第21話:王女の訪問


 朝霧がバレンフォードの街を包む早朝、レインは商会の前で掃除をしていた。静かな時間帯に身体を動かすことで、一日の思考を整理するのが習慣となっていた。


「おはよう、レイン」


 アイリスが扉を開け、朝日を浴びながら挨拶した。銀色の髪が朝の光を受けて輝いている。


「おはよう。今日も良い天気になりそうだ」


 彼は空を見上げた。青空が広がり始めていた。


「あれから一週間ね」


 アイリスの言葉に、レインは頷いた。ソフィア王女が変装して訪れてから一週間が過ぎていた。彼女は「ミア」として二度ほど商会を訪れ、薬の効果について報告してくれていた。


「『静穏の雫』が王子に効いているようで何よりだ」


「ええ。昨日の報告では、夜の悪夢が減ってきたと」


 二人が朝の支度を始めていると、一台の馬車が町の中央通りを進んでくるのが見えた。豪華な作りの馬車で、四頭の白馬に引かれている。前後には騎士の姿も見える。明らかに普通の旅人のものではなかった。


「あれは……」


 レインの言葉が途切れる間も、馬車はどんどん近づいてきた。そして驚くべきことに、商会の前で止まった。


 騎士の一人が馬車のドアを開け、一人の女性が降り立った。フードは被っていないが、彼女が先日の「ミア」、つまりソフィア王女であることは明らかだった。今日の彼女は豪華な衣装に身を包み、金色の髪に小さな宝飾を飾っていた。


「レインさん、アイリスさん」


 彼女が微笑みながら近づいてきた。騎士たちが周囲を警戒している。


「王女様」レインは驚きを抑えて深々と頭を下げた。「このような正式な訪問とは」


「お二人に直接お礼を言いたくて」ソフィアの顔には喜びがあふれていた。「『静穏の雫』のおかげで、弟はずいぶん良くなりました」


「それは良かった」アイリスも嬉しそうに言った。「でも、こんなにはっきりと……」


「ええ」ソフィアは決意を込めた表情になった。「もう隠す必要はないと思ったのです。正式に『賢者の商会』との関係を結びたい」


 その言葉に、レインとアイリスは顔を見合わせた。


「どうぞ中へ」


 レインが商会の中へと案内した。通りを行き交う人々が驚きの表情で彼らを見ていた。王族の訪問は、バレンフォードでは前代未聞の出来事だった。


 ***


 商会の中は急いで整えられた。ミラとトーマスが驚きながらも迅速に応接室を準備し、ガルムは警戒のため建物の周囲を確認していた。


「王女様」


 応接室に案内したレインは、改めて礼を述べた。


「突然の訪問で驚かせてしまい申し訳ありません」ソフィアは穏やかに言った。「でも、重要な話があるのです」


 彼女は側近に合図し、男性が一つの文書を取り出した。


「これは王室からの正式な依頼状です」


 レインはそれを受け取り、内容を確認した。そこには王印が押され、「王室御用達」の称号を「賢者の商会」に与えることと、王子の治療のための王都訪問の要請が記されていた。


「王室御用達……」


「私たちのような小さな商会に」アイリスも驚いていた。


「あなた方の薬と知恵は、王国にとって価値あるものです」ソフィアは真剣に言った。「特に、弟の病気に効果があったことは、大きな証明となりました」


 彼女はさらに説明を続けた。王子の症状は緩和されたものの、完全には治っていない。悪夢の頻度は減ったが、まだ時折古代都市の夢を見るという。


「王都の医師たちも困惑しているのです」ソフィアは心配そうに言った。「弟の症状が単なる病ではなく、何か別の意味を持つものではないかと」


 レインはじっと考え込んだ。古代都市の夢——それはただの悪夢なのか、それとも何か重要なメッセージなのか。


「王都への訪問ですが」レインは慎重に言葉を選んだ。「商会の運営もありますので、詳しい日程を相談させてください」


「もちろんです」ソフィアは頷いた。「ただ、できるだけ早い時期に」


 話し合いは具体的な内容に移った。「賢者の商会」の薬を王都でも販売すること、王子の治療に協力すること、そして王室との継続的な関係構築についてだ。


「レインさん、一つ質問があります」ソフィアは少し声を落とした。「古代文明についての知識はありますか?」


 その質問はレインの興味を引いた。


「ギルバート先生から少し教わりました。なぜでしょう?」


「弟の夢に出てくる都市について調べているのです」彼女は真剣な眼差しで言った。「王都の図書館にも古代についての文献があるのですが、判読できない部分が多く」


「もしよければ、私にも見せていただけますか?」


「ぜひ」ソフィアの顔が明るくなった。「王都訪問の際に案内します」


 会談は二時間ほど続き、多くの事柄が決まった。レインとアイリスが一週間後に王都を訪れること、王室御用達の称号授与式が行われること、そして王子の治療と古代文明の調査を進めることだ。


