第29話:帰還と陰謀
王城の会議室には緊張感が漂っていた。長いテーブルを囲み、国王アレクサンダー四世、エドガー王子、ソフィア王女、そしてレインたち探索隊のメンバーが集まっていた。窓から差し込む朝日が、テーブルの上に広げられた『創造の書』を照らしていた。
「すべてを理解するのは容易ではない」
ハーマン館長が古文書のページを丁寧にめくりながら言った。「しかし、基本的な事実は明らかです」
昨夜、エドガー王子の容体が安定した後、国王は朝までの休息を命じた。そして今、彼らは『創造の書』の詳細な解読と今後の対策を議論していた。
「『淵の影』は五百年周期でこの世界に接近する」
リーザが説明した。「前回の出現から、ほぼ五百年が経過している。創造者の守護者によれば、再び接近の時が迫っているとのこと」
「その兆候は?」国王が尋ねた。
「魔力の乱れ、生物の異常行動、そして……」リーザは一瞬躊躇した。「特別な資質を持つ者への『呼びかけ』です」
全員の視線がエドガー王子に向けられた。彼は昨日よりも顔色が良くなっていたが、まだ完全には回復していなかった。
「私の夢……」王子は静かに言った。「それが『呼びかけ』だったのですね」
「はい、王子様」レインが頷いた。「あなたは『選ばれし者』として、『淵の影』を感知する特別な能力を持っています」
「ただし」アイリスが補足した。「その能力は諸刃の剣です。『淵の影』はあなたを通して、この世界に侵入しようとしているかもしれません」
エドガーは深く息を吸い、覚悟を決めたような表情になった。
「私に何ができるのでしょうか?」
レインは『創造の書』の特定のページを開いた。
「『選ばれし者』は封印の儀式を行う必要があります。それは『星の門』と呼ばれる場所で」
「場所は特定できているのか?」国王が尋ねた。
「はい」ケインが答えた。「三角山の頂上に、古代の祭壇があります。守護者によれば、次の満月の夜に儀式を行うべきとのことです」
「満月まであと二週間」ソフィアが言った。「準備の時間はわずかですね」
「しかも」レインは声を落とした。「ダーシー家の動きが気になります」
国王の表情が厳しくなった。
「ダーシー伯爵は王子の治療への干渉を認めた。しかし、悪意があったわけではなく、単に伝統的な方法を信じていただけだと弁明している」
「明らかな嘘です」リーザが冷静に言った。「アイリスとレインの診断は正確でした。王子様の状態を意図的に悪化させる魔力干渉がありました」
「証拠はあるか?」
「残念ながら、直接の証拠はありません」アイリスが答えた。「しかし、使われた魔法の痕跡は高度な術式のものでした」
「ダーシー家は王国最古の貴族の一つ」ソフィアが説明した。「多くの支持者がいます。証拠なしで訴えるのは危険です」
国王はしばらく考え込んだ後、決断を下した。
「当面、この事実は部外秘とする。儀式の準備は極秘に進め、必要最小限の人員だけが関わるようにせよ」
全員が同意した。
「では、次の課題だ」
国王はレインを見た。「儀式に必要なものは?」
レインは『創造の書』を参照した。
「『創造者の血を引く者の純粋な意志』、『星の光に浄化された水』、そして『四大元素の結晶』です」
「最後のものは?」
「火、水、風、土の四つの属性を持つ魔石です」リーザが説明した。「魔法学院なら調達できるでしょう」
「私が手配します」エドガーが言った。彼の声には決意が感じられた。
「では、具体的な計画を立てよう」
国王は全員に視線を向けた。
「エドガーの安全が最優先だ。儀式までの間、彼の護衛を強化する。リーザ殿には魔法学院からの協力を求める。ハーマン殿は古文書の解読を続けてほしい」
国王はレインを見た。
「そして、レイン殿とアイリス殿には、引き続き王子の治療と儀式の準備をお願いしたい」
「承知しました」レインは深く頭を下げた。
会議の後半では、儀式の具体的な内容や危険性について議論された。『創造の書』によれば、儀式は王子の生命力を使って次元の裂け目を封じるものだった。危険はあるが、世界を救うためには避けられない選択だった。
「妥協案はないのか?」ソフィアが心配そうに尋ねた。「弟の命が危険にさらされるなら……」
「『創造の書』には代替案も記されています」レインが答えた。「しかし、それには『創造者の遺物』が必要です。遺物の在処は不明です」
「探す時間はあるのか?」
「厳しいでしょう」リーザが首を振った。「『淵の影』の接近は加速している。王子様の夢の頻度がそれを示しています」
エドガーが静かに口を開いた。
