第31話:守護者の同盟
王城の中庭に朝の光が降り注ぐ中、小規模な儀式が執り行われていた。レイン、エドガー王子、ケイン、そしてハーマン館長が円陣を組み、中央に四大元素の結晶が配置されていた。アイリスとリーザは周囲に結界を張り、外部からの魔力干渉を防いでいた。
「白き炎よ、我らの血に応えよ」
エドガーが古代語で唱えた。彼の指先から一滴の血が落ち、火の結晶に触れた。結晶が赤く輝き、小さな炎が宙に浮かんだ。
「流れる水よ、我らの血に応えよ」
今度はケインが同じように血を水の結晶に落とした。青い光が広がり、微細な水滴が空中に漂った。
「これが『創造者の血』の力…」
ハーマンが感嘆の声を上げた。彼らは複数封印の準備として、エドガーとケインの血が四大元素と共鳴するかを確認していた。
「風と土の結晶も反応しています」
レインは残りの結晶を観察した。緑と茶色の光が輝き、小さな竜巻と砂の渦が形成されていた。
「成功です」
リーザが結界の外から報告した。「二人の血は確かに『創造者の血』の特性を持っています」
この実験成功により、複数封印の計画は現実味を帯びてきた。エドガーとケインが分担して封印を行えば、一人あたりの負担は大きく減少するはずだった。
「さらに強化するには、もう一人『創造者の血』を持つ者が必要ですね」
アイリスが言った。「三点封印が理想的だと『創造の書』には書かれていました」
「だが、時間がない」
エドガーは額の汗を拭った。「満月まであと八日。今いる戦力で計画を練るべきだ」
全員が同意し、儀式の準備を続けた。
***
儀式の後、レインはエイブラム薬師長と共に、特別な防護薬の調合を行っていた。
「この混合比でいいでしょうか?」
レインが調合液の色を確認した。それは淡い紫色で、微かに光を放っていた。
「完璧だ」
エイブラムはうなずいた。「この防護薬は儀式の参加者全員に必要だろう」
彼らは『創造の書』から見つけた配合法を元に、「淵の影」の直接的な影響から身を守る薬を作っていた。
「先日、気になる報告があった」
エイブラムは声を落とした。「王都の住民の間で、奇妙な症状が報告されているのだ」
「どのような症状ですか?」
「悪夢の増加、不眠、そして時折見られる幻覚。特に、『影が動く』という訴えが多い」
レインは眉をひそめた。これは『創造の書』に記されていた「淵の影」の第二段階の影響と一致していた。
「『淵の影』の接近が加速しています。現実の壁が薄くなりつつあるのでしょう」
「より多くの防護薬が必要だな」
エイブラムは心配そうに言った。「王族と儀式参加者だけでなく、可能な限り一般市民にも配布すべきだ」
レインは同意した。工房の規模を拡大し、生産量を増やす必要があった。しかし、時間は限られていた。
「アイリスと相談しましょう。彼女のエルフの知識が役立つはずです」
***
午後、レインは王子に呼ばれ、彼の私室を訪れた。エドガーは窓際に立ち、王都の景色を眺めていた。
「レイン、来てくれてありがとう」
彼は振り返った。その顔には疲労の色が見えたが、目は鋭く澄んでいた。
「昨夜、再び『監視者』と接触した」
「何か新しい情報は?」
「ああ」
エドガーは机の上に広げられた地図を指した。それは三角山周辺の詳細な地形図だった。
「『星の門』への複数のルートを教えられた。そして、『闇の使者』たちが既に動いているという警告も」
「具体的な場所は?」
「ここだ」
エドガーは地図上の数箇所を指し示した。三角山の東側と北側に、赤い印が付けられていた。
「彼らは『星の門』を取り囲むように陣取っているという。おそらく、我々の進行を阻止するためだろう」
レインは地図を詳しく調査した。印の付いた場所は険しい地形で、少数の守備隊でも大軍を足止めできる戦略的要衝だった。
「迂回ルートがあります」
レインは地図の西側を指し示した。「より長い道のりですが、発見されにくいでしょう」
「正にそれを提案したかった」
エドガーは満足そうに頷いた。「『監視者』も西側ルートを勧めていた」
二人は満月の夜に向けた行程を詳細に計画し始めた。出発時刻、必要な装備、そして万が一の事態への対策まで。
「もう一つ、重要な情報がある」
エドガーは声を落とした。「私の夢に、白髪の老人が現れた。彼は『賢者』と名乗り、君に関する情報を持っていた」
レインは驚いて顔を上げた。
「白髪の老人?」
「ああ。この世界の人間ではないようだった。彼は『レインに伝えよ。彼の転生は偶然ではない。彼もまた創造者の血を引いている』と」
レインは言葉を失った。これは彼の出自に関わる重大な情報だった。
「ギルバート先生…」
彼は思わず呟いた。その白髪の老人は、前世での師匠の姿に似ていたのかもしれない。
「その名を知っているのか?」
