第10話 『もしもし、とこ』

 それほど大それたイベントでもないけれど、しかし現地集合というのも味気ない。けっきょく、最寄り駅の北口を待ち合わせ場所にして私は有朱と落ち合うことにした。


 少し先に着いてしまって、私は落ち着かない気持ちで周囲に視線を走らせていた。流愛には昨日の体調不良を言い訳にアリバイを作っている。先週に引き続き、図らずもふたたび仮病を使ってしまった格好だが、流愛に対してそれをするのは初めてなので、きっと大丈夫だ。たぶん、そのはず。万が一私の家を直接訪ねてくるようなことがあっても、気づかない振りで通せるはずだ。寝込んでいれば、メッセージにもチャイムにも気づかないことはあるだろう。無駄足を踏ませてしまうのは心苦しいけれど、そもそも私がいなくなっていることに気づかれてしまうことと比べれば――


「ゆい先輩、お待たせしました」


 ふいに呼びかけられて、私はびくりと現実に引き戻された。さっと辺りに目を走らせる。日曜日の昼下がりだ。人通りは多い。一瞬、有朱の姿を認めることができなかった。


「こっちですよ、先輩」


 声の方向をもう一度見ると、今度ははっきりと認識できた。


「――ああ、おはよ。って時間でもないけど……」


 気の抜けたことを言いながら、私は手を振る。


 ワンピースだった。黒い生地に白い襟。華奢な体躯を肌触りのよさそうな布地が包んでいる。清楚な印象のその服は、前に見た私服姿とは別人のようだった。


 そしてなにより、今日は髪をおろしていた。


「はい、おはようございます……」


 有朱は髪を触りながらはにかんだ。期待するような目で私を見ている。


「似合ってるよ。可愛い……びっくりしちゃった」


 私が言うと、有朱はますます照れたように口元を緩めた。


「はい。ちょっと、変じゃないかなって心配だったんですけど――」


 有朱は軽く裾をつまんで小さく揺らす。おろした髪が、瞳にわずかに影を落とした。


「――でも、よかったです。褒めてもらえて」


 えへ、と嬉しそうに笑って、前髪に軽く触れる。私のすぐ隣に立つと、笑みを浮かべたまま、じっと私を見つめた。どうしたのだろうと思っていると、やがて耳元で囁くように言った。


「先輩も、似合ってますよ。可愛いです」

「ああ……うん。ありがとう」


 私は自分の服に視線を落とす。グレーのブラウスにスラックスという、いかにも無難なそれ。有朱の気合いの入りようを思うと、なんだかちょっと申し訳ない気がしてしまう。いや、これでもちゃんと選んだつもりだし、有朱みたいな服が私に似合うとは思わないけど――


 と、ふいにポケットの中でスマホが震えた。流愛からだろう。とっさに確認したくなる衝動を、私はやり過ごす。今日のところは、帰るまで未読スルーで通そう。流愛もそのうち、私が寝ているのかもしれないと思い至るはずだ。


「じゃあ、行きましょうか。ゆい先輩のお店、楽しみです」


 そう言う有朱は普段よりも背筋が伸びていて、どこかよそ行きの顔をしていた。

 私は言葉に詰まって、視線を逸らす。


「いや、私のお店じゃないけど……まあ、行こっか」

「はい」


 人混みを避けて脇道を通りながら、私は有朱を先導した。

 歩きながら、スマホが何度かメッセージの着信を知らせるのを感じる。短い間隔で何回か、それからしばらく間を置いて、また数回。きっと、起きているか確かめているのだろう。


