第23話:貴族の妨害
王城の朝は静謐だった。レインは宮廷薬師専用の部屋で目を覚ました。柔らかな朝日が豪華な調度品を照らし、異世界に転生して以来初めての本格的な王宮生活を実感させた。
「前世では想像もできなかったな」
彼は窓から見える王都の景色を眺めた。王城を中心に広がる美しい都市。バレンフォードとは比べものにならない規模と壮麗さだった。
「レイン、起きた?」
控えの間から現れたアイリスは、既に身支度を整えていた。彼女は宮廷用の装いに慣れないようすで、何度も襟元を直していた。
「ええ。今日は王子様の治療だね」
「緊張するわ」アイリスは小声で言った。「王族の治療なんて」
レインは彼女の肩に手を置いた。
「大丈夫、私たちにできることをするだけだ」
彼の言葉にアイリスは小さく頷いた。二人は朝食を終えると、エドガー王子の居室へと向かう準備を始めた。「静穏の雫」の新しい調合と、アイリスが特別に持参した「青の夜明け」も用意した。
「薬師長からの伝言です」
若い侍女が部屋に入ってきた。彼女はレインたちに深々と頭を下げた。
「エイブラム様が、まず薬師院に来るようにとのことです」
二人は顔を見合わせた。
「わかりました。すぐに参ります」
***
王城薬師院は城の東翼にあり、様々な薬草や器具が整然と並べられていた。エイブラム薬師長は白髪の老人だったが、その眼光は鋭く、動作も機敏だった。
「おはよう、レイン殿、アイリス殿」
彼は笑顔で二人を迎えた。しかし、その表情には何か暗いものが見えた。
「何かあったのですか?」レインは直感的に感じ取った。
エイブラムは周囲を確認し、声を落とした。
「昨夜、宮廷内で会議があった。古参貴族たちが集まり、君たちの活動に疑問を呈したのだ」
「私たちの?」アイリスの声が震えた。
「ああ」エイブラムは頷いた。「特に、エルフを王城内に入れることへの懸念と、『外部の医師』に王子の治療を任せることへの反対意見だ」
レインは眉をひそめた。バレンフォードでの経験に似ていた。既得権益を守ろうとする勢力の抵抗だ。
「具体的に誰が?」
「ダーシー伯爵が中心だ。彼は王室との古い繋がりを持つ貴族で、自分の親族が宮廷薬師団を牛耳ることを望んでいる」
エイブラムは溜息をついた。
「さらに厄介なことに、ダーシー家とグランツ商会は血縁関係にある。ヴァルターはダーシー伯爵の甥だ」
「グランツが……」
レインは状況を理解した。ヴァルターは王都にも影響力を持っていたのだ。彼らへの妨害は単なる商売敵への嫌がらせではなく、より政治的な動きだった。
「王子様の治療はどうなりますか?」アイリスが心配そうに尋ねた。
「それについては心配ない」エイブラムは力強く言った。「国王陛下の命令は絶対だ。しかし、宮廷内での活動は困難になるかもしれん」
彼は一枚の紙を取り出した。
「これが王子様の最新の診断結果だ。昨夜も悪夢に悩まされ、三時間しか眠れなかったという」
レインは記録を確認した。症状は悪化していた。
「今朝はどうですか?」
「今は薬の効果で眠っている。正午頃に目覚めるだろう」
エイブラムはさらに声を落とした。
「もう一つ。図書館の古文書へのアクセスも制限されるかもしれない。ダーシー派の学者たちが『貴重な資料を外部者に見せるべきではない』と主張しているのだ」
レインは焦りを感じた。古代文明の研究は王子の症状解明に不可欠だった。
「何か対策は?」
「ソフィア王女が全力で守ってくれている」エイブラムは微笑んだ。「彼女は君たちを強く信頼しているようだ」
この状況下での治療計画を三人で話し合った後、レインとアイリスは王子の居室へと向かった。
***
王子の部屋に入ると、そこには既に数人の人物が集まっていた。ソフィア王女、侍医二名、そして初めて見る厳めしい顔つきの中年男性——その豪華な服装からして貴族に違いなかった。
「レインさん、アイリスさん」ソフィアが迎えた。彼女の表情には緊張が見えた。「こちらはダーシー伯爵です」
伯爵は不機嫌そうに二人を見下ろした。
「これが噂の『賢者の商会』ですか。ずいぶんと若い」
その声には明らかな軽蔑が込められていた。
「はじめまして、ダーシー伯爵」レインは丁寧に挨拶した。「宮廷薬師を拝命したレインと申します」
アイリスも礼儀正しく頭を下げた。
