第19話:市議会の対決
バレンフォードの朝は静かだった。昨日の町議会での勝利から一夜明け、「賢者の商会」は穏やかな雰囲気に包まれていた。レインは早朝から工房で作業を続けていた。魔獣対策の防衛システム構想を文書化する作業だ。
「形になってきたな」
彼は満足げに図面を眺めた。鎮静ハーブの配置方法、魔力感知装置の設計図、警報システムの連携——全てが体系化されていた。これを商品として他の村々に提供できれば、多くの人々の安全に貢献できるだろう。
「おはよう、レイン」
アイリスが朝の挨拶とともに工房に入ってきた。彼女の手には新鮮なハーブの束があった。
「庭の鎮静ハーブ、とても良く育っているわ。これなら次のロットの『静穏の雫』も品質が上がるはず」
彼女の顔には安堵の表情があった。町議会での勝利は、特にアイリスにとって大きな意味を持っていた。エルフとしての彼女の存在が公に認められたのだから。
「それは良かった」レインは微笑んだ。「商品の品質向上は何より大切だからね」
二人が朝の作業に取りかかっていると、突然の来客を告げるノックが響いた。商会の開店時間前だったが、ミラが急ぎ足で階段を上がってきた。
「レインさん、町長がいらっしゃいました」
「町長が?」
レインとアイリスは顔を見合わせた。昨日の議会での対決の後、町長が直接訪れるとは予想外だった。
「すぐに会おう」
***
一階の応接室には、バレンフォードの町長ハロルド・ウィンターが座っていた。五十代半ばの穏やかな表情の男性だ。彼の傍らには書記官が控えていた。
「おはようございます、町長」
レインが挨拶すると、ハロルドは立ち上がって握手を求めてきた。
「おはよう、レイン君。昨日の議会は見事だった」
彼の声には真摯さがあった。町長は議会での中立的立場を保っていたが、今朝の彼の目には明らかな友好の色があった。
「何か御用件でしょうか?」
ハロルドは座り直し、姿勢を正した。
「実は、市議会から正式な招待状を持ってきた」
書記官が丁重に封筒を差し出した。重厚な紙に市の紋章が刻印されている。
「招待状?」
「そう。市議会の正式な議員として、レイン君を招待したい」
レインは驚きを隠せなかった。市議会の議員とは、バレンフォードの行政に直接関わる重要な地位だった。
「しかし、私はまだこの町に来て一年も経っていません。そのような重要な役職を……」
ハロルドは穏やかに笑った。
「それが君の価値だ。新しい視点と知恵を持ち、しかも町の安全を第一に考える。議会はもっとそういう人材を必要としている」
アイリスが紅茶を運んできた。町長は感謝の意を示し、一口飲んでから続けた。
「実は、昨夜の議会後、多くの市民から声が上がったんだ。『賢者の商会のような考え方が、もっと町の運営に反映されるべきだ』とね」
レインは思案した。市議会の議員となれば、より大きな影響力を持てる。より多くの人々の役に立てるかもしれない。しかし、それは商会の運営時間を削ることでもあった。
「考える時間をいただけますか?」
「もちろん」ハロルドは頷いた。「三日後の回答で構わない。ただ、前向きに検討してくれると嬉しい」
町長が去った後、レインはアイリスと向き合った。
「どう思う?」
「素晴らしい機会だと思うわ」彼女は真剣な表情で言った。「でも、商会への影響も考えなきゃね」
レインは悩ましげに頷いた。
***
その日の午後、レインは商会のメンバー全員を集めて会議を開いた。町長からの申し出を伝え、全員の意見を聞きたかったのだ。
「市議会議員か……それは名誉なことだな」
ガルムは感心した様子で言った。
「でも、レインさんがいない時間が増えますよね?」
ミラが現実的な懸念を口にした。
「その通りだ」レインは頷いた。「週に二日は議会の仕事に時間を取られる。その間の商会運営をどうするかが課題だ」
「私たちで分担すればいいんじゃないですか?」
トーマスが明るく提案した。若さゆえの楽観さが感じられる。
「それぞれの役割を明確にすれば、レインさんがいなくても大丈夫なはずです」
アイリスも頷いた。
「私が薬の製造と品質管理を担当するわ。レインの鑑定ほど正確ではないけれど、基本的なことなら対応できる」
「俺は警備と配送ルートの管理だ」ガルムも引き受けた。
「私は店舗運営と記帳を」ミラが手を挙げた。
「僕は配送と市場調査を担当します!」トーマスも張り切った。
レインは彼らの積極性に感動した。開業当初は一人だった商会も、今では信頼できる仲間たちで満ちている。
