単発作品集
猫の肉球
「100人目の影」
ある曇った秋の日の午後、100人の男女が古びた倉庫に集められた。理由は誰も知らない。手紙が届き、「指定された時間にここへ来なさい」とだけ書かれていた。好奇心、恐怖、あるいは単なる偶然で、彼らはその呼びかけに応じた。倉庫の扉が閉まり、錆びた鎖がガチャリと音を立てると、室内に緊張が走った。
「誰かが我々を閉じ込めたのか?」若い男が叫んだ。だが、返事はない。代わりに、天井のスピーカーから無機質な声が響いた。「みなさんの中には、殺人鬼がいます。その人物を見つけ出し、排除してください。さもなければ、全員が死にます。時間は24時間です。」
一瞬の静寂の後、パニックが爆発した。人々は互いを疑い、叫び、指をさし合った。100人もの人間が狭い空間で押し合い、睨み合い、混乱が渦を巻いた。だが、やがて冷静な声が上がった。40代の女性、リサだ。「落ち着いて。まず状況を整理しましょう。私たちは協力しないと全員死ぬわ。」リサの提案で、全員が自己紹介を始めた。
名前、職業、簡単な背景。医者、教師、学生、主婦……平凡な人々が並ぶ中、誰もが「殺人鬼ではない」と主張した。だが、疑念は消えない。誰かが嘘をついているのだ。時間が経つにつれ、小さなグループが形成された。リサを中心に10人ほどが「論理的に犯人を見つけよう」と計画を立てた。
一方、倉庫の隅では、20代の青年タカシが怯えた目で周囲を見回していた。「俺じゃない。信じてくれ」と彼は繰り返した。だが、その震える手と汗だくの額が、逆に周囲の人の疑いを招いた。
夜が更ける頃、最初の事件が起きた。倉庫の片隅で、50代の男性が血を流して倒れていた。喉を鋭い刃物で切られていたのだ。「殺人鬼が動いた!」誰かが叫び、再び混乱が広がった。リサは冷静に言った。「犯人はまだここにいる。」疑いの目は過剰に怯えるタカシに向かった。
彼は倉庫の端にいたし、怯えた様子が不自然に思えたのだ。「違う!俺じゃない!」タカシは泣き叫んだが、群衆の怒りは収まらない。リサが制止する前に、数人の男がタカシを押さえつけ、殴り始めた。血が飛び散り、彼の叫びが途絶えた時、群衆はようやく我に返った。タカシは死んでいた。
「これで終わりか?」誰かが呟いた。しかし、スピーカーから声が響いた。「残念ながら、誤りです。彼は殺人鬼ではありませんでした。残り時間は10時間です。」
絶望が広がった。間違えたのだ。タカシはただの臆病な青年だった。リサは唇を噛み、「私たちの感情が判断を狂わせた。次は冷静に」と皆を鼓舞した。だが、疑心暗鬼はさらに深まり、人々は互いに距離を取った。
翌朝、2人目の犠牲者が出た。今度は若い女性で、背中に刺し傷があった。倉庫には武器などないはずなのに、犯人はどうやって殺したのか? リサは気づいた。「誰かが隠し持っていたんだ。最初の殺人から凶器を持ち続けている。」
残った98人は互いの荷物を調べ始めた。すると、30代の男性、ケンジのポケットから血のついた小さなナイフが発見された。「違う!これは俺のじゃない!」ケンジは叫んだが、誰も聞かない。群衆は彼を囲み、怒りに任せて殴りつけた。ケンジもまた息絶えた。
スピーカーが再び鳴った。「おめでとうございます。殺人鬼を見つけました。みなさんは解放されます。」扉が開き、朝日が差し込んだ。人々は呆然と外へ出たが、リサだけが立ち止まった。「待って。ナイフは最初の殺人の後に見つかった。でも、2人目は背中を刺されていた。凶器は1つじゃないのか?」彼女の疑問に答える者は誰もいなかった。群衆はただ生き延びた喜びに浸り、倉庫を後にした。
その夜、リサは眠れなかった。ふと、最初のスピーカーの声を思い出した。あの無機質な口調……どこかで聞いた気がする。そして、彼女は気づいてしまった。声の主は、100人の中にいたのだ。犯人はケンジではなく、群衆を操り、疑念を煽り、静かに手を下した誰かだった。
だが、もう遅い。倉庫は空っぽで、真相は永遠に闇の中だ。リサは震えながら呟いた。「私たちは全員、殺人鬼だったのかもしれない。」
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