盗掘お嬢様、古代の女王を蘇らせたら国家再建を頼まれました

派遣社員シーシュポス

1:決して墓荒らしではありませんわ!

 夜の帳が静かにエジプトの砂漠を覆っていた。

 風は止み、空気は乾ききり、星々は凍ったように天を埋めている。


 その静寂を破るように、重たい機械音が鳴り始めた。


 ピラミッドの正面に据えられた、小型の蒸気駆動式開扉装置が白煙を噴き上げ、ぎしぎしと鉄と石の境界を押し開こうとしていた。


 装置の真鍮製の歯車が噛み合い、シリンダーが振動し、吐き出される蒸気は微かに油と金属の焦げる匂いを含んでいた。


 長年沈黙していた石扉が、摩擦音を立ててわずかに揺れる。


 装置のレバーには、一人の少女の手がかかっていた。


 エレノア・バブルスウェイト――英国貴族の末裔であり、探検服にフリルを合わせることに何の矛盾も感じない人物である。

 整えられた金髪は月光に照らされ、翡翠色の瞳には明確な自信と、ある種の使命感のようなものが宿っていた。


 エレノアは装置の圧力計を一瞥し、堂々たる姿勢で動作を確認していた。


 その背後で、ランタンの明かりを掲げたメイドが、ぽつりと声を落とした。


「……お嬢様、本当にこれは合法的な考古調査なのですか?」


 クレアと呼ばれたその女性は、肩までの茶色のショートヘアに整った顔立ちをしていた。

 彼女の表情には常にどこか冷淡な憂鬱が宿っており、今の問いもただの確認事項のように響いた。


 エレノアは蒸気の音に負けぬように声を張り、背中の革製探検リュックから一枚の羊皮紙を取り出した。そこには、王立考古学会が正式に発行した「無制限考古発掘許可証」と記されている。


「当然ですわ! この許可証を見なさいな。ほら、王立考古学会の正式な印が押されておりますわ!」


 クレアは一歩近づき、証書の末尾に記された一文を指でなぞった。


「……ですが、お嬢様。ここに『発掘した遺物はバブルスウェイト家の所有物とする』と書かれておりますが?」


「コホンッ! とにかく、これは合法的な学術調査ですわ! 王立考古学会の正式な許可を持っていますのよ! コソコソと墓を荒らす盗賊とは違いますわ!」


 装置はさらに蒸気を吹き上げ、石扉の隙間が広がっていく。


「では……なぜ、わざわざ夜まで待ち、地元の人々を避けて、二人きりで来たのでしょうか?」


 クレアの問いに、エレノアはわずかに口ごもった。


「う……確かに、英国王立考古学会の許可はいただいておりますわ。でも、エジプトの方々やオスマン帝国の役人は……その……多少、異なるご意見をお持ちかもしれませんの。」


 クレアは無言でエレノアを見つめた。ランタンの光が、彼女の瞳に揺れて映る。


「ですから、公式な外交ルートを使わず、わたくしたちは“機転を利かせて”直接調査に乗り出したのですわ!」


「……それを世間では『盗掘』と言うのでは?」


「違いますわ! これは、慎重かつ知的な先行調査ですわ!」


 エレノアの語気には、まるでそれが当然の常識であるかのような熱量があった。


 そのとき、装置が停止し、石扉が静かに開ききった。


 エレノアは、足を踏み出した。


「さあ、ネフティス=アハの眠る場所へと参りましょう。」


 クレアは小さくため息をつき、ランタンを少し高く掲げて、静かにその背を追った。



 墓の回廊は湿り気を帯びた静けさに包まれていた。

 空気はわずかに重く、足元の砂が靴底で擦れる音だけが、石壁に反響して聞こえる。


 クレアの掲げるランタンの明かりが、壁にびっしりと刻まれた象形文字を照らし出した。


 古びた壁画には、王座に座る女性の姿が描かれている。その周囲には、積み上げられた無数の文書が配置されていた。


 エレノアはその場に立ち止まり、満足げな表情で壁を見上げた。


「ここのファラオ――ネフティス……ずいぶん文書がお好きだったようですね?」


 クレアが壁画にそっと手を伸ばし、埃を払う。絵の線はまだ鮮明で、保存状態は良好だった。


「ええ、記録によると、ネフティスは『逐次報告制度』を発明したそうですわ。」


 エレノアの声には、どこか誇らしさすら含まれていた。


「どんな些細なことでも、必ず逐次報告して許可を得なければならないという画期的な制度ですのよ。例えば、川にいるワニを追い払うためには、24回の承認が必要だったそうですわ。」


 クレアは何も言わず、壁に視線を戻した。


「おじい様が昔、こう仰っていましたの。『ネフティス王朝の官僚は、週に3日は申請書を書き、2日は承認を待ち、1日は申請が却下されて修正をし、残った1日はピラミッドを建設する』と。」


