変わりゆくもの変わらないもの

@muuko

第1話

 昼夜を問わず燃やされ続けるかがり火の光が、やけに眩しくて眠れない。寝ぐらを出て物見櫓に登ってみる。ただ座ってじっと空の闇を見ていた。背後では、ぎし、ぎしと木の梯子が軋む音が近づいてくる。嫌な気配だ。


「こんばんは」

「来んな」

「冷た」

「帰れ」


 ヨソのクニから来たこの男は、文句を言う私を気にもせず隣に座った。首飾りの骨がじゃらりと鳴る。仕留めた獣の歯の数だ。なんて腹立たしい。


「そんなん言ってたらお前のワネネも俺と一緒に一足早く発つことになるんだけど」

「やだ。なら私が行く」

「断る」

「最低。お前帰れマジで」

「な、ちょっと話をしよう」

「やだ」

「ヘソまげんなって」

「オマエ嫌い」


 どんなに叩いても殴っても、男は微動だにしない。


 この男がムラに突然やってきて、私のワネネあねを嫁にもらうとか言い出した。大嫌いだ。


「お前のワネネ、マポツィはムラのために犠牲になるわけじゃないよ」


 風も眠って、聞こえるのはかがり火の爆ぜる音とこの男の低い声だけ。


「確かに、この婚姻は取引だよ。俺は俺のクニの民を従えるために巫女を妻に迎えたい。その見返りとして、このムラは米の新しい栽培方法を得る」

「俺はマポツィが来てくれて嬉しいんだ。ただの役割としてじゃなくて、彼女と心を通わせられる関係になりたいんだ。きっと大切にする。今ここでお前に誓うよ。マポツィのただ1人の妹よ」

「ワネネの妹じゃないよ。私は」


 ばちっと音がして、火の粉が舞う。喉の奥がきゅっと締まるのを誤魔化すように咳をして、見上げる。空は闇。


「私は拾い子だから。トトが拾ってワネネが育ててくれた。ワネネは優しい」


 男が何も言わずに私を見ているのを感じる。火が闇の中でゆらゆら揺れている。私はまた、話を続けた。


「ワネネがいなくなったら誰が巫女をやる?ワネネじゃないとダメだ。ムラのみんなはワネネの舞が1番好きなんだ。ワネネだから好きなんだ。力もある。今までの占いで狩場を外したことがないもの。いなくなったらみんなが悲しむ。元気なくなる。私じゃだめだ。正統じゃない。きっもみんなも怒る」


 顔を向けると、男はゆったりと首を振った。首飾りが乾いた音を立てる。


「誰がお前を怒ろうか。そんなことは絶対にないね」

「どうして」

「このムラの総意だから」

「え?」

「俺がマポツィを嫁に迎えたいと言ったら、お前の許しを得る事が第一条件だと」

「え?」

「巫女というのは、神に遣わされるものだ。代々祭祀を生業とするムラに偶然拾われたお前は、拾われたのではない。遣わされたということだよ」

「ムラの一族が代々巫女の役を受け継ぐのは、遣わされた者が現れるまでその座を守るため。お前のためだ」

「お前がこのムラの正統な巫女なのだ。お前の許しが貰えなければ、巫女の役を守ってきたマポツィを連れて行くことはできない」


 男の眼差しは闇夜を照らす月のようだ。

 というか、私も巫女なのか? 私が? 正統な?


「私が巫女なら私でいいじゃん」

「だからやだって」


 即答だった。なんでワネネにこだわるのかこの男は。取引なら、違う巫女ではダメなのか。私も行きたくないけど、ワネネが連れていかれるのは嫌だ。


「米の何がそんなにいいんだ? ワネネと引き換えにするほどのものなのか?」


「米があれば、食べるものが今より安定して手に入る。狩に出て何も仕留められない日があっても、明日の食べ物を心配しなくていい。無茶して命を落とす戦士が減るだろう。親を失くす子が減る。狩りのために住む場所を変えなくてもいい。口減しのために老いた仲間や弱い赤子を捨てて行くこともしなくていい。米があれば俺達の生き方が変わるんだよ」


「そうか。米がムラにとって必要なことなのはわかった。でもワネネじゃなくてもいいじゃん。他にも巫女いるだろ」


「無理」


「なぁんでだよ!巫女なら誰でもいいだろう!? なんでワネネ連れて行く!?」

「ばーか一目惚れなの!言わせんなばーかばーか」


 耳まで赤くした男の顔に嘘の色はない。それならもうワネネは止められない。ワネネも、行く気だ。口減しのために捨てられた赤子。それは私だ。大きくなった今も、ワネネが私を想ってくれていることに胸が苦しい。


「ばかっていうなばか。寂しい。ワネネに会えなくなるの? 胸に穴が空く。体の一部がなくなるみたい」

「俺達が伝える米は、水と時間をたくさん使う。米も、草木が芽吹く時から木の実が実る時まで、同じように実るのに時間がかかるものなんだ。だからすぐには帰らないよ。米の作り方を伝え終わるまで、マポツィと一緒にいてやってくれ。マポツィもお前と離れるのは寂しいんだ」


 胸が苦しくて、目から鼻から水がでる。悲しい。けれど、それ以上にワネネを想う。それがワネネの幸せならば。


「わかった。時間の限り、ずっと一緒にいる。ご飯も湯浴みも寝る時もずっと一緒」

「俺も一緒だ義妹よ」

「オマエはいい」

「冷た」



 *



「……みたいなことがあって、稲作が伝わっていったみたいなさ!」


「そう、──ん? いや、俺は縄文時代から弥生時代への移り変わりは明確に区別できないって話をしてて」


「こういうシチュエーションもないとは言い切れないってことだよね! ムラのための政略結婚だけど、そこから築いていく真実の愛とか! 捨てられた子供の自分が、実はチート能力持ちの主人公でしたとか! つーか大きなクニから来た長?王子様じゃんかっこいい! はぁーーいいわぁーーー」


「おーい。今日は歴史の追試対策の日だろ。まだ先の時代あるんだけど」


「いつの時代も、そこに人の営みがあって。心があって。それが今につながっていて。長い時間をかけてどれだけ世が様変わりしても、人の心は変わらない気がするなぁ」


「もう俺帰りたいなぁ」


 人もまばらになった図書室でひとり納得したようにうんうんと頷く女生徒に呆れながら、男子生徒はそっとため息をついた。男子生徒は、窓の外の金色の夕焼けを眺めながら、なんとなくマポツィの瞳ってこんな色かなと思ったりもした。

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