第5話:師の教え
マグノリアの朝は喧騒から始まった。窓の外では市民たちが早くから活動している。商人の呼び声、馬車の音、子供たちの笑い声——村とは比べ物にならない活気だった。
レインは宿の窓辺に立ち、町の風景を眺めていた。マグノリアは石造りの建物が立ち並ぶ中世ヨーロッパ風の都市だった。中心には高い塔が見える。あれが魔法学院だろう。
「目が覚めたか」
ギルバートが部屋に入ってきた。彼は既に外出していたようで、腕には紙包みを抱えていた。
「ええ。町は賑やかですね」
「マグノリアは商業と学問の町だ。王国内でも指折りの規模を誇る」
老人は紙包みから新しい服を取り出した。深緑色のローブと、シンプルな白いシャツだ。
「着替えなさい。今日は学院を訪れる。見苦しくない格好が必要だ」
レインは感謝して服を受け取った。質の良い布地で、肌触りが良い。村の粗末な服とは大違いだ。
「先生、こんな高価な……」
「気にするな。君の能力を認めてもらうためには、それなりの装いも必要だ」
***
朝食後、二人は魔法学院へと向かった。マグノリアの通りは活気に満ちていた。様々な店が軒を連ね、異国からの商人も見かける。衣装や言語の違いから、それとわかった。
「あちらからいらしたのは砂漠の民」ギルバートが説明した。「香辛料や魔法の絨毯を扱う商人だ」
レインは全てが新鮮だった。前世でも海外旅行の経験はなかったし、まして異世界の文化は全てが珍しかった。
しばらく歩くと、彼らは大きな広場に出た。その向こうに魔法学院がそびえ立っていた。白い大理石で作られた巨大な建物。中央には水晶のような塔が天に向かって伸びている。
「壮大ですね」
「ああ。三百年の歴史を持つ。王国最古の学院だ」
学院の門には二人の守衛が立っていた。ギルバートが身分を告げると、彼らは恭しく頭を下げた。
「賢者ギルバート様、お待ちしておりました」
レインは驚いた。村では普通の老人として扱われていたギルバートが、ここでは敬意を払われている。
門を抜けると、広大な中庭が広がっていた。噴水を中心に、様々な年齢の学生たちが行き交っている。彼らは皆、色とりどりのローブを着ていた。
「色には意味があるのですか?」
「ああ。赤は火、青は水、緑は風、茶は土——基本属性を表している。白は複合属性、黒は特殊属性だ」
レインは自分の深緑のローブを見た。
「私は風属性なのですか?」
「いや」ギルバートは微笑んだ。「緑は新入生の色でもある。可能性を示す色だ」
中庭を横切った二人は、西翼の建物へと向かった。そこには「図書館」と彫られた扉があった。
「今日はここが目的地だ」
図書館の中は静寂に包まれていた。高い天井、壁一面の本棚。前世の大学図書館を思わせる雰囲気だが、照明は魔法の光だった。
「賢者ギルバート様」老司書が近づいてきた。「お待ちしておりました」
「久しぶりだな、マーカス」
二人は旧知の仲のようだった。マーカスはレインを見て眉を上げた。
「これは?」
「私の新しい弟子だ。特別な才能を持つ少年でね」
マーカスはレインをじっと見た。その目は何かを見抜くような鋭さがあった。
「なるほど。それで例の書物を」
「ああ、頼む」
マーカスは頷き、奥へと消えた。
「何の本ですか?」レインは小声で尋ねた。
「私の研究書だ。若い頃に書いたものでな」
マーカスが戻ってきた。彼の手には古ぼけた革表紙の本があった。
「『物質の本質と魔力の関係性』——三十年前の作品です」
ギルバートは懐かしそうに本を受け取った。
「ありがとう。特別室を使わせてもらえるか?」
「もちろんです。こちらへどうぞ」
***
特別室は小さな書斎だった。窓からは中庭が見え、静かで落ち着いた空間だった。
「さて、レイン」ギルバートは椅子に座った。「今日は私の過去と、君の能力について話そう」
レインは緊張して頷いた。
「私は若い頃、物質の本質を研究していた。全ての物には『真名』があり、それを知ることで物質を操ることができると考えたのだ」
ギルバートは本を開いた。そこには複雑な図表と文字が並んでいた。
「残念ながら、私には真名を見抜く力がなかった。研究は行き詰まり、諦めた」
