飛ぶトリを見たい

蒼井シフト

飛ぶトリを見たい

「うわっ」

 独房が揺れた。


 何もない空間。窓もない。

 水と食事が差し入れられる、細長い投函口は、閉まったまま。


 揺れは大きく長く続いた。

 建物が軋む音が、耳障りに響き渡ると、

 唐突に、独房の壁が、ぐしゃりと歪んだ。


”つぶされる!”

 独房の角で、しゃがみ込みながら、男は恐怖の眼差しで天井を見つめた。



 ようやく揺れが収まり、男が顔を上げると、

 投函口のある壁が、歪んで裂けていた。


          **


 隙間を抜けて、薄暗い通路に出た。

 ここに収容された時に、一度だけ歩いた通路。


 いくつか独房を覗いてみたが、どれも無人だった。

「そんな馬鹿な」

 独り言をつぶやく。

 あの時。部隊の仲間も一緒に連行されて、ここに放り込まれていた。

 みんな・・・くたばっちまったのか?


 男はしばらく呆然としていたが、やがて意を決して歩き出した。

 ずっとあこがれていたのだ。

「もう一度、空を見たい」と。



 通路も、その先の階段にも、人影はなかった。

 階段の先に、ドアがあった。鍵穴の類はない。

 あっさり、外に出ることができた。


 収容棟の間を抜けると、そこは一面の小麦畑だった。


 吹き渡る風には、肥料のような匂いが混じっていた。

 それでも・・・独房の空気に比べたら、百倍マシだった。

 頭上に広がる青空を眺めながら、男は大きく息を吸った。


”もう二度と、独房に戻るのは、ごめんだ”

