第14話:生産の革命
朝の光が「賢者の商会」の窓から差し込み、埃の舞う工房を照らしていた。レインは広げた図面を指でなぞり、何度も計算を確認した。前世のエンジニアとしての知識が、この瞬間に活きていた。
「この流れでいけば、生産効率が三倍になるはずだ」
彼は満足げに頷いた。注文の増加に伴い、生産方法の見直しが急務となっていた。特に「エイド・ドロップ」と新しい「静穏の雫」の需要は予想を上回っていた。
「レイン、朝食ができたわよ」
アイリスの声に振り返ると、彼女は朝露に濡れた薬草の束を抱えていた。朝の収穫を終えたところらしい。
「新しい栽培方法、うまくいったわ。成長速度が倍になったの」
レインは彼女の仕事ぶりに微笑んだ。アイリスもまた、自分なりの方法で商会の生産性向上に貢献していた。
「すごいじゃないか。そのうち温室も作りたいね」
朝食のテーブルには、ガルムも加わっていた。彼の雇用から一週間が経ち、すっかり商会の一員となっていた。
「今日は見習いが二人来るんだったな」
ガルムが魚のパンを齧りながら言った。昨日、彼らは若い見習いを雇うための面接を行っていた。
「そうね。店番担当のミラと、配送担当のトーマス」アイリスが言った。
レインは頷きながら計画を説明した。
「今日から新しい生産ラインの構築を始めよう。前世のアッセンブリーラインの原理を取り入れて…」
「アッセン…何?」ガルムが眉をひそめた。
「工程を分けて、それぞれの専門家が順番に作業する方法だ。一人が全てをするより効率が良い」
レインは簡単に図を描いて説明した。それは前世の工場システムを、この世界の手作業に適用したものだった。
「なるほど」ガルムは頷いた。「兵団でも似たようなことをしていたな。各自が得意なことに集中する」
「そう、それが鍵なんだ」
***
午前中、新しい見習いたちが到着した。ミラは村の孤児で、十四歳。明るい性格と素早い動きが特徴だった。トーマスは農家の息子で十六歳。頑丈な体格と責任感の強さが採用の決め手となった。
「ようこそ、賢者の商会へ」
レインは二人を店の中心へと案内した。売り場、工房、薬草園、そして新設された倉庫まで、全ての施設を説明した。
「皆さんと一緒に働けることを嬉しく思います」
ミラは丁寧にお辞儀をした。彼女の目には好奇心と期待が輝いていた。
「頑張ります」
トーマスも力強く頷いた。彼は既に荷物の運搬を手伝い始めていた。
アイリスはミラに商品説明を教え、ガルムはトーマスに配送ルートを説明した。レインは工房に戻り、生産ラインの準備を進めた。
ノックの音に振り返ると、ガルムが一つの瓶を持って立っていた。
「グランツの偽物を手に入れた」
レインは瓶を受け取り、じっくりと観察した。確かに「エイド・ドロップ」に似せて作られていたが、色は僅かに薄く、香りも異なっていた。
「鑑定してみよう」
彼は瓶に触れ、能力を発動させた。情報が頭に流れ込んでくる。
「これは……低品質の回復薬。主成分は似ているが、純度が低い。効果は私たちの製品の半分以下だろう」
「やっぱりな」ガルムは不満そうに唸った。「そんな粗悪品を売るとは」
「競争は避けられない」レインは冷静に言った。「だからこそ、私たちは質を保ちながら、生産効率を上げる必要がある」
午後、彼は新しい生産ラインの構築を本格的に始めた。まず、工房の配置を変更し、流れ作業に適した形に再構成した。
「アイリスは薬草の下処理を担当して」
「わかったわ」
「ミラはラベル貼りと梱包、トーマスは材料運びと完成品の保管」
皆がそれぞれの持ち場に立ち、レインの指示に従った。彼は全体を見渡しながら、微調整を行っていった。
「この作業、こう持ち変えれば手間が省けるぞ」
レインはミラの手元を直した。前世の効率化の知識が随所に活かされていった。
「これはすごい」ガルムが見学に来て感嘆の声を上げた。「戦場の補給隊より整然としているぞ」
一日の作業が終わった頃、彼らは通常の倍の量の「エイド・ドロップ」を製造することに成功していた。
「明日はもっと良くなるはずだ」
レインは自信を持って言った。新しいシステムはまだ改善の余地があった。
***
翌日、レインは魔法学院向けの特別魔力触媒の完成品を確認していた。四種類の属性対応バージョンは、それぞれ鮮やかな色を持っていた。
「これで良しと」
レインは触媒を注意深く特別な箱に収め、トーマスに渡した。
「これをマグノリアの魔法学院まで運んでくれ。リーザという女性に直接渡すんだ」
「はい、レインさん」
トーマスは頑丈な馬車に商品を積み込み、出発した。ガルムも護衛として同行した。
店内では、ミラが接客に慣れてきていた。彼女の明るい性格は客に好評で、売上も順調だった。