老人はレインを見つめた。
「だが君には、その力がある。『万物鑑定』——物の真名を見抜く能力だ」
レインは息を呑んだ。
「真名……ですか?」
「そう。君が石に触れて得る情報は、その物の真の姿だ。普通の魔法使いには見えない」
ギルバートは本の一ページを指さした。そこには水晶のような石の絵が描かれていた。
「これは『真理の結晶』。本来なら何百年もかけて形成される稀少な鉱物だ」
レインは絵を見つめた。どこかで見た形だった。
「これを作れないかと研究していた」ギルバートは続けた。「素材の組み合わせ、魔力の注入法、形成過程——全て研究した」
「成功したのですか?」
「いいや」老人は首を振った。「真名がわからなければ、真の複製はできない」
ギルバートはレインの前に小さな袋を置いた。中には様々な鉱物の欠片が入っていた。
「これらを鑑定してみなさい。できるだけ詳細に」
レインは一つずつ石を手に取り、集中した。情報が頭に流れ込んでくる。
「赤い石は火山性の鉱物。純度85%。熱に強く、魔力を増幅する性質がある」
「青い石は水晶の一種。純度92%。魔力を保存する機能がある。水属性との相性が良い」
「黒い石は……不思議です。情報が曖昧で」
ギルバートは目を輝かせた。
「それこそが重要だ。情報が不明確なのは、その物が特殊だからだ。経験を積むことで、より詳細に鑑定できるようになる」
レインは黒い石を握りしめた。集中力を高め、能力を引き出そうとした。
するとゆっくりと、新たな情報が浮かんできた。
「闇の結晶……いいえ、違います。見せかけの闇。本当は……光を吸収する性質を持つ鉱物。名前は……『影喰らい』」
ギルバートは驚きの表情を浮かべた。
「正確だ。それがその石の真名だ」
老人はレインの肩を掴んだ。
「この能力を磨けば、私の果たせなかった研究を完成させることができる」
***
夕方になり、二人は学院の食堂で食事をとっていた。レインは一日中、様々な物質を鑑定し続けたため、疲労感があった。
「無理はするな」ギルバートは優しく言った。「能力の成長には時間がかかる」
レインはスープを一口飲んだ。温かく、具だくさんで美味しかった。
「先生は昔、どうしてこの研究を始めたのですか?」
ギルバートは遠い目をした。
「私も若い頃は野心があった。物質の真理を解明し、世界を変えたいと」
「世界を変える?」
「そう。この世界には様々な問題がある。病、貧困、戦争——全ては物質の欠乏から生じる」
老人は窓の外を見た。夕日が学院の塔を赤く染めていた。
「物質を自在に操れば、全ての問題を解決できる。そう考えていた」
「それは……前世の錬金術のようですね」
レインは前世の錬金術について思い出せる限りのことを説明した。
「ああ、似ているな」ギルバートは懐かしむように微笑んだ。「だが、私には才能が足りなかった」
レインは黙って聞いていた。ギルバートの話には、いつも深い意味があった。
「レイン、君には大きな可能性がある。だがそれをどう使うかは、君次第だ」
「どういう意味ですか?」
「力は使い方で、祝福にも呪いにもなる」ギルバートは真剣な表情になった。「富や名声のためではなく、世のために使う道を選んでほしい」
レインは考え込んだ。前世の彼は、会社の利益のために働くだけだった。自分のスキルが誰かの役に立つという実感はなかった。
「わかりました。この能力は、世界のために使います」
ギルバートは満足げに頷いた。
「明日は実験室を訪れよう。君の能力をさらに試したい」
食事を終えた二人は宿に戻った。マグノリアの夜景が窓から見える。
レインはベッドに横になり、天井を見つめた。ギルバートの言葉が心に響いていた。
「力の使い方……」
彼は目を閉じた。万物鑑定の能力。それは彼に与えられた特別な才能だ。ギルバートの叶わなかった夢を、自分が引き継ぐこともできる。だが、それは本当に正しい道なのだろうか?
レインは深く考えながら、静かに眠りについた。
(第五話 終)
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