「有朱って、そういう服も持ってたんだ」

「いえ、持ってないこともないですけど……本当、ちょっとだけです。」


 有朱はちょっと落ち着かなさそうに袖口を弄った。


「ちゃんとした服が欲しいな~って思って買ったんですけど、なんか可愛すぎて……よっぽどじゃないと着れないんです」

「そうなの? 似合うのに」

「え~。でも、キャラじゃなくないですか」

「まあ、ちょっとはびっくりしたけどさ」


 私が言うと、有朱ははにかむように答えた。


「よかったです。びっくりしてほしかったので」

「……そう。なら、よかったけど」


 道を歩きながら、目的地が近いことを感じていた。先週のこと――流愛のことを思い出し、胃が重たくなる感覚を覚える。また、スマホが震えた。


「もう、すぐだよ。たぶんそろそろ見えてくるから……」


 振り向くと、有朱はこちらに伸ばしていた指先をさっと引っ込めた。


「あっ、えっ、そろそろなんですね!? いやー、楽しみです。私はチーズケーキにしますね?」


 両手を胸の前で合わせて、赤い顔でそう言った。どうかしたのだろうか。取り繕うように、有朱は続ける。


「先輩が来たとき、お友達はなにを頼んだんですか?」

「えっと……マカロンセットだけど」

「え~、おいしそう。先輩はそれにしますか?」

「……まあ、見てから決めようかな」


 目の前の道を曲がれば目的地までは一本道だったけれど、私はわざとそれを見逃した。なんとなく、流愛と通った道をなぞるのは憚られた。

 しばらくまっすぐ歩いてから道を折れると、 レンガ風のカフェは目の前だった。スマホの振動を何度か感じながら、私は有朱を案内する。


 心配していたほど混んではいないようだった。私たちは通りに面した窓際の席に通されて、向かい合って座った。 テーブルにはシンプルなメニュー表。パラパラとめくる有朱の指先は、普段より少しそわそわしているように見えた。


「先輩って、ブラックコーヒーでも飲めそうですよね」

「うん。有朱は、好きじゃない?」

「私、飲めないです。いいなあ、大人っぽい……。キャラメルラテにしようかな」


 コーヒーが飲めない人っているんだ。


 それはともかく、そうか、飲み物を選んでいたのか。流愛と来たときは学校帰りだったけれど、今日は休日だ。ちゃんと腰を落ち着けてもいいのかもしれない。

 財布の中身を少し気にしつつ、私はブレンドコーヒーも頼むことにした。メニュー表をもらって、ざっとめくってみる。マカロンセット……は、高い。ちょっと悩んだすえに、紅茶のシフォンケーキなるものに決めた。


 注文を済ませると、有朱は頬杖をついて、上目遣いに私を見た。


「先輩、ずっと気になってたこと、聞いてもいいですか?」

「……なにかな。内容によるけど」


 有朱からの表情のないまなざしを受けて、私はわけもなく動揺する。机の下で、そっと袖を握った。また、流愛からのメッセージが届く。


「先輩って、彼氏とかいたことありますか?」

「ないよ。初等部の頃から女子校なんだから、あるわけないでしょ」


 想像以上のファウルボールが飛んできて、私は思わず笑ってしまった。有朱もふっと表情を緩めて、続ける。


「いや、先輩って、なんか……あんまり、こだわらない感じじゃないですか。いつも、ちょっと余裕そうっていうか。だからひょっとしたら、ほかの学校に彼氏とかいるのかなって」

「余裕かはともかく、彼氏はいないよ。逆に有朱はどうなの。モテそうだけど」

「モテそう!?」


 目を丸くして、有朱は叫んだ。ちょっと周囲の目を引いて、あわてて声を落とす。


「わ、私がですか。そう思いますか」

「うん……可愛いし、素直だし。少なくとも、嫌われる感じではないでしょ」


 ほとんどなにも考えずに話していた。頭の中のほとんどは得体の知れないなにかに占領されていて、残りのほんのわずかな部分だけで考えて、言葉を紡いでいるような感覚。

 有朱は手を口元に当てて、視線を散らした。


「えっ……と。それは、先輩が、そういう子が好きってことですか?」

「うん……そういう子っていうか。有朱のことだけどね」


 軽く首を傾げると、有朱は黙ってしまった。私の視線を避けるように目を落とし、襟の辺りを見ているような感じだ。その間にも、ポケットの中のスマホは何件かの着信を知らせている。


