あの日の憧れ

E吉23

第1話

―ステージライトの向こう側は、いつだって真っ暗闇なんだ―。

「ほほう。俺が見ている景色は、明るかったり暗かったりだけどな。」

キラキラした瞳で夢見る青年は、自分の憧れの人の著書を読み更けていた。

「おーい、起きてるか?」

「寝てるように見えるかよ。」

彼の友人と思しき大柄な男が、コンビニ袋片手に部屋に上がってきた。

「また読んでるんだな、その本。俺が来るときは、いっつもその本を手に持ってる気がするぞ。」

「ずっと持ってる訳じゃないよ。たまたまだって。」

「たまたまにしちゃあ、読み率100%近くとは不自然な率だろうが。まあ、小さい頃からのファンなら、本にかじりつくのもおかしくないがな。」

「ファン、というくくりじゃ、俺を纏められんよ。なぜなら俺は、この人の生き様に憧れを抱く男なんじゃい。」

「そうかい。」

学生同士の、よくある何気ない会話。大学生なら、このくらいの会話はしょっちゅうするものだと、未来を見る青年は言っていた。だが、それにしては片方の我が濃いようだ。

「前も言ったけどよ、俺たちって、大学生なんだよな。」

「そうだよ?今が一番楽しいと言われる、大学二年、もうすぐ二十歳になる俺らだぞ。それがどうしたってんだ?」

「お前を見ていると、どうも同年代の人たちと比べて、野心が大きすぎるように思えてよ。」

「そうか?誰にだってあるだろ。この世に産まれたからには、名誉として己の名を残し、成り上がるって野望の一つや二つぐらい。」

「そうあってたまるか。少なくとも、俺にはそんなものはない。」

「ふうん、ま、いいじゃんか。」

「ただ、理解できるところもある。お前は、その本を書いたやつと同じ名前で、生まれた時からその人のファンであるのなら、そうなるだろうな。自分の生き方を曲げずに成り上がった人なのだから。」

「おう、その通りよ。」

「とは言っても、たいていの奴はプレッシャーに感じるとか、畏れ多いという反応になるのが常だから、お前の度胸は並大抵のものじゃねえが。」

「へへっ、そうだろ?」

「褒めているわけじゃねえよ。」

憧れの人と、同じ名前を持って生きること。それは決して、誰にでも当てはまることではない。ましてや、その事を誇りに思うことなど。青年は、その二つどちらも持っているのだ。その運命も、そしてその生き方も。

「ところでよ、部屋の角に置いてあるそのギターって、まだ使ってるのか?」

「おう。何なら、いつも弾いてるよ、学校の敷地内とか、駅前のロータリーで。」

青年の腰の高さより僅かに高い、ホコリにまみれたギターケース。それには、四十年以上前のモノと思われる、年季の入ったアコースティックギターが、優しく温かいオーラを放ち、今か今かと出番を待ち続けていた。

「ああ、これだったのか。この間使っていた奴は違うギターだったから、てっきりもう捨てたのかと。」

「それはあり得ないよ。お婆ちゃんがくれたものを、捨てられるわけないじゃんか。」

「悪いこと言っちまったな。」


「それはそうと、お前が急にライブやり出したって聞いたときは、内心驚いたぞ。高校の頃はそんな素振りなかったのに。」

「そりゃぁ、驚くよな。中学の頃に、一度諦めたのにさ。今のように本気で夢見て、ステージに上がって、ギター掻き鳴らしても、誰も認めてはくれないし、俺より上手い奴がどこにでもいるし、その現実を知ったら、投げ出したくなってさ。」

