第2話:転生の目覚め

 朝の光が部屋を満たしていた。レインは窓辺に立ち、村の風景を眺めていた。小さな石造りの家々が点在し、人々が早朝の仕事に忙しく動いている。


「ついに起きたか」


 ギルバートが部屋に入ってきた。彼の手には古ぼけた本と小さな木製の器があった。


「これを飲みなさい。体力が戻るだろう」


 レインは差し出された器を受け取った。中には緑色の液体が入っている。彼は恐る恐る一口飲んだ。苦味の後に、不思議な甘みが口に広がった。


「これは何ですか?」


「回復薬だ。ハーブから作ったものだよ」


 ギルバートは椅子に腰掛けた。彼の目はレインを静かに観察していた。


「レイン、昨日の話の続きをしよう。君は前世の記憶を持つ『記憶者』だ」


 レインは窓際から離れ、ベッドに座った。幼い体に佐藤一郎の意識があるというのは、まだ信じがたかった。


「なぜ私がここにいるのですか? どうして転生したのでしょう?」


 ギルバートは長い髭を撫でた。その目には深い知恵の光があった。


「転生の理由は誰にもわからない。神の意志か、宇宙の法則か——」


 老人は一瞬言葉を切った。


「だが、記憶者には必ず使命がある。それを見つけることが、君の旅の始まりだ」


 使命——その言葉がレインの心に響いた。前世では、彼は何のために生きていたのだろう。会社の利益? 自分のキャリア? 明確な目的もなく、ただ日々を過ごしていた。


「どうやって使命を見つければいいのですか?」


「それは時間が教えてくれる」ギルバートは微笑んだ。「まずは、この世界を知ることだ」


 ***


 ギルバートの家の前には小さな庭があった。様々な植物が植えられている。レインはそれらを興味深く観察した。


「これらは薬草です?」


「そうだ。治療や魔法の材料になる」


 魔法——その言葉にレインは顔を上げた。


「この世界には本当に魔法があるのですか?」


 ギルバートは小さく笑った。「もちろん。見せてあげよう」


 老人は手のひらを上に向けた。そこに小さな炎が現れた。火はゆらゆらと揺れ、やがて球体になった。


「これは基本的な火のエレメンタル魔法だ」


 レインは目を見開いた。本物の魔法だった。前世ではファンタジー小説の中だけの存在だったものが、目の前で現実になっている。


「私にもできますか?」


「才能があれば。魔力を感じることができるかは、これから分かるだろう」


 ギルバートは炎を消した。彼は庭の奥へとレインを導いた。そこには小さな作業場があった。中には様々な器具や本、瓶が並んでいた。


「ここが私の工房だ。魔法と科学の研究をしている」


 レインは工房の中を見回した。見慣れない器具もあったが、蒸留器や計量器など、科学的な実験に使うものも認識できた。前世の知識が役立った。


「レイン、君の状態をもう少し詳しく調べたい」


 ギルバートはレインに椅子に座るよう促した。


「目を閉じなさい。そして私の声に集中するんだ」


 レインは言われた通りに目を閉じた。ギルバートの声が静かに響く。


「心の中に光を感じるか? 自分の内側にある力を想像してみなさい」


 レインは集中した。最初は何も感じなかったが、やがて胸の奥に温かい感覚が芽生えた。それは前世では決して感じたことのない感覚だった。


「何か……あります。温かいものが」


「それが魔力だ。君の中にも確かに流れている」


 レインが目を開けると、ギルバートは満足げな表情をしていた。


「素質はあるようだ。特に……」


 老人はレインの前に小さな石を置いた。


「これに触れてみなさい。そして、石の本質を感じるんだ」


 レインは言われた通り石に触れた。最初は何も起こらなかったが、しばらくすると、石についての情報が頭に流れ込んできた。


「これは……川から採れた石英。純度は約85%。不純物として鉄が微量に含まれています」


 言葉が自然と口から出た。レインは自分でも驚いた。どうしてこんなことがわかるのだろう?


 ギルバートの目が輝いた。「素晴らしい! 君には『万物鑑定』の才能がある」


「万物鑑定?」


「物の本質を見抜く能力だ。触れたものの性質や価値を正確に把握できる」


 レインは自分の手を見つめた。前世では持っていなかった能力。それが今の自分には備わっているのだ。


「これは……特別な能力なのですか?」


「非常に稀な才能だ。魔法の中でも実用性の高いものだよ」


 ギルバートはレインの肩に手を置いた。


「君は特別な存在だ、レイン。記憶者であり、鑑定の才能を持つ」


 ***


 その日の夕方、レインは初めて村に出た。ギルバートの家は村の外れにあった。石畳の道を歩きながら、彼は周囲の風景を吸収していった。


 人々は彼に好奇の目を向けた。村では珍しい来訪者なのだろう。子供たちがレインの周りに集まってきた。


「あなたはギルバート先生のところにいる子ね」


 一人の女の子が声をかけた。彼女の髪は麦わら色で、青い瞳が好奇心に満ちていた。


「ええ、そうです」


「私はリリー。あなたは?」


「レインです」


 他の子供たちも次々と名乗った。トム、マーク、エマ……レインは覚えきれないほどの名前を聞いた。


「一緒に遊ぼう!」


 子供たちは彼を広場へと連れていった。そこで彼らは鬼ごっこを始めた。レインは久しぶりに子供らしい遊びに興じた。


 走り回ることで、彼は自分の体の感覚を取り戻していった。佐藤一郎の身体感覚とは違う。小さく、しかし敏捷な体。不思議なことに、前世で忘れていた子供時代の身体の使い方が自然と蘇った。


 遊びの後、疲れたレインは広場の木の下に座った。村を見渡すと、どこか懐かしさを感じた。前世の記憶——彼の故郷は都会だったが、祖父母が住んでいた田舎の風景に似ていた。


「楽しかった?」


 振り返ると、ギルバートが立っていた。


「はい。みんな親切でした」


「良かった」老人は隣に座った。「村の人々は心優しい。君を受け入れてくれるだろう」


 夕日が村を赤く染めていた。遠くで鐘の音が鳴る。


「あれは?」


「夕食の合図だ。各家庭で食事の時間になる」


 ギルバートは立ち上がった。「私たちも帰ろう。今日は特別な料理を作ったんだ」


 二人は夕暮れの村を歩いた。レインの心には不思議な平和が訪れていた。


「ギルバート先生」


「なんだい?」


「私はこの村で何をすればいいのですか?」


 老人は空を見上げた。最初の星が瞬き始めていた。


「まずは学ぶことだ。この世界のこと、魔法のこと、そして自分自身のことを」


 ギルバートはレインの頭に手を置いた。


「焦ることはない。君の新しい人生は、今始まったばかりだから」


 レインはその言葉に深く頷いた。この世界での自分の道——それはまだ見えていない。だが、一歩ずつ歩んでいけばいい。


「ありがとうございます、先生」


 帰路で、レインは村を最後に振り返った。夕闇に包まれ始めた家々、窓から漏れる明かり。異世界での新しい日常が、ここから始まるのだ。


(第二話 終)

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