夕暮れの街

rainscompany

第1話

 私は好事家だったから、その小さな町で起きたという連続失踪事件についても、すぐに興味を持った。

 町の名は三夕町。バブル期にはベッドタウン化の計画も湧き起こったらしい。しかし時代の波に乗り切れぬまま、やがてバブルは崩壊。立ち並ぶはずだったマンションも、完成済みの一棟だけを残して計画中止に追い込まれ、町はみるみるうちに寂れていった。そのマンションも、今では廃墟になって久しいとか。近隣自治体との合併を経て、三夕町の名が一集落の名と化した現在では、この町を訪れるのは廃マンション目当ての廃墟愛好家や、マイナーな登山道を訪れるわずかばかりのハイカー程度だ。

 そんな静かな町で、この一ヶ月の間に五件もの失踪事件が起きたのである。

 一件目は三十代の会社員、二件目は男子中学生、三件目は女子大学生、四件目は中小企業の経営者、そして五件目は、知人の男子高校生──外山君だった。

 警察の捜査によれば、失踪した五人に面識はなく、失踪する直前に自殺をほのめかしていたらしい。そのことから、警察は彼らが自殺したものと捉え、現在は遺体を捜索中とのことである。

 正直、私は外山君がこの事件の当事者であるなどと、調べるまで全く知らなかった。事件に向けていた好奇心はやがて、義侠心めいた感情へと変わっていった。そうして半ば情動に突き動かされるように、私は三夕町へと向かったのである。


 町に着いてから二日間、私は山で彼らを探した。ハイカー向けの民宿を拠点に選んだことも、その理由のひとつだった。しかし情けない話だが、山は想像をはるかに越えて深く、毛が生えた程度の登山経験しかない私は、すぐにへばってしまった。それでも二日に分けて登山道を辿ったのだが、行方不明者どころか人の痕跡すら乏しいのである。そもそも警察だって無能ではないのだから、登山道の捜索など始めのうちに終えているはずだ。であるなら、道から逸れた沢や森も探したい…ところだが、現状の私の装備や土地勘では、ミイラ取りがミイラになりかねない。そうこうしていると、追い討ちをかけるようにクマ出没の報せが入り、山へ向かう足取りはさらに重くなる。調査が行き詰まった四日目には、ついに見兼ねた現地の警察から釘をさされてしまった。素人の勇み足など、彼らからすれば邪魔でしかない。ほんの数日前にも行方不明者の家族がやってきたそうだが、警察のほうで追い返したらしい。こうなっては、もはやどうしようもない。公務執行妨害で現行犯逮捕されるのも、クマに襲われて野垂れ死ぬのも願い下げだ。私は翌朝のバスで町を出ることにした。

 しかしその日の夕方だった。ある閃きが、私の頭を過ぎったのである。

それは外山君と最後に会った日に、彼がこぼした言葉だった。



「夕日の見える町へ、行きたいんです」

 私は、彼の言葉に首を傾げた。この町でも夕日は見えるじゃないか、そう返した私へ、彼は静かに笑みをこぼした。

「へへ、確かにそうなんですけど…なんていうか、ここの夕陽は夕日じゃない…といいますか。この夕陽は、単なる一日の終わり、でしかないんです。明日を迎えるための通過点、ただ通り過ぎるだけの無価値な時間…」

 話が見えずに怪訝な顔をしていた私を見て、少し気恥ずかしそうにしながら、外山君は話を続けた。

「…俺、夕方って、なんでか好きなんですよ。何かが終わるんだなって一目でわかるような空の色とか、みんなが自分のことに手一杯で、とても忙しそうに見える帰り道とか。誰も俺の事を気にしてなくて、俺は何かになる必要がなくって、俺が俺のままでいていい唯一の時間………そういう風に感じるからかもしれません。」

 彼はビルの向こう、傾く陽を眩しそうに睨みつけていた。その口元は笑っていたけれど、瞳には何も映していなかった。その目の虚ろに臆し、私は言葉を返せないまま彼と別れた。

そうして、彼は姿を消した。

私の前からも、家族や友人の前からも。

 私は考えた。この町で一番夕日が綺麗に見えるのはどこだろう──瞬間的に思いつく。

 山を背にして西向きに立つ廃マンション、その屋上だ。


 義侠心も好奇心ももはや無く、恐怖心すらなく、私はすぐさま廃マンションへと向かった。

 廃マンションの中は荒れ果てていた。コンクリートの隙間から雑草が生え、埃が積りに積った灰色の床を、傾きつつある午後の光が照らしている。静謐に包まれた廊下に、私の靴音だけが響く。そのせいか、跳ねる鼓動がうるさいほどに感ぜられた。目指す屋上は五階上。息もつかぬまま私は階段へ足をかけ、一目散に登り始めた。

 しかし、やがて違和感に気付いた。

 ──階段が長すぎる。

 とても五階建てとは思えない。踏んだ踊り場の数も、もう十階分は数えている。おかしいと気付く頃には踊り場さえ無くなり、私の目の前には、上へと続く一本の長い階段が伸びていた。しかし、果てが見えない訳ではない。階段の先には重厚な鉄の扉が待ち構えている。

 毒を食らわば皿まで、とも言う。なにより、私は真実をこの目で確かめたい。

 私は震える手でノブを掴み、屋上へ踏み出す──



──はずだった。

 そこに広がっていたのは、西日に照らされるマンションの屋上などではなく、見覚えのない街の交差点だった。私は通りに面したビルの一角、地下へと続く扉から現れた格好になっている。

 何故だ?

