第39話:目覚めの朝
春の陽光が窓から差し込み、レインの顔を優しく照らしていた。彼はゆっくりと目を開け、天井を見上げた。病室ではなく、自分の寝室だった。王城から賢者の商会の施設に戻ってきて一週間が過ぎていた。
「もう朝か」
彼は体を起こした。以前に比べて体が軽く感じられる。回復は順調だった。窓の外では小鳥がさえずり、新しい一日の始まりを告げていた。
レインは服を着替え、書斎へと向かった。そこには前夜まで取り組んでいた設計図が広げられていた。「賢者の学院」の青写真だ。国王の全面支援を受け、バレンフォードに設立される新たな教育機関の設計図だった。
「王都からの使者が来ていますよ」
彼が設計図を眺めていると、ガルムが部屋に入ってきた。彼の頑強な体躯は相変わらずだったが、表情には穏やかさが増していた。
「使者? こんな早朝に?」
「王子様直々の命令だそうです」
ガルムは微笑んだ。「重要な知らせがあるとか」
レインは頷き、使者を通してエドガー王子からの書状を受け取った。それは「創造者の工房」に関する新たな発見についてだった。王国の調査隊が、工房内の新たな区画を発見したという。
「これは興味深いな」
彼は書状を読み終えると、静かに呟いた。真理の結晶が消えた後、「創造者の工房」について考えることが多かった。結晶に宿っていた「監視者」の言葉が、彼の心に残っていた。
創造者たちの遺産。それは単なる過去の遺物ではなく、未来への道標なのだろう。
「私からの返事を書きます」
レインはガルムに告げ、早速返信を認めた。できるだけ早く工房を再訪したいという意向と、必要な準備について。
使者が去った後、レインは朝食のために階下へと向かった。階段を下りると、懐かしい声が耳に入った。
「レイン! 戻ってきたのね!」
アイリスが調理室から顔を出した。彼女は前日、エルフの森に短期間戻っていたはずだった。
「アイリス、もう戻ったのか」
彼は驚きながらも嬉しそうに言った。「薬草の調達は上手くいった?」
「ええ、たくさん集められたわ」
彼女は明るく答えた。「エルフの長老たちも、私たちの活躍を聞いて喜んでいたわ」
アイリスは朝食の準備を続けながら話した。エルフの森では淵の影との戦いの噂が広まっており、彼女はまるで英雄のように歓迎されたという。
「恥ずかしかったわ」
彼女は頬を赤らめた。「でも、エルフたちが人間との協力に前向きになってくれたのは良かったわ」
「それは素晴らしいことだ」
レインは心から言った。エルフと人間の関係改善は、彼の密かな希望の一つだった。
朝食を共にしていると、次々と仲間たちが集まってきた。リーザは古文書を片手に眠そうな顔で現れ、ガルムは市場からの新鮮な情報を持ち帰ってきた。
「街の人たちの間では、賢者の商会の評判が絶頂ですよ」
ガルムは嬉しそうに報告した。「淵の影との戦いの話が広まり、あなたたちは英雄扱いです」
「英雄か」
レインは少し困ったように笑った。「そんなつもりはなかったんだがな」
「でも確かに世界を救ったのよ」
リーザが古文書から顔を上げて言った。「その評判は悪くないわ。これから始める学院にも、良い影響があるでしょう」
「そうだな」
レインは頷いた。「賢者の学院」の設立には、人々の信頼と期待が不可欠だった。
朝食を終えると、彼らはそれぞれの仕事に戻った。レインは書斎で設計図の続きに取り組んでいた。昼頃、訪問者があった。
「エドガー王子がお見えです」
驚きの知らせだった。使者ではなく、王子自身が訪問するとは。レインは急いで応接間に向かい、エドガーを出迎えた。
「王子様、こんな突然のご訪問とは」
「公式の訪問ではない」
エドガーは微笑んだ。普段の王子の装いではなく、シンプルな旅装束だった。「友人としての訪問だ」
