第12話:流行り病との戦い
バレンフォードの朝市は活気に満ちていた。噴水広場には様々な店が立ち並び、町の人々が買い物を楽しんでいる。「賢者の商会」の出店も市の中央に位置し、多くの客で賑わっていた。
「こちらが新商品の『精霊の癒し』です。傷の治癒を早める効果があります」
アイリスは客に丁寧に説明していた。銀色の髪と尖った耳を持つエルフの少女は、最初こそ人々に警戒されたが、今では商会の看板娘として親しまれていた。
「これを塗ると本当に傷が早く治るのかい?」
質問したのは年配の農夫だった。手に古い傷跡がある。
「はい」アイリスは自信を持って答えた。「これを塗って包帯をすれば、通常の半分の時間で治ります」
「ほう、それは凄い」
農夫は小瓶を手に取り、銀貨を二枚支払った。
「ありがとうございます」
アイリスがお辞儀をすると、農夫は微笑んで去っていった。彼女は売上を記録帳に書き込んだ。
「順調だね」
レインが荷物を抱えて近づいてきた。彼は商会の本店から追加の商品を運んできたところだった。
「うん、『精霊の癒し』はもう十本売れたわ」
アイリスは嬉しそうに報告した。彼女が商会に加わって一ヶ月が経ち、すっかり仕事に慣れていた。エルフ特有の優雅さと、ハーブに関する豊富な知識は、商会の大きな強みになっていた。
「さすがだね」レインは品物を棚に並べながら微笑んだ。「君のハーブ知識のおかげで、商品の質が格段に上がった」
アイリスは照れたように髪を耳にかけた。
昼過ぎ、市場が最も賑わう時間帯に、一人の男が慌ただしく駆け込んできた。彼は村の使者らしく、息を切らしていた。
「賢者の商会の主人を探しています!」
「私です」レインが前に出た。「何かお困りですか?」
「北の村、グリーンヘイブンから来ました」男は急いで言った。「村で奇妙な病気が流行っているのです。町の医者は対応できず、あなたの評判を聞いて…」
レインは真剣な表情になった。「症状は?」
「高熱と発疹です。特に子供たちがひどく苦しんでいます」
レインとアイリスは顔を見合わせた。
「行きましょう」アイリスが決然と言った。
レインは頷き、ミラに店を任せると、すぐに必要な道具と薬草を集め始めた。
「どれくらい離れていますか?」
「馬車で半日の距離です」
「すぐに出発します」
***
グリーンヘイブンは小さな農村だった。周囲を緑豊かな農地に囲まれ、通常なら牧歌的な風景のはずだった。しかし今は、村全体が重苦しい空気に包まれていた。
馬車が村の広場に到着すると、村長が待ち構えていた。彼は五十代の堅実そうな男性だった。
「来てくださって感謝します」村長は深々と頭を下げた。「噂の賢者の商会とは、随分お若い方ですね」
「年齢で判断しないでください」レインは冷静に言った。「患者を見せてください」
村長は二人を村の集会所へと案内した。そこは臨時の診療所となっており、十人以上の患者、主に子供たちが横たわっていた。
「三日前から始まったのです」村長は説明した。「最初は一家族だけでしたが、あっという間に広がって…」
レインは患者たちを観察した。皆、高熱に苦しみ、体には赤い発疹が出ていた。彼は前世の医学知識を思い出そうとした。症状から判断すると、麻疹のような感染症だろうか。
「アイリス、どう思う?」
アイリスは一人の子供の傍らに膝をつき、慎重に観察していた。彼女は子供の額に手を当て、瞼を開いて目を調べた。
「『赤の涙』という病気に似ている」彼女は静かに言った。「エルフの集落でも時々流行る。でも、人間の場合は重症化しやすいかもしれない」
「治療法は?」
「クールリーフとシルバームーンの葉で作る薬が効く」アイリスは思い出すように言った。「でも、シルバームーンはこの季節、見つけるのが難しい」
レインは考え込んだ。彼の鞄には様々な薬草が入っていたが、シルバームーンはなかった。
「他に代用できる薬草は?」
アイリスは頭を振った。「わからない。エルフの治療法は特定の薬草に頼っているから…」
レインは決断した。「患者の一人を詳しく診せてもらえますか?」
村長の許可を得て、レインは一人の少年を診察した。彼は少年の体に触れ、鑑定能力を発動させた。体内の状態が情報として頭に流れ込んでくる。
「体内に特殊な菌が広がっている。肺と皮膚に集中していて、熱と発疹の原因になっている」
レインは菌の詳細を分析した。前世の微生物学の知識と、この世界での鑑定能力を組み合わせることで、病原体の性質が見えてきた。
「この菌は湿気と暖かさを好む。冷却と特定のハーブの成分で弱らせることができるはず」
彼は鞄から様々なハーブを取り出し、一つ一つ鑑定した。それぞれの効能と、病原体への影響を調べていく。
「これとこれを組み合わせれば、シルバームーンの代わりになるかもしれない」