「地獄ですか……?」


 二人はさらに奥へと進んだ。

 細長い回廊が続き、その両側の壁には危機管理に関する記録が象形文字で刻まれていた。


 エレノアはクレアに読み上げるよう促した。

 エレノアもヒエログリフを学ぼうとしたことがあるが、途中で挫折していた。

 それに対し、特に熱心に学んでいた記憶のないクレアは、なぜか完璧に読み取ることができた。


 クレアはランタンを掲げたまま、淡々と読み始めた。


「『ライオンが鎖を引きちぎった。捕獲すべきか否か、現在、上級官庁の決裁待ち』」


「『3日が経過し、上級官庁より至急決裁が下りる。直ちに捕獲すべし。しかし、別のライオンも逃げた。』」


 二人はそのまま進みながら、さらに続く記録を追った。


「『もう一度報告を提出。2頭目のライオンも捕獲すべきか否か、現在、上級官庁の決裁待ち』……」


 その時、クレアの足がふと止まった。


「どうしましたの?」


 エレノアが尋ねると、クレアは視線を足元に向けた。

 そこには、白骨化した人骨が転がっていた。骨の片手には、石でできた刻刀が握られたままだった。


 その姿は、まるで最後の瞬間まで報告書を刻み続けていたかのようだった。


 壁に刻まれた文字は、物語の結末を告げていた。


「ライオンを探す必要はなくなった。2頭とも戻ってきた……」


 数秒の沈黙が流れた。


 エレノアはクレアの腰を軽くつついた。


「つまり、骸骨さんはライオンに食べられたということですの?」


 クレアはわずかに眉を動かし、静かに答えた。


「はい。でも、本当の死因は……逐次報告制度だと思います。」


 エレノアはそれに返す言葉もなく、ただ静かに壁の文字を見つめた。


 回廊の角を曲がると、その先には別の壁画が現れた。

 そこに描かれていたのは、王の周囲で猫を抱えて議論を交わす複数の文官たちだった。

 壁の一角には、特に密集した象形文字が彫り込まれていた。


 クレアは立ち止まり、手をかざして表面をなぞるように読み取った。


「お嬢様、これは……学術論文ですね」


 エレノアは一歩近づき、文字の配置と図表を見上げた。


「まあ! 古代エジプトの知識人も研究をしていましたのね!」


 クレアは淡々と読み上げ始めた。


「『正しい猫の撫で方がエジプト国民の平均寿命に与える影響について』」


「適切な方法で猫を撫でることにより、猫の機嫌が向上し、これにより統計的に有意なレベルで猫の夜間活動が活発化することが判明した」


 エレノアは目を輝かせた。


「なるほど、猫の生活満足度が向上することで、社会全体にも良い影響が……? ふむ、悪くない発想ですわね」


 クレアは次の段落に目を走らせた。


「猫の夜間狩猟の効率が向上することにより、ネズミの個体数が減少」


「ふむふむ」


「これにより、穀倉の穀物がネズミに食べられるリスクが低下するだけでなく、ペストなどの伝染病のリスクも軽減される」


「ほほう」


「最終的に、エジプト国民の平均寿命が向上することが示唆される」


 エレノアは大きく頷きながら、両手を広げた。


「まあ! なんて知的な研究ですこと! 古代エジプトの官僚たちが、このような優れた学術研究を行っていたのですわ!」


 クレアはランタンの火を安定させつつ、静かに問うた。


「お嬢様……本当にこれが価値のある研究だと?」


 エレノアは力強く答えた。


「もちろんですわ! 正しい猫の撫で方が人類の寿命を延ばすというこの理論……まさに知恵の結晶ですわね!」


 クレアはわずかに眉をひそめた。


「……いや、それ、紅茶を飲む際の適切な湿度について研究している英国紳士たちと同レベルでは……?」


 エレノアは返す言葉を探す前に、回廊のさらに奥へと視線を移した。


 そして、そこに横たわっていたものを見つけた。


 床の上には、崩れたライオンの骨が転がっていた。壁には数か所、鋭い爪痕のような傷が刻まれていた。


 エレノアは腕を組み、口を開いた。


「……ついに見つけましたわね」


「おそらく、ライオンさんはこの研究に敬意を表し、その証としてここに眠ることを選んだのでしょう」


「お嬢様、それは違うと思います」


 さらに数歩進むと、回廊の壁いっぱいに新たな象形文字が現れた。


 クレアは読み取りながら呟いた。


「……お嬢様、これは罠の維持管理報告書ですね」


 エレノアは感嘆の声を漏らした。


「まあ! なんて几帳面なのかしら!」


 クレアは手をかざし、文字を順に追っていく。


「……第23回テスト失敗:落石が途中で止まり、技術者が重力問題の解決策を検討中」


「……第45回テスト成功:落石がテスト用の人形に直撃。テスト成功」


「……第47回テスト失敗:落石が予定より早く落下し、エンジニア1名を直撃。上層部へ報告済み、現在、エンジニアの回収が必要かどうか審議中」


