第24話:王の信頼


 朝の光が王城の窓から差し込み、レインの顔を照らした。彼は書類の山の前で眠り込んでいたようだ。特別保管庫での夜通しの調査が体に堪えていた。


「レイン、起きて」


 アイリスが肩を揺さぶった。彼女も疲れた様子だったが、目には決意の色があった。


「何時だ?」


「評議会まであと三時間よ」


 レインは慌てて体を起こした。貴重な時間を無駄にするわけにはいかない。二人は調査で得た情報を整理し、評議会での説明に備えた。


「古代文献と先王の日記から判断すると、王子の症状は確かに『選ばれし者』の証だ」


 レインは昨夜の発見を確認した。古文書によれば、王家は代々「淵の影」から世界を守る「守護者」の血を引いている。そして各世代に一人、特に魔力感受性の強い「選ばれし者」が現れるという。


「でも、これだけでは保守的な貴族たちを説得できないわ」


 アイリスの指摘は的確だった。彼らには具体的な証拠が必要だ。


「王子の治療を最優先にしよう」レインは決意した。「彼の症状改善が何よりの証明になる」


 ***


 二人は王子の居室へと向かった。朝の診察の時間だ。部屋の前には昨日より多くの衛兵が立っていた。


「レイン様、アイリス様」


 侍従が頭を下げた。しかし、その表情には緊張があった。


「何かあったの?」アイリスが尋ねた。


「昨夜、王子様の容態が急変しました。悪夢がひどく、一時は意識不明に……」


 二人は顔を見合わせ、急いで中に入った。エドガー王子はベッドに横たわり、顔色は蒼白だった。側にはソフィア王女と宮廷医師たちが心配そうに立っていた。


「王子様!」


 レインが駆け寄ると、エドガーはかすかに目を開けた。


「レイン……」彼の声は弱々しかった。「夢が、強まっている……」


 アイリスはすぐに薬箱から特別な調合薬を取り出した。


「これを。昨夜研究した結果、より効果的になったはずです」


 王子は薬を飲みながら、かすれた声で語った。


「夢の中で、古代都市が私を呼んでいる。『時が来た』と……」


 レインは王子の脈を取りながら尋ねた。


「他に聞こえた言葉はありますか?」


「『淵の扉が開く』と……そして、『東の山脈に工房を求めよ』とも」


 これは重要な手がかりだった。特別保管庫で見つけた地図には東の山脈が示されていた。「創造者の工房」への道筋が具体的になってきた。


 薬が効き始めると、王子の表情がゆっくりと和らいでいった。


「不思議だ……頭の中の声が静かになる」


「良かった」ソフィアは安堵の溜息をついた。


 一時間ほどの治療で、王子の状態は安定した。彼は疲れながらも、精神は明瞭になっていた。


「レインさん」エドガーは真剣な眼差しで言った。「私の夢は単なる妄想ではないですよね?」


「はい、王子様」レインは確信を持って答えた。「古文書の研究から、あなたは『選ばれし者』だと考えられます。古代の守護者の血を引く方として、重要なメッセージを受け取っているのです」


 エドガーはゆっくりと頷いた。


「子供の頃から、普通の人には見えないものが見えることがありました。両親には黙っていましたが……」


「それも、あなたの資質の証です」アイリスが優しく言った。


 王子は決意を固めたように体を起こした。


「評議会に出席したい」


「いいえ、お体が……」ソフィアが心配そうに言った。


「姉上、これは私の問題です。彼らを守るためにも、自ら証言したい」


 その言葉に、誰も反対できなかった。


 ***


 正午を過ぎた頃、王城の大議場には多くの貴族や高官が集まっていた。壮麗な装飾が施された円形の部屋に、緊張感が漂っていた。


 レインとアイリスは指定された席に着いた。向かい側にはダーシー伯爵が威厳に満ちた表情で座っていた。彼の周囲にはグランツ派の貴族たちが集まっていた。


「様子が違う」アイリスが小声で言った。


 確かに雰囲気が変わっていた。ダーシー派は昨日よりも自信に満ちている。何か新たな材料を得たのだろうか。


 国王アレクサンダー四世が入場し、議場が静まり返った。彼はゆっくりと玉座に着き、一同を見渡した。


「評議会を始める」


 国王の声は落ち着いていたが、その眼差しには緊張が見えた。


「議題は『宮廷薬師団の新任者に関する審議』および『王子の治療方針』だ」


 ダーシー伯爵が立ち上がった。


「陛下、尊敬する貴族の皆様」


 彼は堂々と語り始めた。


「我々が今日集まったのは、王室の安全と伝統を守るためです。最近、バレンフォードから来た者たちが、突如として王子の治療を任されました。しかし、彼らの素性と治療法には多くの疑問があります」


