恋愛する資格

七川 / Nanakawa

恋愛する資格

“私事ではありますが、この度入籍しました”

そんなメッセージが、二人から届いた。私は二人のことをよく知っている。一人は私の向かいのデスクで働いている、同じ職場の先輩の南さん。もう一人は職場の同期の仲で、一番仲のいい橘君だ。

 

 二人とも優しくていい人だ。南さんは丁寧に仕事を教えてくれるし、橘君は社員研修の時、何度も助けてくれた。橘君から南さんを紹介して欲しいとお願いされたのは、もう2年ほど前のことだ。半年ほど前から同棲を始めたことは、本人たちから聞いていたし、そろそろだろうと思っていたので、特に驚かなかった。


 お似合いの二人だった。気が強くてはっきりとした南さんと、気が弱くて控えめな橘君。磁石のN極とS極のように、互いを補完して惹かれ合っていった。


 私は橘君が好きだった。だけど、南さんも大切な先輩だった。二人を応援するのは辛かったけど、当時の私には、恋愛をする資格などなかった。


 病気の弟の入院にかかる費用と、奨学金の返済で、毎月家計は厳しかった。恋愛にはお金も時間もかかる。誰かを愛したいし、愛されたいけど、今は自分の身を立てることで精一杯だった。精神的にも金銭的にも、そんな余裕はない。


 二人の結婚報告から数か月後、橘君から連絡があった。結婚式のweb招待状だ。できれば、スピーチをお願いできないかという旨の、連絡でもあった。嬉しいのも束の間、思い浮かぶのはお金のことだ。

“ご祝儀用意しなくちゃ。結婚式に着ていけるような服、あったっけ?”

 

 貧しい境遇と心が嫌になる。不景気だから?自己責任だから?私の何がいけなかったのだろう。萎れそうな心のまま、これまでの人生を振り返る。いつも真面目に生きてきたのに、割を食ってばかりだ。弟がいたから大学に行っても、バイト漬けの日々だったし、友達と遊びにだって全然いけなかった。初めて付き合った人だって、もう何年前のことだったか。あらゆる価値観が全然合わなかったし、楽しかった記憶もほとんどない。

 帰宅後、預金残高を確認する。仕事で疲れ果てた金曜日の夜に、泣きながら橘君に快諾の返事をした。



 二人の結婚式から二か月後、弟が亡くなった。不運が重なったらしい。最近はお見舞いにも行けていなかったし、自分でも薄情だと思うほど悲しくなかった。通夜も葬儀も、涙一つ流さなかった。思い浮かぶのは、来月から出費が減って少し楽になるということだけだった。


 数年後、産休明けの南さんの向かいの席で、私は変わらず働いている。何とか去年奨学金を繰り上げ返済し終え、少しずつ貯蓄と余裕ができてきた。


「本日午後休をいただいてもよろしいでしょうか?少し体調が優れなくて」

南さんが掛長に、そう打診するのが聞こえてきた。二人の間に生まれた子どもは、そろそろ3歳になるそうだ。手のかかる年頃なのだろう。南さんは産休後、体調がすぐれない日が増えた。

「構いませんよ。無理せず休んでください。今日は急ぎの案件もないですし」

「すみません。それでは、失礼します」

そう言って、南さんはデスクを後にした。

「橘さんの分の仕事、手伝える人いる?」

掛長の提案に、私は手を挙げた。

「はい、私やります」

「ありがとう!いつも助かるよ!」

今日は残業になりそうだ。その方が好都合だ。何も考えずに済むし、お金だって稼げる。



 仕事が終わり外に出る。日も短くなったと思っていると、エントランスで橘君に会った。

「橘君、久しぶりだね。残業?」

「そう。お互い、お疲れ様だね」

私たちは、駅まで話しながら歩いた。子育てにお金がかかること、奥さんが家ではいつも不機嫌なこと。彼の新生活への不満や愚痴を、私はただうなずきながら聞いていた。


「良かったら飲みに行かない?どうせ僕が帰っても、喧嘩になるだけだろうし」

優しそうな表情だが、彼の目は不似合いなほど欲望の熱を帯びている。

 

 やっと私の番だ。私はようやく、恋愛する資格を手にした。お金さえあれば、愛したい人を愛せるらしい。


 二人は夜の街に消えていく。鏡には、彼女の笑みが映っていた。

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恋愛する資格 七川 / Nanakawa @Nanakawa-add9

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