【短編/1話完結】人は誰しも自分以外に憧れる【KAC20252】

茉莉多 真遊人

本編

 3月も終わる頃。


 30代中盤の男2人が駅前の居酒屋で暖を取ることにした。


「いらっしゃいませ、2名様ですね。こちらへどうぞ」


 彼らは店員に連れられて、ガヤガヤとした店内の奥の方まで通されると、そこがほんの少しだけ声の通りやすい場所で一安心した。


 座る直前にささっといくつかのメニューを頼むと、数分も経たないうちに生とお通しが彼らの目の前に置かれる。


「乾杯」

「乾杯」


 寒空からの解放であっても、彼らの喉がキンキンに冷えたビールを求めているかのようにジョッキから黄金色がどんどん減っていく。


「はあ……先輩はいいですよね」


 男2人は同じ会社で歳の近い先輩と後輩という関係だ。同じ部署になったことは一度もないが、歳が近いためによく飲みに行っていた。


 そんな近しさからか、後輩がいきなりため息交じりで羨ましそうな言葉を漏らす。


「藪から棒だが、まずは話を聞こうじゃないか」


 先輩は今日の飲みが後輩からの誘いだったこともあり、ある程度の覚悟を持ってきていた。


「先輩、何回か部署も変わって、前よりも楽しそうですし」


「そうかもしれないな」


 先輩は既に数回の異動を繰り返し、後輩は逆に入社からずっと同じ部署にいた。


「それに2年前に主任に昇進したじゃないですか。俺、まだ声すら掛かってないですよ」


 先輩は今日の主題を確信した。


 後輩が今期の評価面談で昇進に関して話でもしたのだろう。


 今日は荒れそうだと覚悟する。


「それは上が詰まってなくて運が良かっただけだよ。能力は私なんかより君の方がよっぽど上だよ」


 後輩は先輩が本心から言っていると感じたからか、少し嬉しそうにビールを飲み干す。


「そう言ってくれるのは嬉しいですけど、能力があっても昇進できないんじゃな……先輩に憧れますね」


「それはどうも。私は私で君に憧れるけどね」


 先輩は後輩の憧れが自分自身ではなく、自分のたまたま得られた境遇でしかないことに気付いている。社長になったとかならともかく、この年齢で主任になった程度の境遇なら他にいくらでもいた。


 一方の先輩も先輩で、後輩の能力の高さや同じ部署に長く居られていることを羨ましがる。


 人によって、理想は異なる。


 人間誰しも、隣の芝生は青く見えるものだった。

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