第4話:万物鑑定の目覚め

 早朝、レインとギルバートは村を出発した。朝霧が立ち込める中、二人は小さな馬車に乗っていた。御者は村の農夫で、町へ野菜を売りに行くついでに二人を乗せていた。


「マグノリアまでは半日の道のりだ」


 ギルバートは地図を広げた。羊皮紙に描かれた地図には、村から町への道が記されている。


「魔法学院はマグノリアの中心にある。王国内で最も古い魔法教育機関だ」


 レインは興味深く地図を見つめた。前世でのGPSやデジタルマップとは違い、手書きの地図には独特の魅力があった。


「この道は安全なんですか?」


「主要街道だからな。王国の巡回兵が定期的に通る。だが油断は禁物だ」


 ギルバートはレインに小さな木の枝を渡した。


「これは?」


「護身用の警報杖だ。危険を感じたら折るがいい。小さな光と音が出る」


 レインは杖を大切そうに懐にしまった。前世では考えられなかった状況だ。異世界の旅には現実の危険が伴う。


 馬車は揺れながら森の中を進んだ。窓から見える景色は、前世の日本では見られなかった原生林だった。巨大な木々が空を覆い、地面には色とりどりの花が咲いている。


「あれは何の花ですか?」


「青い花はルナブルーム。夜に光る性質がある。薬の材料にもなる」


 レインは見るもの全てに好奇心を抱いた。ギルバートはそんな彼に、通り過ぎる植物や岩、時には飛んでいく鳥についても忍耐強く説明した。


 ***


 正午過ぎ、馬車は小さな川のほとりで休憩した。ギルバートは御者と共に食事の準備をし、レインは川辺を散策した。


 透明な水が流れる川には、小さな魚が泳いでいる。レインは水面に映る自分の姿を見つめた。幼い少年の顔——それが今の自分だ。前世の三十二歳の姿は、もはや夢のようだった。


「何を見つめているんだ?」


 ギルバートが近づいてきた。彼の手には水筒があった。


「自分自身です。まだ慣れません」


「時間が解決してくれる」老人は川を見つめた。「水は常に流れ、形を変える。人生もそうだ」


 レインは小さく頷いた。ギルバートの言葉には、常に深い知恵が込められていた。


 彼らが食事をとっていると、川の上流から叫び声が聞こえた。


「誰かいるぞ」


 御者が立ち上がった。ギルバートも身構える。


 川上からは一人の男が走ってきた。服は破れ、額から血を流している。


「助けてくれ! 魔獣だ!」


 男は彼らの前に倒れこんだ。レインはギルバートの後ろに隠れた。


「落ち着きなさい」ギルバートは男に水を飲ませた。「何があった?」


「森で鉱石を探していたら、青い獣に襲われた。仲間が二人……」


 男の言葉は途切れた。ギルバートは御者に目配せした。


「馬車を守っていなさい。レイン、ここにいるんだ」


 ギルバートは杖を取り出し、川の上流へと走り出した。レインは不安そうに見送った。


 数分後、轟音が響いた。木々が揺れ、鳥が一斉に飛び立つ。レインの心臓が早鐘を打った。


「先生……」


 不安が高まる中、レインは倒れた男を看た。彼のポケットから何かが落ちた。小さな鉱石だった。


 レインは無意識にそれを手に取った。触れた瞬間、彼の能力が作動した。


「これは……高純度の魔力結晶。中に何かが封じられている」


 情報が彼の脳に流れ込んできた。この鉱石は単なる石ではない。何か危険なものを含んでいた。


「これは!」


 男が突然起き上がった。彼の目は血走り、声は掠れていた。


「返せ! 私の宝だ!」


 レインは本能的に後ずさりした。男の様子がおかしい。目は焦点が合っておらず、動きもぎこちない。


「この石……あなたに影響を与えています。危険です」


「黙れ! 小僧に何がわかる!」


 男はレインに掴みかかった。レインは咄嗟に警報杖を折った。杖から青い光が放たれ、鋭い音が鳴り響いた。


 驚いた男は一瞬ひるんだ。レインはその隙に逃げ出した。


「待て!」


 男の叫び声が背後から聞こえる。レインは全力で走った。御者は馬車の陰に隠れ、恐怖に震えていた。


 森の中に逃げ込んだレインは、大きな木の陰に身を隠した。胸が張り裂けそうなほど早く鼓動している。


「どこだ……見つけてやる……」


 男の声が近づいてきた。レインは息を殺した。手の中には依然としてその鉱石があった。


「この石、何なんだ……」


 レインは再び石に集中した。万物鑑定の能力を最大限に引き出そうとした。すると、より詳細な情報が頭に浮かんだ。


「悪意の結晶。持つ者の理性を奪い、暴力性を高める。純度90%以上。解除には……」


 男の足音が目の前で止まった。レインは息を止めた。


 その時、森が一瞬明るくなった。眩しい光が辺りを包み、男の叫び声が聞こえた。


「ギルバート先生!」


 光が消えると、そこにはギルバートが立っていた。男は地面に倒れ、動かなくなっている。


「レイン、無事か?」


「はい!」


 レインは木の陰から飛び出し、ギルバートに抱きついた。


「何があった? 魔獣は?」


「いなかった」ギルバートの表情は厳しかった。「罠だったようだ」


 レインは手にした鉱石を見せた。


「この石が原因です。持つ者の心を狂わせる」


 ギルバートは驚いた様子で石を見つめた。


「どうしてそれがわかる?」


「鑑定しました。この石の正体も、解除方法も」


 ギルバートはレインの肩を掴んだ。


「詳しく教えなさい」


 レインは自分の鑑定結果を説明した。石は「憎悪の結晶」と呼ばれる危険な魔石で、浄化には特殊な魔法が必要だという。


「驚くべきことだ」ギルバートは石を慎重に布で包んだ。「君の能力が本格的に目覚めたようだ」


 ***


 事件から数時間後、彼らは再び馬車に乗っていた。男は王国の巡回兵に引き渡された。彼は憎悪の結晶に心を支配されていただけで、本来は普通の鉱石採集者だったという。


「私の鑑定能力、役に立ちましたか?」


「もちろんだ」ギルバートは微笑んだ。「君がいなければ、石の正体も分からなかっただろう」


 夕暮れ時、彼らはついにマグノリアの町に到着した。石造りの高い壁に囲まれた町は、村とは比べものにならないほど大きかった。


「明日、魔法学院に行こう」ギルバートは言った。「君の能力についてもっと調べる必要がある」


 宿に着いた彼らは、簡素な夕食を取った。レインは疲れていたが、興奮冷めやらぬ様子だった。


「今日の経験で、私は確信しました」


「何をだい?」


「この能力には意味があるということを」


 ギルバートは静かに頷いた。


「そうだ、レイン。君の能力は単なる偶然ではない。それを最大限に活かす道を、これから探していこう」


 レインは窓の外を見た。マグノリアの夜景が広がっている。村とは違う、活気ある都市の光。


「新しい世界……新しい可能性」


 彼はつぶやいた。万物鑑定の能力。それは彼に与えられた特別な才能だ。この力をどう使うか——それがこれからの彼の課題になるだろう。


(第四話 終)

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