 伯爵はレインとアイリスを指差した。


「彼らは魔法的な手段を用い、王子の病を『古代の予言』などと結びつけています。これは宮廷医学の伝統を無視するものであり、王子の健康を危険にさらすものです」


 彼の言葉に多くの貴族が同調する様子を見せた。


「特に」伯爵は声を強めた。「エルフの少女を王宮に入れることは前例がありません。エルフの魔法は人間には理解できない危険なものです」


 アイリスの体が小さく震えた。レインは彼女の手を握り、勇気づけた。


「さらに、グランツ商会からの情報によれば、彼らは『賢者の商会』の名の下、怪しげな商品を販売しているとのこと。南方の異教徒とも取引を行っている疑いがあります」


 これはヴァルターからの情報に違いなかった。巧妙に事実を歪めている。


「王家の安全を考え、彼らの宮廷滞在と王子治療への関与を直ちに中止すべきです」


 ダーシー伯爵の説得力ある演説に、議場からは同意の声が上がった。状況は不利だった。


 次に、宮廷薬師長エイブラムが立ち上がった。


「陛下、ダーシー伯爵の懸念は理解できますが、事実を述べさせてください」


 彼は落ち着いた声で語った。


「レインさんとアイリスさんの治療法は、伝統的な薬と新しい知識を組み合わせたものです。彼らが来てから、王子の症状には改善が見られました」


 保守派の貴族たちからは不満の声が漏れた。


「エルフの薬草知識は人間のものとは異なりますが、それは危険というより貴重なものです。長い歴史の中で培われた知恵なのです」


 エイブラムの弁護に、レインは感謝した。しかし、まだ議場の空気は変わらなかった。


 国王がレインを見た。


「レイン殿、弁明はあるか?」


 レインはゆっくりと立ち上がった。一瞬の緊張を抑え、冷静さを取り戻す。バレンフォードの町議会での経験が役立った。


「陛下、貴族の皆様」


 彼は毅然とした声で語り始めた。


「私たちはただ真実を求め、王子様の健康と王国の安全を第一に考えています。古代文献の研究から、王子様の症状には重要な意味があると確信しています」


 レインは先王の日記と古文書からの発見を説明した。王家の「守護者」としての役割と、「選ばれし者」の意味。そして「淵の影」という脅威について。


「これは王室の秘密をもみ消そうとする者たちだ!」


 ダーシー派の貴族が叫んだ。議場が騒がしくなる。


 そのとき、予想外の人物が入場した。エドガー王子だった。彼はまだ体力が完全に回復していないようだったが、毅然とした様子で歩いてきた。


「王子様!」


 多くの貴族が驚いた声を上げた。


「私が証言します」


 エドガーは堂々と言った。彼の声は弱々しかったが、強い意志に満ちていた。


「レインさんとアイリスさんの治療は確かに効果がありました。今朝も彼らの薬のおかげで回復したのです」


 彼はダーシー伯爵を直視した。


「伯爵、あなたの言う『伝統的医術』では、私の症状は改善しませんでした。むしろ悪化するばかりでした」


 伯爵は顔を赤らめた。


「王子様、お体の弱った状態では正常な判断が……」


「黙りなさい」


 エドガーは声を強めた。彼は王族としての威厳を示していた。


「私が見ている夢は単なる幻覚ではありません。それは警告です。古文書の記述と一致しているのです」


 彼は父である国王を見つめた。


「父上、私は『選ばれし者』なのかもしれません。古代の秘密と『淵の影』の脅威を解明するために」


 国王は深い思慮の表情で息子を見た。


「それが真実なら、どうすべきだと思う?」


「『創造者の工房』を探すべきです」エドガーは決意を込めて言った。「東の山脈にあるはずです。そこに全ての答えがあります」


 ダーシー伯爵が再び口を開いた。


「陛下、これは狂気の沙汰です! 王子を危険な旅に出すなど!」


「いいえ、伯爵」


 新たな声が響いた。ソフィア王女が入場していた。彼女の手には古い巻物があった。


「これは宮廷図書館の最深部で見つけた記録です。百年前、先々代の王も同様の夢を見て、東の山脈を訪れたと記されています」


 ソフィアは巻物を広げた。


「その結果、王国は大きな危機から救われたのです。詳細は記されていませんが、『淵の影』との戦いがあったことは明らかです」


 議場は静まり返った。多くの貴族たちが、この新たな情報に驚きの表情を浮かべていた。


 国王は静かに立ち上がった。


「私も父から聞いていた。王家には守るべき秘密があると」


 彼はレインとアイリス、そして息子を見つめた。


「息子の言葉と古文書の記述が一致するなら、この問題は単なる医療の枠を超えている」


 ダーシー伯爵はなおも抵抗した。


「陛下、これらは全て偶然の一致かもしれません。迷信に基づいて行動するのは……」