「はい。私の師です」
レインは真実を打ち明けることにした。エドガーには王子として知る権利があった。彼は自分の転生の事実、前世での記憶、そしてギルバートとの関係について簡潔に説明した。
エドガーは静かに聞き入り、驚くことなく受け入れた。
「だから君は特別な知識を持っているのか」彼は理解したように言った。「そして『創造の書』を読めるのも、古代語を理解できるのも」
「はい。しかし、自分が『創造者の血』を引いているとは…」
「信じがたいことではない」
エドガーは微笑んだ。
「君と出会った時から、何か特別なものを感じていた。まるで遠い記憶の中の友人のような」
この師の啓示により、複数封印の計画に新たな展開があった。レインも儀式に直接参加する可能性が開けたのだ。
「これで三点封印が可能になる」
エドガーは希望に満ちた表情を見せた。「成功率は格段に上がるだろう」
レインは自分の役割の重大さを感じながらも、覚悟を決めていた。
「王子様、私も全力を尽くします」
***
レインとエドガーの会話から数時間後、緊急の会議が王城の秘密の会議室で開かれた。国王、ソフィア王女、そして核心メンバー全員が集まった。
「新たな情報を共有します」
エドガーが淵の影の動きと西側ルートについて説明した。そして、レインの出自についての予想外の発見も伝えられた。
「これは朗報だ」
国王は安堵した。「三点封印なら、成功の可能性はさらに高まる」
「確認すべきでしょう」リーザが提案した。「レインさんの血が実際に元素結晶に反応するか」
全員が同意し、先ほどと同様の儀式が行われた。レインが指先から血を落とすと、結晶が鮮やかに反応した。特に風の結晶は、他の二人よりも強く共鳴した。
「これで確定ですね」
アイリスは感嘆の表情を浮かべた。彼女はレインの新たな一面を発見したことに驚きながらも、どこか納得しているようだった。
「三人の『創造者の血』を持つ者が揃った。これは偶然ではないでしょう」
ハーマン館長が言った。「運命の導きとしか思えない」
会議は満月に向けた最終計画の確認に移った。出発は満月の二日前、王都を密かに離れ、西側ルートで三角山に向かう。儀式に必要な道具や防護薬はすべて携行し、最小限の人員で移動する。
「私も同行します」
ソフィア王女が突然言った。
「姉上、危険です」エドガーが反対した。
「私も王家の血を引いている」彼女は強く主張した。「直接儀式に参加できなくても、応急処置や結界維持の役に立てるはず」
国王は娘の決意を見て、深く考えた末に同意した。
「儀式には参加せず、安全な場所から支援に徹すること」
最終的な遠征隊のメンバーは、エドガー王子、ソフィア王女、レイン、アイリス、リーザ、ケイン、そしてマルコス率いる精鋭騎士五名に決定した。
「残る七日間で、最終準備を整えましょう」
レインは言った。「特に防護薬の増産が急務です」
国王は頷き、必要なリソースをすべて提供することを約束した。
***
会議後、レインは真理の結晶を持って城の高い塔に登った。夕暮れの空が赤く染まり、遠くの山々が黒いシルエットとなって浮かび上がっていた。
「先生、まさかあなたが『監視者』を通じて私に語りかけるとは」
彼は結晶に向かって静かに語りかけた。
「私も『創造者の血』を引いているのですね。それが、この世界への転生の理由なのでしょうか」
結晶は彼の手の中で穏やかに輝いた。光が彼の心を温かく包み込むような感覚があった。
「これからの道は険しいでしょう。しかし、私は怖れません。仲間がいるのですから」
レインの視界が晴れ渡る感覚があった。前世での記憶と現世での体験が融合し、彼の中で一つの大きな物語を形作っていた。
「賢者の商会から始まった旅は、世界の命運を左右する戦いへと続いていた。これこそが私の本当の使命なのでしょう」
階段の音が聞こえ、振り返るとアイリスが立っていた。
「ここにいると思った」
彼女は優しく微笑んだ。
「大きな変化があったわね」
「ああ。自分でも驚いている」
レインは微笑み返した。「『創造者の血』というのは、思いもよらなかった」
「でも、どこか納得できるわ」アイリスは彼の隣に立った。「あなたの知識と能力は、常に特別だった。それに、あなたが転生者だと知っても、私の気持ちは変わらないから」
彼女の言葉に、レインは深い安心感を覚えた。
「ありがとう、アイリス」
彼らは並んで夕焼けを眺めた。やがて、彼女が静かに言った。
「明日から王都の人々に防護薬を配布するのよね」
「ああ。エイブラム薬師長と協力して、可能な限り多くの人に行き渡らせる」
「私のエルフの薬草知識も役に立つわ」アイリスは決意を示した。「効率的な調合法を考えたから」
