瓶詰めのあこがれ

くれは

小瓶の中身

 備品をチェックして整理して足りないものを発注する。それから社内チャットに「使ったものを戻してください」とお願いを呼びかける。なんだか小学生みたいだと思いつつ、大人になっても意外とみんな、使ったものを置きっぱなしにすることはある。ひとつひとつは「うっかり」とか「忘れてた」とか責めるようなことではないけど、重なると結構な量になったりもする。

 メールの返信をして、電話の応対もして、社内文書への質問に答えて、対応する箇所を確認して整理して、それから──。

 毎日は細かな仕事の積み重ね。差し込みの依頼も多い。夜にはもう集中力は切れている。ぼんやりと電車に揺られて帰り、少し遅いご飯を食べて、シャワーを浴びて眠る。いつもの日々。

 それが届いたのは、そんないつもの金曜日。家に帰ったら小さな包みがポストに入っていた。差出人に書かれていたのは、わたしの名前だった。

 記憶にない届け物。通販で何か買っただろうか。ぼんやりと包みを開けると、中には小さなガラス瓶が入っていた。

 透明なガラス瓶の中には、何が入っているのかカラフルな綿飴のようなものが詰まっていて、きらきらと輝いている。持ち上げれば、手のひらですっぽりと包んでしまえるほどの大きさだ。

 その輝きに、胸をくすぐられる。懐かしさのような不思議な感覚があった。それで気づけば、小瓶のコルクを引き抜いた。

 途端、声がした。


「大人になったら、小説家になりたい!」


 その声は、わたしひとりきりの雑然とした部屋の中で、はっきりと響いた。

 覚えがある。それはそうだ。子供の頃──小学生の頃だろうか。わたし自身が語っていた将来の夢だから。

 これはわたしの──子供の頃のわたしの声だ、という確信があった。


「わたしが書いた物語、本になるかな。本になったら良いな」


 それがどれだけ大変なことなのか、何も知らずに語った夢物語。ただただ、幼い憧れを語る声に、わたしは胸が痛くなる。思い出したくなんかなかった。

 それでもわたしは、その声の続きを聞かずにはいられなかった。


「女の子が魔法の地図を手に冒険に出るんだ。他にもね、書きたい話がいっぱいあるよ」


 そう、書きたい話はいっぱいあった。だから、書いていた。

 大学生になったばかりの頃、小説を書いては公募に出していた。一回だけ、一次選考を通ったことがある。でも、それだけだった。

 何度も応募しては何度も落ちて、気づけばなんのために書いているのかわからなくなっていた。選考に落ちるのが怖くなっていた。自分に才能がないと言われているようで、苦しくなっていた。

 そのまま就職活動の時期がきた。小説を書くことを諦めて、みんなに倣って就職活動をはじめた。

 安定した職業、創作と関係ない仕事、夢はきっぱり諦めたつもりだった。

 それでもこんなに、過去の自分の声に胸を揺さぶられるなんて。わたしはまだ、諦めきれてないのかもしれない。

 苦しさに、両手で顔を覆う。それでも、幼いわたしの声は続く。


「本当はね、少し怖いんだ。わたしなんかが小説家になれるかなって」


 そう、そうだよ。わたしなんか、小説家になれなかったよ。書くことが好きってだけじゃ、なれるものじゃなかったよ。

 悲しさに、悔しさに、涙が溢れてくる。


「でも、大人になったわたしは、諦めずに頑張ってるよね?」


 ごめんね、頑張れなかったよ。全部全部諦めちゃった。だって、わたしには才能なんかなかったから。書くことだって続けられなかったんだ。


「夢は……叶わないよ」


 思わず顔をあげて、声をかけてしまった。けれど、今のわたしの声は、過去のわたしには届かない。時間が戻らないのと同じように。

 過去のわたしがふふっと笑う。


「わたしがどんな大人になっているか、楽しみ」


 その声に、わたしは涙を拭った。ああ、わたしは──過去のわたしは、なんて眩しいんだろう。それに比べて今のわたしは、なんて卑屈なんだろう。

 それっきり、声は聞こえない。ガラス瓶の中身は空っぽになって、かざしてみてもただ部屋の向こうが歪んで見えるだけだった。

 わたしは鼻をすすりあげ、空っぽになったガラス瓶の口にもう一度コルクを押し込んだ。そしてそのガラス瓶を棚に飾る。今度はもう、見失わないように。

 それからスマホを持ち上げた。いつもはSNSくらいでしか使わないスマホ。それで、小説投稿サイトを検索してみる。出てきたサイトに登録して、新しく投稿画面を開けば、入力を待つような真っ白な画面が広がる。

 その白さに息を飲む。わたしには才能はないかもしれない。読まれるかどうかだってわからない。また、何にもなれないことを思い知らされるだけかもしれない。

 でも今は、わたしのために──過去のわたしのために、物語を書こう。そうだ、わたしの隣には物語がある。

 指先を動かしてフリックしてゆく。文字が画面に反映されてゆく。その心地良さに、胸の奥が熱くなる。こんな気持ちになるのは、何年ぶりだろう。

 こんなに心躍るのは何年ぶりだろう。




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