第17話:魔獣の脅威


 バレンフォードの東門で騒ぎが起きたのは、霧深い早朝のことだった。レインはその知らせを受け、急いで門へと向かった。集まった人々を掻き分けると、二人の衛兵が負傷者を運んでいた。


「どうしたんだ?」


「森からの帰り道で襲われたんだ……」


 男は震える声で答えた。彼の腕には深い引っ掻き傷があり、血が滲んでいる。もう一人の男は意識を失っていた。彼の背中には牙か爪のようなもので付けられた傷跡があった。


「魔獣です」


 護衛隊長のマーカスが近づいてきた。彼は実直な中年の男で、町の安全を守る責任者だった。


「最近、東の森で魔獣の目撃情報が増えています。今回は町の入口まで来ました」


 レインは眉をひそめた。以前から魔獣の噂は聞いていたが、ここまで町に近づいてきたのは初めてだった。


「どんな魔獣だ?」


「青い皮膚に長い牙。狼のような姿をしているが、通常の狼より二回りは大きい」


 マーカスの表情は暗かった。


「何か対策は?」


「現在、追加の衛兵を配置しています。しかし……」


 彼は言葉を切った。


「数が足りない?」レインが察した。


「ええ。収穫祭の警備や商業区の見回りもあり、人手が足りません」


 マーカスは困り果てた様子だった。レインは考え込んだ。魔獣の脅威は商会にとっても無視できない問題だった。キャラバン隊の安全や、薬草採集にも影響する。


「わかった。できる限り協力しよう」


 ***


「賢者の商会」に戻ったレインは、すぐに全員を集めて会議を開いた。


「魔獣の脅威が迫っている」


 彼は朝の出来事を報告した。ガルムは特に深刻な表情で聞いていた。


「青い狼の魔獣か……」


「知っているのか?」


「ああ」ガルムは頷いた。「"青牙"と呼ばれる魔獣だ。数年前、北の村々を襲って多くの犠牲者を出した。普通の武器では倒しにくい硬い皮膚を持つ」


「どうして町の近くまで?」アイリスが不安そうに尋ねた。


「通常、魔獣は人里に近づかない」ガルムは考え込んだ。「何か理由があるはずだ」


 レインは護衛隊長の言葉を思い出した。


「マーカスによると、最近になって目撃情報が増えたらしい」


「調査が必要ですね」ミラが言った。「私、町で情報を集めてきます」


「俺も冒険者ギルドで魔獣の情報を集めてくる」ガルムが立ち上がった。


 レインは頷いた。「私はマーサに会って、協力を依頼しよう」


 それぞれの役割が決まり、アイリスとトーマスは店を守ることになった。


 ***


 冒険者ギルドは朝から騒がしかった。魔獣の噂を聞きつけ、多くの冒険者が集まっていた。


「レイン、来るとは思っていたよ」


 マーサは彼を見ると微笑んだ。彼女はギルドの奥の個室へとレインを招き入れた。


「商会に影響がありそうだから来たんだ」


「さすがだな」マーサは頷いた。「実はギルドも困っているんだ。魔獣退治の依頼は来ているが、今ちょうど腕の立つ冒険者たちが遠征中でな」


 彼女は地図を広げた。バレンフォード周辺の森が描かれている。


「ここ数週間の目撃情報をまとめた。最初は森の奥だったが、徐々に町に近づいている」


 赤い印が森の中から町の方向に集中していた。明らかなパターンが見える。


「何か町に引き寄せられているのか?」


「その可能性もある」マーサは真剣な表情で言った。「通常、魔獣は人間を避ける。何らかの理由があるはずだ」


 レインは思案した。町に魔獣を引き寄せるもの——何が考えられるだろう。


「マーサさん、魔獣は特定の魔力に反応することはありますか?」


「ああ、種類によってはな。特に"青牙"は水の魔力に敏感だと言われている」


 レインの頭に閃きが走った。


「最近、町で水の魔力を多く扱うことはあった?」


 マーサは考え込んだ。


「そういえば、先月グランツ商会が新しい噴水を町の広場に寄贈した。装飾用の水魔石を使っていると聞いたが……」


 二人の視線が合った。


「調査が必要だな」


「ああ、その噴水、見てみよう」


 ***


 町の中央広場には大きな石造りの噴水があった。グランツ商会の寄贈品だという銘板も見える。


