第25話

「万博の跡地は今はジブリパークになってるよ。遊園地とは違うけど、ジブリの世界観を再現してるんだって」


 そう言うと、妹はようやく興味を持ってくれた。

 妹は確か千と千尋がとても好きだった。コクリコ坂も好きだったと思う。コクリコ坂は本編よりもドキュメンタリーの方が好きだったかもしれない。宮崎親子が父親も息子も互いに言いたいことがあっても直接言うことが出来ず、鈴木プロデューサーを通して言うのがツボにハマッたらしく大爆笑していたのを覚えている。


「ハヤオってまだ辞める辞める詐欺やってるの?」


「日本を代表するアニメ監督を呼び捨てにするのはやめなさい。まだやってるけどさ」


「やってるんじゃん! てか、日本を代表するのはアンノでしょ?」


「アンノさん、な? 宮崎監督の映画で主演声優をやったのは知ってる?」


「それは知ってる。零戦作った人のやつでしょ。一緒に観たし」


「じゃあ、岩井俊二監督の映画で松たか子の旦那役をやったのは?」


「お兄ちゃん、嘘ついてるでしょ? 騙されないよ?」


 全く一体どこの世界線の話をしてるのよ、そんなことあるわけないじゃない、と妹は憤慨していた。映画を見せてあげるのが楽しみだった。

 アンノさんのシンゴジより、山崎貴監督のマイゴジが世界で評価されたことを知ったら、妹はどんな反応をするだろうか。

 ついでにシンカメのかの有名なドキュメンタリー番組も見せてあげなければ。でもやはり、一番見せてあげたいのは、ウルトラマンサイズになった長澤まさみとメフィラスを演じた山本耕史だろう。


 地下鉄を終点の駅で降りると、妹は万博の時に作られたリニアモーターカーに興味津々だった。昔いっしょに乗ったよと言ったが、やはり覚えていないという。

 あまりに目をキラキラと輝かせているので、バスを利用した方がアパートには早く着くのだが、リニアに乗せてあげることにした。


 N駅~東京駅間を一時間もかからずに走るリニアは、コナンの世界ではすでに完成し、完成早々とんでもない事件に巻き込まれたりしていたが、現実の世界では様々な問題が発生しており、当分完成することはなさそうだったからだ。


「ねぇ、これって磁石で浮いてるんでしょ? 磁石で走ってるんでしょ?」


 リニアの中で窓の外を向いて座り大はしゃぎする妹はまるで子どものようだった。それもそのはずで、体は雪さんのものだから二十歳だが、その中にいる妹は十三歳のままなのだ。

 一ヵ月前に僕の前に現れた妹とは違うのだなと改めて思わされた。


 あの妹は確かに体も心も本物の妹だった。どちらが本物かと問われれば、間違いなく本物はあの妹だ。

 戸籍や遺伝子、血縁関係を証明するものは、そのすべてが彼女が僕の妹であることを示すだろう。

 だが、彼女は逮捕され裁判を経験した後、医療少年院に送られ、そこで九年を過ごした。

 僕の知らない経験を沢山し、僕が知る以上の怪物になってしまっていた。

 加藤さんや大家さんを殺そうとした。だから僕は彼女を殺すしかなかった。


 目の前の妹は、体こそ違うが心は完全に妹だ。

 ぼくがよく知る逮捕される前の妹が残したバックアップであり、血縁関係を証明するものが何もない代わりに、逮捕も裁判も医療少年院も経験していない。

 本物ももういない。

 あの頃の妹を再現した彼女こそが僕にとっては本物のように思えた。

 僕は十歳年を重ねてしまったが、兄妹として家族としてやり直せる気がしていた。


「なあ、メイ。どうしてバックアップを残そうと思ったんだ?」


 僕のそんな問いに、妹は窓の外を眺めたまま、


「だって、兄妹だと結婚できないでしょ」


 と言った。だからわたしはお兄ちゃんと結婚しようと思えばいくらでもできる他の女の子たちが憎かったし、殺すしかないと思ったんだよ、と。ブスのくせに生意気だなって思ったの、と。何人も殺してるうちに、どれだけ殺しても無駄だって気づいたの、お兄ちゃんはわたし以外の女の子となら誰とだって結婚できるんだもん、だからわたしはお兄ちゃんを殺して、わたしだけのものにするしかないと思ったんだよ、と。


「でも、この体の持ち主だった女の子は、ものすごくかわいくて、大人になったらきっと美人になるなって思ったの。そんな子が三人もいたから、ひとりくらいわたしがもらってもいいよねって。この子の体をわたしのものにできたら、わたしとお兄ちゃんは遺伝子的に兄妹じゃなくなる。だから、結婚できるでしょ。兄妹がしちゃいけないって言われてることは何だってできるようになるし、赤ちゃんだって産める」


 雪さんだよ、と僕は言った。何の話? と妹が問う。


「その体の本当の持ち主の女の子の名前。名前を呼んであげなきゃだめだ。メイは雪さんの人生をめちゃくちゃにした上に、一方的に体を奪ったんだから。名前を忘れちゃだめだ」