「恐れることはありません。私は覚悟しています」
彼の言葉に、全員が静まり返った。若い王子の勇気に、感銘を受けない者はいなかった。
「しかし、万全の準備をして臨みましょう」レインは言った。「守護者も言っていました。『選ばれし者』には『創造者の血』があると。それはきっと儀式を無事に乗り切る力になるはずです」
会議は正午近くまで続き、最終的に行動計画が決定した。儀式までの二週間、それぞれが自分の役割を果たすことになった。
***
会議の後、レインとアイリスは宮廷薬師の部屋に戻った。長時間の議論で疲れていたが、まだやるべきことがあった。
「バレンフォードに連絡しなければ」
レインは通信結晶を手に取った。長い不在の間、賢者の商会はどうなっているだろうか。不安と懐かしさが入り混じる気持ちだった。
通信結晶が光り、ガルムの顔が映し出された。
「レイン! やっと連絡が来たな」
彼の声には安堵と喜びが混じっていた。
「ガルム、無事か? 商会は?」
「心配するな。すべて順調だ」ガルムは誇らしげに言った。「ミラとトーマスが頑張っている。南方との取引も軌道に乗った」
レインは安心した。彼が不在でも、商会は仲間たちの手で立派に運営されていた。
「素晴らしい。君たちを誇りに思うよ」
「お前たちはどうだ? 王都での任務は?」
レインは簡潔に状況を説明した。古代遺跡の発見、『創造の書』、そして迫り来る「淵の影」の脅威について。ただし、通信が傍受される可能性も考慮し、詳細は省いた。
「そんな重大な任務だったのか」ガルムの表情が引き締まった。「何か手伝えることはあるか?」
「実は一つある」レインは少し迷った後、決意を固めた。「商会の資料庫にある、ギルバート先生の古文書を調べてほしい。『創造者』や『星の民』についての記述があるはずだ」
「了解した。すぐに取りかかる」
「それと」レインは声を落とした。「町での噂も教えてほしい。特にグランツ商会の動きについて」
「それなら報告がある」ガルムの表情が曇った。「グランツ商会が最近、奇妙な行動を取っている。多くの荷物が夜間に運び出され、商会は閑散としている」
「撤退の準備か?」
「あるいは別の場所への移転かもしれない」ガルムは言った。「いずれにせよ、普通ではない」
この情報にレインは眉をひそめた。ヴァルターの動きはダーシー伯爵と関係があるのだろうか。
「引き続き観察してほしい。何か変化があったらすぐに連絡してくれ」
「任せろ」
通信が終わると、レインは窓際に立ち、王都の景色を眺めた。
「商会が無事で良かったわね」アイリスが言った。
「ああ。みんなのおかげだ」
「でも、グランツ商会の動きが気になるわ」
「私もだ」レインは唇を噛んだ。「ここでのダーシー家の動きと関連しているのかもしれない」
彼らの会話は、部屋のノックによって中断された。扉を開けると、エドガー王子が立っていた。
「失礼します」
彼は一人で来ていた。通常なら護衛が付き添うはずだが、今日は特別だったようだ。
「王子様、大丈夫なのですか? お体は……」
「心配ありません」エドガーは穏やかに微笑んだ。「あなた方の薬のおかげで、かなり回復しました」
彼はレインとアイリスの前に座った。
「二人だけで話がしたくて。公式の会議では言えないことがあります」
「何でしょうか?」
「私の夢のことです」エドガーは真剣な表情になった。「最近、より鮮明になっています。古代都市の崩壊だけでなく、『創造者』たちの顔も見えるようになりました」
「それは重要な進展です」
レインは驚いた。王子との繋がりが強まっているようだった。
「さらに」エドガーは声を落とした。「『淵の影』の姿も見えます。それは……言葉では表現しがたいものです」
アイリスが心配そうに尋ねた。
「怖いですか?」
「不思議なことに、恐怖よりも親しみを感じます」エドガーは困惑した表情を浮かべた。「まるで昔から知っているかのような」
この言葉にレインは警戒した。『創造の書』によれば、「淵の影」は「選ばれし者」を通じて世界に侵入しようとする。親近感は危険な兆候かもしれなかった。
「王子様、その感覚は『淵の影』が仕掛けた罠かもしれません」
レインは慎重に言った。「彼らはあなたを通じて、この世界に入ろうとしているのかもしれない」
エドガーは頷いた。
「私もそう思います。だからこそ、私自身を強くしなければ」
「どういうことですか?」
「儀式までの間、私も『創造の書』を学びたい」王子は決意を示した。「受け身ではなく、積極的に準備したいのです」