「エルフの少女まで連れてきたか」伯爵は冷たく言った。「王室の秘密に異種族を関わらせるとは」
「伯爵」ソフィアが毅然とした声で言った。「アイリスさんの知識は弟の治療に不可欠です。父上もそれを認めています」
「若い王女の気まぐれで、伝統ある宮廷に部外者を持ち込むべきではない」伯爵は譲らなかった。
レインは感情を抑えた。感情的になっては何も解決しない。
「伯爵、私たちは王子様のためにここにいます。政治的な対立は置いておき、まずは治療を優先させてはいかがでしょうか」
彼の冷静な対応に、伯爵は一瞬言葉に詰まった。
「治療の成果を見せてから発言するがいい」
伯爵は高慢に鼻を鳴らし、部屋の隅に下がった。
エドガー王子はベッドで静かに眠っていた。しかし、その表情は苦しげで、額には冷や汗が浮かんでいた。
「昨夜は特に激しい悪夢だったそうです」ソフィアが説明した。「古代都市の崩壊と、『影』のことを繰り返し呟いていました」
レインとアイリスは王子の状態を確認した。アイリスがエルフの感覚で王子の生命力を探り、レインは鑑定能力を使って異常を調べた。
「外部からの魔力の干渉が強まっています」レインは静かに言った。「何者かが王子様を通じて接触を試みているように感じます」
「何者かだと?」伯爵が急に近づいてきた。「そんな戯言を」
「伯爵」レインは毅然と言った。「古代文献によれば、強い魔力感受性を持つ者は、次元の裂け目からメッセージを受け取ることがあります。王子様はその『選ばれた者』かもしれません」
「ばかな」伯爵は顔を顰めた。「そんな迷信を王室に持ち込むとは」
しかし、侍医の一人が思いがけず口を開いた。
「実は、先代の王も同様の症状があったと古い記録にあります」
室内が静まり返った。
「先王も?」ソフィアが驚いて尋ねた。
「ええ。二十歳の頃、謎の夢に悩まされたという記録が残っています」
この情報にレインは興味を示した。
「それは重要な手がかりです。王家に何か特別な繋がりがあるのかもしれません」
議論が続く中、エドガー王子が目を覚ました。彼は疲れた様子で周囲を見回した。
「姉上……そして賢者の商会の方々」
「お目覚めですか、王子様」レインが駆け寄った。
「悪夢が……また」エドガーは弱々しく言った。
アイリスはすぐに行動した。彼女は持参した「青の夜明け」の花びらを特別な水に浸し、王子に差し出した。
「これをお飲みください。直接の花の力が届くはずです」
エドガーは言われるままに飲んだ。数分後、彼の表情が和らいでいった。
「不思議だ……頭の中の声が静かになる」
「良かった」ソフィアは安堵した。
レインは王子に尋ねた。
「王子様、夢の中の声についてもう少し詳しく教えていただけますか」
エドガーは集中して思い出そうとした。
「『選ばれし者よ、古代の秘密を解き明かせ』と。そして『淵の影が再び迫る』とも」
「淵の影……」レインは唇を噛んだ。古文書で見た言葉だった。
「戯言を真に受けるな」ダーシー伯爵が割り込んだ。「王子は疲労から幻覚を見ているだけだ。我が家の医師たちが適切な治療を施すべきだ」
エドガーは憤った様子で伯爵を見た。
「伯爵、私は子供ではない。自分の感覚が何を意味するか理解している」
彼はレインたちを見つめた。
「あなた方の治療を受けたい。特にエルフの知恵には関心がある」
伯爵の顔が赤く染まった。
「王子様、お考え直しを」
「私の意思です」エドガーは断固として言った。
ソフィアも弟を支持した。
「父上も賢者の商会の治療法を認めています」
伯爵は何か言いかけたが、最終的に黙って引き下がった。しかし、彼の目には敵意が明らかに見えた。
***
治療を終えた後、レインとアイリスはソフィアの居室に招かれた。
「申し訳ありません」彼女は困惑した表情で言った。「宮廷内の政治状況をもっと警戒すべきでした」
「いいえ、私たちこそ対応が足りなかったのです」レインは答えた。「王子様の症状と古代文明の関係をもっと調査する必要があります」
ソフィアは真剣な表情になった。
「グランツ商会とダーシー家の繋がりは、私も最近知ったのです。ヴァルターがあなた方の来訪を事前に知り、伯父に圧力をかけたようです」
「予想はしていました」レインは冷静に言った。「しかし、私たちは王子様の治療に全力を尽くします」
「本当にありがとう」ソフィアは心から感謝した。「弟の状態は少し良くなっているようです。アイリスさんの薬は効果がありました」
