第22話

 問題はもうひとつあった。

 彼女たちを殺す場所だ。

 妹がかつて廃屋となった民家を「実験場」にしたように、僕にも一目につかない場所、「研究所」が必要だった。


 僕のアパートを研究所にするわけにはいかない。僕以外に6人の学生と大家さんも住んでいる。

 築何十年かもわからないほど古い木造の建物は、少し離れた大通りをトラックが走るだけでアパート全体が揺れるくらいだから、大地震が起きたらペチャンコに潰れるだろう。

 壁は薄いし、風呂やトイレはちゃんとついているがその分部屋はひどく狭い。家具や家電、ぼくの私物でほとんどが埋まってしまっており、死体を扱える広さはなかった。

 何より大家さんに迷惑をかけてしまう。

 僕が住んでいる部屋は昔、今は有名小説家として活躍している人がまだ何者でもなかった時代に住んでいた部屋で、それは大家さんの密かな自慢だった。あのアパートを誰かの血で汚すことは考えられなかった。


「あまりお泊まりさせちゃうと、ご両親が心配するだろうから、そのうち夜子ちゃんの家の近くに引っ越そうかな」


 僕が冗談交じりに言った言葉を夜子さんは真に受け、僕のために研究所を用意してくれた。

 彼女の家からそんなに離れていない場所に、母親の実家があるという。その家には今は誰も住んでいないそうだ。

 かつては祖父母や叔父夫婦、従兄弟が住んでいたが、従兄弟は大学進学の際に東京に出ていき、東京で就職先を見つけた。

 祖父母と叔父は亡くなり、ひとりになった叔母は大きな家をもてあまし、東京で一人息子と一緒に暮らすようになったのだという。


 その叔母はいずれ息子が住むことになるだろうからと、彼女の両親に家の管理をまかせ、合鍵を預けていた。

 だから夜子さんはその家に自由に出入りすることが可能だという。

 草むしりなど庭の手入れだけでなく、家の中に雪のようにゆっくりと降り積もる埃の掃除などを定期的にする必要があるため、電気や水道も止められてはいないそうだ。

 彼女は僕のためにその家の合鍵からさらに合鍵を作ってくれた。


 やはり彼女を選んで正解だった。


 九月下旬、僕は雪さんが自室でゲーム実況が出来る環境にするため、二ノ宮市にある小島家を訪れた。ファミリー向けのマンションの五階に小島家はあった。

 4LDKというのだろうか、僕のアパートの部屋と比べるのもどうかと思うが、僕が養父母と二年間だけ暮らした2LDKのマンションと比べてもその部屋は驚くほど広かった。

 リビングとダイニングとキッチンだけで十四畳もあり、アパートの僕の部屋の倍だった。

 四つの洋室はそれぞれ、七畳、五畳、五畳、四畳半になっており、両親の寝室と三姉妹の部屋になっていた。一番小さな部屋が末っ子の雪さんの部屋だった。


 僕は事前に夜子さんと打ち合わせをし、研究所での計画を進めるための段取りを決めていた。

 まずは夜子さんに雪さんへゲーム実況を始める前の注意点を説明をしてもらう。

 男性恐怖症の雪さんは、夜子さんがいても隣に僕がいては満足に話すことができないどころか、ろくに話を聞くことすらできないからだ。

 ゲーム実況をするなら近所迷惑にならないような防音対策が必要だということ。小島家のようにマンションなら尚更だということ。その対策として、雪さんの部屋の壁に防音シートを貼る必要性を訴える。

 事前にネット通販で買っておいた、三十センチ四方、厚さ五センチの高密度ポリウレタン素材の防音シートを一枚、雪さんに見せる。

 小さなピラミッドが敷き詰められたようなそれを四方の壁に敷き詰めると、ただでさえ一番狭い部屋がさらに狭くなること、さらに一枚あたり三六個もあるピラミッドの先端が、四六時中彼女に向かって伸びてしまうことを特に強調する。


 部屋が狭くなることよりも、ピラミッドの集合体の先端が雪さんに向いてしまうことの方が重要だったからだ。

 彼女は先端恐怖症の気があり、さらに集合体恐怖症の気があった。集合体恐怖症とは、小さな穴や隆起物の集合体に対して、強い嫌悪感や不快感を感じる症状だ。

 蓮の花托(かたく)や蜂の巣、フジツボなどの形状を見たときにゾッとする人たちが当てはまる。

 元々は00年代にインターネット上で生まれた造語であり、正式な病名ではなかったが、十年ほど前から学者たちによる本格的な研究が始まった。その原因は未だ不明のままだという。


 雪さんは断固拒否という予想通りの反応を示してくれた。

 夜子さんは叔母と従兄弟に連絡して許可を取り、雪さんの実況部屋を小島家のマンションではなく、母親の実家の一軒家に作ることが決まった。

 彼女たちの従兄弟の夕祐(ゆうすけ)くんは、昔バンド活動をしていたことがあり、十畳もある彼の部屋はすでに防音設備がしっかりとされていたからだ。


 雪さんがそこに入り浸るか住み着くようになれば、夜子さんにとってもメリットがあった。

 彼女と一緒にいることにすれば、僕と夜を共にすることがいくらでも可能になる。

 それに、いくら同じひとつ屋根の下であっても、防音設備のある部屋の中に雪さんを放り込んでおけば、別の部屋で僕たちがどれだけ愛し合ったとしても彼女に悟られることはないだろう。