二人は応接間に腰を下ろし、お茶を飲みながら話をした。エドガーは「創造者の工房」で発見された新区画について語った。それは「星の間」と呼ばれる空間で、天井一面に星座が描かれていたという。
「あの場所には、まだ解き明かすべき謎がたくさんある」
エドガーは熱心に語った。「しかし、そのためには賢者の商会の力が必要だ」
「私たちにできることなら」
レインは答えた。「王国のために全力を尽くします」
「いや、王国のためだけではない」
エドガーは真剣な表情になった。「世界全体のためだ。創造者たちの遺産は、人類の未来に関わる重要な知識だと確信している」
彼は旅装束姿で訪れた理由を明かした。明日にも「創造者の工房」へ向かうという。王子としての公式訪問ではなく、一人の研究者としての旅だった。
「私も同行したい」
レインは即座に申し出た。「真理の結晶は消えてしまったが、まだ私にできることがあるはずだ」
「それを望んでいた」
エドガーは笑顔で答えた。「ケインも合流する予定だ。三人揃えば、あの場所の謎を解き明かせるかもしれない」
二人が計画を話し合っていると、アイリスが部屋に入ってきた。エドガーの訪問を知り、特別な茶菓子を用意してきたのだ。
「私も同行させてください」
彼女は二人の話を聞いて言った。「エルフの知識が役立つかもしれません」
「もちろん」
レインもエドガーも歓迎した。アイリスのエルフとしての感覚は、前回の探索でも大いに役立っていた。
昼食をともにし、午後には出発の準備が始まった。必要な装備を揃え、ガルムには商会の留守を任せた。リーザも同行することになり、彼女は魔法関連の書物を何冊も詰め込んでいた。
「これだけあれば大丈夫」
彼女は満足そうに言った。「前回より深く研究できるわ」
準備の合間、レインは自室で静かに考え事をしていた。真理の結晶がなくなった今、彼の力は以前より弱まっていた。「創造者の血」の力は残っていたが、結晶という導きを失っていた。
「悩んでいるの?」
アイリスが部屋に入ってきた。彼の表情から、心の内を察したようだった。
「少しね」
レインは正直に答えた。「結晶がなくなって、何か大切なものを失った気がする」
「でも、その代わりに得たものもあるわ」
アイリスは彼の側に座った。「世界はより安定し、魔力の流れも調和した。そして何より、あなたは自由になった」
「自由?」
「そう」
彼女は静かに続けた。「結晶は導きでもあったけど、ある意味では束縛でもあったのよ。監視者の意志があなたを特定の方向に導いていた。今のあなたは、完全に自分自身の選択で生きられる」
レインはその言葉に深く考え込んだ。確かに、結晶がなくなった後、彼は自分の選択に迷いがなくなったように感じていた。
「君の言う通りかもしれない」
彼は微笑んだ。「これからは自分自身の判断で道を選ぶ。それが私の新たな旅の始まりなのだろう」
二人は窓辺に立ち、沈みゆく夕日を眺めた。街の向こうに広がる山々が赤く染まり、美しい景色を作り出していた。
「明日からの旅が楽しみよ」
アイリスが言った。「創造者の工房で何が見つかるか」
「ああ」
レインも期待を込めて答えた。「新たな発見が、きっと私たちを待っている」
***
翌朝、彼らは早くに出発した。エドガー、レイン、アイリス、リーザ、そしてマルコス率いる少数の騎士団。小規模ながらも、充実した探索隊だった。
山道を登る途中、エドガーがレインに近づいてきた。
「回復は順調か?」
「ええ、ほとんど元通りです」
レインは答えた。「あなたは?」
「完全に回復した」
エドガーは力強く言った。「むしろ、以前より体調が良い。魂が浄化されたような感覚がある」
山を登るにつれ、周囲の景色が変わっていった。淵の影が変化した後、自然はより生き生きとしているように見えた。植物はより鮮やかに、空はより青く、山の空気はより清らかに感じられた。
「不思議な感覚だな」
ケインが合流した地点で言った。「まるで世界全体が目覚めたような」