アイリスが口を開いた。
「ただ、根本的な解決には、古代文明と王子様の繋がりを解明する必要があります。図書館の制限が心配です」
「それについては」ソフィアは小さく微笑んだ。「父上に直接お願いしました。あなた方には特別許可が降りています。誰も妨害できません」
レインは安堵した。
「ありがとうございます。早速調査を進めます」
話し合いの後、二人は王立図書館へと向かった。そこでは館長のハーマン博士が待っていた。
「ようこそ。ソフィア王女から連絡を受けています」
彼は二人を奥の特別室へと案内した。
「古代文明の文献はこちらです。特に『創造者の工房』と『淵の影』に関する資料を集めました」
膨大な量の書物と巻物が並べられていた。レインは早速「淵の影」に関する記述を探し始めた。
「これは……」彼は一つの巻物を広げた。「『淵の影』とは異界からの脅威であり、500年周期でこの世界に接近するとある」
アイリスも別の書物を確認していた。
「エルフの古い伝承と一致するわ。『星が揃う時、淵の門が開く』という言い伝えがあるの」
二人は夢中で調査を続けた。時間が経つのも忘れるほどだった。
「王子様の悪夢は警告なのかもしれない」レインは考え込んだ。「王家には『創造者』の血が流れているのでは?」
ドアが開く音がして、ソフィアが入ってきた。彼女の表情には緊張が見えた。
「レインさん、アイリスさん、悪い知らせです」
二人は顔を上げた。
「何があったのですか?」
「ダーシー伯爵が宮廷評議会を招集しました。あなた方の王都滞在を制限しようとしています」
「何だって?」アイリスが驚いた。
「理由は?」レインが冷静に尋ねた。
「『外部の医師に王家の秘密を委ねるのは危険』と。そして……」ソフィアは言いにくそうにした。「特にエルフの存在が『王族の安全を脅かす』と」
アイリスの顔が青ざめた。レインは怒りを抑えられなかった。
「そんな根拠のない……」
「私も反対しました」ソフィアは力強く言った。「父上も今のところ伯爵の言い分を退けています。しかし、伯爵は多くの貴族の支持を集めています」
レインは思考を整理した。状況は厳しかったが、ここで引くわけにはいかなかった。王子の治療と古代の謎の解明——二つの使命があった。
「私たちにできることは何でしょう?」
「評議会で弁明する機会があります」ソフィアは言った。「明日の午後です」
「わかりました」レインは決意を固めた。「王家と王国のために、真実を語ります」
***
その夜、宿舎に戻った二人は対策を練った。
「どう思う?」レインはアイリスに尋ねた。
「グランツのヴァルターがここまで影響力を持っているとは」彼女は頭を振った。「でも、私たちには王子様を助ける義務があるわ」
「そうだね」レインは窓から王城を見つめた。「しかし、単なる治療の問題ではなくなってきた。古代文明と『淵の影』——これらは王国全体に関わる問題かもしれない」
アイリスは真剣な表情でレインを見た。
「王子様の夢は警告なのね。『淵の影』が近づいているという」
「ああ。そして、王子は何らかの理由で『選ばれた』のだろう」
部屋に沈黙が流れた。
「明日の評議会で私たちは何を言うべき?」アイリスが尋ねた。
レインは考え込んだ。バレンフォードでの町議会の経験を思い出した。そこでは真実と論理が勝利した。しかし、王都の貴族社会はもっと複雑で閉鎖的だった。
「真実を話そう。偏見や政治的駆け引きではなく、王子の健康と王国の安全のために私たちがここにいることを」
夜も更けた頃、ノックの音が響いた。扉を開けると、そこには若い侍従が立っていた。
「レイン様、国王陛下がお呼びです」
二人は驚いた。
「今から?」
「はい、急ぎのようです」
レインはアイリスに視線を送った。
「私だけが呼ばれたようだ。すぐに戻る」
アイリスは不安そうに頷いた。
「気をつけて」
***
王の私室は想像以上に質素だった。豪華な調度品よりも、多くの書物と地図が並べられていた。アレクサンダー四世は応接用の小さなテーブルに座っていた。
「レイン殿、遅い時間に呼び出して申し訳ない」
「いいえ、光栄です」レインは深く頭を下げた。
国王は彼を座るよう促した。
「ダーシー伯爵の動きは知っているな?」
「はい」