 エレノアは足元に目を向けた。


 そこに骸骨はなかった。


「少なくとも、最終的には回収されたようですわね」


 エレノアは軽くスカートを翻し、一歩前へと踏み出した。


 ――カチッ。


 小さな音が足元で響いた。


 カチッという音が石の隙間から響いた。


 エレノアは足元を見下ろし、慎重に片足を持ち上げた。


「……クレア。どうやら、何かを踏んだようですわ」


 クレアは即座に反応し、エレノアの腕を引いた。


「お嬢様、走ってください!」


 二人は通路の奥へと数歩駆け出した。


 ……だが、何も起こらなかった。


 石は崩れず、天井も動かず、空気すら変わらない。


 しばらくの沈黙ののち、クレアは振り返った。

 足元に仕掛けの兆候が見えるが、作動の形跡はまったくない。


 エレノアは元の場所に戻り、もう一度、軽く踏みつけてみた。


「……この罠、壊れておりますの?」


 クレアは壁に視線を移し、刻まれた報告書の続きを読み上げた。


「お嬢様、ここに書いてあります。『予算報告書に文法ミスがあり、予算が承認されず、プロジェクトが凍結されたため、落石はすべてピラミッド建材に転用』」


 エレノアは数秒間黙り込み、その後、驚きと感嘆の入り混じった声を漏らした。


「……つまり、本来なら今、わたくしは巨大な石に押しつぶされているはずでしたのに?」


「ええ。しかし、予算報告書の文法が不完全だったために罠が設置されず、石材は他用途に再配分されたようです」


 エレノアはあらためて周囲を見回し、慎重に足を踏みしめた。


「つまり……この罠は全然役に立たず、テストしたエンジニアだけを的確に葬りましたのね?」


 クレアは短く息を吐いた。


「罠をテストしていたエンジニアには、少しばかり同情しますね」


 エレノアは顎に指を添えて思案するような素振りを見せた。


「まあ、とはいえ、ピラミッドは世界最高級の墓所ですもの。もしかしたら、彼の冥界生活は案外快適かもしれませんわ?」


「……いえ、できれば、もっと自然な形で、もう少し後になって冥界へ行きたかったでしょうね」


 クレアの言葉に対し、エレノアは真顔でうなずいた。


「ともあれ、また一歩、歴史の真実に近づきましたわ。わたくしにはもう見えますのよ……この場所に埋もれた知識が、黄金の輝きを放っているの!」


「お嬢様、その表現……まったく知識っぽく聞こえませんが」


「人はよく言いますわよね? 知識とは無形の財宝だと。ならば、財宝は――有形の知識ですわ!」


 エレノアは両手を広げるようにして言い切った。


「さあ行きましょう、有形の知識がわたくしを呼んでおりますの!」


 クレアの目が細くなる。

 その視線には明らかに諦めの色が浮かんでいたが、それでもランタンの炎だけは揺らがず、静かに通路を照らしていた。


「……お嬢様」


 エレノアは立ち止まり、クレアの声に振り返った。


「本当にこのまま、奥へ進まれるおつもりですか?」


 問いかけは静かだったが、その奥には明確な意志があった。


 エレノアは、ほんのわずか目を見開き、すぐに口元に笑みを浮かべた。


「もちろんですわ。だって――」


 エレノアは先ほどの石板を思い出すように、ゆっくりと前を見つめた。


「この奥に眠る知識が、確かに黄金のように輝いて見えましたの。そんなものを前にして、引き返す理由が見当たりませんわ」


 クレアは何も言わずに聞いていた。


 エレノアは微笑みを深めた。


「それに、仮に罠が作動していたとしても――」


「わたくしなら、避けられていたと思いますのよ。あなたも一緒に」


「……何を根拠に?」


 エレノアは芝居がかった手振りで言った。


「年季の入った我が家の天井から落ちてくる石材を、何年も避け続けてまいりましたのよ? あれと比べれば、ピラミッドの罠なんて可愛いものですわ!」


 クレアは息を吸ってから、ゆっくりと吐いた。


「……そうですか。ですが、今後はもう少し気をつけてください。お嬢様の命が、何よりも大切なのですから」


 エレノアは表情を和らげ、真っ直ぐにクレアを見た。


「その言葉、とても嬉しゅうございますわ。ええ、気をつけます」


「でも、それでも行くのですわ。だって、わたくしたちは――」


「必ず、あの輝きを手に入れられると信じておりますもの」


 クレアは小さくうなずき、ランタンを持ち直した。


「……了解しました。では、足元にはくれぐれも注意を」


 エレノアはスカートの裾を整え、整った足取りで通路の先へと進み始めた。


 こうして、二人は再び未知なる遺跡の奥へと歩を進めた。



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