 見渡す街並みに全く見覚えはない。長すぎる階段を登ってきたせいで思考もおぼつかず、ビルの広告や看板を正しく認識できない。

 町は夕暮れを迎えていた。

 茜色の逆光で黒く染まる人影たちは、誰一人として私を見ていない。その視界の中に私を捉えていない。皆が皆、自分のことに手一杯で、忙しなく、そして満ち足りたような表情をしている。

 何処なんだ、ここは

 思わず叫び出しそうになった私の視界が、見覚えのある少年を捉えた。

──外山君だ

 道路を挟んで反対側のビルの壁、そこにもたれ掛かって、外山君が立っていた。群衆とは違う方向を向く彼の顔は、西日に照らされて、はっきりと見えた。

「外山君!」

 私は咄嗟に、今度こそ叫び、歩き出そうとする。

 しかしその時、彼は真っ直ぐに私を見据えて、呟いた──叫ばなければ届かないほどの距離にもかかわらず、その言葉を私はしっかりと聞き取れた。



「だめですよ」



 四肢に電流が走るのを感じた。

 私が足を止めると、彼は少し寂しそうに、しかし、微笑んだ。

 そうして歩き出し、雑踏の中へ消えた。今度こそ、私の前から消えてしまった。

 彼以外、誰も私を見なかった。私は確かに大声で叫んだ。にも関わらず誰も私を見なかった。関心すら持っていないようだ。背筋に走る怖気が次第に大きくなってくる。

 歩行者信号の奏でるとおりゃんせが、厭にはっきりと響いていた。硬直する私をよそに、人混みは流れ続ける。ただ時間だけが過ぎていく──しかし、夕日はいつまでも輝き続けている。

 確かめるべき真実など、もはやどうでもよかった。私は踵を返して扉に手を掛ける──

 その時である。背後で、誰かが囁いた。



「おいで」



 声のした方向、そこには、幸せそうに微笑む四人の男女が立っていた。

「おいで」

ビジネススーツを着た男性。

「おいで」

詰襟の制服に身を包んだ男の子。

「おいで」

ラフな格好の女の子。

「おいで」

作業着姿の壮年の男性。

とても満ち足りた声色で、甘い囁き声で、彼らは口々に繰り返す。

「おいで」

「おいで」

「おいで」

「おいで」

──強烈な嫌悪感。行ってはいけない、行ったら戻っては来れない。そう確信した。

 もはや反射的に扉を開き、転げ落ちるように階段を駆け下りた。勢いよく扉を閉めた時、本当に幽かだが、外山君の声が聞こえた気がした。だが私には、もはや考える余裕など残っていなかった。半ば無意識の内に叫び、狂奔し、宿へと逃げ帰った。訝しむ宿の人々をよそに、私はそのまま布団に倒れ込んだ。



 次の日、目を覚ましたのは町内の診療所のベッドだった。医師の話によれば、精神的なショックでてんかんを起こしたらしい。布団の上で気絶していた所を、宿の女将さんが診療所まで連れて来てくれたそうだ。絶対安静を勧める医師は良い顔をしなかったが、私はそのまま東京に帰ることにした。一刻もはやく、あの光景から離れたかった。

 あの時、扉を閉めた時に、外山君は確かに言った。

「さよなら」

 外山君が、私を逃がしてくれたのだろうか。

 いや、はたして、私を逃がそうとしてくれたのは、外山君だったのだろうか

 手招きをしたあの四人は、他の行方不明者たちと特徴が一致する。彼らは、とても幸せそうな顔をしていた──そうだ、外山君でさえも、夕陽を見ながら笑っていた。精神的に追い詰められた様子など、微塵も感じなかった。

 ならば四人は、その幸福を分けてくれようとしていたのではないか──後になってみれば、そんなことを考えてみたりもする。

 件の廃マンションは次の年に、安全上の理由から取り壊された。行方不明者たちは、見つかっていない。もはや階段の長さも、屋上の真偽も確かめようがない。

 夕暮れになる度に思い出す、あの時の光景。

 外山君は、今も、向こうで、幸せなまま居るのだろうか。

 私は、あのまま夕暮れの町へ繰り出していたら、どうなっていたのだろうか。



諸井込九郎/夕暮れの街

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夕暮れの街 rainscompany @rainscompany

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