 ふたたび口を開く前に、コーヒーとラテが届いた。それに口をつけたのを契機に私は話題を変えることにする。


「ひとくち飲んでみる?」


 カップを少し持ち上げて見せると、有朱は驚いたように目を見張った。


「ええっ、先輩のをですか? 駄目ですよ、そんな」

「でも、飲んでみたら案外いけるかもよ。物は試し、ってね」

「そういうんじゃないですっ!」


 有朱は膨れるようにして、自分のカップに口をつける。


「もう、先輩はちょっと無自覚すぎです! もっと、こう……自分のことも考えてください」

「そうなのかな。最近よく言われる気がするけど……」


 流愛が純粋で可愛いと言ったのも、末結が尊敬していると言ったのも、たぶんそういうところなのだろう。


 たぶん、それは正しいし、間違ってもいる。


 私は純粋でもなければ無自覚でもない。自分がどう思われているのかくらい、誰だって本能でわかるものだろう。まして、有朱も流愛も、きちんとそれを伝えてくれているのだ。そのうえで、私は見て見ぬ振りをし続けている。どっちつかずな振る舞いを続けている。


 けれど、それがただの演技なのか、私にはよくわからなかった。確かに、私は有朱からの好意を感じてはいる。けれど、感じる以上のことが、私にはできなかった。この「感じ」をどうすればいいのかが、私にはまったくわからない。

 好かれている、嫌われている、喜ばれている、悲しまれている――そういった実感は、その時その時で感情の表面を揺らすばかりで、まったく奥まで伝わってこなかった。


 それは、はじめてトロンボーンに触れたときのような感覚かもしれない。鳴らしたい音はあるのに、息はまったく管を震わせることがないという、あの感覚。有朱や流愛の思いは、音にならないただの空気の流れとして、私という管を通り抜けていく。


 だから、わからない。


 流愛に対して、末結に対して、有朱に対して、私がなにを思っているのか。


 私の気持ちは、私が感じられるほど確かな形を成してくれない。


 思うことと、思われることとの違い。


 その隙間が、私には上手く認識できなかった。


 ポケットの中でスマホが震える。今度は均等な間を置いて、断続的に。電話で起こそうという魂胆だろう。きっとそのはずだ。私はバイブが止むのを待たずに、有朱に答えた。


「考えてるつもりではあるんだけどね。まあ、自分のことって、意外とわからないし」


 つとめて軽い口調で言う。有朱はなんだか寂しそうに目を伏せて、カップの中身を見つめた。その間も、ポケットの中では端末が震え続けている。ほかの誰にも聞こえるよしのないそれは、耳鳴りのようにも思えた。


 次いで、二人分のケーキが届く。バスクチーズケーキを前にして、有朱は歓声を上げた。


「わあ、おいしそう。えへへ、ずっと食べてみたかったんですよ」


 心底嬉しそうにそう言って、フォークを差し込んだ。私もシフォンケーキに手を伸ばす。


「どう、おいしい?」

「すごいおいしい、最高です」


 ふにゃふにゃした笑顔を浮かべて、有朱は答える。しばらくはケーキに集中して、会話が途切れた。その間も、スマホは着信を知らせ続ける。その度ごとに味がしなくなっていくような気がした。


「嬉しいです。先輩とこうやってお出かけできて」


 ケーキを半分と少し食べ終えて、有朱はそうこぼした。


「この前、先輩に一緒に帰れないって言われて、変なことになっちゃったことがあったじゃないですか。私、あれでいろいろ考えたんです――」


 穏やかに笑いながら、有朱はケーキを一口頬張った。また、スマホが震える。


「私、いままで、ゆい先輩は居てくれて当たり前だって思ってたんです。私が居てほしいときに居てくれて、私のしてほしいことをしてくれて――なんだか、そんな気がしてたんです」