 男は、小麦畑の中へ、足を踏み入れた。


          **


 周囲を警戒しながら、歩いたつもりだった。なので、

「止まりなさい!」

 急に背後から呼び止められて、心底驚いた。


 男が振り向くと、銀色のエアカーが、背後に浮かんでいた。

 歩兵2人の顔が見えた。どちらの髪もとても短い。側面は刈り上げられている。


 男が立ちどまると、エアカーは音もなく前進して、男の脇に停まった。

「囚人さんですね?」


 一人が身を乗り出して問うた。女性だった。

 男は咄嗟に、髭が伸び放題の自分の顔を撫でた。ぼさぼさの頭髪。汚れ切った制服。自分の身なりが、ひどく恥ずかしく思えた。

 自分のせいではない。でも、久しぶりに会った女性たちの前で、こんな醜態を晒すのが、ひどく悔しいような、悲しいような気分だった。


「ダメですよ。囚人さんの仕事は、独房にいることです。

 戻ってください」

 そう言って、黒髪の歩兵は、収容棟を指差した。


「いやだ。戻りたくない」

「そう言われてもなぁ」


 茶髪の歩兵が、彼女をつついた。

「隊長に報告しよう」

 それから、自分の腕輪を操作する。

 黒髪の方は、じっと男を見つめていた。



「そこで待っていろ、だって」

 会話の後、茶髪が告げた。

「だって」

「一ついいか。身体を洗わせてほしい」

 そう言って、男は制服の胸元を揺すった。


 黒髪は、眉をひそめて、少し考えていたが、やがて。

「いいわ。そこを下ると川があるから」


 男を先頭に、エアカーが続き、一緒に川へ下りる。

 綺麗な小川が流れていた。流水に手を浸すと、ひんやり冷たかった。

 顔を洗うと、男は思わず「はぁっ!」と声をもらした。


「大袈裟ね」

「声も出るさ。5年ぶりだぜ」

 もっとかもしれない。正確な年数は、思い出せなかった。

 そして服を脱ぐ。

 ちらりと伺うと、2人ともエアカーの上からこっちを見ている。

 逃げないように見張る必要があるのだろう。


 男はすべて脱ぐと、川に入った。

 冷たいが、それでも爽快感が勝る。

 視線は忘れて、頭から足先、鼠径部まで、しっかりとこすり上げた。


 下着と制服を洗っていると、空に影が走った。

 3台の、灰色のエアバイクが、こちらに向かって降りてきた。


          **


「逃げたのは、お前か」

 バイクから降りた、大柄な女兵士が声をかけた。

 栗色の髪はやはり短かったが、後ろ髪の一房だけを長く伸ばしていた。

 左肩が、なかった。フレームとワイヤーで作られた義腕を載せている。

 鍛え上げられた右腕と比べると、義肢はひどく華奢に見えた。


 視線に気づいて、左肩を指差す。

「吹き飛ばされたんだよ」

 男は無言で頷いた。


 残る2人も、灰色のタンクトップにタクティカルパンツ、といういで立ちだった。

 一人は歩き方がややぎこちない。足元を見ると、左が義足だった。

 もう一人は、顎がなかった。


「どうやって逃げんだんだ?」

「地震で、壁が割れたんだ」

「ああ、かなり揺れたからな」

 隊長は、男を眺めた。その瞳には、懐かしいものを見る様な光があった。


「身体を洗い終わったなら、戻ってもらう」

「ちょっと待ってくれ」

 男は必死で考えた。戻りたくない。

 何かないか。この事態を変える何かが。


 そうだ。

 空を指差す。


「飛ぶトリを見たい」



「トリ?」

「この星に土着の、大きな飛翔生物だ。

 頼む、そいつが飛んでいるのを、見せてくれ」


「あいつは滅多に姿をみせない」

「頼むよ。独房に戻ったら、空も見えないんだ」


 隊長は、ぼりぼりと栗色の髪をかいた。

「お茶にしよう。その間だけ、待ってやる」


 隊長は、川原の流木を手で示した。男は、隊長と並んで腰をかけた。


          **


 歩兵がエアカーから、お茶道具を取り出した。

 2人が湯を沸かしている間に、灰色の2人は、収容棟を見に行った。


 金属のマグカップに入った紅茶と、焼菓子が出された。

「食ってくれ」

「ありがとう」

 会話はなかった。紅茶はよい香りだった。


 義足の兵士が戻ってきて、報告した。

「他に逃亡した者はいません」

「死んだ奴はいるか」

「今日はいませんでした」

「ご苦労」


 それから男に向き直る。

「もう一杯、飲むか」

「いや」

 男は首を振る。そして尋ねた。

「俺が逃げたら、どうする?」

「追って、捕まえるさ」

「見失いそうになったら?」

「その時は、撃つ」


 男はマグカップを見つめた。カップは震えていた。

「それなら、それならば、

 今、撃ってくれ」


「生きてるってことは、可能性だ」

「もう嫌なんだ。

 何もない。誰もいない。窓もない。

 自分の糞尿の流れた床の上で寝るのは、もう嫌だ。

 空の下で、殺してくれ」


「独房は、しんどいよな」

 俺も経験がある、と小声で付け足した。


「だが、逃げてない奴は、撃てんな」

「では、逃げる」

「走れるのか?」


 しばし、無言で向き合った後。

 男は踵を返し、それから、川に向かって、歩き出した。

「止まれ」

 隊長が声をかけた。

 男は、駆けだした。



          **


 栄養不足と運動不足で、たちまち息が上がる。

 よろめく足に毒づきながら、腕を振り上げ、懸命に走る。

 川原を突っ切って、水面へ近づく。


 二度目の声は、かからなかった。

“もしかして、このまま、逃がしてくれるのか?”

 そんな期待が、胸をかすめる。

“このまま、川に飛び込んで、行けるところまで・・・”


 その時、「ジュッ!」という音と共に、脇腹に激痛が走った。

 光の筋が一本、自分の身体を貫通して、前に走るのが、見えた気がする。

 トリ肉を焼くような匂いがした。


 視線を下ろすと、

 濡れていた制服が燃え上がり、

 露出した腹部の一部が、炭化していた。


 男は、そのまま足をもつれさせると、前のめりに倒れた。



 ゆっくり近寄ると、男はまだ生きていた。

 顔を寄せると、掠れた声で「空を見ながら・・・」と呟いた。

 隊長は、男の身体を回して、仰向けにした。


 青い空。

 故郷のファルサングより、やや薄いが、それでも、空だ。

 男は、目を細め、

 それから、かっと見開いた。


 男の変化に気づいて、隊長も顔を上げた。

 川原に、影が走る。


          **


 トリの降臨。


 翼長が6メートルもある、巨大な飛翔生物が、降下してきた。


「きゃー」

 歩兵の2人が、慌ててエアカーの下に隠れた。

 灰色の兵士たちも、ただちに散開する。


 トリは、鉤爪で男を掴むと、大空へ舞い上がった。


          **


 収容棟がみるみる小さくなる。

 川の向こうには、別の収容棟が連なるのが見えた。


 トリが力強く羽ばたき、高度が上がる。

 男が呻いた。

「これだけか?」


 収容棟は、全部で100余り。

 その周りには、茫洋とした小麦畑が、どこまでも続いていた。


“これだけか?

 かつて、外惑星まで進出した、俺たちの生き残りが、

 たった、これだけなのか?”


          **


 隊長は、トリの追跡を命じた。

「お前たちも、エアカーでついて来い」

 そう言うと、部下とともに、エアバイクに跳び乗った。


 巣の近くで、トリを捕捉した。

 ヒナを守るため、狂乱状態になったトリを、3台のエアバイクで牽制する。


 その間に、歩兵2人は、巣を調べた。

 ヒナと言っても、身長が1メートル以上ある。

 3匹に激しく突かれ、半泣きになりながら、2人は制服の切れ端を見つけた。

 遺体(の欠片)は無かった。



 トリの巣から離脱。

 十分に離れると、歩兵たちは回収した切れ端を隊長に渡した。

「ヒナの餌になったか。

 上には、そう報告しておく」


 茶髪の歩兵が質問する。

「あの人、『男』ですよね?」

「見たのか」

「はい。ぶらぶらしてました」


 隊長は、ニヤッと笑った。

「あれを蹴り上げると、一発でやっつけられるんだ。覚えておけ。

 ご苦労だった。お前たちは、農作業に戻っていいぞ」


 それから部下に。

「念のためだ。周囲を巡回して、異状がないか確認しろ」

 2人は頷き、エアバイクにまたがって去った。



 隊長は、エアバイクに腰を下ろすと、切れ端を撫でた。


「ぶらぶら、か。

 あいつ、元気にやってるかな」


 収容棟を眺めながら、呟く。

「お前の地球は、こうならなくて、良かったな」


 右手だけで器用に切れ端を折りたたむと、ポケットにしまった。

 エアバイクにまたがる。

 そして、部下を追って、夕陽の中へと、飛び出していった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

飛ぶトリを見たい 蒼井シフト @jiantailang

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説