たちは、ゲームのキャラクターみたいな格好をしていた。

 先頭に立っていたのは九頭身くらいありそうなスタイルの良い黒髪イケメン。腰に剣を佩いていて、彼が魔法を撃って角ウサギを撃退してくれたようだ。


 続けて、豪華な服を着た金髪碧眼の少年少女が、何人かの侍女を連れて歩いてきた。

 この少年少女が、一行の主人なのだろう。服装や周囲の態度から見るに、どんでもなく身分のありそうな二人だった。


「大丈夫だったぁ? いくらここが管理された皇帝の狩り庭だからって、女性が一人で歩くのは危ないと思うよぉ」


 まさに王子様という風貌の少年が、私に声を掛けてきた。彼は金の刺繡がふんだんにほどこされたジャケットを着ていて、胸元にはぴらぴらのフリルがついている。日本でこの格好をした男性がいたら、かなり浮いてしまうだろう。しかし、少年はこのキラキラ衣装を余裕で着こなしていた。


「お姉さん、ここは危ないよぉ。安全な場所まで僕たちと一緒に戻ろー……って、えぇぇぇぇぇぇぇぇっ!??」


 そんなキラキラ王子は、私の近くまで来ると、突然驚いたように絶叫した。……どゆこと?


「ちょっと、サマル、急に大声で何よ?」


 少し遅れて歩いてきた金髪の少女が、キラキラ王子に声を掛ける。二人はかなり容姿が似ていた。姉弟だろうか。二人とも多分私より年下で、高校生くらいかな。


「だ、だって、プリマ、見てよ。彼女、彼女は……」

「え?」


 私を見て、少女も目を見開いた。


「ベアトリス姉様? どうして、こんなところに……」


 彼女がつぶやくと、周囲の騎士や侍女たちもザワザワしだした。


「ベアトリス様? 私は遠目でしかお見掛けしたことがないのですが、本当に?」

「ええ、服装は変わっているけど、お顔はベアトリス様で間違いないわ」

「ベアトリス様は、お亡くなりになったのではなかったの?」

「いいえ、訃報は入っていないわ。どこかに隠れていらしたのかしら?」

「でも、なぜこんな場所にお一人で……」


 メイドっぽい格好をした黒いスカートの女性たちが、ひそひそと話している。

 どうも、私はベアトリスという人物と勘違いされているみたいだ。容姿が似ていたのかな。


 ――でも、今の私の顔は……。


「えっと、すみません」


 私は意を決して、一団の中心にいる王子様とお姫様に話しかけた。


「おそらく、あなた方は人違いをされています。私はベアトリス様という方ではありません」

「「え?」」


 目の前の金髪の姉弟は、驚いたように私を見つめた。


「ベアトリス姉様、何でそんなこと言うの? どっからどう見てもベアトリス姉様じゃないか」


 金髪王子が困惑したように言う。


「いいえ、人違いです。私はあなたがたの知り合いに偶然顔が似ていただけの別人です」

「そんなわけないよ。ベアトリス姉様、もしかして、ハーベスト兄さんのことが嫌いになったから、他人を装っているの? 許してあげてよぉ。あの人が悪いんじゃなくて、周りが、ほら、公爵とか怖いからぁ」


 金髪王子は私の言うことを信じてくれず、なおも私の知らないことを言いつのってきた。


「ちょっと……」


 困ったな。

 私の今の顔はメイクで作ったものだから、化粧を落とせば一発で別人だと証明できる。でも、初対面のこの王子様たちの前でスッピンになるのは嫌だ。


 ――どうしたものか。


 私が戸惑っていると、ふいに、頭の上に何か布のような物が降ってきた。


「ひとまず落ち着きましょう。ここは広い野原に見えるけど、実際はそう見えるように手入れされた皇帝の狩り庭よ。どこに人の目があるか分からないわ」


 と、金髪のお姫様が言った。

 彼女は私の頭にシルクのスカーフを被せた。私の顔を周囲の目から隠したいらしい。


「場所を移しましょう。あなたがベアトリス姉様じゃないにしても、その顔を人目にさらすのは非常に危険なのよ。別人だと言うのなら、事情を聞かせてちょうだい」

「はい」

「ついてきて」


 お姫様が歩き出すと、一団は彼女に従って移動を始めた。

 私も彼らについて行く。

 近くに人の住む街があるなら、この野原にとどまるより安全そうだ。連れていってもらおう。


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