「だが、現にお前は、こうして再び舞台に舞い戻っている。」

「そう。やっぱりさ、夢の傷跡がさ、うずいてしょうがないんだよ。やりたいことをしないまま、くたばれるのかって、俺の心が、俺に語りかけてくるんだ。」

話の最中、友人はガサゴソと、鞄の中身を漁っていた。

「で、その夢の続きが、これって訳か。」

数曲分の楽譜。ギター用に加え、ボーカルが使うための楽譜も漏れなく用意されている。

「俺、昔から体力がなくてさ、連続で歌うと疲れちまって。そんな時、お前の歌声を聴いてピンと来たんだよ。お前と組めば、俺の夢も果たせるんじゃないかってさ。」

「カラオケで歌っただけだろ。それに俺の歌は、せいぜい人並みに上手い程度だ。」

「そう言いながらさ、なんだかんだ、付き合ってくれているよな、お前はさ。常々思うけれど、俺らって、不思議なコンビだよな。」

「お前とコンビを組んだ覚えはない。」

「出会った時から、そうなる運命だったんだよ。俺はそう思ってる。」

二人の出会いは、保育園の頃まで遡る。当時、青年は一人の子供だった。砂場で一人遊ぶような、独りの子供だった。そんな彼を孤独から解放したのが、今彼の側にいる大柄の男なのである。

「んじゃ、今日も練習といこうか。どれから弾こうか?」

「次のライブで使う曲にしようか。この曲を、次の一発目にするって言ってたから、こいつにするぞ。」

「うっし、それじゃ、スタンバイするぜ。マイクは持ったか?」

「ああ、これでいいか?」

男は、カラオケの部屋に置いてあるような普通のマイクを手に取った。大抵のライブであれば、それで十分なはずだが、青年の考えは違っていた。

「ノンノン。それじゃあこの曲の味は最大限に引き出せねえよ。」

部屋の戸棚のすぐ脇に、一本のスタンドマイクがあった。どうやら、この曲の演奏の時にはこのマイクでなければならないようだ。

「こいつを使ってくれ。もう一人のボーカルに巡り合えたときのためにとっておいた、この純白のスタンドマイクを。」

「そのマイク、どこかで見たことあるな。確か本家では、テープをぐるぐる巻きにして・・・。」

「ああ、もう。細かいことは良いから。これを立てて、ついでに俺のマイクも準備して、と。」

左に青年、右に大男。これが二人の定められたポジションだ。

「とっとと行くぜぇ。ワン、ツー、レディ、ゴー!」

細身ながら力を振り絞り、パワーをむき出しにする青年の声。それと対照的に、大柄な図体からは造像もつかない繊細な男の声。二人の真逆とも言えるスタイルが、奇跡的なコンビネーションを生みだしている。

「よし、調整完了!あとはこのパフォーマンスを、ライブできっちりと発揮できることを祈ろう。」

五曲のリハーサルが終わり、残りの数曲の楽譜を読み直している二人。その最中に、入口の戸がゆっくりと開いた。

「ステージの最終チェックの時間です。お二人とも、準備はよろしいですか?」

今回のライブのスタッフだ。最終調整、つまり二人のライブがもうすぐ始まるという事だ。

「はーい、今すぐ行けますよー。」

「すぐに出ます。」

時間は午後五時を指していた。彼らのステージ開幕まで、あと一時間。

「オーケー、じゃあ、行こうか。」

「OK、行こ。」

彼らは向かう。薄暗い景色が眼前に広がるステージに。青年は決意する。過去の傷跡さえも道連れに、地の底から這い上がってやると。

「E-Time」の、二人の名前を冠したユニットの、校内でのミニホールの初ライブ。ここが、彼らの夢の開始地点になることを、二人はまだ知らない。


午後六時、ステージ下の階段を上る最中、青年は、己が掲げる、ある格言をつぶやいた。これは、彼のルーティン。彼のテンションを高ぶらせるための儀式。そして、己の鎖を引きちぎるための、純粋なる黄金の言葉である。

「俺は、畳じゃ死なねぇぞ。ステージの上こそが、俺の死に場所だ。」

─大好きだね、この言葉。素晴らしいじゃねえか─。


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