第25話 姉妹への贖罪

 日曜日の朝、今日は会社が休みだった。

 それでも、仁はルーティンとして朝シャワーを浴び、ポマードで頭をオールバックにし、スプレーで固める。

 歪んだ視界をただすために、眼鏡のレンズを丁寧に拭き、掛ける。


 カーテンを開けると、太陽が青空の中、さんさんと輝いていた。


 いい天気だ。

 仁は眩しさから逃れるように目を細める。

 太陽の光は仁の瞼下にあるクマを照らす。


 昨日も結局、あまり眠れなかった。


 ここ一週間、考え続けた。

 仁はずっと瑠美菜のことを考えていた。


 何も思い浮かばない中、結局最後は現実逃避に走る。


 他の仕事に手をつけた。おかげで仕事は順調だった。


 それでも、仁の気は晴れなかった。


 こんなにも、空は晴れているのに。


 仁はカーテンを閉め、部屋の電気とパソコンの電源を付け、仕事をする。


 ああ、そうだと思い出し仁はスマホを見やる。

 今日は午後から予定があった。

 成海姉妹と一緒に出掛ける予定があった。


 決起会とのことで、一緒にショッピングと食事をする。


 結局、胡桃はアイドルオーディションに合格し、瑠美菜は不合格となった。

 そんなふたりが一緒にいるのは気まずいものではないかと仁は思ったのだが、提案者が瑠美菜ということなら断れない。


 断れなかった。

 いっそのこと断りたかった。

 しかし、今後アイドルになる瑠美菜への贖罪をしたかった。

 一緒にいることが、逃げないことが贖罪だと思った。


 仁はスマホのスケジュール欄を見つめる。


 娯楽と書いてあるが、全然娯楽ではない。

 胡桃と会えるのは嬉しいが、今はそういう気分ではなかった。


 自分は、最低な人間だから。

 人ひとりの命を見捨てた人間だから。

 そして、その娘である瑠美菜に会わなければならないから。


 仁は現実から逃れるように、スマホから目を逸らし、パソコンに向かった。





 午後になり、仁は大型ショッピングモールに来ていた。

 腕時計を見ると、ちょうど長針が10に重なり、時刻は15時50分。


 そこから少しして、瑠美菜と胡桃がやってきた。


 瑠美菜が胡桃の手を引き、胡桃が仁に手を振っている。


 仁は恥ずかしながらも、手を振り返す。

 瑠美菜が仁に近づく。


「早いね桐生くん」

「10分前行動は当たり前だ」

「さすが仁おにいちゃんだね!」

「やあ胡桃ちゃん! こんにちは」


 仁は胡桃に満面の笑みを向ける。


「桐生くん……私と胡桃で態度違くない?」

「当たり前だ。くるみちゃんは神様だぞ」

「神様!? 胡桃、一体桐生くんに何したの?」

「? 一緒に遊んだだけだよ?」


 胡桃は首を傾げる。

 そんな姿も可愛い。


「神様というよりは、天使か」

「ちょっと、ドン引きだよ」


 瑠美菜が後ずさる。


「ちょっとドン引きってなんだその言葉」

「仁おにいちゃんこわいよ~」

「ごめんねくるみちゃん! 全然そんなことないよ~」

「……やっぱり私と態度全然違う」


 瑠美菜はそっぽを向く。


「まあ、そう怒るな。成海だってくるみちゃんが可愛いのはわかっているだろう」

「そりゃ、本当に天使っていうか、可愛すぎて目に入れても痛くないほど可愛いけど」

「お前も大概だな」


 仁と瑠美菜の会話を見て、胡桃はころころと笑う。

 ふたりはその様子を見て、ほっこりした。


「それじゃあ買い物行こっ!」


 胡桃が走り出す。


「あっ! 胡桃ちょっと待って!」


 瑠美菜も走り、胡桃を追いかける。



 