「彼は古い家柄の誇りを持つ男だ」国王は静かに言った。「変化を恐れ、特に異種族との交流に抵抗がある」
レインは黙って聞いていた。
「だが、私は王国の将来を考えなければならない」国王は真剣な眼差しでレインを見た。「息子の夢と、古代文明の関係——君はどう考える?」
レインは率直に答えた。
「王子様は単なる悪夢に悩まされているのではなく、何らかのメッセージを受け取っています。古代文献によれば、『淵の影』という脅威が周期的にこの世界に迫ると記されています」
国王は身を乗り出した。
「『淵の影』……先王の日記にもその言葉があった」
「陛下の父上も同様の夢を見られたのですか?」
「ああ。二十歳の頃だと聞いている」国王は懐かしむように言った。「しかし、彼は詳細を語らなかった。ただ、『王家には守るべき秘密がある』と」
レインは興味深く聞いた。王家の血筋には何か特別なものがあるのかもしれない。
「レイン殿」国王は声を落とした。「明日の評議会で、ダーシー派は君たちを追い出そうとするだろう。私は君たちを守りたいが、王としては貴族たちの意見も無視できない」
「理解しています」
「しかし」国王は微笑んだ。「彼らの前で、息子の治療と古代文明の研究がいかに重要かを証明してほしい。説得力のある証拠を」
レインは頷いた。「全力を尽くします」
国王はテーブルの引き出しから一つの鍵を取り出した。
「これは王室図書館の特別保管庫の鍵だ。先王の日記と、古代文明に関する秘密の文書がある。明日までに調べてみるといい」
レインは驚きながらも、感謝して鍵を受け取った。
「この信頼に応えます」
「私は政治的な妥協を強いられることもある」国王は少し悲しげに言った。「しかし、真実と王国の安全を何より優先したい。君たちの知恵を借りたい」
会話を終え、レインが部屋を出ようとしたとき、国王が一言付け加えた。
「あのエルフの少女——アイリスだったか。彼女は特別な才能を持っているな」
「はい。彼女の薬草知識と感覚は類まれです」
「彼女を守ってやってくれ」国王は真剣に言った。「この宮廷には偏見が根強い。しかし、彼女のような知恵は王国にとって宝だ」
「必ず」レインは強く約束した。
***
宿舎に戻ったレインは、アイリスに国王との会話を伝えた。彼女は特別保管庫の鍵を見て目を見開いた。
「これは大きなチャンスね」
「ああ。明日の評議会までに、できるだけ多くの情報を集めよう」
二人は早速図書館へと向かった。夜間にも関わらず、ハーマン館長が待っていた。鍵を見せると、彼は驚いた様子で頭を下げた。
「こちらへどうぞ」
特別保管庫は図書館の地下にあった。厳重な扉の向こうに、さらに別の部屋があり、そこには古い書物や巻物が保管されていた。
「先王の日記はこちらです」
ハーマンは革表紙の本を取り出した。「私も内容は知りません。許可される方は稀です」
レインとアイリスは感謝し、調査を始めた。先王の日記は難解だったが、二十歳前後の記述に注目すると、確かに「淵の影」と「古代の守護者」という言葉が何度も登場した。
「『選ばれし者として、我は古の責務を引き継ぐ』」レインは日記から引用した。「王家には代々、何らかの使命が継承されているようだ」
アイリスは別の文書を読んでいた。
「『創造者の工房』の場所を示す地図があるわ」彼女は興奮して言った。「具体的な位置は記されていないけど、手がかりがある」
夜通し調査を続けた二人は、少しずつ全体像を理解していった。「淵の影」は次元の裂け目から漏れ出す混沌の力で、周期的に世界を脅かすこと。「創造者」と呼ばれる存在が封印を施したこと。そして王家には「守護者」としての血が流れ、各世代に「選ばれし者」が現れること。
「エドガー王子は今代の選ばれし者なのだ」
レインは確信した。夜明け前、二人は貴重な手がかりを得て宿舎に戻った。
「明日の評議会では、これらの事実を伝えなければ」
アイリスは疲れながらも決意に満ちていた。
「ええ。王子様と王国のために」
窓から見える空が少しずつ明るくなっていった。新たな一日が始まろうとしていた。二人は短い休息を取り、午後の評議会に備えた。これは単なる彼らの地位の問題ではなく、王国の将来に関わる重大な局面だった。
(第二十三話 終)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます