第3話 同僚や上司の秘密が暴かれていく
翌朝の目覚めは、前夜の恐怖が夢だったかのように穏やかだった。窓から射し込む朝日が真琴の顔を優しく照らし、彼女はゆっくりと目を開けた。一瞬、昨夜の出来事が悪夢だったのではないかという期待が芽生えた。
だがスマホの画面をチェックすると、見知らぬ番号からのメッセージが残っていた。
『開けてくれてありがとう。これで、明日も続く』
現実だったのだ。真琴は重い体を引きずるようにベッドから出て、朝の準備を始めた。シャワーを浴びながら、彼女は今日の予言を思い出した。
「11時30分、松井産業との契約書にサインする…」
少なくともそれは良いニュースだ。昨日のプレゼンが実を結び、新規クライアントを獲得できるのだから。仕事面では順調に進んでいる。だが残りの予言、特に夜の部分は考えるだけで震えがきた。
「とにかく一つずつ対処しよう」
真琴は自分を奮い立たせた。今日は予言に振り回されるのではなく、自分がコントロールする側に回るつもりだった。
オフィスに到着すると、すでに活気に満ちていた。同僚たちは忙しそうに動き回り、電話やキーボードの音が飛び交っている。真琴はいつもの挨拶をしながらデスクに向かった。
「おはよう、大倉さん」
佐伯が微笑みながら近づいてきた。昨日、映画の誘いを断ったにもかかわらず、彼は普段通りの態度で接してくれた。
「おはよう、佐伯くん」
「松井産業からの連絡、おめでとうございます。営業部全体の士気が上がりましたよ」
真琴は小さく微笑んだ。「ありがとう。まだ契約書にサインしたわけじゃないけどね」
「でも決まりですよね? 大倉さんなら大丈夫です」
佐伯は彼女を励まし、自分のデスクに戻っていった。真琴は彼の後ろ姿を見送りながら、少し考え込んだ。佐伯はいつも彼女に親切だ。単なる同僚としての礼儀なのか、それとも…
「考えすぎよ」と呟き、真琴は仕事に取りかかった。
10時45分、部長の村上から呼び出しがあった。
「小野寺、松井産業の件だ。11時30分に先方が来社する。契約書の最終確認をしておいてくれ」
「はい、わかりました」
村上部長は厳格な表情でデスクに戻っていった。40代半ばの村上は、仕事の成果と効率を何よりも重視する人物だ。感情をあまり表に出さず、常に冷静沈着。社内では「氷の部長」と陰で呼ばれていた。
真琴は契約書を念入りに確認した。内容に問題はない。しかし、待ち時間の間、彼女の頭は仕事以外のことで一杯だった。
「やはり予言通りになるのかしら…」
11時30分、松井が予定通りに来社した。明るい笑顔で真琴に握手を求める彼の姿に、彼女は一瞬、不安を忘れた。
「小野寺さん、今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、松井さん」
会議室でのやり取りはスムーズに進んだ。契約内容の最終確認、スケジュールの打ち合わせ、そして契約書へのサイン。時計の針が11時47分を指した時、すべての手続きは完了していた。
「これからよろしくお願いします」
松井は満足げに微笑み、契約書のコピーを受け取った。真琴も心からの笑顔で応えた。少なくとも、この予言は良い形で実現した。
「小野寺」
会議室を出ると、村上部長が彼女を呼び止めた。普段は無表情な部長の顔に、かすかな笑みが浮かんでいるように見えた。
「よくやった。松井産業は大きなクライアントだ。君の功績だ」
「ありがとうございます」
「今日は私の部屋で昼食を取らないか? 話したいことがある」
突然の誘いに真琴は驚いたが、断る理由も見当たらなかった。「はい、ぜひ」
部長の個室オフィスで二人は弁当を開いた。村上は普段よりリラックスした様子で、時折冗談を交えながら会話を進めた。
「実は小野寺、君には大きな期待をしているんだ」
「え?」
「営業成績も素晴らしいし、クライアントからの評判も良い。そろそろチームリーダーに昇進してもらおうと考えているんだ」
真琴は驚きのあまり、箸を止めた。「チームリーダーですか?」
「ああ。早ければ来月から。もちろん、給料もそれなりに上がる」
「ありがとうございます。精一杯頑張ります」
村上はさらに続けた。「実はもう一つ、君に話しておきたいことがあってね」
部長の表情が少し曇った。「社内の人間関係には気をつけたほうがいい」
「どういう意味でしょうか?」
「特に佐伯には」
村上の言葉に、真琴は驚いた。「佐伯くんがどうかしたんですか?」
「詳しくは言えないが…彼は以前、同僚とのトラブルで別の部署から異動してきたんだ。表面上は穏やかに見えるが、執着心が強い男だ」
その言葉に、真琴は昨日の映画の誘いを思い出した。佐伯は特別な感情を抱いているのだろうか?
「気をつけます」と真琴は答えたが、頭の中は混乱していた。
昼食を終えて席に戻ると、佐伯が彼女を見つめていた。視線が合うと、彼はすぐに目をそらした。
「考えすぎよ」と真琴は自分に言い聞かせたが、村上の言葉が頭から離れなかった。
午後の業務に集中しようとしたとき、スマホがバイブレーションで震えた。美咲からのLINEだった。
『緊急!話があるの。時間ある?』
真琴は時計をチラリと見た。14時55分。予言では15時に美咲から「彼氏ができた」と報告を受けるはずだ。
『いいわよ。何かあった?』
すぐに返信が来た。
『電話してもいい?』
真琴は一瞬迷ったが、予言を確かめるために電話を受けることにした。「失礼します」と言って、彼女は一時的にデスクを離れ、会社の外の階段に向かった。
「もしもし、美咲?」
「真琴!聞いて!」美咲の声は興奮に満ちていた。「昨日、健太が…プロポーズしてくれたの!」
真琴は息を呑んだ。美咲と健太は付き合って3年になる。「まじで?おめでとう!」
「ありがとう!まだ婚約指輪を選んでる段階だけど、もう彼氏じゃなくて婚約者って呼べるのよ!」
「彼氏」という言葉に、真琴は予言を思い出した。厳密には「彼氏ができた」ではなく「婚約者になった」だが、本質的には同じことだ。美咲にとって関係のステータスが変わったのだから。
「本当におめでとう。詳しく聞かせて」
電話は15分ほど続き、真琴は親友の幸せな報告に心から祝福の言葉を送った。しかし、電話を切ると、ふと寂しさが込み上げてきた。美咲は人生の新しいステージに進むのに、自分は…
デスクに戻ると、佐伯が彼女を見つめていた。今度は目をそらさず、まっすぐに見つめ返してきた。
「大倉さん、何かあったんですか?表情が…」
「ああ、いえ…友達から婚約の報告があって」
「そうですか、それは良かったですね」佐伯は微笑んだが、その目は笑っていないように見えた。「大倉さんも、いつかその順番が来ますよ」
何気ない言葉だったが、真琴には何か意味深に聞こえた。村上の忠告が頭をよぎる。
「そうね…いつか」
佐伯はまだ何か言いたげな表情だったが、結局何も言わずに自分の席に戻っていった。
午後の業務は混乱した頭のまま進んだ。真琴は残業することを決め、同僚たちが次々と帰宅していく中、彼女はデスクに残った。今日の予言の残りを考えると、一人でオフィスにいるのは不安だったが、帰宅してからの予言はさらに恐ろしいものだった。
19時30分、オフィスには真琴だけが残っていた。彼女は集中して資料を作成していたが、時折時計を見てしまう。あと15分で…
「大丈夫、きっと何かの誤作動よ」
そう言い聞かせながらも、真琴の心拍数は上がっていた。19時44分、彼女はコンピューターの画面から目を離さないようにした。何か変化があるのだろうか。
