喫茶
「何があったの」
「それも含めて明日話したい」
「分かった。全然大丈夫だよ」
「良かったありがとう」
気にはなっていたが、疲労が限界に達していたため、深く訊くこともせずに、お風呂に入ってから、ベッドに飛び込んで就寝した。
翌朝になった。目が覚めると、雨が騒々しく屋根に降り注いでいた。窓の外では、雲が太陽を隠して、不穏な空気を
着替えや準備をしている間も、日程が早まったことが気になった。僕が人生で突然明日会えないかと誘われたのは、恋人に別れ話をされたときくらいだ。よって、気が収まらないのは訳もない。
準備が終わった頃には十時半になっていて、急いで家を出て鍵を閉める。それから傘を差して最寄り駅近くの小さな喫茶店へ歩いた。見慣れた景色だというのに、岐阜とは違った感動があった。薄暗くなった空も、落ち着きをくれると考えれば悪くない。
目的地には五分ほど早く着いたので、コンビニに行こうか迷っていると、菖蒲から連絡があった。
「もう着きそう」
「おっけい」
スマホをズボンの左ポケットに仕舞って、傘を回しながら周囲を見渡す。するとそこには、僕の知らない彼女がいた。化粧に身を包んで、パサついていた髪も滑らかに巻かれて、服装は落ち着きを保ちながらも、至る所に工夫が施されていた。
それを見た僕は、少しばかりドキドキした。こんな感覚はあの頃には無かった。やはり彼女は知らない人だ。対応に困っていると、それを見兼ねたのか、彼女から僕に話しかけてきた。
「流星くん、久しぶり! 雨やばいしさっさと入っちゃおう」
「うん」
喫茶店の入口付近で、傘に付着した
「いらっしゃいませ」
「二人です」
「お好きな席へどうぞ」
店内は相変わらずジャズが流れていて、雨の中でも穏やかな空気が保たれている。あまり古風でない店で、小綺麗な内装は初心者でも入りやすい。昔から、僕たちは窓際の席に座っていた。だから今回も、お互い何も言わずともそこへ向かった。――彼女はもしかしたら菖蒲なのかもしれない。
「先に注文決めちゃお。話はそれからで」
「分かった。僕はいつものにするよ」
「なんだっけ、いつものって」
「アイスティーとフ……」
「待って! 当てる」
最後まで言いかけたところで、彼女は僕の発言を遮った。そして満面の笑みを浮かべて、僕に指を差して言った。
「フレンチトースト!」
「大正解」
「やったねー」
外見はまるっきり変わってしまったけれど、内面は何も変わっていないと気づいて安心した。このお店では、注文ボタンを押して店員さんを呼ぶ仕組みで、直接呼んだりするのが苦手な人に配慮をしているんだろう。菖蒲はメニュー表を一通り確認してからボタンを押した。――菖蒲はいつも僕の注文を真似していたので、今回も同じようにすると思っていた。すると、店員さんがやってきて注文を取った。
「ご注文はいかがなさいますか」
「えっと、アイスティーとフレンチトーストを一つと、それからホットコーヒーとカヌレを一つお願いします」
「かしこまりました」
僕は驚いて目を見開いた。菖蒲がこの喫茶店で僕と違う注文をしたのは、初めてのことだったからだ。菖蒲だと認識し始めていた脳みそが、再びリセットされる。そうして頻繁に揺れ動く情緒によって、いてもたってもいられなくなった。
「単刀直入に訊くけど、何があったの」
彼女は少し
「彼氏と別れた」
「……そっか」
僕も合わせるように少し
「いつから付き合ってたの?」
「去年の六月頃から」
ちょうど僕に恋人ができたのも同じ時期だったためか、動揺して上手く言葉が出てこなかった。一度息を吸ってからゆっくりと吐いて、それから何もかも包み隠さずに話した。
「実は、僕も同じ時期に彼女ができたんだよね。もう繋がりもなくなっちゃったけどさ。だけど、だからこそ、苦労話でもなんでも聞かせてよ。あの頃みたいに」
菖蒲は
「流星くんも付き合ってたの!」
「うん」
「だからかっこよくなってたのか。私ビックリしちゃったよ最初」
今の菖蒲に褒められると何だか照れくさい気持ちになる。
「そ、そんなことより、何があったのか聞かせてよ」
「あ、そうだったね。実は十六日が彼氏の誕生日で、誕プレ渡しに行く予定だったからさ、その日に別れ話をして、切り替えてから流星くんに合う予定だったの。でも、耐えられなくて昨日別れてきちゃった」
「どっちにしろ鬼だな」
つい変なツッコミを入れてしまった。
「いや、聞いてほしいのはそこじゃくて、私ここ一年くらいほとんど勉強に手をつけられてなくて、これからのことも全く考えられなくて、東京の大学どころか、卒業すらも怪しいっていう状況で……」
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