午後、アイリスが薬草園から戻ってきた。彼女の顔には不安の色があった。
「レイン、聞いてほしいことがあるの」
「どうしたんだい?」
「さっき、市場で噂を聞いたの。グランツ商会が『エルフの村では魔法に呪いを使っている』という噂を流しているらしいわ」
レインは眉をひそめた。
「それは君を狙った噂だな」
「ええ。私が作る薬にも疑いの目が向けられるかもしれない」
アイリスの懸念は理解できた。この世界でもエルフへの偏見は少なくなかった。
「対抗策を考えよう」
レインは一瞬考え、顔を上げた。
「透明性だ。私たちの生産過程を公開しよう」
「公開?」
「そう、週に一度、希望者には工房見学を許可する。商品がどのように作られているか、自分の目で確かめてもらうんだ」
アイリスは驚いた様子だった。
「でも、秘密の製法は?」
「基本工程だけを見せれば十分だよ。核心部分は省略できる」
レインは前世のファクトリーツアーの知識を思い出していた。企業イメージの向上と顧客の信頼獲得に有効な手段だった。
「そして、最初の見学者として商業ギルドのグスタフを招待する」
グスタフの支持を得られれば、商業界での信頼性は大きく高まるはずだった。
***
三日後、最初の工房見学会が開催された。グスタフを含む十名ほどの見学者が訪れた。
「ようこそ、賢者の商会へ」
レインは彼らを丁寧に案内した。新しく整えられた生産ラインは、静かに稼働していた。アイリスが薬草の処理を担当し、ミラがボトル詰めを行い、別の従業員たちも各持ち場で作業していた。
「こちらが『エイド・ドロップ』の製造工程です。原材料の選別から始まり、抽出、混合、熟成、そして瓶詰めまで、全て厳格な品質管理の下で行われています」
グスタフは感心した様子で作業を見つめていた。
「効率的な生産方法だな。どこでこんな方法を学んだ?」
「様々な書物から得た知識と、試行錯誤の結果です」
レインは控えめに答えた。前世のことは明かせなかった。
見学者たちは特にアイリスの作業に興味を示した。エルフの少女が繊細に薬草を扱う様子は、呪いどころか、神聖な儀式のように美しかった。
「エルフの知恵と人間の技術の融合が、私たちの商品の特徴です」
レインの説明に、多くの見学者が納得の表情を見せた。
見学会が終わる頃、グスタフはレインを脇に呼んだ。
「見事な手腕だ。わずか数ヶ月でここまで商会を発展させるとは」
「ありがとうございます」
「ヴァルターの妨害も気にするな。彼の商法は長く続かない」
グスタフの言葉に、レインは少し安心した。商業ギルドの後ろ盾があれば、不当な攻撃から身を守れるはずだった。
「それと、王都からの使者が来月訪れる予定だ。君の商会に興味を持っているようだ」
「王都からですか?」
「ああ。評判は遠くまで届いているようだな」
グスタフは意味深な表情で去っていった。
***
夕方、マグノリアから戻ったトーマスとガルムが、商会に良い知らせをもたらした。
「魔法学院の評価は最高だったぞ」
ガルムは誇らしげに報告した。トーマスもうなずいた。
「リーザさんが大喜びでした。来月から正式な取引が始まるそうです」
レインとアイリスは顔を見合わせて喜んだ。魔法学院との正式契約は、商会の地位を大きく向上させるはずだった。
「リーザからの手紙だ」
ガルムが一通の手紙を取り出した。レインはそれを開き、内容を確認した。
「魔法学院の年間契約に加えて、研究協力の提案だ。我々の商品開発に学院の設備と知識を提供してくれるという」
「素晴らしいわ!」アイリスの目が輝いた。
レインはさらに手紙を読み進めた。
「それと……」彼は驚いて顔を上げた。「学院の図書館を自由に利用できる許可をもらったようだ」
「それはすごい特権だな」ガルムが感心した。
「ええ、王国内でも最大の図書館ですから」
レインの脳裏に、前世のギルバートとの思い出が蘇った。魔法学院の図書館で過ごした日々。今度は彼自身がその知識を活用できる立場になったのだ。
夜、仕事を終えた後、レインは工房の一角に設置した小さな祭壇の前に座った。そこには真理の結晶が安置されていた。
「先生、商会は順調に成長しています」
彼は結晶に語りかけた。
「生産方法を改良し、新しい仲間も増えました。魔法学院との取引も始まります」
結晶は静かに輝きを放った。まるでギルバートが彼の成功を祝福しているかのようだった。
「前世の知識とこの世界の魔法を組み合わせる——それが私の道です」
レインは穏やかな心持ちで目を閉じた。商会の拡大は、彼の異世界での使命の始まりに過ぎなかった。結晶の柔らかな光に包まれながら、彼は次の一歩を思い描いていた。
(第十四話 終)
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