彼も元気そうだった。村の人々は彼を英雄として迎え、彼の語る物語に耳を傾けたという。
「創造者の血」を引く三人が再び集まったことで、彼らの間には特別な繋がりが感じられた。共に淵の影と対峙し、魂の一部を共有した経験は、言葉では表せない絆を生み出していた。
昼過ぎ、一行は「創造者の工房」に到着した。前回と違い、入口は開かれたままだった。王国の調査隊が定期的に訪れていたためだ。
「前回とは違う雰囲気だ」
レインが入口に立ち、中を覗き込んだ。内部の古代機械は静かに動いていたが、以前のような緊張感はなかった。むしろ、歓迎しているかのような印象すら受けた。
「守護者はいないのか?」
エドガーが前に出て、周囲を見回した。前回、彼らを出迎えた白い光の存在は見当たらなかった。
「守護者の役割は終わったのかもしれません」
リーザが推測した。「淵の影が変化し、真の脅威ではなくなった今、守る必要もないのでしょう」
彼らは慎重に内部へ進んだ。前回訪れた中央ホールは変わらずそこにあったが、不思議なことに、新たな通路が開いていた。前回は存在しなかった、あるいは見えなかった道だった。
「これが『星の間』への道だろう」
ケインが言った。「調査隊の報告通りだ」
通路は緩やかに下っており、壁には見慣れない文様が刻まれていた。レインは前世の記憶と照らし合わせても、解読できなかった。
「古代語とも異なる」
彼は壁を触りながら言った。「創造者たちの母国語かもしれない」
通路の終わりに、彼らは大きな円形の扉に辿り着いた。それは星形の模様で飾られており、中央には三つの窪みがあった。
「鍵が必要なようです」
リーザが観察した。「でも王国の調査隊は入れたはずです」
「ここだ」
エドガーが扉の側面にある小さな装置を見つけた。それは現代の鍵穴のようなものだったが、形状は複雑だった。
「調査隊は何か特別な道具を持っていたのだろう」
マルコスが言った。「戻って取り寄せるべきか」
レインは黙って扉を見つめていた。三つの窪みが気になった。形状は異なるが、大きさと配置が何かを示唆しているように思えた。
「試してみよう」
彼は扉に近づき、右手を最初の窪みに置いた。「エドガーさん、ケインさん、あなたたちも」
二人はレインの直感を信じ、それぞれ残りの窪みに手を置いた。すると、窪みが青く光り始め、扉全体に光が広がっていった。
「創造者の血が鍵なのだ」
エドガーは驚きの声を上げた。彼らの血が反応し、扉のロックを解除したのだ。
重い扉がゆっくりと開き始め、その先に広がる空間が姿を現した。
「星の間…」
アイリスが息を呑んだ。その名にふさわしい光景だった。
天井全体が巨大なドームになっており、そこには無数の星々が描かれていた。いや、描かれているというより、本物の星空が映し出されているようだった。星々は淡く輝き、ゆっくりと動いているように見えた。
部屋の中央には大きな台座があり、その上には複雑な機械が設置されていた。球体を中心に、幾重もの輪が回転する装置だった。
「天体観測装置だ」
リーザが興奮した声で言った。「創造者たちは星を研究していたのね」
彼らは慎重に部屋に入り、装置を調べ始めた。装置は稼働状態で、輪は緩やかに回転していた。球体には細かな刻印があり、星座や天体の名前のようだった。
「この言語も解読できない」
レインは球体の刻印を見ながら言った。「しかし、配置は星座を示しているようだ」
「あれを見て」
アイリスが天井を指さした。一部の星座が明るく輝き、装置の動きに合わせて強調されていた。まるで何かのカウントダウンのようだった。
「何かの予測をしているのかもしれない」
エドガーは推測した。「天体の動きを追跡し、何かの時期を計算している」
彼らが装置を調べていると、球体の一部が開き、小さな結晶が姿を現した。それはレインの真理の結晶に似ていたが、色は異なり、透明な青色だった。
