第11話:迷子のエルフ


 春の訪れを告げる優しい風が吹く季節、「賢者の商会」はバレンフォードで最も人気のある店の一つになっていた。開店から三ヶ月が経ち、レインの商品は町の人々の生活に浸透し始めていた。


「また注文が入りましたよ、レインさん」


 店を手伝うようになった少女ミラが、注文書を持ってきた。彼女は町の孤児で、レインが雇った最初の従業員だった。


「ありがとう、ミラ」


 レインは注文書に目を通した。魔石ランプ十個、浄水石五個、高級魔力触媒三瓶——これだけで銀貨三十枚以上の価値があった。


「市長邸からの注文なの」ミラは嬉しそうに言った。「すごいね、レインさん」


 彼は謙虚に微笑んだ。商会の成功は、彼の予想を上回るものだった。今では二人の従業員を雇い、工房も拡張していた。リーザとの共同研究も続いており、彼女は月に一度はバレンフォードを訪れた。


「そろそろ材料の調達に行かなくては」


 レインは立ち上がった。良質な魔石が必要だったが、町での在庫は底をついていた。オスカーから聞いた話では、北の森に魔石の鉱脈があるという。


「ミラ、店を頼むよ。僕は森に材料を探しに行ってくる」


「気をつけてね」


 彼は必要な道具と食料を鞄に詰め、森への道を歩き始めた。バレンフォードから北へ約一時間——「緑の瞳」と呼ばれる森があった。魔物は少ないが、迷いやすいことで知られている。


 ***


 森に入ると、周囲の音が変わった。鳥のさえずり、葉が風に揺れる音、小川のせせらぎ——自然の音楽に包まれる感覚だった。レインはオスカーから教わった目印を頼りに歩を進めた。


「赤い苔の生えた岩を左に見て、三本並んだ杉の木を通り過ぎたら……」


 彼は慎重に進んだ。地図と方位磁石を持っていたが、森の中では方角を見失いやすい。


 二時間ほど歩いた頃、小さな空き地に出た。そこには確かに青い輝きを放つ岩があった。魔石の鉱脈だ。


「やった、見つけた!」


 レインは早速、鑑定と採集を始めた。この魔石は水の属性を持ち、純度も高かった。浄水石の材料として最適だった。


 彼が作業に集中していると、突然茂みがざわめいた。何かが近づいている。魔物だろうか? レインは身構えた。


 しかし、現れたのは魔物ではなく、一人の少女だった。いや、よく見ると人間ではない。尖った耳と銀色の髪——エルフだった。


 少女は驚いた様子でレインを見つめていた。彼女は十三、四歳くらいに見え、緑の服を着ていた。膝から血を流しており、明らかに負傷していた。


「大丈夫ですか?」レインは少女に近づいた。


 少女は警戒するように後ずさりした。彼女の目には恐怖の色が浮かんでいた。


「怖がらないで。敵じゃないよ」


 レインはゆっくりと手を広げ、敵意がないことを示した。少女は躊躇った後、小さな声で答えた。


「迷子……道がわからない」


 彼女の言葉には訛りがあったが、共通語は理解できるようだった。


「怪我をしているね。手当てさせて」


 レインは鞄から救急用品を取り出した。少女は警戒しながらも、膝を見せた。


「大したことないよ。すぐ良くなる」


 彼は優しく傷を洗い、薬草の軟膏を塗った。前世の応急処置の知識とギルバートから学んだ治療法を組み合わせたものだ。


「これで痛みが和らぐよ。名前は?」


「アイリス……」少女は恥ずかしそうに答えた。「あなたは?」


「レイン。バレンフォードから来たんだ」


 アイリスの表情が少し和らいだ。


「なぜここに? 危険な森」


「魔石を探していたんだ」レインは採取した青い石を見せた。「僕は商人でね、これを使って商品を作るんだ」


 アイリスは興味深そうに魔石を見つめた。


「きれい……」


「君はどうしてここにいるの? エルフの集落はもっと奥のはずだけど」


 彼女の表情が曇った。


「集落を出た。戻れない」


「追放されたの?」


 アイリスは首を横に振った。


「逃げた。自分の意志で」


 彼女はそれ以上詳しくは語らなかった。レインはそれ以上追及しないことにした。


「とにかく、ここは危険だよ。日が暮れる前に町に戻ろう」


 彼は立ち上がり、荷物をまとめた。アイリスは迷っているようだった。


「町……人間の場所。私を嫌うはず」


「大丈夫」レインは自信を持って言った。「僕が責任を持つよ。それに、君の怪我をちゃんと治療しなきゃ」


 アイリスはしばらく考え、やがて小さく頷いた。二人は森を出る道を歩き始めた。


 ***


 森を出るのは入るよりも難しかった。アイリスは森の道に詳しいようだったが、方向感覚を失っていた。レインは方位磁石と地図を頼りに、何とか正しい方向を見つけた。


「人間の道具、便利」アイリスは方位磁石を不思議そうに見つめた。


「これは前の時代から伝わる技術だよ」


 レインは前世の知識を直接明かすことは避けた。アイリスは好奇心旺盛で、森の植物についてレインに教えてくれた。彼女はハーブや薬草に詳しく、エルフ族に伝わる治療法を知っていた。


