第4話
夜、雪澄さんの帰宅時間は日によってバラバラだ。
若くして執行役員の座に就く雪澄さんは忙しく、それでもなるべく早く帰るよう心がけてくれているようで、夕食後に書斎で持ち帰った仕事をしている時もあった。
その冷たい美貌からは想像もつかないほど、雪澄さんはマメだ。
会社を出る前には必ずメッセージアプリで連絡をくれて、今日も「今から出ます」という簡潔なメッセージに合わせて鍋を温めていれば、二十分としないうちに玄関のオートロックが開けられた。
「お、お帰りなさい」
パタパタと玄関まで小走りで迎えに行く。
ほんのりくたびれて色気が二割増しの雪澄さんは、私と目が合うとふにゃりと破顔して、腕を広げた。
「百合子さん」
そのあどけない笑みになんとも胸をくすぐられ、唇をきゅっと引き結びながら、私も恐る恐る手を広げて近づく。
こういうの、なんて言うんだろう。母性本能?
そんなことを考えているうちに、私の身体はすっぽりと包み込まれていた。
「ただいま」
ぎゅっと抱きしめられて、顔をあげると自然な流れで唇を奪われる。
いつの間にか、このキスが――もっと言うなら、行ってきますとお帰りなさいのキスが、私たちの日課になっていた。
これが世の夫婦の普通なのだろうか。結婚生活はおろか、交際経験すらない私には知る由もないのだけど。
「ご飯作ってくれたの?」
「うん、簡単なご飯だけど……」
「百合子さんのご飯楽しみ」
にこりと笑った雪澄さんに嬉しくなって「い、急いで準備してきちゃうね!」とその場を離れようとした私の腕はしかし、雪澄さん本人に引き止められてしまった。
くん、とつんのめった身体を、また雪澄さんに緩く抱きしめられる。
「百合子さん、お風呂は?」
「? お風呂も準備できてるけど……先に入る?」
「ご飯の後でいいよ。一緒に入ろ」
「……!?」
一緒に!?
目を丸くして固まる私のおでこに、ちゅ、ちゅ、と何度もキスを贈る雪澄さん。
「私はもう、お先に頂いたから……!」
「もっかい入ろ」
「いや、スキンケア用品が勿体無いから……!」
我ながら、テンパりすぎて御曹司には全く効かないであろう言い訳をしてしまった。
案の定雪澄さんが退くわけもなく、一緒に入る入らないの攻防は、私が折れるまで続いたのだった。
――とまあ、突然始まった結婚生活は、予想を裏切るような甘さで日々を織り成している。
婚約が決まってからは光陰矢の如し、夫婦生活は、そろそろ五ヶ月目に突入だ。
雪澄さんがどうしてこんなに優しくしてくれるのか、私には分からない。だけど。
彼と暮らす日々はあまりにも幸せで、暖かくて、だから時々、怖くなる。
いつか突然、この幸せな夢から醒めてしまいそうで。
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