 夜子さんにはもっと僕のことを好きになってもらわなければいけなかった。

 僕の為なら妹ふたりを犠牲にすることさえ厭わず、自分の命さえも捧げてくれるように。


 僕は雪さんのための作業を小一時間ほどで終わらせると、彼女たちと入れ替わりに夕祐くんという名前らしい彼女たちの従兄弟の部屋を出た。

 すでに僕の研究所は完成し、あとは夜子さんに昼子さんを呼び出させれば、すぐにでも作品作りを始められる状態が出来ていた。

 あまりにも簡単に事が進みすぎていて、僕は実のところ少し拍子抜けしてしまっていた。


 雪さんが新人YouTuberの「粉雪姫」としてゲーム実況の配信を試し始め、そのすぐ後ろで画面に映らないように夜子さんが見守る様子を、僕は別の部屋にあったベッドに横になりながらスマホで眺めていた。

 いくら始めたばかりとはいえ、お世辞にも面白いとは言い難い内容の配信だった。

 二世代も前のゲーム機でただただ古いドラクエをプレイしているだけだった。配信の内容以外のところで人気を獲得するしかないだろう。


 雪さんは、夜子さんや昼子さんもだが、童顔でオタク受けしそうな顔や声をしていた。

 僕の妹や加藤さん、それから大塚さんも系統としては同じだった。

 だから、露出度の高い服を着るか、アニメやゲームのコスプレか、セーラー服やメイド服を着るなどすれば、人気が出ることがもしかしたらあるかもしれない。スクール水着などでもいいだろう。

 雪さんどころか、同じ顔と声を持つふたりの姉を含めデジタルタトゥーになることは確実だけれど、配信で食べていくというのならそれくらいするべきだろう。

 彼女がこれから身を置くのは再生数が何よりも優先される世界だからだ。利用規約に違反しない範囲で出来ることはすべてやるべきだ。


 あまりにつまらなかったし暇で仕方がなかったから、僕は使う予定のなかった防音シートをその部屋の壁に並べて貼り始めていた。

 貼りながら、その部屋を僕と夜子さんが今後夜を共にする部屋にしようと思った。

 考えてみれば、雪さんの実況部屋がいくら防音対策されていても、彼女がトイレなどの理由で部屋から出てしまったら、彼女は僕たちの関係に一瞬で気づいてしまうからだ。

 防音シートは四八枚入りのセットだったが意外に安かった。流行りの中国産ネット通販アプリで買ったからということもあり、防音性能については全く信用していなかったけれど。

 アプリを入れただけでスマホから個人情報を抜かれるとか、安かろう悪かろうを見事に体現した粗悪品が送られてくるとか、Nintendo Switchを買ったらNintendoのロゴが入った電気スイッチカバーが送られてきたとか、リビング用のソファーを注文したら、美少女フィギュアにぴったりのサイズのものが送られてきたとか、どこまで本当かわからないけれど、とにかく話題に事欠かないアプリだ。

 そんなアプリのCMを、27時間テレビで大手事務所に所属する人気芸人たちが宣伝していたのを見たときは呆れてしまった。日本では違法なオンラインカジノアプリのCMもどこかで見た。無料版なら違法じゃないからいいだろうという精神なのだろうが、そんなアプリは有料版に手を出すきっかけになる。きっとそのうち問題になるだろう。


「訊いていいことなのかどうかわからないんだけど、雪さんはどうしてあんなに男性恐怖症になっちゃったの?」


 その夜、僕は夜子さんを抱いた後、ふと疑問に思って彼女に訊ねた。


「わたしを抱いた後に、雪の話?」


 夜子さんは一瞬不機嫌そうな顔をし、僕はしまったとすぐに思ったが、別に彼女は特に怒ったりはしていなかった。

 真剣な表情で、それがわからないの、と彼女は僕に言った。

 雪さんは十歳くらいの頃から男性恐怖症をはじめ、先端恐怖症に集合体恐怖症など、恐怖症と名のつくものは大抵当てはまるようになったのだという。


「それって、この世の中の大体のものが怖いってことなのかな」


 とても生きづらいだろうなと思った。


「よくわからないけど、何かに怯えてる時、あの子が必ず口にする言葉があるの」



――非常階段、承認、マシンガン、龍のアギト、39、摩天楼、深淵、ヨモツヘグリ、極寒、ペルセポネ、59、正則行列、冷血、防波堤、レキシ、20、黒の匣、向日葵、ピノア、21、オルフィレウス、安全柵、アリステラ。



 夜子さんは僕の耳元で、二三の言葉や数字を囁いた。


「え、何それ、こわい」


 それは誰かを洗脳する言葉のようでもあり、どこかへ行くための合言葉のようでもあった。

 彼女は僕をただ抱きしめ、


「非常階段、承認、マシンガン、龍のアギト、39、摩天楼、深淵、ヨモツヘグリ、極寒、ペルセポネ、59、正則行列、冷血、防波堤、レキシ、20、黒の匣、向日葵、ピノア、21、オルフィレウス、安全柵、アリステラ」


 もう一度、僕に同じ二三の言葉や数字を聞かせた。


「弘幸さんもきっと覚えてるはずだよ。十年前に聞いたことがあると思う」


 彼女の言う通りだった。


 それはかつて僕の妹が、実験場でこどもたちに聞かせたものだった。不思議と耳に残るその言葉や数字は、二、三度聞いただけで聞かされた者もすぐに暗唱できるようになる。

 だが、警察や検事、裁判の関係者と加害者家族しか知らないはずの言葉を、どうして彼女は知っているのだろうか。


「夏目メイさんが、あの子を殺そうとしたときに囁いた言葉だよ」


 妹には、ひとりだけ殺せなかった女の子がいたことを僕は思い出した。

 実験場に連れていこうとしたが、その子を探しに来たふたりの姉が声をかけ難を逃れた女の子がいたのだ。


 その女の子が雪さんだったということだろう。


 小島三姉妹はあの頃僕や妹の家の近所に住んでいたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る