 ソフィアが商会を後にする頃には、建物の周囲に大勢の町民が集まっていた。王女の訪問は瞬く間に町中に知れ渡っていたのだ。


「レインさん、アイリスさん」


 馬車に乗り込む前、ソフィアは二人に向かって言った。


「あなた方との出会いは偶然ではないと思います。何か大きな意味があるのでしょう」


 彼女の言葉には不思議な響きがあった。まるで予言のようだった。


 ***


 王女の訪問から数時間後、「賢者の商会」には多くの町民が訪れていた。王室御用達になるという噂を聞きつけ、祝福の言葉や質問が絶えなかった。


「レインさん、本当におめでとう!」


「エルフのお嬢さん、王都ではどんな活躍をするの?」


「王様にもお会いするのかい?」


 レインとアイリスは丁寧に応対しながらも、準備に追われていた。王都訪問には多くの準備が必要だった。


 夕方、ようやく人々が引いた頃、商会のメンバーは集まって会議を開いた。


「すごいことになったわね」ミラは興奮した様子だった。


「王室御用達だぞ」ガルムも感慨深げに言った。「開業からわずか一年半でこの栄誉とは」


「その間、商会はどうなるんですか?」トーマスが現実的な問題を提起した。


 レインは計画を説明した。彼とアイリスが王都にいる間、ミラは店舗の管理を、ガルムは生産と警備を、トーマスは配送を担当することになった。リーザにも連絡を取り、魔法学院からの協力も要請するつもりだった。


「みんな、心配かけるが頼りにしているよ」


 メンバーたちは責任を持って商会を守ることを約束した。


「それにしても」ガルムが真剣な表情になった。「王子の悪夢と古代都市の関係とは何だろうな」


「それを調査するのも今回の目的の一つだ」レインは言った。「何か特別な意味があるかもしれない」


 アイリスも考え込んでいた。


「エルフの伝承では、夢は時に啓示や予言の形を取ると言われているわ」


「啓示……」


 会議が終わった後、レインは一人工房に残り、古い本を広げていた。ギルバートから受け継いだ書物の中には、古代文明についての記述もあった。断片的な情報だったが、今になって重要な意味を持つかもしれなかった。


「創造者の工房」


 その言葉が目に留まった。古代の賢者たちが築いた場所で、様々な知恵と技術が眠っているという。伝説によれば、それは長い年月を経て封印され、その場所は失われたとされていた。