「この青い花、『夜の涙』。傷に効く」


「へえ、知らなかった」レインは興味を持った。「こういう知識は商売に役立つかも」


 二人が森を抜け、バレンフォードが見える丘に到着したとき、日はすでに西に傾いていた。


「あれが僕の住む町だよ」


 アイリスは不安そうに町を見つめた。


「人間の町……初めて」


「大丈夫」レインは彼女を安心させた。「みんな優しいよ」


 町の門に近づくと、衛兵が二人を見て驚いた様子だった。


「おい、少年。そのエルフは?」


「友人です」レインは堂々と答えた。「森で怪我をしていたので、手当てのために連れてきました」


 衛兵は疑わしげにアイリスを見た。エルフと人間の関係は複雑だった。過去の紛争の記憶が残っており、互いに警戒心を抱いていた。


「町長の許可が必要だぞ」


「では、すぐに町長に会います」レインは冷静に言った。「彼女を危険な森に戻すわけにはいきません」


 彼の毅然とした態度に、衛兵は渋々頷いた。


「わかった。だが、何かあれば責任を取れよ」


「もちろんです」


 ***


「賢者の商会」に戻ると、ミラは大きな目で驚いた。


「エルフさん?」


「アイリスっていうんだ」レインは説明した。「森で迷子になっていたんだ」


 ミラはすぐに温かいスープと清潔な布を用意した。アイリスは恐る恐るスープを口にしたが、すぐに美味しさに目を輝かせた。


「おいしい……」


「ミラの作るスープは最高だからね」レインは笑った。


 彼はアイリスの怪我を再度手当てし、清潔な服を貸した。彼女は徐々に警戒心を解いていった。


「なぜ私に親切に?」


「困っている人を助けるのは当然だよ」


 アイリスは静かに言った。「エルフの集落では……そうではない」


 夕食後、彼女は少しずつ自分の話を始めた。彼女はエルフの集落で薬草師の見習いだったが、伝統的な方法にとらわれず、新しい治療法を模索していた。それが長老たちの怒りを買い、最終的に彼女は集落を去ることを決めたのだという。


「彼らは変化を恐れる。千年同じやり方」


 レインはその話に共感した。新しいアイデアが受け入れられないという経験は、前世でも味わったことがあった。


「僕の店では、新しいアイデアこそ価値があるんだ」彼は言った。「君のハーブの知識は、きっと役に立つよ」


 アイリスの目が輝いた。


「私を……雇ってくれる?」


「もちろん」レインは微笑んだ。「明日から一緒に働こう。住む場所も心配いらないよ。店の二階に部屋がある」


 アイリスは感激して、エルフ語で何か言った。それから恥ずかしそうに共通語に戻した。


「ありがとう……恩は忘れない」


 ***


 翌朝、レインはグスタフを訪ね、アイリスの滞在許可を正式に申請した。商業ギルドの推薦もあり、町長は特別に許可を与えた。


「ただし、彼女の行動には君が責任を持つことだ」


「もちろんです」


 許可を得たレインは、アイリスを正式に助手として雇った。彼女は驚くほど器用で、薬草の知識も豊富だった。特にエルフに伝わるハーブの使い方は、レインの商品開発に新しい可能性をもたらした。


「この葉、砕いて水に溶かすと、傷が早く治る」


 アイリスは様々なハーブを見せながら説明した。レインはそれらを一つ一つ鑑定し、効能を詳しく調べた。


「これは素晴らしい! これを使えば、治癒薬の効果を倍増できるかもしれない」


 二人の協力で、新商品「精霊の癒し」という傷薬が開発された。エルフの知恵と、レインの鑑定能力と前世の製薬知識を組み合わせた画期的な薬だった。


 商品は大評判となり、多くの冒険者や旅人が求めて店を訪れるようになった。アイリスもしだいに町の人々に受け入れられていった。最初はエルフに警戒心を抱いていた人々も、彼女の優しさと知識に敬意を示すようになった。


「レイン、見て」アイリスは嬉しそうに言った。「お客さんが増えた」


「君のおかげだよ」レインは笑顔で答えた。「君が来てから、商会は更に成長したんだ」


 アイリスは照れた様子で頬を赤らめた。


 夕暮れ時、店を閉めた後、二人は新しい商品のアイデアを話し合っていた。


「もっと効果的なハーブがある」アイリスは言った。「でも、深い森の中でしか採れない」


「それなら、今度一緒に採りに行こう」レインは提案した。「君がガイドをしてくれれば、安心だ」


 アイリスは笑顔で頷いた。


「うん、森の道を教える。そして一緒に新しい薬を作る」


 二人の視線が交わり、新たな絆が結ばれていくのを感じた。


「アイリス、君は本当に優秀だ」レインは心から言った。「これからもずっと一緒に働こう」


「うん……これが私の新しい家」


 アイリスの目に涙が浮かんだ。彼女にとって、「賢者の商会」は単なる仕事場ではなく、新しい居場所となっていた。


 レインは満足感を覚えた。商会は順調に成長し、アイリスという頼もしい仲間も得た。彼の新しい人生は、予想以上に充実したものになっていた。


 窓から見える夕焼けを眺めながら、レインはつぶやいた。


「先生、見ていますか? 僕はちゃんと自分の道を歩んでいます」


 そよ風が窓を通り抜け、二人の頬を優しく撫でた。それはギルバートの祝福のようにも感じられた。


(第十一話 終)

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