19時45分ちょうど、画面が一瞬暗くなった。そして、ワードで作業していた文書の真ん中に、新しいテキストが現れた。
『助けて』
真琴は椅子から飛び上がり、思わず悲鳴を上げそうになった。誰かのいたずらだろうか?しかしオフィスには誰もいない。
彼女はすぐにIT部門に電話をかけた。夜間対応の山田が電話に出た。
「山田さん、すみません。PCに何か変なメッセージが表示されたんですが…」
「ハッキングかもしれませんね。リモートで確認します」
山田は真琴のコンピューターにリモートアクセスし、調査を始めた。画面上にマウスカーソルが自動的に動き、ファイルやプログラムを次々と確認していく。
「変なプロセスは動いていませんね…」山田の声が電話から聞こえた。「ただ、興味深いことに…」
「何ですか?」
「そのメッセージ、実はシステムログによると、大倉さん自身が入力したことになっています」
「え?私が?それはありえません」
「タイムスタンプからすると、19時45分ちょうどに入力されています。キーボードの誤入力とか…」
「いいえ、私はキーボードに触れていませんでした」
山田は沈黙した後、「念のため、ウイルススキャンをかけておきますね」と言った。
電話を切った後、真琴は震える手でバッグを掴み、急いでオフィスを出た。もうこれ以上ここにいたくなかった。予言は的中した。しかも不気味な形で。
電車の中で、真琴は窓に映る自分の顔を見つめた。疲れた顔に加えて、恐怖で青ざめていた。次の予言を思い出す。
『21時20分、帰宅途中、知らない女性に「あなたも見えるの?」と話しかけられる』
真琴は時計を確認した。21時10分。あと10分で何かが起きる。電車は次の駅に停まり、乗客が入れ替わった。真琴は周囲を警戒しながら、特に女性の乗客に注意を払った。
電車が再び動き出し、揺れる車内で真琴はふと向かい側の座席に目をやった。そこには若い女性が座っていた。20代半ばといったところか、長い黒髪が特徴的だった。彼女は真琴をじっと見つめていた。
真琴は慌てて視線をそらした。「気のせいよ」と思いながらも、再び目を向けると、女性はまだこちらを見ていた。今度は微笑んでいる。不気味な、意味ありげな微笑みだった。
次の駅が真琴の降りる駅だった。電車が止まり、ドアが開くと、彼女は急いで外に出た。
ホームを歩いていると、後ろから足音が聞こえてきた。振り返ると、電車の中で彼女を見ていた女性が追いかけてきていた。
真琴は足早に駅の出口へと向かった。改札を抜け、駅前の広場に出る。人通りはまばらだが、完全に人気がないわけではない。少しだけ安心した。
「待ってください!」
背後から声がした。真琴は無視して歩き続けた。
「小野寺さん!」
名前を呼ばれ、真琴は足を止めた。振り返ると、あの女性が数メートル後ろに立っていた。どうして自分の名前を知っているのだろう?