「黙れ、ダーシー」


 国王の声は鋭かった。


「私には王として守るべき王国がある。たとえ僅かな可能性でも、危機の予兆を無視するわけにはいかない」


 彼は決断を下した。


「レイン殿とアイリス殿の宮廷薬師としての地位を正式に認める。また、彼らには王立図書館の全ての資料へのアクセス権を与える」


 ダーシー派からは不満の声が上がったが、国王は続けた。


「さらに、『創造者の工房』探索のための調査隊を編成する。レイン殿にその指揮を任せる」


 この宣言に、議場は再び騒然となった。しかし、国王の決断は覆らなかった。


「この決定は王国の安全のためだ。異論がある者は退席しても構わない」


 ダーシー伯爵は怒りに震えながらも、何も言い返せなかった。彼と彼の支持者たちは不満そうに部屋を後にした。


 評議会が終わった後、国王はレインたちを私室に呼んだ。


「よくやってくれた」


 彼は疲れた表情ながらも安堵の色を見せた。


「ダーシー派の圧力は強かった。しかし、息子の証言と古文書の発見が決め手となった」


 レインは深々と頭を下げた。


「信頼していただき、ありがとうございます」


「これからが本当の試練だ」国王は真剣な表情で言った。「『創造者の工房』を見つけ、王子の夢の真実を解明しなければならない」


 アイリスが質問した。


「調査隊はいつ出発するのでしょうか?」


「準備ができ次第だ」国王は答えた。「必要な人員と装備は提供する。しかし、秘密裏に進めねばならん。ダーシー派が妨害してくることも考えられる」


 エドガー王子が前に出た。


「私も同行したい」


「いいえ」国王は即座に否定した。「お前の体調ではまだ危険だ。まずはレイン殿たちに探索させる」


 王子は反論しようとしたが、父の決意に気づいて黙った。


「レイン殿」国王が言った。「調査隊の編成は任せる。信頼できる者だけを選びなさい」


「承知しました」


 ***


 夕刻、レインとアイリスは宿舎で今後の計画を話し合っていた。


「予想以上の展開だったわね」


 アイリスはほっとした様子で言った。彼女の肩から大きな重荷が下りたようだった。


「ああ」レインも安堵していた。「国王の信頼を得られたのは大きい」


「『創造者の工房』の探索……」


 アイリスは地図を広げた。東の山脈は広大で、具体的な場所の特定は簡単ではなさそうだった。


「ハーマン館長によれば、先王の日記に手がかりがあるという。明日、詳しく調べよう」


 ノックの音がして、ソフィア王女が入ってきた。


「お二人とも、今日はお疲れさま」


 彼女は微笑んだ。


「王子の回復具合はどうですか?」レインが尋ねた。


「とても良いわ」ソフィアは安堵の表情を見せた。「アイリスさんの薬が効いているようね。今は穏やかに眠っているわ」


「それは良かった」


「ところで」ソフィアは声を落とした。「ダーシー伯爵は諦めてないわ。今、側近たちと密談しているという報告があったの」


 レインは眉をひそめた。


「具体的には?」


「詳細はわからないけど、『東の山脈』と『先に行動を』という言葉が聞こえたそうよ」


 これは警戒すべき情報だった。ダーシー派が先に山脈へ向かおうとしているのかもしれない。


「早急に準備を進めなければ」


 レインは決意を固めた。


「調査隊のメンバーですが」アイリスが尋ねた。「誰を選びますか?」


 レインは考え込んだ。


「信頼できる人物だけだ。エイブラム薬師長、ハーマン館長、そして……」


「リーザさんは?」アイリスが提案した。「魔法学院の知識は役立つはず」


「そうだね。通信結晶で連絡してみよう」


 ソフィアも頷いた。


「私からも信頼できる騎士を何名か同行させます。外部からの警護として」


 計画が形になっていく。「創造者の工房」探索は、単なる古代遺跡の発見ではなく、王国の危機を回避するための重要な任務だった。


「アイリス」レインは真剣な表情で言った。「バレンフォードの商会にも連絡しなければ。ガルムたちに状況を報告し、しばらく留守になることを伝えよう」


 アイリスは頷いた。


「ええ。彼らなら大丈夫よ。賢者の商会は私たちがいなくても回っているわ」


 その言葉に、レインは感慨深く微笑んだ。彼らが築いた商会は、既に自分たち抜きでも機能する組織になっていた。


「この探索で何を見つけることになるのか」レインは窓の外を見つめた。「この世界での私の役割が、少しずつ明らかになっていく気がする」


 夜空には満月が輝いていた。まるで未知の旅路を照らす灯火のように。


(第二十四話 終)

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