24


 兄貴の一言を聞いて、何の冗談だろう、と私は思った。というか、思うことしかできなかった。


 兄貴の声を耳に入れて、その情報を精査する。そして、あまりにも突拍子のない事実に驚きを抱いてはそれを疑う。何度か呼吸を繰り返して、一度頬をつねったところでそれでも現実であることは変わりないように、痛みは顔に反芻した。


「……少し失礼じゃないか?」


「……いや、その」


 兄貴は私の振舞いを見て、少し不服そうな表情を浮かべたけれど、それでも唐突過ぎる情報に、私はそれを容易く呑み込むことなんてできそうにない。


 ……いや、だって、今まで兄貴からそんな話を聞いたことがないし。


 幼少のころ、兄貴が家から飛び出す以前までのことを思い出しても、楽器をやっている、という様子を見たことはないし、ましてや両親から聞いたこともない。それを兄貴から誇張するように話も聞いたことがないし、本当に突拍子のない話が目の前に飛び込んできたような状態。


「別に、あれだよ? 無理とかしなくていいんだよ?」


「いや、嘘じゃねえって。俺ギター弾けるんだよ」


「……えぇ?」


 兄貴の発言が本当であるのならば、それはとても嬉しい情報だし、これからの結婚式についても不安要素がひとつ消え去ってはくれるが、それでも兄という優しさからそんな声をかけてくれたのではないか、とそう思ってしまう自分がいる。別にそこまで兄貴が優しい人間だという風に思っているわけではないけれど、それでも今の私の状況、もしくは翔ちゃんの状況を顧みて、そんなことを呟いた、という可能性だってあるのだ。


 いつまでも私が兄貴の発言を呑み込めずに、困惑したような雰囲気の中に佇んでいると、兄貴は、はあ、とあからさまな溜息をついた後に、居間の奥の方にある押入れへと足を向けた。そこには季節によって仕舞われるものの大半があるだけのはずだが、それでも兄貴はそこを開けて、ふう、と息を吐き出した。


 ずざざ、と押入れを横にスライドさせて、そうして中身が見えてくる。やはり季節ものの何かしらがそこには封じ込められていて、そこを開ける意味についてはよくわからない。だから、兄貴がそこで何をするのか、ぼうっとしながら眺めていると。


「……これだな」


 兄貴はそう言いながら、一つのアルバムのようなもの、というかアルバムを取り出した。


 それは兄貴が卒業した学校のアルバムらしく、だいぶと年季が入っていることだけはなんとなくわかる。それ以上に、埃が少し絡まっているのが見えて「もっと思い出を大事にしなよ」と私は声をかけた。


 うるせぇ、と兄貴は返しながら、そのアルバムのページを開いていく。べったりと張り付いているページをはがす音が耳に届いて、そうしてアルバム真ん中くらいまでを開いて「おら」と兄貴は言葉を吐いた。


 そうして差し出されたアルバム、開かれたページを眺めてみれば、そこには兄貴が映っていた。


「軽音楽同好会……?」


「おうよ」


 兄貴が移っている写真の下部には、軽音楽同好会という文字が印字されている。そして、その写真の中にはギターをストラップで肩に提げながら、いかにもリードギターをしていそうな雰囲気のある兄貴がそこにはいた。


 ……というか、めっちゃ茶髪。茶髪でパーマをかけて、いかにも不良というか、まあ、バンドマンっぽいような見た目である、というか。


「これがその証明だ! 思い知ったか!」


 こういったものを、きっと人は本来黒歴史と表現するのかもしれないけれど、兄貴は照れることも恥ずかしがる様子もなく、堂々とした表情で私の顔を見つめてくる。というか、今の姿と写真の姿を見比べてしまうと、どうしたって当時の若さが目に沁みるような、そんな年月の重みを感じてしまうような気がする。


「……本当に弾けるの?」


 それでも未だに訝しい感覚が抜けない私は、兄貴にそう聞いてみるけれど、そろそろ兄貴は呆れたように「だから弾けるっつってるだろ」と返してくる。


「いや、まあ、最近触ることはもっぱらなくなったから、当時のようにめちゃくちゃ弾ける、とかそういう風にはいかねえだろうけど、それでも人並みには弾けるつもりだぞ」


「……マジすか」


「マジだっつーの」


 はあ、と兄貴は再びため息をついたあと、また押入れの奥を探るようにしていく。今度は何が飛び出てくるのか、と期待ではないような気持ちでその様子を眺めていると、そうして出てきたのは一つのストラトのエレキギターだった。


 ……よくネットショッピングで初心者セット、として売られているタイプのもの。印字されているメーカーの名前は、昔きょんちーがネットで買ったものと全く同じだな、と私はそう思った。


「そこまで疑うなら、とりあえず弾くから聞いてみろよ」


 少しどや顔をしながら、兄貴は胡坐をかいた後、馴染むようにエレキギターをその膝にのっける。様にはなっているなぁ、と声には出さない感想を抱いて、兄貴の弾く音に注目をしようとした、けれど。




 ──デローン。




「……もう数年触ってないから、まずはチューニングからしなきゃな」


 そんなはしたない音を鳴らした言い訳を、兄貴はようやく恥ずかしそうな雰囲気で呟いていた。

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