「これは…」
レインは驚いて結晶に手を伸ばした。接触した瞬間、結晶が強く輝き、彼の意識に映像が流れ込んだ。
彼は広大な宇宙空間にいた。無数の星々の間を漂いながら、彼は複数の惑星系を見た。それぞれに文明があり、その中に「創造者たち」と思われる存在が住んでいた。
映像は次第に一つの惑星に焦点を当てた。それは彼らが現在いる世界だった。創造者たちがこの世界に到着し、淵の影から逃れ、新たな社会を築く様子が映し出された。
そして最後に、ある未来の光景が現れた。星々の特定の配列、そして新たな「次元の扉」の開放。創造者たちの故郷へと繋がる道だった。
レインが目を覚ますと、結晶の光は消え、彼は「星の間」の床に膝をついていた。アイリスが心配そうに彼を支えていた。
「大丈夫? 何があったの?」
「創造者たちの計画を見た」
彼は震える声で言った。「彼らは…故郷に戻る道を準備していたんだ」
レインは見たビジョンを皆に説明した。創造者たちは淵の影から逃れてこの世界に来たが、いつかは故郷に戻る希望を捨てていなかった。「星の間」は、次元の扉を開くための観測所だったのだ。
「そして、その時が近づいている」
彼は天井の星空を指さした。「この星の配列が特定の形になると、次元の扉が開く」
「いつだ?」
エドガーが尋ねた。
「あと一年ほど」
レインは答えた。「結晶が示した未来は、来年の春だった」
彼らは互いの顔を見合わせた。創造者たちの最後の計画が、今彼らの前に明らかになった。次元の扉が開くとき、何が起こるのか。彼らには準備する時間が必要だった。
「伝えなければならない」
ケインが言った。「王国に、そして世界中の人々に」
「ただ恐怖を広めるだけになってはいけない」
エドガーは冷静に言った。「私たちはまず、この情報を正確に理解する必要がある」
レインは頷いた。来年の春までに、「星の間」と次元の扉について、より詳しく調べなければならない。
「賢者の学院」の設立も急ぐべきだ。知識を集め、研究し、準備するための拠点が必要だった。
「新たな旅の始まりだな」
レインは静かに言った。淵の影との闘いは終わったが、創造者たちの遺産を理解し、活用するという新たな使命が彼らの前に現れていた。
彼らは「星の間」の調査を続け、可能な限り情報を収集した。リーザは装置の構造を記録し、アイリスはエルフの感覚で空間の魔力の流れを分析した。
夕方、彼らは一旦「創造者の工房」を後にした。戻る途中、レインは山頂から広がる景色を眺めていた。夕日に照らされた王国の姿が美しく輝いていた。
「考え事?」
アイリスが彼の側に立った。
「ああ」
彼は微笑んだ。「昏睡から目覚めてからの日々を思い返していた。多くのことが変わった」
「良い方向にね」
アイリスも微笑んだ。「淵の影の脅威はなくなり、世界はより平和になった。あなたの商会は学院になり、新たな知識が広まろうとしている」
「そして新たな冒険が待っている」
レインは天空を見上げた。どこかに創造者たちの故郷があり、彼らは長い時を経て、ついに戻る機会を得るのだろうか。
「何があっても、私たちは一緒よ」
アイリスが彼の手を取った。「これからの冒険も、共に歩んでいきましょう」
「ああ、必ず」
レインは彼女の手を握り返した。真理の結晶はなくなったが、彼の心には新たな光が灯っていた。それは友情と愛、そして未来への希望だった。
彼らが山を下りながら、天空では最初の星々が輝き始めていた。「星の間」の予言する時が来るまで、彼らにはやるべきことが多くあった。そして、その準備こそが彼らの次なる冒険だった。
一つの章が終わり、新たな章が始まったのだ。
(第三十九話 終)
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