「ありがとう、皆」
彼は決意を固めた。市議会議員になることで、より大きな視点から町に貢献できる。そして商会のビジョンも広げられるだろう。
「引き受けることにする」
***
翌朝、レインが町長に承諾の返事を届けに行こうとしていると、一人の使者が慌ただしく商会に飛び込んできた。
「レインさま、大変です!」
使者は息を切らしていた。彼はグランツ商会の元従業員で、ミラの友人だった。
「グランツ商会のヴァルターが、緊急の市議会招集を要請しました。議題は『賢者の商会の市議会参入阻止』です」
「何だって?」
「昨日の議会敗北に怒ったヴァルターは、『外部者の議会介入は認められない』と主張しているそうです」
レインは眉を寄せた。ヴァルターは町長の動きを素早く察知し、対抗策を打ってきたようだ。
「いつ開催される?」
「今日の午後です。ヴァルターは多くの支持者を動員しています」
事態は急を要していた。レインは急いでガルムを呼び、二人で対策を練った。
「彼の言い分は『外部者の参入阻止』か」ガルムが唸った。「まだ諦めていないようだな」
「ヴァルターの本当の狙いは何だろう」
レインは考え込んだ。単に個人的な恨みだけではない気がした。彼の商会への執着には、何か別の理由がありそうだった。
「俺の推測だが」ガルムが言った。「君の商会の成長は、彼の商会の既得権益を脅かしている。特に新しいビジネスモデルや技術は、彼の古い商法を時代遅れにする」
「なるほど……」
レインには理解できた。前世のビジネス世界でも、革新的なスタートアップと既存の大企業の対立はよくあることだった。
「準備をしよう。公正な審議を求めるための材料を集めなければ」
***
午後、市議会の建物は多くの人々で溢れていた。グランツの支持者たちが大勢詰めかけている。中には雇われた傍聴人らしき者もいた。
レインとガルムが到着すると、町長のハロルドが心配そうな表情で近づいてきた。
「想定外の展開だ。ヴァルターは古参議員たちを根回しして回っている」
「どのくらいの議員が彼の側に?」
「全二十名中、八名が彼の支持者だ。七名が中立、残りの五名は私の側についている」
数は不利だった。中立の議員たちの判断が鍵を握ることになる。
議場に入ると、レインは正面にヴァルターの姿を見つけた。彼は数人の議員と小声で話をしていた。レインと目が合うと、彼は冷たい視線を投げかけた。
「始めるぞ」ハロルドが言った。「冷静に対応してくれ」
議会が開会し、最初にヴァルターが立ち上がった。
「議長、議員の皆様」
彼の声は力強く、堂々としていた。
「今日、私は重大な懸念を表明するために立ちました。伝統あるバレンフォードの市議会に、開業わずか一年の部外者を招き入れるという前代未聞の提案について」
ヴァルターは熱弁を振るった。バレンフォードの伝統と秩序の重要性、外部者による急激な変化の危険性、そして「賢者の商会」の経験不足を強調した。
「私たちの町を守るのは、この町で生まれ育った者の責任です。外部からの知恵は歓迎しますが、決定権を与えるのは時期尚早ではないでしょうか」
彼の言葉は巧みに人々の保守的心情に訴えかけた。傍聴席からも賛同の声が上がる。
ヴァルターの演説が終わると、町長が立ち上がった。
「議員の皆様、確かに伝統は重要です。しかし、新しい視点もまた重要です。レイン君は短期間で町に多大な貢献をしました。魔獣の危機から町を救い、革新的な商品で町民の生活を向上させています」
町長の言葉にも一定の支持が集まったが、場の雰囲気はまだ分かれていた。
ここでハロルドがレインに目配せをした。彼の番だった。
レインはゆっくりと立ち上がった。議場が静まり返る。
「市議会の皆様、町民の皆様」
彼は落ち着いた声で語り始めた。
「私はバレンフォードに来て一年に満たない確かに『外部者』です。しかし、この町を愛する気持ちでは誰にも劣りません」
レインは町での経験と、町への思いを語った。そして、「外部者」と「町民」の区別が本当に重要なのかという問いかけをした。
「バレンフォード建国の歴史を紐解くと、この町は様々な地域からの移住者によって築かれました。多様な知恵と技術が集まることで、この町は栄えてきたのです」
彼は町の歴史書からの具体的な事例を引用した。
「伝統を守ることと、新しい知恵を取り入れることは、決して相反するものではありません。バレンフォードの真の伝統とは、多様性を受け入れ、共に成長することではないでしょうか」