 そうして、3人で買い物を始めた。

 胡桃が子ども用の服屋に入り、目を輝かせて服を見ている。

 そんな様子を見ている瑠美菜が仁に話しかける。


「ごめんね、桐生くん」

「なにがだ」


 瑠美菜は俯く。


「その、アイドルのオーディション落ちちゃったから。あんなに協力してくれたのに」

「…………」


 事の真相を知っている仁は落ち込む瑠美菜に何も声を掛けられなかった。


「私がアイドルになれる最後のチャンスだったのに……」

「……そんなことない。これからも頑張ればきっとアイドルになれる」

「ううん、それじゃダメだよ」


 なぜダメなのか。

 それはわかっていた。

 母の治療に間に合わないからだ。

 しかし今、瑠美菜がアイドルになっても、母の治療費は賄えない。


 仁は心の中で言い訳をした。


「……きっと、何か他に方法がある」


 心にもないことを言ってしまった。

 本当に何か策があるならとっくに仁が瑠美菜に伝えている。

 どうしようもないことは、ふたりとも理解していた。

 瑠美菜は寂し気な笑顔を仁に向ける。


「絶対、何とかしたいんだ。今日、それを聞きたくて桐生くんを呼び出したんだ」

「…………」


 仁は何も言えなかった。

 どうしようもないことがわかっている。

 仁の様子を見ても尚、瑠美菜の決意は変わらない。


「……何か、方法ないかな? 私、お母さんのためだったらなんでもする!」

「……成海」


 涙目になりながら言う瑠美菜に仁は心が痛む。


「アイドルになれなくてもいい。何とかして、お金を稼ぎたいの」

「気持ちはわかる。でもな……そんなことを言うな。お前の夢はアイドルになることだろ」

「諦められないの!」


 母を救うこと。

 それが諦められない気持ちを仁は痛いほど理解していた。

 だからこそ、仁にできることはもう何もない。

 瑠美菜の悲痛な叫びに胡桃は気付いたようで、瑠美菜のもとに駆け寄ってくる。


「どうしたの? 瑠美菜お姉ちゃん?」

「ううん、何でもないよ。ごめんね」


 あやすように優しく瑠美菜は言う。

 その様子を見て、仁は歯ぎしりをする。

 これが、贖罪なのだと自分に言い聞かせる。


 瑠美菜は体調が少し優れないとのことで、椅子で休憩することになった。

 仁は傍にいることを提案したが、胡桃と遊んであげてと言われ、仁は胡桃と共にゲームセンターに来ていた。

 胡桃はアイドルのゲームを楽しそうにやっている。


 本当にアイドルが好きなんだなと、仁は思う。


「ねえ! 仁おにいちゃん!」

「うん? どうしたの?」

「これ、難しいからやって」


 胡桃はアイドルゲームの筐体を指さす。

 どうやらこのゲームはリズムゲームで、指定されたボタンをタイミングよく押すというものらしい。

 仁は聞いたことがあった。

 大人もやるようなゲームで、難易度も相当高いらしいと。

 仁は子ども用の椅子に座る。異様な光景だ。

 やり方は胡桃がやっていたのを後ろで見ていたのでわかっていた。

 もともと要領の良い仁だったが、果たして胡桃の期待に応えられるか不安のままゲームははじまった。



 

 たしかに難しかった。

 しかし、仁にかかれば大したことはない。

 ゲームの画面には『フルパーフェクト』と表示されていた。


「ふぅ」


 さすがに集中して疲れた。

 仁は額の汗を拭う。


「すごい! すごい! やっぱり仁おにいちゃんはすごいね!」


 太陽のような笑みを向けられ、仁は照れ臭くなる。


「くるみちゃんのためだったら、大したことないよ」


 ゲームが終わると、筐体からキラキラしたカードが筐体の下から出てきた。

 それを胡桃が取り、わぁと言いながら大事に持つ。


「ありがとう仁おにいちゃん!」


 ああ、結婚したい。

 仁は本気でそう思った。


 そこからふたりはゲームセンターから少し離れた二人掛けのソファに行き、飲み物を飲んだ。


「あのゲームね、瑠美菜お姉ちゃんが教えてくれたの」

「そう、なんだ」


 アイドル好きの瑠美菜らしい。


「そのときにね、瑠美菜お姉ちゃんはアイドルになりたいって胡桃に教えてくれたんだ。このゲームの中にいるような、かがやくアイドルになるって言ったんだ。それで胡桃も、うらやましいって思ったんだ。たぶん、そのときに胡桃はアイドルになりたいって思ったんだと思う。お父さんに言われたからじゃなくて、瑠美菜お姉ちゃんと一緒にアイドルになりたいって思ったの。それで、ふたりでアイドルになろうって言ったんだ! 瑠美菜お姉ちゃんは笑って、うんって言ってくれたんだ。でもね、一緒にアイドルにはなれないんだよね……」


 胡桃は俯き、憂う。


「……きっと、いつか、ふたりでアイドルになれるよ」


 事実だ。

 瑠美菜がアイドルに事実上内定していることを仁は知っている。

 ただし、それは瑠美菜の望む形でないことも。


「うん、瑠美菜お姉ちゃんならきっとなれるよ。でもね、それだとダメなんだってお姉ちゃん言ってた。胡桃とお姉ちゃんがアイドルになって、お姉ちゃんのお母さんを助けるってこと胡桃も知ってる。それが、今じゃないとダメなんだってことも」

「…………」


 そこまで知っていたのかと仁は感心と共に、焦る。

 子どもの観察力を侮っていた。


「何とかして、瑠美菜お姉ちゃんのママを救う方法はない? 仁おにいちゃん?」


 すがるような表情で仁に言う。

 それを見て、さらに仁は心を痛める。


「……難しいよ」

「なんで!」

「お金を稼ぐっていうのはすごく大変なことなんだ。人より一所懸命働かなきゃもらえないものなんだ」


 こんな抗弁たれたって仕方がないとわかっていた。

 そして、それを受け入れられるほど胡桃が成熟していないことも。


「なんで……」

「でも、くるみちゃんが頑張って、お姉ちゃんも頑張れば、きっと救うことができるよ」

「本当?」

「本当だよ」

「……そっか」


 仁は胡桃に優しく微笑みかける。


 嘘をついてしまった。


 こんな嘘をついて、自分は何をしているのだろうと仁は後悔の念に苛まれる。

 胡桃は子どもだ。


 それでも仁の優しい嘘を見抜くことはできる。

 太陽のように笑うくるみちゃんにこんな悲しい顔をさせる自分が腹立たしい。

 それでも、仁はそれ以上何も言ってあげられなかった。

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