レインとアイリスは顔を見合わせた後、同意した。
「わかりました。私たちができる限りお手伝いします」
「ありがとう」エドガーは安堵した様子で言った。
彼らは残りの午後を使って、『創造の書』の重要な部分を一緒に読み込んだ。王子は驚くべき理解力を示し、古代語の解読もすぐに習得した。
「まるで本能的に理解できるようだ」
エドガーは驚きを隠せなかった。「これも『創造者の血』のおかげでしょうか」
「おそらく」レインは頷いた。「あなたには特別な素質があります」
夕方、王子が自室に戻った後、レインとアイリスは今後の計画を立てた。儀式に向けた準備と、王子の保護、そして依然として気になるダーシー家の動向調査。
「彼らが諦めたとは思えない」
レインは窓辺に立ち、沈みゆく太陽を見つめた。「別の策を練っているはずだ」
「私も同感」アイリスが言った。「特に、グランツ商会の動きと合わせて考えると……」
この時、扉が急に開き、リーザが息を切らして入ってきた。
「大変です!」
彼女の表情に、二人は緊張した。
「何があった?」
「魔法学院の古文書庫が荒らされました」リーザは言った。「『創造者』に関する文献が狙われたようです」
「いつの出来事だ?」
「昨夜です」リーザは答えた。「犯人は見つかっていませんが、高度な魔法が使われた痕跡があります」
「ダーシー家の仕業か」
レインは唇を噛んだ。状況は彼らの予想以上に進んでいた。
「それだけではないんです」リーザは続けた。「『星の門』に関する古地図も盗まれました」
この情報は深刻だった。儀式の場所が敵に知られてしまったのだ。
「国王陛下に報告しなければ」
レインは立ち上がった。しかし、リーザはさらに言葉を続けた。
「もう一つ。アラン・ダーシーが失踪したという噂があります」
「失踪?」
「はい。伯爵の屋敷から姿を消したようです。伯爵は甥が療養のために田舎の領地に行ったと説明していますが……」
「工房で記憶を操作されたはずなのに?」
アイリスが不思議そうに尋ねた。
「おそらく」リーザは声を落とした。「何らかの方法で記憶を取り戻したのでしょう。ダーシー家には古い魔法の知識が伝わっているという噂もあります」
三人は事態の重大さを理解し、すぐに行動に移った。まずは国王への報告、そして警戒体制の強化だ。
***
その夜、国王の執務室で緊急会議が開かれた。ソフィア王女、エドガー王子、そしてレインたちが集まり、新たな情報を共有した。
「状況は予想以上に深刻だ」
国王の表情は厳しかった。
「ダーシー伯爵を直接尋問するべきでしょうか?」マルコスが提案した。
「いや」国王は首を振った。「今は慎重に行動すべきだ。証拠なしの告発は、貴族会議で反発を招くだけだ」
「では、どうすれば?」
「監視を強化し、より多くの情報を集める」国王は決断した。「そして、儀式の準備を急ぐ」
「満月まであと二週間もありません」ソフィアが心配そうに言った。
「だからこそ、今すぐ行動しなければならない」
国王は全員に指示を出した。リーザは四大元素の結晶の準備を加速させ、ハーマン館長は儀式の詳細をさらに研究する。レインとアイリスは王子の保護と『創造の書』の解読を続ける。
「そして、この件はさらに秘密にすべきだ」
国王は最後に言った。「信頼できる者だけに知らせよ」
会議が終わった後、レインたちは宿舎に戻った。王城の雰囲気は一変し、静かな緊張感に包まれていた。
「明日から対策を始めよう」
レインはアイリスとリーザに言った。「時間は限られている」
夜遅く、レインは一人で『創造の書』を読み返していた。そこに、彼が見落としていた一節を発見した。
「『淵の影は真実を歪める。選ばれし者は幻影に惑わされぬよう心を強く持て』」
この言葉に、レインは不安を感じた。エドガー王子が感じた「親しみ」とは何だったのか。「淵の影」の罠なのか、それとも別の何かなのか。
真理の結晶を手に取り、レインは静かに語りかけた。
「先生、私たちは正しい道を進んでいるのでしょうか。この世界を救うために、私にできることは何でしょう」
結晶は微かに輝いた。その光に励まされ、レインは決意を新たにした。明日からは、より積極的に行動しなければならない。王国の、そして世界の運命がかかっているのだから。
窓の外では、月が雲に隠れ、王都は深い闇に包まれていた。しかし、その暗闇の中にも、希望の光は確かに存在していた。
(第二十九話 終)
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