「……できるだけ、そうしたいとは思ってるけど」


 私の言葉に、有朱はほんのりと顔を赤くした。身じろぎをして、肩にかかった髪が揺れる。


「ふふ、ありがとうございます。……でも、そんなはず、ないんですよね。先輩には先輩の都合があって、私にいつでも合わせてくれるなんてこと、なくて。当たり前ですよね。なのに私、すごいびっくりしちゃって……」


 有朱は恥ずかしそうに言葉を切って、ラテのカップに手を添えた。また、スマホが震える。今度は電話の着信だった。


「だから、こうやって一緒にいられて嬉しいです。いままでのお出かけも楽しかったですし、嬉しかったですけど……いまは、もっと嬉しい気がします。だから、当たり前じゃないのも、悪くないなーって」


 有朱はそう言ってはにかんだ。私は真っ白に塗りつぶされていく頭の中から、なんとか答える言葉を探す。


「そこまで言ってもらえると、私のほうこそって感じだけどね。まあ、あんまりわからない感覚だった気もするけど……」

「あはは。ゆい先輩って、そういうことあんまり思わなさそうですよね。この人ならなんでもわかってくれる、とか、この人のためならなんでもできる、とか」


 私は思っちゃいます、そういうこと。言いながら、有朱は私の目を見た。着信はやまない。ブゥン、ブゥンと私を責め立て続ける。とうに留守電になっているはずなのに。


「……なんか緊張してると思ったら、そんな話があったんだ」

「えっ、私、そんなに変でした!?」

「いや、変ではないけど……見ればわかるよ」

「それ、普段からわかりやすいって意味ですか……」


 ジト目で私を見る有朱に、他意はないよとはぐらかして、残ったコーヒーを飲み干した。気づけばケーキは食べ終えていて、残っているのは有朱のラテだけだった。けれど、立つに立てない。ポケットの中の振動は止まる気配がなかった。


 会話が途切れて、席に静けさが満ちたとき、有朱はふいに携帯を取り出した。液晶を見て首を傾げながら、私に言う。


「あれ、電話かかってるのって、先輩のほうですか?」

「あ、ああ……うん」


 私はとっさに頷いてしまう。どう取り繕ったものか、そもそも取り繕うべきなのか、思考がまとまらずに硬直していると、有朱は、


「いいですよ、気にしないでください」


 と言って笑った。私はほかにどうしようもなくなり、スマホを取り出す。画面には『るーちゃん』と表示されていた。有朱が不自然に思わないように、何気ない仕草で電話に出て、端末を耳に当てる。


