第30話 花火

 時は遡る。


 花火がドーンと大きな音を立てた。ブラインドの隙間から色鮮やかな花火が見える。

 ちらと音の鳴る方向へ視線が動いた。いやダメだ。今は仕事に集中しないと。


「おつかれ、聖城」

「……あ、どうも」


 桐生氷花部長が僕に缶コーヒーを差し出す。僕は軽く会釈をして缶コーヒーを受け取る。


「まだ仕事終わらないの」

「……申し訳ありません。待たせてしまって。お子さんもいるのに」


 丸壱銀行、営業第二部。広い営業室にいるのは僕と、部長のみ。


「いいのよ。ここはよく花火が見えるから。どちらにしろこの日はここで仕事してたわ」


 部長はブラインドを開け、打ちあがる花火を見ている。


 ドンドンと花火がうるさい。こっちは慣れない稟議書を必死に書いているにも関わらず、花火は容赦なく打ちあがり、爆音を立てる。しかも苦手な部長もいる。部長は僕の稟議書が完成するのを待っている。これほどプレッシャーなことはない。どうせ今書いている稟議書も結局、却下されるんだ。


 僕は一体、何をやっているんだろう。

 適性があるとのことで高校を卒業した後、大学進学とともにここ丸壱銀行に入行した。


 僕はなんでもそつなくできる人間だと思っていた。でも、ここでは違った。

 そつなくこなすだけでは、この部長は絶対に首を縦に振らない。


 本当に忌々しい。この人に稟議書を却下される度に僕は今までの自分を否定されているような気持ちになった。僕だけじゃない。優秀な稲葉課長でさえ、頭を悩ませている人だ。


 本当にこの人は何を考えているんだ。


 今までの会社の実績から回収見込みが十分にあるならただ普通に融資すればいいじゃないか。

 どうして毎回、付加価値を付けないとならないんだ。普通に無理だって!


 ましてや僕は取引先の会社のことをよく知らない。当然だ。まだ入行して3か月だぞ。


 でも部長はそんなこともお構いなしに僕を叱責する。


 必死に稟議書を書いて、稲葉課長から承認を受けたものでも、一瞬で、本当に一瞬で却下される。その度にわざわざ稲葉課長と僕を部長室に呼び出し叱責する。氷の女王とは本当にその通りだと思う。


 毎回怒られるこっちの身にもなってほしい。べつにミスをしているわけじゃないのに。


 そんなことを思いながら稟議書を書いているとついに、怒りの柵が壊れた。


「…………部長は、僕のこと嫌いなんですか」

「急にどうしたのよ」


 部長が僕を見る。相変わらず冷たい視線だ。


「……いや、僕のやることなすこと否定するので」

「それで自信なくしちゃったの?」


 氷花は鼻で笑う。


「いや、自信というか。僕はべつに悪くないというか」

「反抗期ね」

「……そんなんじゃないですけど」


 部長は茶化すように言う。

 この人は冗談も笑わずに言うのか。仕事中も笑わず、ただひたすら黙々と業務をこなす。


 はあ、こんな人が母親なんて、お子さんはかわいそうに。


「あなたにはこの銀行はどう見える?」

「は?」

「この銀行は、本当に人のためにあるものだと思う?」

「はあ、まあ。大手企業の融資もしてますし、日本全国の中小企業のM&Aもしてて、海外にも支店があって、グローバルな会社運営の支持もしてますし、十分、社会にとって必要な銀行だと思いますが」

「そういうことを言っているんじゃないわよ。今、花火を観ているそこらの人のために役に立っていると思う?」

「会社の融資をしてるんです。ウチで融資している会社に関係者がいるかもしれません。間接的に役に立っていると思いますが」

「要領を得ないわね」

「……なにがですか」


「ただ目の前にいる人を救える銀行だと思う? ってこと」


「目の前に困っている部下がいるのでぜひ、銀行に救ってほしいですね」

「これでも救ってるつもりなんだけれどもね」


 どこがだよ。


「…………」

「あなたはどうして銀行に入ったの? 他の道もあっただろうに」

「なんとなくです」

「いいじゃない」

「なにがですか」

「なんとなく入った会社で、誰かを救うことができるのよ。運が良いわね」

「その実感は全然ないです」

「今あなたが書いている稟議書は何のため?」

「給料のためです」


「はっきり言うわね。その稟議書には、多くの未来が詰まっているのよ」


 多くの未来が詰まっている。どういうことだろうか?


「会社の将来が懸かっているということですか」

「不正解」

「じゃあどんな多くの未来が詰まっているっていうんですか」

「花火の火薬と同じよ。色んな色の可能性が詰まっているのよ。ただレールに沿って進むだけの火薬じゃない。あなたにしか作れない色の未来が詰まってるのよ」

「……僕にしか、作れない色の未来、ですか」


 いまいち言っている意味が分からない。

 僕はふと、部長を見る。部長はいつも愛飲している炭酸水を口にしながら、打ちあがる花火を見ている。


「花火には色んな色や形をしているものがあるでしょう」

「そうですね」


 べつに僕は特別花火が好きというわけではない。打ちあがっていたら、おおすごいなと見上げるほどだ。部長は花火が好きなのだろうか。


「花火を上げるのにはね、熟練の技が必要なのよ。危険だから。誰にでもできることじゃないの」

「そうなんですか」

「そして上がっても不発に終わってしまうこともある。せっかく丹精込めて作ったのに綺麗な花を咲かせずに黒玉といって不発弾みたいなものだけが残るの。私は仕事の関係でそれを見せてもらったことがあるわ。とても寂しかった。作った人、観る人、そしてその作られた玉自体が、その綺麗な輝きを失うの」


 部長は俯きがちに呟く。


「花火にお詳しいんですね」


「だって、私たちバンカーは花火師と同じだもの。会社や人が綺麗に輝く未来のために丹精を込めて書類を作る。ただ打ち上がればいいんじゃないの。輝く未来を思って作らなければならない。そうしなければ、本当の意味で会社や人は救われないわ。会社も人も夢がある。それをただ叶えるのではなく、最高の形で叶えさせる、夢を輝かせるのが私たちバンカーの仕事。そしてその綺麗に輝いた未来の先に、みんなが希望を抱くのよ」


「夢を……輝かせる」

「あなたがこの銀行に入って、私の部下になって、私はあなたの考え方を知った。あなたには、人の夢を輝かせることができる。その才能がある。私はそう思うわ。私にできなかったこと。会社だけじゃない。あなたはひとりひとりの夢を輝かせることができると私は信じてる」

「……僕には無理ですよ。現にめちゃくちゃ僕の稟議書ハネるじゃないですか」

「それはあなたに期待してるからよ。そこら辺のただ適当にいるだけの人間じゃないから、私はあなたをひいきしてしまう。いけないわね。上司失格」

「…………僕に、期待を?」

「ええ。稟議書見せてみなさい」

「あ、はい」


 僕はちょうど出来上がった稟議書を部長に渡す。

 部長は僕の稟議書を物凄い速度で見る。


 営業室にはちくたくと時計の針だけが聞こえる。


 そして部長は顔を上げ僕を見る。


「期待通り。最高に輝いているわ」


 部長の咲いた笑顔と同時に、色鮮やかな花火が打ちあがった。

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