第18話:知恵の勝利
朝の光がバレンフォードの街並みを照らし始めた頃、レインは一枚の書状を手にしていた。町議会からの召喚状だった。
「市議会への出席要請……」
彼は眉を寄せた。魔獣事件から一週間、町は平穏を取り戻しつつあった。噴水の撤去と共に魔獣の出現は激減し、レインたちの防衛策も功を奏していた。
「何かあったの?」
階下からアイリスが顔を覗かせた。彼女は朝の準備を終えたところだった。
「町議会に呼ばれた。明日の正午だ」
「グランツ商会関連かしら?」
「おそらく」
レインは窓から町の方向を見つめた。魔獣事件でグランツ商会の評判は大きく落ちたが、ヴァルターの影響力は依然として強かった。特に町議会には複数の支持者がいるという噂だった。
「次の一手を打ってきたということか」
***
朝食時、レインは商会のメンバーに召喚状のことを伝えた。ガルムは眉をひそめた。
「議会か。そこはヴァルターの縄張りだぞ」
「ええ、彼は複数の議員に出資していると聞きます」ミラが補足した。
「でも、魔獣事件での功績がある」トーマスが希望的に言った。「町の人々も味方のはずです」
レインは考え込んだ。前世のビジネス交渉の経験が役立つ時が来たようだった。
「情報収集が必要だ。議会の構成と各議員の立場を知っておきたい」
「それなら私が」ミラが申し出た。
「俺は退役軍人たちに聞いてみる」ガルムも続いた。「彼らは町の裏事情に詳しい」
「私は薬の準備をします」アイリスが言った。「議会に行く前に、万全の状態で」
レインは彼らの団結力に心強さを感じた。
「トーマス、グスタフにも状況を伝えておいてくれ」
「はい!」
各自の役割が決まり、情報収集が始まった。
***
午後、レインは工房で準備を進めていた。さまざまな資料を整理し、予想される質問への回答を練った。
「レインさん」
ミラが戻ってきた。彼女の表情は深刻だった。
「議会の情報です。全部で九名の議員がいます。三名はグランツ商会の強い支持者、三名は中立、残り三名は商業ギルドや市民派と言われています」
「拮抗しているのか」
「はい。さらに、明日の議題は『魔獣事件の責任』と『賢者の商会の営業許可再審査』だそうです」
レインは驚いた。ここまで踏み込んでくるとは。
「魔獣事件の責任とは? グランツ商会が原因だったことは明らかなのに」
「どうやら彼らは『証拠不十分』と主張しているようです。噴水の設計についても『単なる装飾』だったと」
レインは不快感を抑えきれなかった。それでも冷静さを保とうとした。
「営業許可の再審査は?」
「『エルフを雇用している商会は安全性に疑問がある』という理由です」
アイリスへの攻撃だった。レインの怒りが静かに湧き上がった。
ガルムも情報を持ち帰った。
「議会のルールでは、投票で過半数を取れば商会の営業停止も可能らしい」
これは想定以上に深刻だった。レインは真剣に対策を考え始めた。
「グスタフからの返事です」
トーマスが通信結晶を持って戻ってきた。結晶にグスタフの声が記録されていた。
「レイン、議会の件は聞いた。私も明日は出席する。だが、ヴァルターの影響力は侮れない。証拠と論理で勝負するしかない」
助言は的確だった。感情ではなく、事実と理性で戦わなければならない。
「では、徹底的に準備しよう」
レインは決意を固めた。
***
翌日の正午、レインはアイリスと共に町議会の建物に向かった。石造りの荘厳な建物は、バレンフォードで最も古い歴史を持つとされていた。
入口には衛兵が立ち、身分証明を求めてきた。
「賢者の商会、レインです。これが召喚状です」
衛兵は無表情で書類を確認し、二人を中へと通した。
「アイリス、緊張しているか?」
「少し」彼女は小さく微笑んだ。「でも、真実は私たちの側にあるわ」
廊下を進むと、大きな扉が見えてきた。二人は深呼吸し、扉を開いた。
議場内には半円形に席が配置され、九名の議員が厳かな表情で座っていた。中央の高座には町長が、その両脇に書記官がいる。傍聴席には多くの町民が詰めかけていた。そしてレインの視線の先に、ヴァルター・グランツの姿があった。
「賢者の商会、レイン殿とアイリス殿の入場です」
