第15話:商売の広がり


 バレンフォードの朝市は活気に満ちていた。レインは市場の片隅に立ち、周囲の様子を観察していた。近隣の村から集まった農民たちは新鮮な作物を並べ、町の職人たちは技巧品を売り込んでいる。


「随分賑わっていますね」


 隣に立つアイリスは、食材の買い出しかごを手に持っていた。銀色の髪がこの日の朝日を受けて輝いている。


「ああ、収穫祭が近いからな」


 彼は人々の動きを見ながら考え込んだ。祭りは商機でもあった。「賢者の商会」の新たな展開を考えるには絶好の機会だ。


「あの人たちは?」


 アイリスが指さした先には、見慣れない服装の一団がいた。砂色の肌と赤みがかった衣装から、南方の砂漠地帯からの商人だとわかる。


「砂漠商人だ。年に数回しかバレンフォードには来ない」


 レインは思い切って近づいた。前世の商談経験が背中を押す。


「初めまして。賢者の商会のレインと申します」


 一団の中心にいた男性が振り向いた。四十代くらいの精悍な顔立ちで、鋭い眼光を持っていた。


「ハミド・アル=ザーンだ。何用かな?」


「御一行の持つ特産品に興味があります。もし可能なら、取引を」


 ハミドはレインを値踏みするように見つめた。明らかに子供の体で商談を持ちかけるレインに、当初は疑いの目を向けていたが、会話が進むにつれ、彼の知識の深さに関心を示し始めた。


