第8話:市場の目利き

 バレンフォードの朝市は日の出とともに始まっていた。様々な店が立ち並び、商人たちの威勢のいい声が市場に響く。レインは市場の端に小さな机を置いていた。


「何でも鑑定します。一品一銅貨」


 彼の前には手書きの看板が立てかけてあった。これはマーサの提案だった。冒険者ギルドでの仕事を三日間続けた後、マーサは彼に市場での鑑定業を勧めたのだ。


「経験を積むには最適だよ。様々な品物に触れることで、鑑定の幅が広がる」


 最初の一時間、客は全く来なかった。通りがかる人々は小さな少年が座っている鑑定所を怪訝そうに見るだけだった。レインは不安になり始めていた。


「こんな子供に何ができるのかしら」


 通りがかった女性のつぶやきが耳に入った。レインは肩を落とした。確かに、彼の外見は十二歳の少年だ。誰も彼の能力を信じないだろう。


 そのとき、一人の男性が近づいてきた。彼は中年で、豪華な服を着ていた。商人のような風体だ。


「君が鑑定師かい?」


「はい」レインは緊張しながら答えた。「何でも鑑定します」


 男は笑った。「冗談だろう。子供に何がわかる」


「試してみますか?」レインは負けじと言った。「気に入らなければ、料金はいただきません」


 男は考え込んだ。「面白い。では試してみよう」


 彼はポケットから小さな石を取り出した。それは緑色で、光を反射して美しく輝いていた。


「これは何だ?」


 レインは石を手に取った。触れた瞬間、彼の能力が作動した。情報が頭に流れ込む。


「これはエメラルド。純度は90%。マグノリア北方の鉱山で採掘されたもので、内部に特殊な結晶構造があります。通常のエメラルドより20%ほど高い価値があるでしょう」


 男の顔から笑みが消えた。彼は驚きの表情でレインを見つめた。


「どうして……そこまでわかる?」


「鑑定能力です」レインは石を返した。「内部の構造まで見ることができます」


「信じられん」男は本気で驚いていた。「正確だ。この石は確かに北方鉱山のもので、普通のエメラルドより高く取引されている」


 彼は銅貨を一枚ではなく、銀貨を一枚テーブルに置いた。


「これからも利用させてもらう。友人にも紹介しよう」


 そう言うと、男は立ち去った。レインはほっと息をついた。最初の顧客が満足してくれたのだ。


 その後、噂は瞬く間に広がった。「驚異の少年鑑定師」と呼ばれ、次々と客が訪れるようになった。商人たちは取引前に商品の価値を知りたがり、市民たちは持ち物の正体を知りたがった。


「この布地は何からできているのでしょう?」


「これは本物の金でしょうか?」


「この薬は効くのでしょうか?」


 レインは一つ一つ丁寧に鑑定し、答えていった。彼の正確さに、評判は急速に高まっていった。


 ***


 昼過ぎ、レインは小休憩を取っていた。朝から休みなく鑑定を続け、少し疲れていたのだ。水筒から水を飲んでいると、一人の老婦人が近づいてきた。


「あなたが噂の鑑定師ね」


「はい」レインは微笑んだ。「何かお手伝いできますか?」


 老婦人は古い木の箱を差し出した。「これを見てもらえるかしら」


 レインは箱を受け取り、開けた。中には古びた銀の装飾品があった。ブローチや小さな像など、様々な品が入っている。


「亡き夫の形見なの。価値があるのか知りたくて」


 レインは一つ一つ鑑定していった。多くは普通の銀製品だったが、一つだけ特別なものがあった。小さな銀の鳥の像だった。


「これは……純銀ではありません。中に何か別の金属が」


 レインは集中した。より深く鑑定すると、驚くべき情報が得られた。


「これは銀メッキの像です。中身は……ミスリル! 非常に希少な魔法金属です」


 老婦人は驚いた様子だった。「ミスリル? そんな貴重なものが?」


「はい。この鳥の像は、見た目以上の価値があります。正しく売れば、家一軒は買えるでしょう」


 老婦人の目に涙が浮かんだ。「ありがとう、坊や。夫は冒険者だったの。きっとこれが特別だと知っていたのね」


 彼女は喜んで銀貨を一枚置き、箱を大事そうに抱えて帰っていった。レインは彼女の役に立てて嬉しかった。


 ***


 夕方になると、市場はさらに賑わいを見せた。仕事を終えた市民たちが買い物に訪れる時間だ。レインの鑑定所にも引き続き多くの客が訪れた。


 その中に、貫禄のある中年の男性がいた。彼は高級な服を着て、二人の従者を連れていた。


「君が噂の少年鑑定師か」


「はい」レインは丁寧に応じた。「ご用件は?」


 男性は机に小さな袋を置いた。「これを鑑定してほしい」


 レインは袋を開け、中身を見た。それは赤褐色の粉末だった。彼は少量を指先に取り、鑑定した。


「これは……シナモンに似た香辛料ですが、違います。『火辛子』という珍しい香辛料です。南方の熱帯地域でしか採れません。料理に使うと風味が増し、また微量の魔力覚醒効果があります」


