憧れの季節に〜春の館の主人〜

青樹春夜(あおきはるや:旧halhal-

憧れの季節に


 春が来て、中央島にも花があふれ始めると、人々は自然と島の東に浮かぶ『春の島』を思い浮かべる。


 常春の『春の島』は常日頃から花に包まれているが、『春の館』から離れた海岸沿いは四季に合わせて装いが変わる。夏には夏の、秋には秋の季節が訪れるのだ。


 それがこの季節は島の全てが春を迎えるのであるから、その景色は壮観である。


 この季節こそ、我が『春の島』はその全てを謳歌するがごとく輝くのだと、島民は口にしてはばからぬほどである。


 それも全ては『春の島』のあるじたるお方がいるおかげである。


 島中の尊敬を一身に受けつつ、その島の主はその姿を人々に見せることはあまりない。精霊の身である彼女は、島の中央に座すことによって、この島の季節を統べるのである。


 その彼女が——。




 自分の主人が彼女の司る季節になったにもかかわらず、ため息をついてばかりであるのを、執事の猫男ねこおとこは心配していた。


 ——どこかお体の具合でも良くにゃいのだろうか?


 余計な詮索をしないのが猫男であるが、それにしても、と思わずにいられない。


 お気に入りの窓のそばで外の桜の園を眺めていたかと思えば、ため息をひとつ。


 古色蒼然とした図書室の前で立ち止まったかと思えば、またため息をひとつ。


 館を維持するための、壮麗な精霊の玉座に腰かけたかと思えば、再びため息をひとつ。


「——春夜はるや様、どこかおかげんでも良くにゃいのでございますか?」


 猫男にそう聞かれて、館の主・春夜ははっと顔を上げた。


「いえ。どこも悪くありません」


「それにゃら良いでございます」


 安心したように猫男はうきうきと足取りも軽く広間を出て行った。


 謁見の間とも呼ばれる広間に重々しい扉が閉まる音が響いて、広間には春夜独りになる。


 石造りのこの広間はいつでも冷ややかな空気を湛えていて、まるで静謐な水底に沈み込んでいる気分にさせた。


 春夜はこの空気も嫌いではない。


 考え事をするには最適だ。


 だが今は——。





『春の島』の港は大賑わいであった。


 島の隅々まで春に満たされているこの季節は、島外からの訪問者が最も多い時期でもある。


 春夜はその人混みを遠目に眺めていた。


 頭から目深にフードを被り、長いマントで身体を隠して、一本の桜の樹の下でそっと我が島の繁栄ぶりを見ているのだ。


 そう、四季の精霊は普段は館の結界の外には出られない。しかしそれぞれが司る季節だけは館を離れることができる。行こうと思えばどこでも行けるのだ。


 それこそ世界の果てまでも——。


 ——行けるだろうか? 私にもこの島を離れることができるだろうか?


 船から降りてくる人々に春夜は憧憬の眼差しを向けた。


 友人同士、商人、家族連れ、そして——恋人達。


 ——ああ、人になれるなら。


 人になれたなら、季節を問わず春夜はどこへでも旅立てる。あの人を探しに行くことさえできるのだ。


 ——私は臆病だ。


 輝ける季節であるにも関わらず、春夜は散り際の桜の花のように儚げであった。






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