レインの言葉には説得力があった。特に若い議員たちが興味深そうに聞き入っていた。しかし、ヴァルターの支持者たちは冷ややかな表情のままだった。
議論は白熱した。両陣営からの意見が飛び交い、時に声高な論争に発展することもあった。
そのとき、傍聴席から一人の老人が立ち上がった。
「発言を求めます」
穏やかだが芯の強い声だった。議長が特別に許可を与えると、老人はゆっくりと前に進み出た。
「私はバレンフォード最古の商家、オールド・クロフト商会の当主です」
会場がざわめいた。オールド・クロフト商会は、グランツ商会よりも古い歴史を持つ名門だったが、近年は表立った活動をしていなかった。
「私はこの町で九十年を過ごしました。多くの変化を見てきました」
老人の言葉に、場が静まり返った。
「グランツ殿が言う『伝統』とは何でしょう? 変化を拒み、既得権益を守ることですか?」
彼の問いかけに、ヴァルターは居心地悪そうに身じろぎした。
「私が知るバレンフォードの伝統とは、新しい知恵を歓迎し、共に成長することです。賢者の商会の若者は、まさにそういう精神を持っています」
老人の言葉は、多くの中立議員の心を動かしたようだった。
討論が終わり、投票の時が来た。一人一人の議員が起立し、意見を述べていく。
結果は僅差だった。十一対九で、レインの市議会参入を認める決議が可決された。
ヴァルターの顔が怒りで歪んだ。彼は一言も発せずに議場を後にした。
***
議会の後、多くの町民がレインを取り囲んだ。彼の市議会参入を祝福する声が次々と上がった。
「これからもよろしく頼むよ」
「新しい風を吹かせてくれ」
「あんたの知恵で町を良くしてくれ」
その中で、先ほどの老人がレインに近づいてきた。
「オールド・クロフト商会のエドワードだ。よく頑張ったね」
「あなたの助けがなければ、勝てなかったかもしれません」
レインは感謝の意を表した。
「いや、君の言葉が人々の心を動かしたのだ」
エドワードは静かに微笑んだ。
「実は私もかつては『外部者』だった。隣国からの難民としてこの町に来たのだ。多くの人々に支えられて今がある」
彼の言葉にレインは共感した。誰もが最初は「外部者」なのだ。
「ヴァルターには気をつけなさい」エドワードは声を落とした。「彼は単なる意地では動いていない。何か別の理由があるはずだ」
「なにか心当たりは?」
「確かなことは言えないが……彼の商会には秘密があると噂されている。古い文書や遺物を集めているとか」
レインは眉を寄せた。なぜヴァルターがそのようなものを集めるのか。彼の行動には、単なる商売敵への妨害以上の何かがあるのかもしれない。
「調査してみます」
エドワードは頷いた。
「もし助けが必要なら、いつでも相談においで。老いぼれでも、まだ少しは役に立つさ」
***
商会に戻ったレインを、メンバー全員が温かく迎えた。
「やりましたね!」ミラが飛び跳ねるように喜んだ。
「さすがだ」ガルムも満足げだった。
アイリスはレインの肩に手を置いた。「おめでとう。これで町のためにできることが増えるわね」
トーマスが興奮して質問を投げかけてきた。
「市議会って何をするんですか? 法律を作るんですか? 税金を決めるんですか?」
レインは笑った。
「町の予算配分や条例の制定、町の発展計画の検討などだ。地味な仕事が多いけれど、町の未来を左右する重要な仕事だよ」
「すごい!」
彼の素直な感嘆に、皆が笑った。
夕食の席で、レインは改めて商会の運営体制について話し合った。彼が議会の仕事で不在の間も、商会が滞りなく動くようにするためだ。
「役割分担と権限委譲が鍵だな」
前世の組織マネジメントの知識が役立つ場面だった。
「定例会議と報告体制を整えれば、私がいなくても問題ないはずだ」
メンバーたちは真剣に話を聞き、それぞれの意見を出し合った。商会は一つの組織として、着実に成熟していた。
夜、一人になったレインは真理の結晶に向かって語りかけた。
「先生、今日も一歩前進しました。市議会議員として、より多くの人々に貢献できます」
結晶は静かに輝いた。
「でも、ヴァルターの執着には何か理由がありそうです。彼の秘密を探る必要があるかもしれません」
窓の外では、バレンフォードの夜景が美しく輝いていた。明日からは市議会議員としての新たな責任が始まる。レインの心には期待と覚悟が混ざり合っていた。
(第十九話 終)
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