 レインは噴水に近づき、魔力の痕跡を探った。彼の鑑定能力が反応した。


「これは……純度の高い水魔石が使われている。しかし、通常の構造ではない」


 彼は眉をひそめた。


「特殊な共鳴構造になっている。魔力の波動が遠くまで届くように設計されている」


 マーサも気づいたようだった。


「わざとだな。これは魔獣を引き寄せるための装置だ」


 レインは怒りを覚えた。グランツ商会の妨害はここまで来たのか。町全体を危険にさらすとは。


「証拠が必要だ」


 二人は町長に報告することにした。しかし、その前に噴水の詳細な調査をする必要があった。


「夜になれば、人目を気にせず調べられる」マーサが提案した。


 レインは頷いた。「それまでに対策を考えよう」


 ***


 商会に戻ると、ミラとガルムが情報を持ち帰っていた。


「魔獣の出現は確かに最近始まったようです」ミラが報告した。「噴水の設置とほぼ同時期です」


「冒険者ギルドでも似たような情報だ」ガルムが続けた。「それに、魔獣は単独ではないらしい。複数の"青牙"が確認されている」


 レインは噴水についての発見を共有した。全員が愕然とした。


「町の人々を危険にさらすなんて……」アイリスの声には怒りが滲んでいた。


「早急に対策が必要だ」レインは決意を固めた。「ただ町に知らせるだけでは不十分だ。魔獣への対策も必要だ」


 彼は思案した。前世のシステム思考と、この世界で学んだ魔法の知識を組み合わせれば、何か解決策が見つかるはずだ。


「アイリス、エルフの中で魔獣を遠ざける方法は知らない?」


 彼女は少し考え、頷いた。


「エルフの里では、鎮静ハーブを使って危険な野生動物を落ち着かせていました」


「それだ」レインの目が輝いた。「町を囲むように鎮静ハーブの結界を作れないか?」


 アイリスは興奮した様子で応じた。


「できます! 必要なハーブは庭で育てていますし、足りない分はオスカーさんに頼めば」


「ガルム、町の警備隊と協力して防衛線の構築をお願いできるか?」


「任せろ」ガルムは胸を叩いた。「退役軍人たちも呼んでくる」


 レインは頷いた。「ミラとトーマスは町民への周知を。パニックを起こさない程度に注意を呼びかけてほしい」


 計画が固まった。しかし、まだ一つの問題があった。


「噴水をどうするか……」


「町長に報告するのが先決では?」トーマスが提案した。


「そうだな」レインは同意した。「しかし、グランツ商会は町に大きな影響力を持っている。証拠がなければ動いてくれないかもしれない」


「なら、証拠を集めましょう」ミラが力強く言った。


 ***


 夕刻、レインはマーサと共に噴水の詳細な調査を行った。人目を避けるため、調査は慎重に進められた。


「これは間違いなく異常な構造だ」レインは噴水の中心部を鑑定した。「通常の装飾用とは違う。魔力増幅の印が刻まれている」


 マーサもうなずいた。「専門的な知識がなければ作れないものだな」


 二人は調査結果を記録し、証拠として保存した。


「町長に報告するか?」


「いや」レインは決断した。「まずは防衛策を整えよう。町が安全になってから証拠を提出する」


 マーサは同意した。「賢明だな。では明日から防衛線の構築を始めよう」


 ***


 翌日、防衛作戦が始まった。アイリスは鎮静ハーブを大量に調合し、特殊な香りを出す混合物を作った。


「これを町の周囲に配置します。魔獣の嗅覚を混乱させ、攻撃性を抑える効果があります」


 彼女の作業は神秘的だった。エルフの伝統と知識が込められた調合法は、見ているだけで魅了された。


 ガルムは退役軍人や冒険者たちを集め、町の周囲に見張り塔を設置した。マーサも冒険者ギルドの協力を取り付けた。


「毎晩、交代で見張りを立てる。魔獣が近づけば警報を鳴らす」


 レインは魔法学院から取り入れた知識を元に、魔力感知装置を作った。これを各塔に設置すれば、魔獣の接近を早期に感知できる。


「各装置は通信結晶で繋がっている。どこかで反応があれば、即座に全地点に知らせが行く」


 彼の前世のネットワーク知識が、この世界で新たな形で活かされていた。