「私のこと、知らないと思いますが…」女性は一歩近づいた。「あなたにどうしても聞きたいことがあるんです」
真琴は硬直したまま立ち尽くした。時計は21時20分を指していた。
「あなたも見えるの?」女性はまっすぐ真琴の目を見つめた。「あの影…あなたの後ろにいるもの」
真琴の血の気が引いた。「何…何のことですか?」
「私はずっと見えるんです。人について回る影…でも普通の影じゃない。動く影。あなたの後ろのそれ、とても大きいです」
恐怖で声が出なかった。真琴は本能的に振り返りたかったが、怖くて動けなかった。
「私の名前は高城です。イラストレーターをしています」女性—高城は名刺を差し出した。「もし良かったら、話を聞かせてください。私も最近、おかしなことが起きていて…」
震える手で名刺を受け取る。「高城雪」と書かれていた。
「私…行かなきゃ」
真琴は言葉少なに告げ、急いで立ち去った。後ろから高城の声が聞こえたが、振り返らなかった。一刻も早く家に帰りたかった。
予言は的中した。だが、予想以上に恐ろしい形で。
アパートに着くと、真琴は急いで部屋に入り、ドアに鍵をかけた。明かりをすべてつけ、カーテンも閉めた。外の世界と遮断したかった。
時計は22時を指していた。最後の予言まであと1時間30分。
『23時30分、自宅の鏡に映る影が動く』
真琴は部屋中の鏡を布で覆った。洗面所の大きな鏡、廊下の姿見、化粧台の小さな鏡まで。すべて見えないようにした。
それから、友人の美咲に電話をかけた。声を聞くだけで少し落ち着きたかった。
「もしもし、真琴?どうしたの、こんな時間に」
「おめでとう、美咲。プロポーズのこと」
「ありがとう!でも、何かあった?声が震えてるよ」
真琴は深呼吸した。「ちょっと、怖いことがあって…」
高城という女性のこと、彼女の言葉について話した。ただし「予約投稿」のアプリについては触れなかった。美咲に心配をかけたくなかったし、何より自分が狂っているように思われたくなかった。
「怖いね…でも、単なるストーカーかもしれないよ。警察に相談した方がいいんじゃない?」
「そうかもしれないね」
会話は婚約の話題に移り、真琴はしばらく恐怖を忘れて友人の幸せに心から祝福の言葉を送った。電話を切ると、時計は23時15分を指していた。
残り15分。真琴は布で覆った鏡を不安そうに見つめた。何も見えないはずだ。何も起きないはずだ。
23時25分、緊張で息苦しくなった真琴は、窓を少し開けて外の空気を入れることにした。深呼吸しながら、彼女は自分を落ち着かせようとした。
「気にしすぎよ。何も起きないわ」
23時30分、部屋のライトが一瞬、明滅した。
「停電?」
しかし、すぐに明かりは安定した。安堵のため息をつこうとしたその時、洗面所から何かが落ちる音がした。
真琴は凍りついたように動けなかった。もう一度、何かが動く音。
恐る恐る、彼女は洗面所のドアに近づいた。心臓が早鐘を打っている。ドアを開け、中を覗き込む。
鏡を覆っていた布が床に落ちていた。
真琴は震える手で布を拾い上げた。再び鏡を隠そうとして顔を上げたとき、彼女は息を呑んだ。
鏡に映る自分の姿の後ろに、もう一つの影があった。彼女の動きに合わせて動くのではなく、まるで意思を持つかのように独立して動いている。
「嘘…嘘よ…」
真琴の目は鏡から離れなかった。影はゆっくりと彼女に近づいてくるように見えた。そして、影の形が変わり始めた。人の形から、何か別のものへ…
恐怖のあまり、真琴はその場に崩れ落ちた。意識が遠のく直前、彼女のスマホが震えた。
【予約投稿】明日の投稿を予約しました
四日目の予言が届いたのだ。真琴は恐怖と好奇心が入り混じった感情で、震える指で通知をタップした。
『小野寺真琴、明日の予定:
・09:15 村上部長から「佐伯のことで相談がある」と呼び出される
・12:00 社内の噂:「営業三課で不正経理の疑い」が広まる
・17:30 佐伯が真琴のデスクに忘れ物を届ける
・20:45 ファイルを整理中、同僚のプライベート写真を発見する
・23:45 高城雪から「緊急です」とメッセージが届く』
真琴は眉をひそめた。今日の予言とは違い、もっと現実的な内容になっている。だが、それは本当に良いことなのだろうか?
彼女はふらつく足で立ち上がり、再び鏡を見た。今度は普通の自分の姿だけが映っていた。だが、背後の壁に映る影は、わずかに歪んでいるように見えた。
真琴は急いでリビングに戻り、すべての電気をつけたまま布団に身を包んだ。眠れるとは思えなかったが、少なくとも朝まで目を閉じていたかった。
明日は同僚や上司の秘密が暴かれていくという。その秘密を知って、自分はどうなるのだろう。
窓の外では、月明かりが雲に隠れ、部屋の中の影が少し濃くなったように見えた。
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