 男性は満足そうに頷いた。


「正確だ。これは南方諸島からの輸入品だ。市場での価値はどれくらいだろう?」


 レインは考えた。前世の知識と、この世界での経験を組み合わせる。


「現在の相場では、この量で金貨一枚ほどでしょう。しかし、魔力覚醒効果を知る者には、二倍の価値があるかもしれません」


「賢明な判断だ」男性は微笑んだ。「私はグスタフ。この町の商業ギルド役員だ」


 レインは驚いた。商業ギルドは商人たちの強力な組織だという話を聞いていた。


「明日、商業ギルドに来てくれないか? 君の能力は我々にとって有用だ」


 グスタフは銀貨三枚を置き、立ち去った。レインは呆然としていた。商業ギルドからの招待——これは大きなチャンスかもしれない。


 ***


 日が暮れると、市場は閉じ始めた。レインは一日の収入を数えた。銅貨五十枚と銀貨八枚——村の職人の一ヶ月分の収入に匹敵する。


「大成功じゃないか」


 声をかけてきたのはマーサだった。彼女は市場を見回りに来たようだった。


「マーサさん」レインは嬉しそうに収入を見せた。「思った以上に稼げました」


「君の能力があれば当然だ」マーサは笑った。「評判を聞いたよ。『驚異の少年鑑定師』だって?」


 レインは照れくさそうに頷いた。「大げさですよ」


「いいや、君は本物だ」マーサは真剣な顔になった。「しかし、才能があるからこそ選択肢も増える。冒険者の道だけが全てではない」


「実は……」レインはグスタフとの出会いを話した。「商業ギルドから誘われました」


「そうか」マーサは意外にも残念そうな顔はしなかった。「それも良い選択だ。私はギルドマスターとして惜しむが、君が最も輝ける場所を選ぶべきだ」


「まだ決めていません」レインは急いで言った。「冒険者ギルドでの仕事も続けたいです」


「そうか」マーサは微笑んだ。「どちらにせよ、君の才能は無駄にならないだろう」


 ***


 村への帰り道、レインは一日の出来事を振り返っていた。鑑定業は予想以上に成功した。人々の役に立ち、自分の能力を活かすことができた。


「先生、今日は市場で鑑定業を始めました」


 家に帰り着くと、レインはいつものように真理の結晶に語りかけた。


「思った以上に上手くいきました。商業ギルドからも誘われたんです」


 結晶は静かに輝くだけだった。しかし、レインには先生の声が聞こえるような気がした。「自分の道を選べ」と。


 彼は今日の収入と鑑定記録をノートに書き留めた。一日の経験から多くを学んだ。様々な物品を鑑定することで、彼の知識は広がっていた。


「冒険者か、商人か……」


 レインは考え込んだ。冒険者としては、彼の年齢と戦闘能力の欠如が障壁となる。実際の冒険には参加できず、後方支援に限られてしまう。


 一方、商人としては、彼の鑑定能力は直接的な強みとなる。市場での一日は、その可能性を示していた。


「でも、何か違う気がする……」


 レインはノートに新しいページを開き、考えを書き始めた。


「冒険者の知識と商人の技術を組み合わせれば……」


 そこからアイデアが湧いてきた。物品の鑑定だけでなく、その知識を活かした商品開発。冒険者が見つけた素材の新しい使い道を発見する。前世の知識と、この世界の魔法を組み合わせた革新的な製品。


「これだ!」


 レインは興奮して書き続けた。彼の中で新しいビジョンが形になりつつあった。単なる鑑定師でも、冒険者でも、商人でもない——それらを全て兼ね備えた、新しい道。


 彼はノートを閉じ、明日への準備を始めた。商業ギルドを訪れ、その後でマーサにも相談しよう。そして、自分だけの道を切り開いていく。


「先生、私はきっと新しい道を見つけます」


 レインは結晶に向かって誓った。窓の外では、星が静かに瞬いていた。


(第八話 終)

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