 町民たちも作業に協力した。最初は不審そうだったが、魔獣の脅威を知ると、皆が一致団結した。


「賢者の商会は本当に町のことを考えているんだな」


「あのエルフの娘も悪い人じゃないみたいだ」


 少しずつ、町の人々の態度も変わっていった。グランツの広めた噂の影響も薄れていくようだった。


 ***


 三日目の夜、最初の魔獣の接近があった。東側の見張り塔から警報が鳴り、レインたちは急いで現場に向かった。


「あそこだ!」


 森の縁に青い影が見えた。"青牙"だ。狼のような姿だが、体長は優に三メートルはある。青い皮膚は月明かりを反射して不気味に光り、長い牙が月光に照らされて白く輝いていた。


「こちらへは来ない」


 ガルムが観察していた。確かに魔獣は町の方向に進もうとするが、鎮静ハーブの香りのある地点で立ち止まり、混乱した様子を見せていた。


「効いています」アイリスは安堵した。


「まだ油断はできない」レインは警戒を解かなかった。「向きを変えて別方向から来るかもしれない」


 彼の予測通り、魔獣は迂回して北側から近づこうとした。しかし、そこにも結界が施されており、再び混乱して引き返していった。


「守りは固いようだな」マーサは満足げに言った。


 しかし、レインはまだ懸念を抱いていた。


「魔獣を引き寄せる原因——噴水はまだ稼働している。根本的な解決にはならない」


「それについては、これがあります」


 ミラが書類の束を取り出した。


「グランツ商会の従業員から聞いた話です。噴水の設計図と、ヴァルターからの指示書の写しです」


 彼女は誇らしげに微笑んだ。


「偶然、グランツ商会で働く友人がいて……」


 レインは感動した。彼女の情報収集能力は素晴らしかった。


「これで町長に動いてもらえるぞ」


 ***


 翌朝、レインたちは証拠を持って町長に面会した。グスタフも同席していた。


「これは深刻だ」


 町長は証拠を見て顔色を変えた。グランツ商会の計画が明らかになったのだ。


「すぐに噴水を撤去する。そして、グランツ商会には責任を取ってもらう」


 グスタフも厳しい表情で頷いた。


「商業ギルドとしても看過できない。競争相手を蹴落とすためとはいえ、町全体を危険にさらすとは」


 レインは安堵した。この件でグランツ商会への信頼は大きく揺らぐだろう。しかし、彼は復讐心ではなく、町の安全を第一に考えていた。


「魔獣対策はどうしますか?」


「防衛線は当面維持してください」町長は言った。「噴水を撤去しても、すぐには魔獣は引き返さないでしょう」


 レインは同意した。「防衛体制は続けます。冒険者ギルドとも協力して、魔獣の駆除も検討していきましょう」


 ***


 一週間後、状況は大きく改善していた。噴水は撤去され、魔獣の出現も減少した。町は平穏を取り戻しつつあった。


「賢者の商会」の評判は一層高まった。魔獣の危機から町を救ったという実績は、グランツの噂を完全に打ち消した。


「思わぬ形で信頼を勝ち取ったな」


 ガルムが夕食の席で言った。商会のメンバーは達成感に満ちていた。


「皆の協力があったからこそです」レインは感謝の気持ちを伝えた。「特にアイリスの鎮静ハーブがなければ、防衛線も成立しなかった」


 アイリスは照れくさそうに微笑んだ。


「エルフの知識が役に立ってよかった」


 レインは一同を見回した。危機を共に乗り越えたことで、彼らの絆はさらに深まっていた。


「グランツ商会は当面おとなしくなるでしょうね」ミラが言った。


「そうだな」レインは頷いた。「しかし、まだ安心はできない。彼らは諦めないだろう」


 彼の予感は当たっていた。グランツ商会は表向き反省の姿勢を見せたが、ヴァルターの恨みは消えていなかった。むしろ、さらに深まっていた。


「町議会だ」レインはつぶやいた。「次は正面から戦いになるだろう」


 彼は窓の外を見た。夕暮れの空が赤く染まっていた。魔獣の脅威は去ったが、新たな試練が待ち受けていることを、彼は直感的に感じていた。


(第十七話 終)

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