書記官が告げると、場内が静まり返った。
二人は指定された席に座った。グスタフも商業ギルド代表として出席していた。彼は小さく頷いてみせた。
「それでは、議会を始めます」
町長が宣言した。彼は中立の立場を保っているように見えた。
「本日の議題は二つ。魔獣事件の責任所在の確認、および賢者の商会の営業許可の再審査です」
最初に立ち上がったのは、グランツ派の議員だった。年配の男性で、尊大な態度が印象的だった。
「魔獣事件はバレンフォード史上最大の危機でした。しかし、その原因について、賢者の商会は根拠のない主張でグランツ商会を非難しています」
彼は滔々と弁を振るった。噴水の設計図は偽造されたものだと主張し、魔獣が町に近づいてきた真の理由は「賢者の商会が扱う異質な薬草」にあるのではと示唆した。
次にヴァルター自身が立った。彼は悲痛な表情を演じていた。
「我が商会が町に危険をもたらすはずがありません。代々、この町の発展に寄与してきたのです」
彼の演技は巧みだった。傍聴席からも同情の声が上がる。
「さらに言えば」ヴァルターは声を強めた。「賢者の商会にはエルフが勤務しています。ご存知の通り、エルフの魔法は人間には理解できないものです。魔獣を呼び寄せたのは、むしろそちらではないでしょうか」
アイリスの手が震えた。レインは彼女の手を握り、安心させようとした。
「レイン殿、弁明はありますか?」
町長が促した。レインはゆっくりと立ち上がった。場内が静まり返る。
「町長、議員の皆様、町民の皆様」
彼は落ち着いた声で語り始めた。
「私は感情ではなく、事実でお話しします。まず、噴水の設計について」
レインは前日に準備した資料を提示した。
「これは魔法学院の専門家による鑑定書です。噴水に使われていた魔石の配置は、明らかに通常の装飾用ではなく、特殊な魔力増幅構造を持っていました」
彼は詳細な図面と分析結果を示した。魔法学院の権威ある教授のサインもある。
「次に、魔獣が出現し始めた時期と噴水の設置時期の一致性について」
レインは時系列のグラフを示した。魔獣の目撃情報と噴水の稼働開始が完全に一致している。
「そして、魔獣『青牙』の生態について」
彼は冒険者ギルドの公式記録を引用した。
「『青牙』は水の魔力に強く反応し、引き寄せられることが知られています。これは冒険者ギルドの百年の記録にも残されています」
レインの論理的な説明に、議場は静まり返っていた。彼は最後に決定的な証拠を出した。
「そして、これがグランツ商会内部からの指示書の写しです」
ミラが入手した内部文書だった。そこには明確に「競合排除のための特殊噴水設計」と記されていた。
「この文書の真偽は、魔法学院の真偽判定魔法で確認済みです」
ヴァルターの顔が青ざめた。彼はそのような証拠が出てくるとは予想していなかったようだ。
「次に、エルフの魔法についての誤解を解きたいと思います」
レインはアイリスに手を差し出した。彼女は緊張しながらも立ち上がった。
「アイリスは魔獣から町を守るために尽力しました。彼女の知識があったからこそ、町は安全を保てたのです」
彼は鎮静ハーブの調合法と効果について説明した。それは科学的な原理に基づいたもので、呪いなどではなかった。
「そして何より」レインは声を強めた。「アイリスは私たちの大切な仲間です。彼女の出自を理由に差別することは、バレンフォードの開かれた精神に反するのではないでしょうか」
場内からささやきが広がった。多くの町民がアイリスに好意的な視線を送っていた。
グスタフが立ち上がった。
「商業ギルドからも証言します。賢者の商会の商品は全て品質検査を通過しています。魔獣を引き寄せるような成分は一切含まれていません」
さらに、衛兵隊長のマーカスも証言に立った。
「魔獣対策において、賢者の商会の協力は極めて価値がありました。彼らがいなければ、町はさらに大きな被害を受けていたでしょう」
続いて、魔獣対策で助けられた町民たちも次々と証言した。レインたちが町を救った事実は、もはや疑いようがなかった。
ヴァルターは焦りを隠せなくなっていた。彼は再び立ち上がり、声を荒げた。