「王子の夢に出てくる都市とは、この『創造者の工房』なのだろうか」


 レインは真理の結晶を手に取った。


「先生、新たな展開を迎えています。王室との繋がり、古代文明の謎——何か大きな流れを感じます」


 結晶は静かに輝いた。まるでギルバートが彼を見守っているかのようだった。


 ***


 翌朝、レインが市議会に出席していると、急な来客があった。商業ギルドのグスタフだった。


「レイン、大変だ」


 彼は息を切らしていた。


「グランツ商会のヴァルターが何か画策しているようだ。昨日の王女訪問の後、彼は部下たちと緊急会議を開いた」


「なにか詳しいことは?」


「詳細はわからないが、『古い契約書』と『王族の秘密』という言葉が聞こえたらしい」


 レインは眉をひそめた。ヴァルターは彼らの王都行きを阻止しようとしているのだろうか。


「警戒しておこう」


 市議会の後、レインは商会に戻り、グスタフからの情報を伝えた。


「グランツがまた動くか」ガルムは険しい表情になった。「警備を強化しておく」


「私も注意します」ミラも真剣に言った。「町の噂に耳を傾けておきます」


「僕は配送ルートの安全を確認します」トーマスも決意を示した。


 アイリスは静かに言った。「ヴァルターが『古い契約書』と『王族の秘密』に言及したというのは気になるわね」


「ああ」レインも同意した。「商会と王族、何か歴史的な関係があるのかもしれない」


 彼らが話し合っていると、店の扉が開き、オールド・クロフト商会のエドワードが杖をつきながら入ってきた。


「お噂は聞きましたよ、レイン君」老人は微笑んだ。「王室御用達とは素晴らしい」


「エドワードさん」レインは老人を丁重に迎えた。「ありがとうございます」


 エドワードは椅子に腰掛け、静かに語り始めた。


「実は、王室とバレンフォードの商人たちには長い歴史があるのです」


 彼の言葉にレインは興味を持った。


「かつて、この町の商人たちは王室の財政を支えていました。特に百年前の大戦の際は、多くの資金と物資を提供したのです」


「グランツ商会も?」


「ええ。当時のグランツ家は王室との繋がりが深く、特別な契約を結んでいたと言われています」


 これがヴァルターの言う「古い契約書」に関係しているのかもしれない、とレインは思った。


「また、こんな噂も」エドワードは声を落とした。「バレンフォードの商人たちは、王室の秘密の番人だとも言われています」


「秘密の番人?」


「詳しくは語り継がれていませんが、王国建国の頃から、ある『秘密』が商人たちに託されたという伝説があるのです」


 エドワードの話は断片的だったが、ヴァルターの行動の背景にあるものを示唆していた。彼はグランツ家に伝わる何らかの秘密や契約を盾に、レインたちの王都訪問を妨害しようとしているのかもしれない。


「貴重な情報をありがとうございます」


 レインは感謝した。エドワードは微笑み、さらに言葉を続けた。


「王都に行くなら、王立図書館にある『商人記録』を見てみるといい。そこにはバレンフォードの商人たちと王室の関係が記録されているはずだ」


 彼の助言は役に立ちそうだった。


 ***


 王都訪問の準備は着々と進んだ。薬の特別調合、資料の準備、商会の留守中の体制整備——全てが整いつつあった。


 出発の二日前、再びソフィア王女からの使者が訪れた。彼は一通の書状と小さな包みを持っていた。


「王女様からのメッセージです」


 レインは書状を開いた。そこには王子の容態が再び悪化したこと、そして王都訪問の日程を早めてほしいとの要請が記されていた。


「明日にも出発できますか?」使者は尋ねた。


 レインはアイリスと顔を見合わせ、頷いた。


「準備はほぼ整っています。明日の朝一番で出発します」


 使者は安堵の表情を見せ、小さな包みを差し出した。


「これは王女様からの贈り物です」


 包みの中身は、青い宝石で飾られた王室の紋章ブローチだった。それは王室からの公式な保護を示すものだった。


「これを身につけていれば、王国内のどこでも通行の自由が保証されます」


 使者の説明にレインは深く感謝した。このブローチは王都への旅を安全にするだけでなく、彼らに王室の権威を与えるものでもあった。


 使者が去った後、レインは最終的な準備に取りかかった。急な予定変更に、商会のメンバーたちも慌ただしく動き回った。


「これで全て整ったな」


 夕方、レインは満足げに準備を確認した。アイリスも必要な薬草と道具を全て揃えていた。


「あとは身支度だけね」


「ガルム、留守中はよろしく頼む」


「任せろ」彼は力強く胸を叩いた。「商会は我々が守る」


「ミラ、生産は予定通りに」


「はい! レシピ通りに進めます」


「トーマス、配送ルートの安全確認を怠らないように」


「はい、レインさん!」


 最後の指示を終え、レインは真理の結晶を旅の荷物に大切に包んだ。ギルバートの知恵が、この旅でも彼を導いてくれるだろう。


 夜、レインは窓から星空を見上げていた。王都への旅——それは単なる商売の拡大ではなく、彼の使命に関わる重要な一歩になるかもしれなかった。古代文明の謎、王子の悪夢、そしてヴァルターの企み——全てが何らかの形で繋がっているような気がした。


「新たな冒険の始まりだ」


 彼はつぶやいた。商会を立ち上げてからこれまでの道のりは、何かより大きな物語の序章に過ぎなかったのかもしれない。


 アイリスが隣に立ち、共に星空を見上げた。


「明日からが本当の旅の始まりね」


 彼女の言葉には期待と不安が混ざっていた。エルフが王都を訪れることは稀だった。偏見に直面するかもしれない。


「一緒に行こう」レインは彼女に微笑みかけた。「私たちの知恵と勇気があれば、どんな困難も乗り越えられる」


 二人は静かに夜空を見つめ続けた。明日から始まる王都への旅は、「賢者の商会」の歴史に新たな一章を刻むことになるだろう。


(第二十一話 終)

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