「どうして? もういない人だよ? どこにもいない人。ふたりのお姉さんといっしょに、これから行方がわからなくなっちゃう人。見つからなくて、そのうち死んだことになって、いつの間にかみんなに忘れられる人。そんな人にどうして敬意を払う必要があるの? お兄ちゃんとわたしのこれからの方がずっと大切なことでしょ?」


 そういう風に考えるのがぼくの妹だということを忘れていた。

 サイコパスとかソシオパスとはどこか違う、人格破綻者で猟奇犯罪者。

 逮捕や裁判、医療少年院とは関係なく、妹は十三歳ですでに化け物だった。

 ひとつだけ確認しておかなければいけないことがあった。


「お前はまだ人を殺すのか?」


 どんな答えが返ってくるのかはわかっていたが、


「殺すよ」


 一応確認しておこうと思ったのだ。


「お兄ちゃんに近づく女の子はみんな殺すよ」


 予想通りの答えだった。


「この子より若くてかわいい女の子を見つけたら、この体もすぐに捨てる。お兄ちゃんの体も、あと何年か過ぎたら若くてかっこいい男の子の体をわたしが見繕ってあげる。わたしは魔女だから。魔女はずっと若いまま生き続けるの。お兄ちゃんもだよ。魔女を妻に迎える王様がお兄ちゃんなの。王様と魔女はふたりで千年でも二千年でも一万年でも生き続けて、ずっとずっと幸せに暮らすの」


 肉体の交換を繰り返し何千年も生きる人間がいれば、端から見れば確かにそれは魔女だろう。

 だが、体を捨てると言っても妹は別の体に憑依できるわけではない。妹は捨てる体と共に死を迎えることになる。

 オリジナルの死を知らないバックアップが雪さんの体で目覚めたように、今の妹の死を知らない次の妹が別の体で目覚めるだけだ。

 最新の妹は死を知らずに生き、型落ちの妹は肉体と共に滅びる。

 バックアップを作ることは決して生き続けることではないということを、妹はちゃんと理解しているのだろうか。


 妹のオリジナルは僕の目の前で死んだ。

 彼女は雪さんの体にバックアップを用意していたが、その死の間際になってようやく死は決して救済などではないことに気付き、自分がこれから死ぬことを恐怖し涙した。


 人格や記憶の移行自体は、実は十五年ほど前に「この世界では」すでに確立されていた。

 通話中の携帯電話が発する電磁波を利用し、多重人格者の別人格をデジタルデータに変換し転送するプログラムを作ったハッカーがいたらしい。

 シノバズというハッカーネームを持つ日本人という噂だが、真偽は不明だ。

 そのプログラムは、当初はガラケー用のアプリとして作られたため、当時の携帯電話やSDカード容量では、別人格はせいぜいひとりかふたり分を転送するだけで精一杯だった。そのため、さらにパソコンに転送し管理しなければいけなかった。別人格たちにはCGで作られた体と生活するためのバーチャル空間を与えられたという。

 これにより、本来不可能であった主人格と別人格の対話が可能となり、モニター越しではあるが家族として生きることが可能となった。

 別人格が産まれる原因となった虐待などの記憶を別の場所に移すプログラムも同時に開発されており、投薬に頼らない画期的な治療法として多くの医療機関がこれを採用した。

 現在は大容量のスマートフォンやmicroSDカードが普及しているため、パソコンを必要としないアプリが発表されているという。


 そのハッカーは間違いなく天才プログラマーだった。


 だが、多重人格の友人のためにその技術を開発したという経緯があり、あくまで治療としての技術にこだわったため、技術的には可能であったものの作らなかったプログラムがあった。

 他人の脳に主人格や別人格や記憶を転送するプログラムだ。


 そして、僕の妹もまた天才だった。

 自らの脳の演算機能だけで、全く異なるアプローチからコンピュータを一切使うことなく、その技術を生み出してしまったのだから。

 なぜそんなものを作ったかと問われれば妹は作れたから作ったと答えるだろう。

 それが人道的であるかとか正しい行いかそうではないかとか善か悪かといったことは妹には興味がないからだ。


 一体どちらがより天才なのかは、人類のこれまでの歴史に登場した偉大な発明家の人生を知ればわかる。妹だ。


 妹は自分のオリジナルについて僕に訊くことはなかった。彼女にとっては自分こそがオリジナルという認識なのだろう。

 だからオリジナルが今どこにいて何をしているか、生きているのか死んでいるかさえ興味がないのだ。

 やがて妹もオリジナルと同じ道を辿るのだろう。次の妹も、その次の妹も。

 僕に出来ることは、妹が新たなバックアップを作る前に殺すか、妹と共に魔女と王として気が遠くなるほどの時間を過ごすかのどちらかだった。


 そして僕は魔女と共に生きる王になることを選んだ。

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