先生と前世【KAC20252】

元田 其一

あこがれ

 古文単語テスト(再)のための付け焼き刃を諦めた私は、両腕を机の上に投げ出す。タチバナの方に顔を向けて眺めた。


 世は一億総転生時代。誰もが当たり前に「これまで」の記憶を持っている世界で、私だけが何も覚えていない。そのせいかもしれないが、人が樹木に転生したという話は、他に聞いたことがなかった。彼が前世人だったと主張しているのは、タチバナ本人と彼を連れてきた担任の生物教師だけだ。


「なんでタチバナさんは樹になっちゃったの」

「分からない」


 いつもと同じ返事。それはそうか、転生先は自分で選べるわけではない。と思っていたら逆に問い返された。


「そもそもなぜ転生が起こるのか、君は知ってる?」


 うーんと背中を伸ばしてから身体を起こす。タチバナの方を向いて、椅子の上に体操座りをした。小、中学校で説明されたことを、ざっくりと出力する。


「なんとなく……だんだん前世の記憶あるよって人が増えてきて、調べたら元素に記憶の電気情報がくっついてるって分かって……」


 元素に還っても、再構成されたら記憶が蘇る。それを再現する方法がわかって、みんなそうしたいと願った結果、今の一億総転生状態になったと聞いている。そこまで説明すると、同意するようにタチバナが枝を揺らした。


 私に前世があるとしたら、自分の人生が残ることをよしとしなかったということなのかもしれない。なら、タチバナさん。前世の私はあなたのことをどう思っていたんだろうね。


「転生のしくみなんか話してどうしたんですか」

「おあ、先生。足音立ててよ」


 不意に横から声をかけられてびっくりする。いつの間にか担任が教室に入ってきていた。急いで椅子から足を下ろす私とタチバナを交互に見て、うんうんと頷く。


「生物に興味を持ってくれるのは嬉しいですが、ひとまずホームルームを始めますよ」

「はぁい」


 ホームルームの後の再試の結果は言わずもがなだった。予想された結果ではあるが、落ち込まないわけではない。


「しかたないよ、そんな時もある……ごめん、僕もつい邪魔しちゃったし」

「ほんとにな!」


 と、小声でタチバナのせいにしたものの、途中で諦めた私が悪いことは分かっている。分かっていることが分かってるのか、タチバナは沈んだ風もなく、ただ見守られている……ような気がする。

 うだうだと帰る準備をしていると、担任に声をかけられた。


「ちょっといいですか、小テストを持ってきてください」


 え、お呼び出し? 高校生にもなって?

 衝撃を受ける私をよそに、担任はさっさと一人で相談スペースまで移動していった。私はタチバナと顔を見合わせると、でっかいため息をひとつついた。


 古い進路資料が壁を埋める相談スペースで、向かい合った担任は、存外冷静な様子だった。


「突然なんですが、最近身の回りに違和感があるとか、急に見覚えがないように感じるとかいうことはありませんか?」

「え?」


 なんの質問かと思ったが、静かに見つめられているので真剣に答えることにする。


「……特にはないですけど」


 返事をする時の表情を怖いくらいの無表情で眺めていた担任は、しばらくしてほっと息をついた。こちらもつめていた息をはきだす。


「ならいいんです。いえ、最近ちょっと前世の記憶が蘇っているのかな? と思いまして。古文に苦戦しているみたいだったから」

「あ、ああ……なるほど」


 申し訳ないがただ苦手なだけである。

 通常は自我の芽生えと共に蘇る前世の記憶だが、全部が一度に蘇るわけでもない。違う文化圏で暮らしていた時代の記憶などは、生活の中でその文化に触れることで、ようやく思い出されるということもあるらしい。


 前世の話はセンシティブだから、緊張しちゃった。とかわい子ぶる担任を前に、ぽつりとこぼす。


「前世の記憶か……先生はあるんですよね」

「ありますよ、前世はとある男性アイドルが大好きで、彼を推して一生を終えました」


 前世の記憶がない私の前では、こういった話題は避けられることも多い。前世の取り扱いは個人の自由だが、わりとあけすけな発言になぜかこちらがちょっとドキドキしてしまう。

 推すっていうのは怪しいことじゃなくて、「応援する」みたいな意味ですよ、と担任から注釈が入る。そこにドキドキしたわけではないので大丈夫です。


「別に楽しいことばかりではありませんでしたけど、特に忘れたいこともなかったので記憶保存処置を受けたんですよね」


 前世はあまりいろいろ考えない方だったみたいです、と苦笑する。


「今の自分と全然違う人間の記憶があるってどんな感じですか」

「そうですね、個人差もあると思いますが……『彼女だったこと』が明確に役に立つ場面というのはほとんどないように思います。でも、今教師をできているのは、前世でそのアイドルを魂捧げたっていいくらい愛していたからなんでしょうね」


 経験ってそういうものでしょう? そうじゃなきゃ森に引きこもって人嫌いの研究者になっていました、と笑う。淀みのない笑みだった。


「前世の記憶に……あこがれが?」

「いえ、結局私は私なんで」


 だけど、本当にタチバナの言う通りの「これまで」があったというなら。


ーーなぜ私は忘れることにしたの?


 子どものころに感じていたのとは別の動機で、その理由を知りたいような気がしていた。

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