「だが、あの商会はまだ開業して間もない! 伝統も実績もない。バレンフォードの商業は、私たちグランツ商会のような伝統ある商会が守るべきだ!」
レインは冷静に応じた。
「伝統は尊重すべきです。しかし、それは新しい価値を排除する理由にはなりません」
彼は町の歴史書から引用した。
「バレンフォード建設の理念には『革新と調和』があります。新しい技術や知識を取り入れながら、調和のとれた発展を目指す——それがこの町の建設者の思いだったはずです」
レインの言葉は、多くの町民の心に響いた。特に若い世代からは共感の声が上がった。
「私たち賢者の商会は、その理念に従って商売をしています。伝統を尊重しながらも、新しい価値を生み出す。そして何より、町と町民の幸福を第一に考える」
彼の誠実な言葉と論理的な証拠の前に、グランツ派の議員たちも反論できなくなっていた。
討論が終わり、投票の時間となった。
「魔獣事件の責任についての裁決を取ります」
町長が宣言した。九名の議員が順に立ち上がり、意見を述べていく。
結果は明白だった。七対二で、魔獣を引き寄せた責任はグランツ商会にあるという判断が下された。グランツ派の議員すら、一人は証拠の前に判断を変えていた。
「次に、賢者の商会の営業許可再審査について」
この投票は全会一致だった。賢者の商会の営業継続を認めるという結果だった。
「以上で議会を終了します」
町長の宣言と共に、場内からは大きな拍手が沸き起こった。
ヴァルターは憤怒の表情で席を立ち、一言も発せずに議場を後にした。
***
議会の後、レインとアイリスは多くの町民に囲まれた。皆が彼らに感謝の言葉を述べ、励ましていた。特にアイリスには、子供たちが興味津々で近づいてきた。
「エルフのお姉さん、魔法を見せて!」
アイリスは照れながらも、小さな薬草を手に取り、それを美しい青い花に変化させた。単純な魔法だったが、子供たちは目を輝かせた。
グスタフがレインに近づいてきた。
「見事だった。感情に流されず、事実と理性で勝負した」
「ありがとうございます。あなたの助言があったからこそです」
「いや、君の力だ」グスタフは真剣な表情で言った。「ヴァルターは今回の敗北を簡単に受け入れないだろう。だが、町の民意は君たちの味方だ」
レインは頷いた。今日の勝利は大きな一歩だったが、戦いはまだ終わっていない。
「準備はしています」
***
商会に戻ると、待ち構えていたガルム、ミラ、トーマスが結果を聞いて喜んだ。
「やったな!」ガルムが大声で言った。
「おめでとうございます!」ミラも微笑んだ。
トーマスは勢いよく飛び跳ねていた。「これで商会は安泰ですね!」
レインは皆に感謝した。
「みんなの協力があったからこそ。特にミラが入手した内部文書が決め手になった」
夕食は祝勝会となった。アイリスとミラが腕によりをかけた料理が並び、ガルムが持ち込んだ特別な酒も振る舞われた。
席上、レインは一つの提案をした。
「魔獣対策の防衛システムは町から高く評価された。この技術を他の町村にも提供しないか?」
全員が興味を示した。
「それはいい考えだ」ガルムが頷いた。「他の場所でも魔獣の被害は深刻だ」
「技術輸出ね」アイリスも賛同した。「私たちの知識が役立つなら嬉しいわ」
「商会の次の展開として理想的ですね」ミラも分析した。「名声も報酬も得られます」
計画は具体化していった。アイリスとレインが技術を文書化し、ガルムとトーマスが周辺の町村に提案に行く。防衛システムの設置と維持管理をビジネスとして展開する構想だ。
「賢者の商会は商品を売るだけでなく、安全も提供する」
レインは満足げに言った。これは前世のソリューションビジネスの発想だった。製品だけでなく、問題解決の仕組みを提供する。
夜が更けていく中、レインは真理の結晶に向かって静かに語りかけた。
「先生、今日は知恵の勝利を得ました。感情ではなく、事実と理性で」
結晶は優しく輝いた。
「これからも、この世界の役に立つ商いを広げていきます」
窓の外には、満天の星が輝いていた。今夜のバレンフォードは、いつもより平和に見えた。
(第十八話 終)
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