レインはミントに似た葉とラベンダーのような花を選び出した。アイリスは驚いた様子で見ていた。
「本当に? それは全く別の薬草よ」
「成分レベルで見ると、似た効果が期待できる」レインは説明した。「君のクールリーフと組み合わせれば、効果が出るはず」
アイリスは半信半疑だったが、すぐに作業に取りかかった。二人は村の井戸水を沸かし、選んだ薬草を適切な比率で混ぜ、煎じ薬を作った。
「まずは一人に試してみよう」
レインは少年に煎じ薬を飲ませた。さらに、残りの液体で湿布を作り、体に巻いた。
「あとは様子を見るしかない」
***
夜が更けていく中、レインとアイリスは交代で患者を見守った。真夜中頃、最初に薬を飲ませた少年の熱が少し下がり始めた。
「効いている!」アイリスは喜んだ。
レインも安堵した。彼らは急いで他の患者にも同じ治療を施した。夜明けまでに、ほとんどの患者の容態が安定し始めた。
「これは奇跡だ」村長は感嘆した。「町の医者も手の施しようがなかったというのに」
「まだ完全に治ったわけではありません」レインは慎重に言った。「少なくとも三日は同じ治療を続ける必要があります」
村長は一日でも滞在するよう懇願した。レインとアイリスは商会のことが気にかかったが、状況の緊急性を考慮して承諾した。ミラに使いを出し、しばらく戻れないことを伝えた。
次の三日間、二人は村に滞在し、患者の治療を続けた。薬を改良し、発疹を和らげるクリームも開発した。アイリスのエルフの知識とレインの鑑定能力と前世の医学知識の組み合わせは、驚くほど効果的だった。
四日目、最後の患者も回復の兆しを見せた。村全体が安堵の空気に包まれた。
「本当にありがとうございました」村長は感謝の気持ちを伝えた。「お礼としてこれを」
彼は金貨五枚を差し出した。それは小さな村にとっては大金だった。
「そんなに多くはいただけません」レインは二枚だけ受け取った。「残りは村の復興に使ってください」
村人たちは深く感謝し、帰り際には野菜や手作りの品をたくさん贈ってくれた。
***
バレンフォードへの帰路、馬車の中でレインとアイリスは今回の経験について話し合った。
「あなたの治療法は驚くべきものだった」アイリスは感嘆した。「薬草の組み合わせ方が、エルフの伝統とは全く違う」
「君のクールリーフがなければ成功しなかった」レインは微笑んだ。「僕たちの知識を組み合わせたからこそ、新しい治療法が生まれたんだ」
アイリスは真剣な表情で言った。「今回の薬、『エイド・ドロップ』と名付けたらどう? 困っている人を助ける雫という意味で」
「素晴らしい名前だね」
レインは頷いた。彼は今回の経験から、医薬品の開発が商会の新たな方向性になると感じていた。
「アイリス、僕は考えているんだ」彼は真剣に言った。「もっと医薬品の研究に力を入れよう。多くの人々を救うことができる」
「賛成よ」アイリスの目が輝いた。「私もエルフの伝統治療の知識を最大限に活かしたい」
二人は新しい薬の開発計画を立て始めた。エルフの伝統的なハーブ療法と、レインの科学的アプローチを組み合わせた独自の医薬品。それは「賢者の商会」の新たな看板商品となるだろう。
***
バレンフォードに戻ると、思いがけない知らせが待っていた。グリーンヘイブンでの活躍の噂が広がり、他の村々からも薬の注文が殺到していたのだ。
「レインさん、すごいことになってるよ!」ミラは興奮して報告した。「あなたたちが病気を治したって噂が広がって、みんな『エイド・ドロップ』を求めて来るの」
「まだ正式に商品化してないのに?」レインは驚いた。
「噂の力ね」アイリスは微笑んだ。
レインは決断した。「急いで生産体制を整えよう。需要に応えなければ」
彼らは忙しい日々を送ることになった。アイリスは必要なハーブの栽培と収集を担当し、レインは製造工程の最適化に取り組んだ。オスカーも協力して、大量の薬草を提供してくれた。
一週間後、正式に「エイド・ドロップ」が商品化された。小さな瓶に入った透明な液体は、風邪や感染症に効果があるとして評判となった。特に子供のいる家庭での需要が高く、瞬く間に商会の主力商品となった。
「先生、また新しい一歩を踏み出しました」
夜、店を閉めた後、レインはいつものように真理の結晶に語りかけた。
「人々の役に立つ商売。これこそが僕の進むべき道なんだと思います」
アイリスが二階から呼ぶ声が聞こえた。彼女は新しいハーブの組み合わせを試しているという。
レインは満足感を抱きながら階段を上った。「賢者の商会」は単なる商売の場ではなく、人々を助ける知恵の源になりつつあった。
(第十二話 終)
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