『もしもし、とこ』


 流愛の声は氷のように固く、冷ややかだった。外にいるのだろう。風や雑踏の物音が、電話越しに伝わる。


「……るーちゃん。その」

『なんでその子と一緒にいるの!?』


 絶叫だった。スピーカーの音域を塗りつぶすばかりの、音。生々しくて金属的で、悲痛で非情で、切実で滑稽で――そんな混乱した印象が、耳から私を打ちのめした。

 間髪入れずに、流愛は続ける。


『そこは私と行ったんでしょ!? なんで!? なんでほかの子に取らせちゃうの!? 私の……私ととこの場所なのに……!』


 見る間に声に涙が滲む。しゃくりあげるような嗚咽に混ざって、ざわざわと人波の気配が感じられた。


『ねえ、どういうこと!? なんで嘘吐いたの!? 私、私、私に嘘吐いて……ねえ。ねえ!』

「……ごめん。実は、」

『実はってなに。嘘吐いてたってこと? 隠してたってこと? 私に? それでその子と一緒なの? 私じゃなくて? そっちにしたんだ。私のこと捨てるんだ』

「そんなこと、」

『嘘吐き』


 全身の感覚が遠ざかっていくようだった。スマホを握る手の感触が、床に触れた足の感覚が、悲鳴を聞く耳の感応が、有朱を視る目の感知が、すべて嘘のように私から遠ざかる。


『大好きなのに。とこしかいないのに。私、とこに裏切られたら死ぬしかないのに! ねえ!』

「そんなこと……言わないでよ」

『じゃあ、なんで! なんで私に隠したの!? なんで、なんで、私に言えないことするの!? そんなやつ、どうでもいいじゃん! とこは私の友だちでしょ!?』

「うん」


 電話越しに荒い呼吸が響く。過呼吸じみた喘鳴は、待っているうちに嗚咽へと落ち着いていった。


『……ごめんね。いきなり怒鳴ったりして。そうだよね。とこは私の友だちだもんね』

「うん」

『ああ……ごめんね。私、不安で……。ああ、とこ。私、とこがいないと駄目なの。もう、生きていけない。死ぬしかないから……』

「大丈夫だよ」

『あああああ……とこ、とこ、とこ、とこ』


 ごん、ごん、と頭をなにかに打ちつけるような音が響いた。

 またしばらく間があって、いくらか落ち着いた声で、流愛は言った。


『ごめんね。私、とこに頼ってばっかりで……。とこのこと、責める資格ないよね』


 落ち着いてくれたのだろうか。私は名状しがたい気持ちで彼女の言葉を待った。


『だから、代わって?』

「え?」

『その子に……なんて言ったっけ。私から言うよ』

「……有朱」

「はい。その……大丈夫ですか?」


 反射的に答えた私の呟きに、有朱が反応した。事態を飲み込めていないのだろう。不思議そうな、心配そうな顔で、私を見た。


 憔悴したような、しかし確固として理性的な声が、携帯から聞こえてくる。


『有朱ちゃんね……ちょっと、お話させて。私ととこのこと、わかってもらわなきゃ』

「……うん」


 私は有朱と流愛に同時に相槌を打って、言われるままにする。


「ちょっと、代わって欲しいんだって。有朱に」

「え、私ですか? なんの話でしょう……」


 彼女はなにを想像しているのだろう。もちろん、私にはわからない。有朱が手を伸ばすままに、私はスマホを手渡した。


 有朱はそれを受け取って名前を名乗った。相手が先輩であることは明かされたのか、丁寧語を崩さないまま、しばらく相槌を打っていた。最初はちょっと不思議そうにこちらに視線を送っていたが、やがて、瞳が動揺を表しはじめる。携帯を何度も持ち直し、相槌も間遠になって、唇を噛んでいる時間が増えた。

 そのうちに、目に溜まった涙を拭うようにしはじめた。空いた拳を握りしめ、洟をすするようになる。相槌はもうほとんど聞こえず、私のほうを見ようともしなかった。ただ、スマホを握ってすすり泣くだけ。


 しばらくして、話は終わったらしい。有朱はスマホを返しながら、言った。


「すみません、結島ゆいしま先輩。私、ちょっと……勘違い、してたみたいで」


 緊張が切れたのか、言いながらぼろぼろと涙を流しはじめた。私に抱きしめられながら流したそれとは違う、重く、質量のある涙だった。


「ごめんなさい。本当に。私……」


 なにかを言おうとしたようだったが、涙で言葉にならなかった。顔を手のひらで乱暴に拭い、弾かれるように立ち上がった。泣き声を必死に我慢しているような声を立てながら、私の横を通って、逃げるように足早に出口のほうへと消えていった。


 私は、振り向くこともできなかった。


 呆然としながら、携帯を耳に当てる。


『とこ。大丈夫だよ。いまから、私の家に来て。ちゃんと話し合おうよ』

「うん。そうしよっか。ごめんね。細かい話は、そのとき」

『うん。大丈夫だよ。それじゃあ、また』


 通話はそれで終わった。


 人生が終わっていないのが不思議だった。


 意識を保っているのが不思議だ。

 息をしているのが不思議だ。


 私はしばらく、席についたまま、涙が机の上に落ちていくのを眺めていた。


 泣いているのも不思議だ。

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