「確かに君は目が違うな。我々の品物の価値がわかる」


 ハミドは荷から小さな箱を取り出し、開いた。中には赤みがかった粉末が入っている。


「『炎の息』だ。南方でしか採れない香辛料。料理に入れると風味が増すだけでなく、一時的に体を温める効果がある」


 レインは少量を手に取り、鑑定した。


「純度85%。確かに特殊な効果を持つ香辛料です。料理用だけでなく、薬の材料にもなりそうです」


 ハミドは驚きの表情を浮かべた。


「君、鑑定師か?」


「はい、それも仕事の一つです」


 意気投合した二人は様々な品物について話し合った。砂漠地方の薬草、香辛料、染料——どれも北方では珍しい品々だった。


「君の商会にも興味がある。後で訪ねよう」


 ハミドは約束して去っていった。


「南方との取引ができれば、品揃えが豊かになるわね」


 アイリスの言葉にレインは頷いた。商会の影響力を広げるには、遠方との繋がりが不可欠だった。


 ***


 正午過ぎ、「賢者の商会」は多くの客で賑わっていた。ミラは機敏に動き回り、接客をこなしている。彼女の雇用から一ヶ月が経ち、今では店の重要な戦力となっていた。


「レインさん、また『静穏の雫』が売り切れました」


 ミラが報告してきた。「静穏の雫」はアイリスの「青の夜明け」から作られた新薬で、悪夢や不安に悩む人々に人気があった。


「わかった。明日の朝には新しいロットができるよ」


 レインが答えると、店の扉が開き、ハミドが入ってきた。彼は店内を見回し、感心した様子だった。


「整然としているな。君の歳でここまで組織立っているとは」


「ありがとうございます」


 レインは彼を案内し、商会の主力商品や生産方法を説明した。ハミドは特に医薬品に興味を示した。


「南方では特有の熱病が流行ることがある。効果的な薬があれば、大きな需要があるだろう」


「熱病の症状を詳しく教えていただけますか?」


 二人は工房で話し合った。レインはハミドの説明を元に、前世の医学知識とこの世界の薬草の知識を組み合わせ、解決策を考えた。


「『冷涼の霧』というのはどうでしょう。体温を下げ、炎症を抑える効果があります」


 レインは試作品を見せた。ハミドは興味深げに観察した。


「これを南方に持ち帰り、医師たちに試してもらおう」


 話し合いの結果、双方の特産品を交換する契約が成立した。南方の希少な素材と北方の医薬品の交換——これは「賢者の商会」にとって最初の国際取引となった。


「キャラバンを組むとしよう」ハミドは提案した。「我々の護衛隊が往復の安全を保証する」


「それは助かります」


 レインの頭には既に流通網の構想が広がっていた。バレンフォードを拠点に、北はマグノリア、南はハミドの国キファ——商圏の拡大が見えていた。


 ***


 翌日、レインは商会の面々を集めて会議を開いた。ガルム、アイリス、ミラ、トーマス、そして最近雇った二人の製造助手が集まった。


「南方との取引が始まります」


 彼は机に地図を広げた。バレンフォードからキファまでのルートが赤い線で示されている。


「キャラバン隊の編成と、各地での販売戦略を決めなければならない」


 会議は活発に進んだ。レインの前世のマーケティング知識、ガルムの護衛経験、アイリスの薬草知識、それぞれの視点から意見が出された。


「冒険者ギルドの協力も得られれば、さらに安全性が高まるな」


 ガルムの提案にレインは頷いた。マーサとの関係を活かせばいい。


「トーマス、マグノリアルートを担当してくれないか?」


 レインは若い配送員に尋ねた。トーマスは熱心に頷いた。


「はい! 責任を持って務めます」


「俺は南方ルートを見ておこう」ガルムが申し出た。


 計画は固まっていった。バレンフォードを中心に、放射状に商圏を広げていく構想だ。各地に代理店を置き、効率的な物流網を構築する。


 会議の後、レインは一人で市場調査に出かけた。町の様々な店を見て回り、需要と供給のバランスを確認する。そこで、彼は不穏な光景に遭遇した。


 グランツ商会の店先で、一人の男が怒鳴り声を上げていた。


「この薬は効かないぞ! 金を返せ!」


 男は「エルフの涙」の瓶を振りかざしていた。グランツの模倣品だ。


「保証なんかしていないだろう」


 店員は冷たく突き放した。男は怒りに震えたが、店の前に立つ護衛の存在に、やがて諦めて去っていった。


 レインはその男を追った。


「すみません」


「何だ?」男は不機嫌そうに振り返った。


「その薬のことで話があります。もし良ければ、私の店で本物の薬を試してみませんか?」


 男は半信半疑だったが、レインについてきた。商会で「エイド・ドロップ」を試すと、効果は明らかだった。


「これは効く!」男は驚いた。「あの薬とは大違いだ」


「グランツの商品はすべて低品質なのですか?」


「ああ。最近はひどくなってる。価格は上げるのに、品質は落ちる一方だ」


 男の言葉から、グランツ商会の問題点が見えてきた。彼らは目先の利益を優先し、顧客満足を二の次にしていた。


「それならチャンスだ」


 レインは独り言ちた。顧客第一の姿勢を貫けば、長期的には必ず勝てるはずだった。


 ***


 一週間後、最初のキャラバン隊が出発した。荷馬車五台、護衛の傭兵六名、商会からはガルムが同行した。


「気をつけて行ってきて」


 アイリスが見送りに立った。朝の冷気が彼女の息を白く染めていた。


「任せておけ」ガルムは胸を叩いた。「一ヶ月後には戻る」


 キャラバン隊が町の門を抜けると、レインは次の課題に向き合った。マグノリアへの納品準備だ。


「トーマス、こちらを魔法学院に届けてくれ」


 特製の魔力触媒の木箱を渡した。すでに評判は広まり、学生たちからの注文が増えていた。


「町でこんな話も聞いてきてほしい」


 レインは紙にリストを書いた。競合商品の価格、評判、町の最新情報など——市場調査の項目だ。前世のマーケティング手法をこの世界でも応用していた。


「わかりました!」


 トーマスは張り切って出発した。


 その日の午後、思いがけない来客があった。商業ギルドの役員グスタフだ。


「やあ、レイン」


「グスタフ様、いらっしゃいませ」


「君の商会が急速に広がっているという噂を聞いてな」


 グスタフは店内を見回した。前回の訪問から一ヶ月で、店の規模は明らかに大きくなっていた。


「南方との取引も始めたと?」


「はい、ハミド・アル=ザーン氏との契約が成立しました」


 グスタフは感心した様子だった。


「それは素晴らしい。若いながら国際感覚がある」


 彼は声を落とした。


「ただ、気をつけなさい。グランツの妨害が本格化するかもしれん」


「既に始まっています」


 レインは最近の出来事—商会の評判を落とす噂や、取引先への圧力—を説明した。


「ヴァルターめ、相変わらずだな」


 グスタフは眉をひそめた。


「彼は昔から競争相手を潰すことしか考えていない。しかし、今回は一筋縄ではいかないだろうな」


 グスタフの言葉には確信があった。


「君の商会は単なる商売だけでなく、人々の暮らしを良くしている。そういう商いは長続きするものだ」


 彼の言葉に、レインは勇気づけられた。


「できる限りの協力はする」グスタフは約束した。「商業ギルドとしても、健全な競争を望んでいる」


 ***


 二週間後、トーマスがマグノリアから帰還した。彼は興奮した様子で報告してきた。


「レインさん、大変です!」


「どうした? 何かあったのか?」


「良いことです! 魔法学院の学生たちから注文が殺到しています。リーザさんも対応に困っているほどです」


 トーマスは紙の束を差し出した。それは学生たちからの商品リクエスト書だった。特に「静穏の雫」は試験期間中の学生たちに大人気となっていた。


「これは想定以上だな」


 レインは嬉しい悲鳴を上げた。生産能力を再検討する必要があった。


「そして、これもリーザさんからです」


 トーマスは小さな結晶を取り出した。


「通信用の結晶だそうです。緊急時に使ってくださいと」


 レインはその結晶を手に取り、鑑定した。


「なるほど。魔力を通信手段として利用する装置か。これは便利だな」


 商圏の拡大と共に、迅速な通信手段の確保は課題だった。この結晶があれば、マグノリアとの情報交換が容易になる。


「他にも町の情報がたくさんあります」


 トーマスは市場調査の結果を報告し始めた。競合商品の価格、新しい店の出店情報、町の経済状況——すべてレインの指示通りに調べてきたのだ。


「素晴らしい仕事だ、トーマス」


 レインは彼の肩を叩いた。情報は商売の命だった。特に注目したのは、マグノリアでもグランツ商会の支店が開店したという情報だった。


「予想より早く動き始めたな」


 レインは唇を噛んだ。グランツの妨害はこれからさらに強まるだろう。


 夜、レインは工房で一人考え込んでいた。商会の拡大は順調だったが、同時に対立も深まっていた。彼は真理の結晶に語りかけた。


「先生、商売は広がっていますが、敵も増えています」


 結晶は静かに輝きを放った。


「前世の知識を活かして、正しい道を進みたい」


 レインは窓の外を見た。バレンフォードの夜景が広がっている。この町から始まった小さな商会は、いまや王国の複数の地域に名を知られるまでに成長していた。


「これは始まりに過ぎない」


 彼は決意を新たにした。この世界での彼の道——それは人々の暮らしを良くする商いを広げること。前世の知識と、新たな仲間たちの力を結集して、その道を進んでいくのだ。


(第十五話 終)

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