二人は具体的な配布計画を話し合った。王都の各区画ごとに担当者を割り当て、効率的に配布する。また、魔法学院の協力も得て、防護結界の設置も進める予定だった。
「本当は王国全体に配りたいけれど」
レインは遠くを見つめた。
「時間的に難しい。それに、『淵の影』の影響が最も強いのは、おそらく儀式の場所周辺と王都だけだ」
「儀式が成功すれば、それで十分よ」
アイリスは彼の肩に手を置いた。
「私たちはできることをやるだけ。それが賢者の商会の精神でしょう?」
レインは微笑んだ。彼女の言葉は、彼の心に深く響いた。
「そうだね。人々の暮らしを良くするために、自分たちの知恵を活かす。それが私たちのやり方だ」
***
翌朝、王都中に特別な告知が出された。「夜の悪夢を防ぐ薬」が無料配布されるというもの。これは「淵の影」への直接的な言及を避けつつ、市民を守るための策だった。
王城の広場には長い列ができ、薬師団と魔法学院の学生たちが防護薬を配布していた。レインとアイリスも先頭に立ち、効率的な配布を指導していた。
「こちらは特に子供のいる家庭に」
レインは青い瓶の薬を指示した。「子供は影響を受けやすいからね」
「こちらは高齢者向けです」
アイリスは別の種類の薬を手渡した。「寝る前に少量を温かい水に溶かして飲んでください」
市民たちは不思議そうな表情を浮かべながらも、王室からの贈り物として素直に受け取っていった。多くの人は既に「夜の悪夢」に悩まされており、薬の効果に期待を寄せていた。
配布の合間に、レインは王都の様子を観察した。通常なら活気に満ちているはずの市場が、どこかしら沈滞しているように感じられた。人々の表情にも疲労や不安の色が見えた。これも「淵の影」の影響なのだろうか。
「レイン」
マルコスが近づいてきた。
「西門付近で奇妙な事件があったそうだ。市民が『動く影』を目撃したという」
「調査していただけますか?」
「ああ。しかし、これが単なる噂なのか、それとも実際の現象なのかは判断が難しい」
レインは唇を噛んだ。『創造の書』によれば、「淵の影」の第三段階では、実際に影が実体化し始めるという。もし本当にそうなら、状況は想像以上に緊迫していた。
「警戒を強化してください。何か異常があればすぐに報告を」
マルコスは頷き、騎士たちに新たな指示を出すために立ち去った。
昼過ぎ、リーザが新たな情報を持って現れた。
「魔法学院の観測によると、王都周辺の魔力の流れが変化しているわ」
彼女は心配そうに言った。
「通常の季節変動ではなく、何かが魔力を引き寄せている」
「どの方向に?」
「三角山に向かって」リーザは答えた。「『星の門』が活性化し始めているのかもしれない」
この情報は、彼らの計画の緊急性を高めた。本来なら満月に起こるはずの現象が、既に始まっているのだ。
「計画を前倒しすべきでしょうか?」
アイリスが心配そうに尋ねた。
「いいえ」リーザは首を振った。「儀式は満月の力を利用する必要がある。それまでの間、できる限りの防衛策を講じるしかない」
彼らは防護薬の配布を急ぎ、夕方までには王都の大部分をカバーすることができた。さらに、魔法学院の協力で、王城と主要な公共施設には防御結界が張られた。
夕刻、レインたちは再び王城に集まり、状況の共有と最終確認を行った。
「準備はほぼ整った」
エドガー王子が言った。彼は落ち着いた表情で、明日からの最終調整に備えていた。
「あとは『創造の書』の最後の部分を解読するだけだ」
彼は複雑な古代文字が記された章を示した。それは儀式の最終段階に関する重要な指示と思われたが、翻訳が特に難しい部分だった。
「私が挑戦します」
レインは申し出た。彼の中の「創造者の血」が、この言葉を理解する鍵になるかもしれなかった。
「では、お願いする」
エドガーは『創造の書』をレインに渡した。
その夜、王城の図書館で、レインは一人で解読作業に取り組んだ。彼は真理の結晶を傍らに置き、ギルバートの教えを思い出しながら古代語の解読に挑んだ。
徐々に、文字が意味を持ち始めた。それは儀式の最終段階、三人の「創造者の血」を持つ者がどのように力を合わせ、「淵の影」を封印するかの詳細だった。
「これは…」
レインは目を見開いた。文書は単なる手順以上のものを明かしていた。それは「創造者」たちの真の目的と、この世界における彼らの長期的な計画だった。
「だからギルバート先生は私をこの世界に導いたのか」
彼は真理の結晶を見つめた。「これは偶然ではなく、長い計画の一部だったのですね」
その夜、レインは重要な真実を理解した。そして、明日からの最終準備に向けて、強い決意を固めた。
(第三十一話 終)
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